第七王女
街に入ると、当然だろう人間も多く居る。
しかし、男が話しかけてみるが、まったく通じはしなかった。
『こんにちは』に、はろー、にーはお、ぼんじゅーるを並べただけだが、発音の問題でもなさそうだ。
「どこの言葉を使ったかしらんが、我らと同じじゃぞ」
当然の結果だろう、男にもわかっていた。 もしかしたらという儚い希望と確認であった。いや、たとえどれかの言葉が通じたとしても自分にそれ以上の知識が無い事は棚に上げていた様だ。
その様子を見てか族長が提案する。
「指輪、ひと組、提供してもよいが?」
「ほんとか?」
「代わりにそれが欲しいのじゃ」
ポラは腰のあたりを指さして言う。
「ベルトか、これは……ま、無くてもこまらんか、いいぞ」
牛革製のベルトだが、バックル部分などところどころは金属だ。 もしかすると、この世界では高価な可能性はある。
だが、右も左もわからないこの世界で、翻訳指輪があれば、いや、無いと、この先辛いのは容易に想像できる。
「えへへ」
とても嬉しそうな顔をする族長を見て、男は一瞬ベルトを外そうとした手を止めた。
だが、男に二言は無いという信条だろうか、外して族長に手渡した。
「じゃ、これも付けてあげようぞ。 今付けてる指輪は後で返すのじゃよ」
男が一瞬躊躇した理由を代わりが無い事と思ったのか、自分のポニーテールを作るための紐をほどいて差し出した。長い髪がきらきらとひろがる。
ベルトの代わりにしろという事だ。 差し出したのが腰のひもで無いのは、ベルトは別の用途にでもするのかもしれない。
「おお、サービスいいな。 でも、髪はいいのか?」」
「後で、代わりを見つけるのじゃ」
「そうだ、もう一つ良いものがあるんだが、買ってくれない?」
「ふむ? そうじゃの、とりあえず見てから決めるのじゃ」
もったいぶった返事も、男の次に見せる物に興味津々と言った感じは顔に書いてある。
「オーケー、これだ」
ズボンのポケットに手を入れると、水色の地に花柄の刺しゅう入りのハンカチを取り出した。
そして、そのまま髪を束ねて結ぶ。リボンの様な形に結んでやると、刺繍は計算通りなのか良い位置に収まっている。
エルフは、近くにあった壺に駆け寄る。 水鏡用かは不明だが、壺に水を貯めてあるのだろう。それを覗き込み、ポニーテールを持ってから頭をいろいろな方向に切り替えて確認している。
「とっても綺麗なのじゃ、これほんとにいいのかや?」
「ああ、俺は別なのを持ってる」
「でもじゃ。 価値がわからぬ」
「俺も、よくわからんが、二、三日の宿代と飯代が出ると嬉しいが……ちなみに、洗ってから使ってない」
道中や街に入ってから人々を見て、その服装は宝石を除けば少し地味なものだった。 パステル系の水色にカラフルな糸で丁寧に刺しゅうされた花柄は、確かに宝石とは別な美しさに見える。
「よかろう……と、言いたいが、持ち合わせがあまり無いのじゃ。 だから、一日分くらいと、すぐに金の稼げるところを教えるでどうじゃ?」
「情報料ってことか、いいだろう。 そもそも俺の方が宿代も飯代も価値がわからん」
「では、さっそく向かうとするかの、お昼はその後じゃ」
「お任せするよ。 そして、敬意をはらって族長と呼ばせていただきます」
「好きに呼ぶのじゃ」
ハンカチリボンをかなり気に入ったのか、早く対価を払いたい様で、すぐに歩き出した。
男もすぐに続いて歩きだす。 いくつかの光明が見えて、また少し余裕ができたのか、族長へ従うことを躊躇する必要は無いだろう。
男と族長が街へ着いたころ、街の中でも端の方だろうか、人気のない倉庫街らしき場所で事件が起っていた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい」
五歳ぐらいの少女が、泣きながら詫びを口にした。 その細い首には、刃の部分が水色に透けた短剣があてがわれている。少女の手首を背中で押さえるのは、あきらかに悪人顔の男だ。
そして周辺には同じような風体の男達が並ぶ。
「大丈夫よ。あなたは悪くないから」
対峙する様に立つ十代後半と思われる少女が答える。 綺麗なドレスに装飾は、それなりの身分なのだろうか。
「騒ぐなよ、そして動くな、何か動きを見せるたびにこの子が傷を増やすと思いな」
少女を押さえた男がドスの聞いた声で二人の少女に対して命令する。
その言葉に合わせる様に、手下なのだろう男達が左右に広がり対峙した少女を囲む。手にはやはり同じ短剣を持ってる。たた、刃の形は一定では無い様で、先は尖っているが刀身はいびつな感じだ。
「卑怯者っ」
「その通りで申し訳無いが、この方法が楽なんだよ。それに、あんたが迷惑を掛ける相手も少ない良い方法だと思わんか?」
「わたしがこの街に居る事は付き人が知ってるわ。居なくなれば捜索隊が出てすぐに捕まるわよ」
「のろまな役人に捕まる様なら、最初からこんな事しねぇよ」
「わたしの付き人は、のろまじゃ無いけどね」
「この場に、まだ来ねえんだから、のろまだろ。 だが、これ以上は無駄だな。 おい、要求に応じる気があるなら、言葉じゃなく、両手でスカートをたくし上げて下着を見せな」
「なっ」
「それとも、この子に理由を言った方が良いか? なんでこんな目に合うのかって」
「わかったわ、わたしを好きにしなさい。 その子は放しなさいよ」
要求に従うべく静かにスカートをたくし上げるが、言葉は強気に返す。
それでも、下着が見える直前の位置で手が止まる。
「俺も、もちろんすぐに放してやりたいが、役人に知らされても困るのは分かるよな?
