異世界転移
数日前、
男が一人、立っていた。たたずんでいた。
その男の周りには、人間の手や足が散らばり、それらから流れ出たであろう血液が地面を赤黒く湿らせている。
鋭利な刃物で切断された様な人間のパーツは、不揃いな大きさと数であり、合わせれば数人分になるだろう。
だが、男がたたずむ理由はそれでは無い、男は数秒前、都内某所で数人の男達に囲まれていた……はずなのだ。それが今、木々に囲まれた広場か、隙間から雑草の生えた石畳と壊れてほとんど高さの無い石造りの壁、見渡せる範囲に機械的な部分は全く見えない。
周囲の木々の高さであれば当然見えるはずの高層ビルもただ一つも無い。
もちろん人も全く見えない。たまに聞こえてくる鳥らしき鳴き声は、普段聞き覚えの無いものだ。
そこは、どう見ても都内とは思えない廃墟の景色、それさえも理由にならない。
そう、その景色自体よりも、散らばる惨状よりも、違う場所に居る事こそが、たたずませて居るのだ。
ふと、左手首の腕時計に目を向ける。機能が豊富なタイプの時計は、デジタルの表示で二十二時十三分を示し秒を進めている。ただ、辺りはもうすぐ夕刻といった感じなのだった。
「無事か? とりあえず、周辺の調査かなぁ。
しかし、夜の十時台にしては明るすぎる、夕方くらいというか日も出てるし」
少し早口でそうつぶやいてから数秒が過ぎた時、その異常な状況を発展させるのに十分な者が目の前に現れた。
あわせて木々の方からガサガサと音が聞こえた、動物たちが慌てて逃げるような音だ。その方向に視線を向ける、そこに居た。
大型の獣、いや、あえて言うならUMAだろうか、常識で考えられる獣の形では無い。どこかの実験動物とか放射能による突然変異の方が現実味はあるのだろうか? とりあえず宇宙人や知的な生物では無いだろう、衣服を着ていないし装飾品も付けていない。
妖怪や幽霊の類が出て来ていれば、まだ現実では無いと否定できただろう、だが、今、目の前に出て来たそれは、圧倒的リアルな造形で、散らばる屍の一つを拾い上げ貪り始めた。
そいつを強引に説明するなら、立ち上がった熊の頭に水牛の様な角、左右に二本ずつ腕を付け、三倍に大きくした感じだろうか。
男は、現実と仮定し、さらに人肉を食らう以上、敵と決めた上で行動に出た。
逃げるのでは無い、拳を軽く握って構えを作る。
「現地人……じゃないよな?」
男は、つぶやくと、目線をそらさずに、ゆっくりとしゃがんで手に触れた石ころを拾う、そして動いた。
常人とは思えぬ速さで間合いを詰める。
数メートル手前で手にしていた石ころを指弾として放つ。
UMAが両目を押さえて獣の咆哮をあげた時、男は勢いのままジャンプし、回し蹴り、それがUMAの顎を捕らえる。
「修業の成果……だよな」
UMAは首から上を真横に向けたまま崩れるように石畳に倒れた。
そしてそのまま立ち上がる。首は曲げたまま。
「立つのかよ、タフだな……仕方ねぇ」
男がなにか決断した時、UMAが一歩踏み出した。
その出鼻を挫くのか、男の左の拳がUMAの横向きの顔にヒットし、なぜか頭を失って倒れた。
「夢の可能性に賭けてみたが、想定以上に手ごたえが有る。困ったな、殺しちまった。 しかし、なんだこいつのやる気の無さは、襲ってくる気は無かったのか、なら悪い事したか……いや、背を見せる訳にもいかんだろうし、先手を取られたら俺がやられていたかもしれん。 食われたらたまらん…………なんか余裕無いな、俺」
男は早口でつぶやくと、速足で辺りを歩き始めた。
「しかし、凶暴な顔だったよな、こわいでしょ。 こんなのが居るとすると、これは、もしかすると異世界へ召喚されたとかか?
