8. 『会いたかった』
「きゃああっ!ひゃうっ⁈」
「よっ、と。ミナ、こっからどこ行きゃ、集落の人たちはいる?」
「…ひぇ?」
宙を舞う初めての感覚にミナはボーっと目を見開く。いきなりの体験に開いた口が塞がらなかった。
アルトはかけ声と同時にその場を飛び跳ね、軽々と民家の屋根の上で着地した。
担がれたまんまのミナは何が起こったのかまだ頭が追いつかない。
「見た感じ、あっちの炎はやべえな。他と比べてもあそこが一番燃え上がってやがる。」
屋根の上から遠くを見つめ、最も炎上している場に対しアルトは口をこぼした。それから彼は何食わぬ顔でミナの方に目を向けると、
「で、ミナ。集落の人たちはどこだ?とりあえず、見開きの良い場所からなら見えるかと思ったんだが」
アルトの急な質問にミナは目をパチクリと瞬く。彼の腕の中でちょっとあたふたするも、何とか言葉を紡いで、
「ひえ?え?え、あ、えっと。それは……多分、あっちに行けば、いい。あっちには小さな洞窟があるから。みんなそこにいると思う。」
「洞窟?」
「うん。怖いことがあったら、そこに行くのよってお母さんに教えられた。だから、多分みんなそこに。」
「洞窟…か。まあ、行きゃ、わかるか。あそこら辺か?」
「そう。あっちの方」
アルトの向く方向にミナも同じく指を刺した。
そこを軽く見定めると、
「んじゃ、とりあえず、そこ行くか。」
「そうだね。…………ひゃあっ!」
アルトの声とともに、空中を飛ぶ感覚。
跳躍した瞬間に再びミナは可愛い悲鳴を上げた。
「…………んっ!」
急な体感にミナはギュッと目を瞑る。アルトに担がれながらもヒシッと彼の裾を掴み、落とされないようしがみついた。
自分を窮地から救ってくれた彼の体温を感じながら。
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「…よっ、と。ここら辺か?」
体感覚的に十数秒くらいだろうか。トンッとした軽い衝撃とともに空中にいる感覚がなくなる。
「おろすぞ」
「う、うん。」
アルトの声音を聞き、ミナはポツリとうなづく。
掴んでいた手を離し、その場に降り立ってからキョロキョロ周りを見渡した。
目の前には生える木々があり、鬱蒼と蔓延っているのが見てとれる。
けれども夜なこともあり、行く先である木々の奥は闇に包まれた景色しか見えない。
「ミナ?洞窟はあるか?合ってるか?ここで」
「うん。もう近い。歩けばすぐ」
「そうか。結構暗いけど……これ行けんのか。道わけわかんねぇぞ」
見渡してみるも目に映るのは闇夜に染まっている樹木の数々。目を凝らせばうっすらと道らしきものは見えるのだが、それでも少し先が霞んで見える程度だ。
目を細めジッと行く先を見つめるアルト。
けれども、横にいるミナは臆する様子もなくチョンチョンとアルトの裾を引っ張ると、
「大丈夫。私、分かる。来たことあるから」
「そうなのか?え、いやだいぶ暗いぞ?行けそうか?」
「うん、こっち」
「………おう」
アルトの危疑に大丈夫だと答え、行く方向に指を刺す。
それからミナはパッと彼の手を握っては、前を向いて歩を進めた。アルトもそれについて行きはする。けど、少し口出しして、
「ミナ、手繋がなくても俺はお前の場所分かるから心配ねえけど」
アルトは一方的に手を握られたまんまミナの進む道をついて行った。
特段、決して嫌なわけではないけれども別にミナがどこにいるかくらい把握できるのだが。
しかしそのアルトのささいな言に対しミナは前を向いたまんまで口を出して、
「いいの、周り暗いし、手握ってて…。離れないに、越したことはないから」
「まあ、そうっちゃ…そうだが」
「…そう」
「…でも、別に」