だから、しばらく付き合ってもらうしかないのよ。 ああ、残念」
「ほんとに卑怯者ね」
「おい、手が止まったぞ、時間稼ぎする気なら、こいつ殺して力ずくにするぞ」
「魔法を使えればあんた達なんか」
手が上がり、シルクだろうか白い下着が見えた。
「そのまま、両手を離すなよ。 どのみち魔法使えるほどの暇は無いと思うけどな」
取り囲んでいた手下達が、素早く近づくと、手際よく、手足を縄で結び、口をふさぎ、目隠しをした。
「大丈夫か?」
男は、抱きかかえていた少女を降ろすと、目隠しを外してから、手足の縄などを解きながら聞く。
今しがた、男達に拉致された少女だった。
驚いた表情で男を見つめる少女は、涙ぐんでいたが、すぐに厳しい顔を作ると、
「あなたは、何者? あいつらの親玉?」
と、事態を誤解したのは、男の見慣れぬ風体も要員だろう。
「姫様、ご無事ですか?」
きつい言葉を男に向ける少女に、遅れて近づいて来た族長が声を掛ける。
「こいつ、なんて言ったんだ?」
男が族長に聞く。
「どこの国の言葉でしょうか?」
姫様と呼ばれた少女が族長に気付いたのか問いかけた。
「ええと、それは後ほどご説明を」
族長は、男の質問は無視して少女に答えた。
「では、あの子は?」
「信じたく無いじゃろうが、悪者の仲間かもしれぬな」
「そんな……」
「姫様がお人好しなのは、有名ですからの」
「そんなぁ」
「じゃが、通りかかってよかったのじゃ」
「本当に、助けていただきありがとうございます。 でも、あの人数、族長様お一人で?」
「いや、こいつ一人でじゃ、あっさり逃げて行ったが追わんかった。すまんの。 あの見た目子供も助けた直後に気付くとおらんかった」
「え? お一人で?」
姫様は、いまいちピンと来ない反応だ。
その時、誰かが駆け寄ってきた。
「お嬢様」
「セリアンっ」
姫様が名を呼ぶ、おそらく先ほど言っていた付き人だろう。
長身で線の細いスタイルだがその大きな胸で女性とわかる、だが声は低めで、表現するなら全体的に凛々しい。
「貴様、何者だ?」
付き人は姫様の前に入り短剣を抜きながら男に問う、様になるその姿は護衛も兼ねるのだ。 族長は姫様の反応から、付き人も知って居て当然だろう、ゆえに男に集中する。
「あ。 この方は……わたくしを助けて……」
すぐに姫様は、付き人を制止しようとする。
「我の男じゃよ」
姫様が説明するより早く、族長がにやりとした表情で紹介した。 当たり障りのない冗談としてお茶を濁したつもりかもしれない。
姫様は口をむなしくぱくぱくしている。
「お戯れを」
付き人は、冷静に一蹴する。
「それほど違っておらんぞ。 三千年も待った運命の男……と言えなくもない。 この土地の者では無いしの」
「そうですか、族長様、お世話になりました。 その者への謝礼が必要であれば後日あらためて。 では、失礼いたします」
付き人は、男が無害であると判断したのか、それ以上は触れずに優先すべき行動にうつる。 事務的言葉を残し立ち去るために姫様の手を引く。
「行きません。 わたしは、行くところがあります」
姫様は、付き人の手を払って強い口調で主張する。
「姫様、一人で離れられただけでも困りますのに、まだ、わがままをおっしゃいますか」
正体が知られてるからかお嬢様呼びが姫様に変わった。
「族長様はどちらへ?」
姫様は、付き人の説得を流す様に族長に問う。
「闘技場へ向かってましたじゃ」
ここで、族長の返事から男は闘技場へ向かうことを知って、少し理解したかもしれない。
「なるほど、南街道から闘技場であれば、ほとんど人通りの無いこの場所を通りますね」