はは、そんなこと、あるわけ無い……と思うが、ここまでのわずかな時間でだが、他の答は夢しか思いつかない。電脳空間なんて、姿がまったく俺のままではありえんし、俺が知ら無い訳もない。
夢ならそのうち覚めるだろうが、さっきの手ごたえ、期待薄に思える。
それにしても、こいつみたいなのがたくさん来たらやっかいだな」
その時、まさに予想どおり、強くなる血臭に引き寄せられたのか次の獣が現れた。牙が鋭い大きな犬といった感じだが、視界には既に五匹は居る。 野生の犬だとしても、噛まれただけでも十分やっかいだ。
「でかいし、数が多いな、同時に来られたら手数で負ける」
そいつらは、辺りの肉片には手を付けず、男に敵対の意識を視線と唸り声で向けている。
生きている者が狙いなのか、敵だろう男を倒すか追い払うかしてから食らう算段か、五体でタイミングを合わせる様に同時に男に向かって動き出す。
「ん? こいつら動きが遅い?」
男はそうつぶやくと、素早い動きで、二体を殴り飛ばし、続けざまに三体をまとめて蹴り飛ばした。
五体は、よろよろと起き上がると、力の差を理解したのか、のろのろと森に消えていった。
男は、追撃する意味も無いのだろう、気配が消えるまで見送ってから真剣な表情をした。
「いや、なんかふわっとした跳躍は遅いと言うか……なんて言うんだろ……
ああ、スローモーションってやつだ」
右こぶしで左手のひらをぽんと軽くたたくしぐさは、誰か居る訳でも無いそこでは独り言とあわせてむなしかった。
この男、政府の特殊な部署に所属している。 基本的な体術は実家の道場で学んだものだが、特殊な訓練も受けており体力もそれなりだ。
今の獣達との戦闘結果も、ある程度自信を持っていたのだろう。
「さて、どうしたものか……とりあえず、こいつら埋めてやるか、巻き込んじまった様だしな」
こいつらとは、散らばった手足のみのことで、自分だけが完全な形で存在している以上、そういうことなのだ。
召喚されたとした場合、空間ごとだったのか、とり囲んでいた他の者達も含まれ、範囲内の肉体のみがここに在るとすれば合点も行く。
つぶやくと、石畳から少し森の方へ移動し、近くに落ちていた太めの枝を使って土を掘り始めた。
穴の大きさは掘り起こされ無い様に配慮したのか少し深めだ。土が柔らかかったのもあるだろうが、この男の体力は一般人では無いとあらためて証明している。
穴が目標の大きさになったのか、周囲にちらばる人間の部分を拾い集めてそこへと並べるように入れていった。
「個人別じゃ無いのも申し訳無いが、今、俺にできるのはこのくらいだ、止めを刺せなかった分も含めて勘弁してくれ」
そう申し訳無さそうに声をかけながら土をかぶせ、上に大きめの石を拾ってきて積み上げた。
「そしてお前らは自然に帰れな……保健所とかがあるなら放置は怒られそうだが、わかったら謝ろう」
これは、先ほど倒した獣達に向けてだ。 墓を作る道理も無いが、少しだけ気が引けたのだろう。
「よし……まだ、目は覚めない……夢の線は、やはり無いな……だけど……いいじゃないか、やってやるさ、限りある命、こういう世界でこそ楽しめるかもしれない……
でも……やり残した事はあるし……人手不足だったし…………なんとか戻る方法を探さないとか」
今作った墓を見ながらつぶやくと、また、周囲を歩き出した。
とりあえず、埋めた手が持っていたのだろうナイフなど使えそうな物を拾って回り、いくつか選んで残った物は近くに隠した。
「俺、せこいな……いや、手数料ってことで、ってやっぱせこいか」
男は、自責の念に捕らわれながら、また周囲を見回す。 すると、石畳の一角から土の露出した部分が続いているのが見えた。ここが、石畳という人工物である以上、獣道というより人の通る道だと判断できる。既に、辺りの様子に注意しながらも速足で歩き始めている。
その時、ふと思い出した様にポケットからスマホを取り出し。
「はい、圏外ですよね。
やはり、人を見つけないとなぁ、居なかったら……異世界じゃ無くて、人が滅んだ未来の地球とかね。
俺の想像の範疇にあるのなら、なんとかなるのかもしれんが」
肉体の強さとは別なのか、早口な独り言を呟きながら歩く姿は、心細いのかもしれない。
少し歩くと、遠くの木々の間にちらりと石造りの建造物らしきものが見えた。
「お、手掛かり発見」
早速、そちらへ向かってものすごい速さで走りはじめた。 土の道を進み途中の横道を入るとすぐに建造物の前に着いた。
それは、山にくっついた建物で、石の柱が続き、石の屋根が載っている。あたかも、山の中へと誘導するエントランスを思わせる。
「入って見るしか無いかなぁ。 後にしてもいいが、入口付近だけでも覗いて見るか。 人が居るかもしれんしな」
誰にとも無く言うと、柱に身を隠しながら少しづつ奥へと進む。
もしも、誰かが中に居るなら、十分怪しい人物の行動に見え、何か行動を起こしてくれるかもしれない。
柱が途切れ、山の中にあたるだろう部分の手前で止まって様子を見る。
そこから先は暗くてよく見えない、建造物が続くと言うよりも、もはや洞窟だ。
「ごめんくださ~い」
定石だろうか挨拶を試みていた。不法侵入が目的では無い、中に何者かが居ればそれはそれで目的だ。
特に返事も気配も無いが、反響音から奥はそれなりに深そうなのはわかる。
「やっぱり後にしよう」
そう呟いて踵を返そうとした時。
「※%&※」
背中の方から、女性の声が少しゆっくりとした口調で聞こえた。雰囲気的には厳しめだが、ゆっくりのため迫力は感じないだろう。
「俺としたことが、うかつな」
背中を取られた事への反省をつぶやきつつも、男は条件反射の速さで声の聞こえた方へ振り向く。
「※%&※※%&※」
視線の先に立っていた声の主であろう女性は、聞いた事の無い言語で何か言うと、いきなり弓矢を放つ。
だが、放たれた矢は、傷付けるつもりが無いという意味か男の顔の右横を通り過ぎた。 それも、視認できるスピードで……。
状況から、泥棒と勘違いしての威嚇だろうか。 動くなと言われて動いたから撃ったのだとすると、たんに下手な可能性はあるが。
そして視認できた男は、あっさりと顔の横で矢を掴んでいる。
「すまない、何もする気は無かったんだ。 信じてくれ……ない……か?」
男は、真摯に弁解の言葉を発しながら、徐々に固まっていった。 目の前の女性の姿に見とれたのだ。
数メートル先にある大岩の上に立つのは、少ない知識だとしてもそれなりにわかる種族、美しいを通り越した容姿に尖った大きな耳が目立つ、そうエルフだ。
髪は、黄色と言えるほどの金髪をポニーテールにまとめている。
加えて、草で染めたように淡くかすれたグリーンのタンクトップとひらひらのスカート、いやワンピースか、それを縄の様な紐で腰の部分で絞っている。きらきらと輝く装飾類が演出する、まるで森の妖精の様な装いである。
「※※%&※※%&」
エルフは、弓を構えたまま、美しくも厳しい表情で、さらに言葉を続けた。
男には何を言ってるのかさっぱりわからなかった。もちろん、先の言葉もだ。
だから、言葉でのやりとりを諦めたのか、両手を上げてからあらためて背中を向ける。
「本当に、俺は何もするつもりは無い。 だけど、君と話がしたい」
「※%&※※※%&」
と声がしたとき、足元に何か転がった。エルフが放ったのだ。
それは、サイズから指輪だろうと想定でき、全体が青く透き通ったガラスだろうか、プラスチックよりは高価そうにも見える品物だ。
「おもちゃの指輪? これをやるからどっか行け? いや、付けろって事だよな……降伏の証とか? 何らかの意思表示を求めているんだよな。 ならばっ」