姫は、エルフの村からの道程をすぐに察するほどに街の地理に詳しいらしい。
「もしかして、お姫様も闘技場へ向かわれるおつもりでしたか?」
「え、ええ、まぁ、ちょっと覗きに」
「街で人気のスイーツが食べたいとおっしゃるので城外へお連れさしあげたのに……」
付き人は頭を押さえながら呆れた様に漏らす。
「黙って離れたのは謝ります。 でも、どうしても、闘技場へ」
姫様は付き人に必死で懇願する。目には涙が浮かぶ。
「俺にも説明してくれ、お前の台詞から推測すると、俺、あまり良く思われて無いような?」
なんとなく入り込む余地が無い雰囲気に大人しくしていた男が、しびれを切らしたのか口を開いた。
「お前の話はこれっぽっちもでておらんから安心しろ、そして少し待っておれ」
「さようですか」
すごすごと引き下がる男は、自分に関係の無い事とわかると、周辺の観察を始めた。族長が姫様と言った人間観察もしたいところだが、じろじろ見て、怪しまれるのも損である。族長と出会った際に胸への視線でいじられた件が頭をよぎったかもしれない。
「わかりました。 ただし、少しだけですよ」
姫様の懇願に、付き人も折れた様だ。もともとそういうのには弱い人なのかもしれない。
「ありがとう。 だから、セリアンは大好き」
姫様はころっと表情を変えて付き人に抱き付く。涙もどこへやら。
「はぁ~」
付き人はまた呆れた様に溜息を付く。 自分の甘さへ呆れたのかもしれない。
「ちょうどよい、一緒に行くとしようか。 よいか?」
族長が姫に提案するとともに、男に了解を取る。
誘拐未遂の件は説明するタイミングを逃したのもあるが姫様本人が言わないので今は放置したのだろう。
「ああ、かまわないよ」
男は、拒否権の無い事を理解したうえで了承の言葉を返す。
「我々もかまいません」
付き人にとっても、頼れる?族長が一緒なのは助かるとの判断だろう。
「わたしは一人がいいのに」
姫は小声でぼやいた。
「では、すぐに向かいましょう。 そしてすぐに帰りましょう」
付き人が率先して歩き出す。
姫と男も続く。
三人に少しだけ遅れて歩きだした族長は、小声で独り言の様に「どうじゃった」とつぶやいた。
その独り言に答えるかの様に帰って来た言葉も族長にしか聞こえなかったろう。
「占い師に特に動きはありませんでした。 同じ場所で占いの露店を出しています。 先ほどの者達はマリム姉さんが追っています」
風に乗って来たかの様に若い女性の声で返答があった。
「ふむ。 追ったか……まぁ、マリムなら大丈夫じゃろう。 占い師の方は、もう良い。 以降は、あの男を見張るのじゃ」
「御意」
「交代要員で……」
「あの、わたくしが」
「わかった、フィニも頼む」
「はい」
「クレニ、わしの護衛はよい、姫の意図を探れ。 目的は想像できる」
「あの男、そこまで気になさる必要がございましょうか?」
先の声主達よりも少し年上の女性の声だ。
「あの洞窟、宝はあったがゴミじゃった。 まぁ、それはもともとどうでも良いが。 そして珍妙な男に出会った。 そして、街で姫を救うじゃと。 あの占い師が本物なら、男が何か導いてくれるじゃろう。 もっとも、わしも誰かの……それは気にする事でも無いじゃろう」
「御意」
「ああ、それから、ニャンは王城の様子を見てくるのじゃ。 嫌な予感がする、無理はせんでいい」
「にゃ」
これも若い女性の声だが少し猫っぽいなまりが混ざっている。
指示を受けた者達それぞれが応じる言葉を即答で返す。
指示を出し終えたのか、族長は、既に少し速足で三人を追っていた。