男は素早く拾うと、少し怪訝な表情をしつつサイズ的に右手の人差し指にはめた。
「指輪なんか初めて付けたぜ」
「お前、何者だ? ゆぅっくりとこちらを向け、ゆぅっくりとじゃ」
エルフは、指輪をはめたのを確認したのか、のんびりとした口調で話しかける。 そして、男はその言葉を理解できた。
男は、さほどゆっくりとも思えぬ速度で振り向いた。
既に大岩を降りていたエルフの指には、いくつかの指輪がされていたが同じ色の指輪も確認できる。
「あ、俺は……ジョニー。 信じてもらえないかもしれんが、怪しい者じゃない」
召喚されたかもしれないなどとうかつに言葉にしても余計に怪しまれると踏んだのか、とりあえず名前を付けた最低限で答えていた。その名前は偽名なのだが、本名を名乗っても特に変わらないかもしれない。
そもそも、召喚されたかどうかも定かでは無い、別な世界であることは今確定したのだが。
「では、何をしていたのじゃ?」
「人が居ないか探していた。 相談したい事があって……ん?のじゃ?」
男は考えて居た。 仲間を呼ばない事から一人だけか、遠くから狙撃系の伏兵が居るか、どっちにしても、そこのエルフには負ける気はしない。魔法とかが存在するのなら、知識の無い自分には計算に入れようも無いが、弓を構えたままなら問題無いということだろう。 そして、ちょっと語尾は気になったらしい。
「相談じゃと?」
ゆっくりと聞き返して来た瞬間、男は動いた。
エルフは慌てて矢を放つが、男は既に目の前に立ち、弓を持つ両手を取って向きを変えていた。 放たれた矢はあさっての方向へとむなしく消えていく。
「あっ…………え?」
エルフが、驚きの声を上げようとしたところで、足を少し払い、やさしくくるりと体を回転させて地面に寝かせた。
そのまま、エルフの両手を左手のみに掴みなおして、さっき掴んでいた矢を右手で喉元にあてがって言う。
「手荒にしてすまない。 少し大人しくして話を聞いてくれるかな。
あのまま話しても、たぶん嘘だと思われるから。 あ、痛かったら言ってくれ」
エルフは睨んだ横顔のまま答えない。伏兵も今のところ気配は無い。やはり一人だろうか。
男にとって、今の状態で同意の返事は必要無いからだろうか、そのまま話を始めた。
「相談があるのは本当なんだ。
俺、たぶん、別の世界から来た。しかもついさっき。もちろん、俺の知らない方法で。
だから、この世界の事を教えて欲しい。そして、できれば助けて欲しい。
だから人を探していた。 本当にそれだけなんだ」
エルフの様子から、この世界に人間が居るのは確定と判断したのだろう。
言ってる本人も別の世界という確証は無いだろうが、思ってる事を一通り話していた。 言葉が終わると、矢を喉元から放してから、抑えた手も放し、矢を返す。
「信じられないのじゃ。 そもそも、別の世界とは、どこの国じゃ? たしかに見たことの無い恰好じゃが」
エルフは、起き上がると腕の掴まれていた辺りをさすりながらあっさりとそう答えた。 ただ、睨んだ表情は消えていた。
「ええ~。 ……とはいえ、どう説明したらいいかわからん。 地球って世界の名前じゃないしな……宇宙、次元、ならもう日本でもいいか」
男は、がっくしと肩を落とす。
「何をぶつぶつ言っておる。早口過ぎて聞き取れもせん。 だが、もう少し話を聞くとしようか」
その表情は、実はある程度は信じているのか、次は興味本位を物語っている。
それに、誰とも知れぬ者に最初から不思議な指輪を渡した時点で、ある程度の事情を聞くつもりだったのか、男の外見ゆえか、それとも、場所や個人的都合に関係でもあるのか。
「そうか。 そうだな、逆に、俺がこの世界の人間で無い事を証明すればいいよな?」
「できるのかや?」
美しい唇が、早く話せとゆっくりとした口調で催促する。
「これを見た事あるか?」
男は、顔の前の見易い位置に左腕を上げて見せる。腕にはもちろん腕時計が付けてある。デジタルな見た目は、ここまでで自分の感じた世界観には無いと判断したのだ。
エルフは、目の前に出された腕時計を少し眺め、指で触れてからゆっくりと答えた。
「ああ、こんな腕輪初めてみたぞ。 似てるのも見たことないのじゃ。 なんか動いてる……それに、この輝き、石なのか?」
ベゼルやベルトの部分に恐る恐る触れながら不思議そうに感想を口にする。
ステンレス製の部分の輝きは、確かに宝石とは違った重みを醸し出している。
「もしかして、金属はめずらしいの?」
「きんぞく?」
言葉が正しく通じていないのかもしれないが、エルフの娘は、衣服類はおろか、大きな宝石の装飾品を多数付けているにも関わらず、金属は全く見つけられない。
大きな青く透明な石に紐を通して首から下げていたり、指にはたくさんの同様の石に穴をあけた様な指輪。 だが、どれをとっても、輝きは素人目にも十分美しい。
そして、矢尻さえもが鉄等の金属では無くガラスの様では無いか。
ここは、金属製錬などの技術が無い世界なのか、単純に文明の低い世界ゆえか。
前者かどうかはこれから分かるだろうが、先ほど男が戦った様なモンスターが野放し状態なのも文明の低さによると合点が行く。
「俺の世界では、いろんな物に使ってる材料だけどな」
「へ~」
男は、興味津々で腕時計を見つめるエルフへ、気になっていたことを口にした。
「ところで、この指輪って魔法の指輪なの?」
「そうじゃよ。 魔法の掛かった指輪じゃの」
男の興味など興味無さそうに、適当な返事が返ってきた。
「マジか?」
「だから、そうじゃ。 珍しいのかや?」
「あ、いや、え~と、はい、珍しいです」
一瞬、弱味を覚られない様知ったかぶりをしようとしたが、今後、必要な情報を得る機会を失う事を恐れて回答を変えたための微妙な返事なのだろう。
「ふ~ん」
いたずらっぽい表情は、当然の様に見透かされている。
「知らなくて当然だろ、俺、この世界の人間じゃ無いし」
「そう言う事にしておくのじゃ。
ところで、貴様は強いし、ちょっと手伝うてくれ」
「手伝う? 何を?」
あまりにも唐突な提案に、困惑しつつも聞き返す。
「そこに入る」
軽く答えたエルフの指が、男が覗いていた暗闇の方を向いていた。
「手伝うって事は、報酬があるのか?」
男は受ける前提であるだろうが、”強い”が条件に付いていた以上、危険が伴うと判断しての質問だ。 さっきの様な獣の類が居ると想定すべきだ。
「そうじゃな。 終わったら、我が胸に触らせてあげようぞ」
「え?」
「ふふふ……冗談じゃ。 さっきから、ちらちら見てるからの」
胸はかなり控えめなのだが、ワンピースのタンクトップの様な胸元の緩さに加えてのノーブラは、中が見える機会はそれなりにある。
「べ、別に、そこだけ見てた訳じゃ無いぞ~、初めて見る種族だからいろいろ観察してただけだ」
「まぁ、人間じゃしの、ありえんか。 では、別な条件にするとしよう」
エルフの言う、人間の部分の意味を男はまだ知らない。
そして、男を下から見あげる様な瞳は、次はなんて言っていじめようか算段してそうだ。
「今日の食料と寝床でどうだ?」
変な条件を出され、からかわれる前に、今彼が最も危惧すべき事を上げていた。
「商談成立じゃ、寝床にわしは付かんがの」
「ああ、もう、そっち系に話を持ってくのやめてくれ。 実際、戻る方法を知りたいのが一番だが、その前に右も左もわからないこの世界で、生きる為にどうするかが優先なんだよ」
「なるほどの。 ところで、貴様の早口なんとかならんのか?」
「早口? ゆっくり話すあんたに比べれば……あっ」
何かに気付いた様に近くの石ころをつまんで持ち上げる。
そして、落とした。
それは、ゆっくりと地面に落ちた。
「何じゃ?」
「なんてこった」
そう言ってから黙ったままとなり、エルフが答えを催促する様にもう一度聞いた。
「な・ん・じゃ?」
「あ、すまん、ちょっと考え事をしてた。 でも、たいした事じゃ無い。 あと、早口は癖なんで我慢してくれ」
「じゃ、今はよい、先に用事を済ませる。 後は寝床で聞いてあげようぞ」
「まぁ、いいや。 行こう」
後半の言葉はあえて無視して男は立ち上がり、暗闇の方へ歩き出した。エルフもすぐに小走りで続き前に出た。
穴の手前で止まると、エルフは右手を前方にかざす。すると指輪の一つが光を発し始めた。
光は、それなりに奥まで照らす。やはり洞窟の様だ。自然にできたものかは不明だが、ここから先には人工的な造りは無さそうにも思える。
「わしはポラ。 貴様は人間と呼ぶぞ、名前は後でまた教えるのじゃ」
最初に名乗ってはいたが、聞きなれない響きに覚えられなかったか、忘れたか、偽名だが。
「ああ、好きに呼んでくれ」
「じゃ、行くとしよう。とりあえず、わしの後ろに付いて来い」
「ああ、うぐっ……」
「あ、すまぬ」
ポラのポニーテールが、歩く拍子に跳ねて顔に届いて叩いたのだ。
「いや、俺がすまん。 ペースがつかめなくて」
ポラの歩く速度が遅いのだ。
「そんなに近ずいてくるとは、怖いのかえ?」
「そうじゃない」
「じゃ、後ろから抱き付こうとしたかや?」
「だから、話をそっちに持っていくなと」
「ふ~ん」
ポラは、またいたずらっぽく笑うと、奥に進み始めた。ゆっくりと。
「しょうがないか」
男は、まさか自分が、まるでゲームや漫画の世界の様な冒険的状況に遭遇するとは露ほども思っていなかったであろう。
だが、その状況に少しづつ心が躍りだしているのを確かに感じ初めていた。
「うぐっ」
はやる心は歩も早めるらしい。また、ポラの尻尾にはたかれた。
男は、ここちよい香りが混ざるその髪を嫌では無かった。 だが、もう当たらないと決めた。
ポラが、にやりとした表情を向けていたからだ。 可愛いが。
「あ、まだ奥へ行くのか?」
男は、わざとらしく聞く。
「何回でもくらってよいぞ、わしの尻尾」
「もうしません。 許してください」
妙な詫びを返したのもごまかしだ。
その後も、ポラは、慎重にゆっくりと進んだ。 男もペースが掴めたらしく、以降は何事も無く階層を進み、あっさりと奥に着いた。
洞窟は、ほぼ幅五メートル程度で、ここも特に開けている訳でもないし、特別な装飾も無い。
「ここかのぉ。 何か、あるかや?」
階層は降りたが、一本道であった。 それでも、行き止まり、つまり最奥には何かを期待する。
「いや、見える範囲には何も」
「明かりの指輪、予備を持ってくればよかったかの」
「ああ、明かりか、電池を気にして切っておいたが、ちょっとくらいならいいか」
そう言いながらポケットからスマホを取り出し、ライトを付けて辺りを調べてみた。
「貴様、魔法具を持ってるのかや? なら、とっとと出してもよかったじゃろうに」
ポラが、少し責める様に感心する。
「あまり長く使えないんだよ。 それに魔法じゃぁ無い。 使え無いし、知らないし」
男は、それっぽく返す。
「おかしい、だまされたかのぉ」
これは、男に対しての愚痴では無い様で、周囲を調べながら発した独り言だ。
「何があるはずなんだ? お宝?」
「そうじゃの、何かあるかなと……なんか意味ありげな洞窟じゃし」
壁に触れながら、ごまかしの様な、あやふやな様につぶやく。
「ほう……あ、そこ」
男が何かを見つけた様に右側の壁の下側を指さす。地面に近い。
「お? どこじゃ?」
「なんか、そこだけちらちらしてる。 壊れそうなテレビみたいな」
「ちらちら? てれび?」
「ああ、いいや、ちょっと待ってな」
男は、説明するのが面倒な様に不自然に感じた場所に近づくとすっと壁に手を入れた。
「お?」
ポラが驚く、男の手が壁に消えた様に見えたのだ。
いや、実際そう見える。
「こいつか? 変な生き物に嚙まれたらとか想像したけど、何も無くてよかった」
手を引き戻すと、小箱が握られていた。 確かにそれっぽい。
「それ、かの?」
「どうぞ」
宝が入っているかもしれないその小箱を、躊躇なくエルフに渡すと、スマホのライトを消した。
「すまぬな。 ちょっと待て」
ポラは、小箱をしばらく眺めてから、開けた。
「罠も呪いも無さそうじゃけど、そして鍵も掛かっておらん。 ほんとに何も無かったのじゃ」
そして、小箱の中身を取り出すと、指輪らしき物がでできた。赤い透明に黒い縞模様が入っている。
「うわっ、こっちが呪われてるのじゃ。 せっかくの赤が~」
あわてて手を放す様に指輪をおっことした。
「呪いのアイテムかよ、こえ~」
「これは、無駄足ということになるのか……まぁ、よく考えれば、こんな場所にお宝が眠ってる訳も無いのじゃ」
ポラは、とほほと肩を落として芯から残念そうなそぶりをした。
「そうか、残念だったな。 ところで、どんな呪いなんだ?」
「この縞の数。 たいしたこと無いのじゃろうが、獣系の赤、これは加速じゃから逆に減速するんじゃないかのぉ」
「減速?」
「こんなの誰もいらんわ、元に戻しとこ」
ポラは、指輪を小箱に放り込むと、蓋を占めて元の場所へ戻そうとした。
「あ、待って。 報酬はそれでいい。俺にくれ」
「本気かや?」
「それ付けたら、俺が呪われるんじゃなくて、効果が働くだけなんだよな?」
「そうじゃが? そもそも、呪われてるは比喩で、効果の否定じゃ。 でも、ほんとにこれ要るのかえ? 箱も古く感じぬし、もともとあった宝の代わりに、いたずらで置いて行った物じゃと思うぞよ」
「ああ、欲しい」
「じゃ、好きにせぇ」
男は指輪を受け取ると、さっそく指にはめてみた。
「あ~、あ~、テステス、あいうえお、かきくけこ」
「何じゃ? もしかして解除の呪文かえ? そんな高等な……」
「いや、どう聞こえてる? 俺には変化がわからん」
「どうとは? ああ、普通の話し方じゃの」
「やっぱりか」
「なるほどの、まさか早口を治すのに使うとは思わなんだ。 そうじゃの、良いんでないかの」
「だろ。 でも、今気づいた。 君の声、さらに綺麗になった」
男には、スロー再生の様に間延びして少し低く聞こえていたのだ。
「何を言ってるんじゃか。 しかも、今更」
ポラは少し照れ気味に答えた。
「あ、おお、まぁ、気にするな」
何気なく言ったであろう男も、場の空気に気付いて照れていた。
ごまかす様に箱を元の位置に戻すが、壁のちらつきは消えていた。周波数の様なものが関係するのかもしれない。
「ふふふ。 じゃ、出ようぞ」
妙に嬉しそうに話を進める娘は、洞窟に入る前の出来事はもうすっかり忘れているようだった。
「ああ、できれば急いでもらえると助かる。 俺、この後どうするか考え無いとなんで」
勢いで報酬を指輪に変えた事を多少後悔しつつも、次を考えていた。
「そうじゃの~、今夜のごはんと寝床くらいは、付けてあげるぞよ」
「ほんとかっ、それは助かる」
少し前まで緊張してる様な固さだった男の顔は、ふ~っと溜息を付くと、安堵を見事に表現するほどに緩んだ。
魔獣との戦いも切り抜けたこの男にとっても、想像を超えた今の事態は、冒険心とは別の部分でそれほどに重かったのだろう。
「ところで、お主の名前は、じょん……とかだったかや?」
「あ、ええと、ジョニーだが、ジョンでも人間でも好きに呼んでくれ」
「そうじゃの、名前で呼ぶことなどそうそう無いじゃろうがな」
「確かにな、俺もあんたとかのが言いやすい」
「じゃろう」
二人は、既に友人とでも言う風にそんな適当な会話を交わしつつ洞窟を戻った。
安全を確認済の洞窟はただの夜道と変わらないのだ。