「いいから、ついてきて」
「うーん、………いや、まあ、そうだな」
「うん」
暗闇の道なので離れちゃいけない。辺りは暗いし、安心させてやることにも思慮すべきか。
そう思い、アルトもミナの手を軽く握った。
「…ん」
ミナの手のひらが大きな手にギュッと包み込まれた。
たまらず、ほんの小さく声を上げてしまいミナは頬を赤らめる。
今の変な声は彼に聞こえてないだろうか。
「暗いな。大丈夫か?」
「うん、平気だよ。全然怖くない」
怖くない。あんなに強い彼が近くにいるから。怖さなんてかけらもなくて、
「そうか?ならいいけど」
「うん、大丈夫」
大丈夫だと分かる。彼が手を握ってくれてるからこんな暗闇でも私はとても安心できる。
でも、同時に胸もすごくドキドキしているのが分かった。
頬に熱が伝わっている。握っている手に汗が滲み出てしまって、
「もう、着く…よ」
「ん?もうか?案外早かったな」
「うん、そうだね」
少し声音を落としてミナは呟き、たまらず握ってた手を離した。内気な彼女にとってちょっとこれ以上は限界だと自分の心が伝えたために。
荒げないようにほんのりと小さく深呼吸して、目的の洞窟まで到着したと伝える。
その場で二人して顔を上げ歩みを止めた。
たたずんだままアルトは「ここか」と呟く。
思いの外、すぐたどり着いた洞窟。そこは、さほど大きくもないてんで普通の洞窟だ。本当にここに集落の人たちが?
「…誰だ?」
すると、洞窟の前でたたずんでいた二人に知らない声がかけられた。
声音からして男性、聞こえたのは洞窟の中からだ。
「タックさん…」
「…ん?………え?ミナか?」
「うん、」
「こりゃあ、たまげた。早くセシルに言ってやらんと!」
洞窟の暗闇から姿を表しこちらの様子を伺った人物。だが、ミナの顔を見るや、慌てながらも颯爽と洞窟の中へ走って戻っていった。
アルトは知らぬ人物だったが、どうやらミナは知人のようだったらしく、
「村の人か?」
「うん、近所のおじさん。」
「そうか。てことは見立て通り、村のみんなはここにいるみてえだな。」
「そうだね、良かった」
「とりあえず、中いくか」
「うん」
アルトの言葉にミナはポツリと首肯し、洞窟へと進む二人。
と、洞窟内にいる人に会おうと歩みを進めたときだった。
「ミナっ!」
「あ!」
すると、唐突に洞窟から一人の女性の声音が飛んできた。と、思った矢先、綺麗な女性が必死になってこちらへ走ってきて、
「お母さん!」
その女性を目にした瞬間にミナはこみ上げるその呼び名を口にする。
もうダメかと、会えないのかと思っていた人物がそこにいて、
「ほら」
「あ、」
ミナの心の内を察してアルトはポンと彼女の背中を押した。
てんってんっと、ミナは前へ少しだけよろめいた。なんとか転げないように体勢を足で支える。と、同時に向かってくる女性がミナの元まで辿り着き、ギュッと小さな体を抱擁し、
「ミナっ!ミナ。良かった。良かったわ。生きてて、良かった。ごめんね。ごめんね。ミナ。」
「……ん…おかぁ。………お母さん…。お母さん!会いだかっだあ。うう、ええん」
母親に抱きつかれた途端、思わず涙が溢れ出た。
安心できて会いたかった人にやっとのことで会えた。いつも感じていた温もりをたった今感じることができて、
「生きててありがとう、ミナ。ごめんね。怖かったね。ごめんなさい。」
母親と娘がお互いに涙を流し合い、再会にひしめき合う。お互いがお互いの体温を感じれるように、その感触を忘れないように、ギュッと熱く体を抱きしめあった。
「…………」
ミナは母親に会いたがって縋っていた。ようやく、再開させることができ、アルトは安堵のため息をつく。
「おがあざん。よがっだぁ。ゔぇん。おがあざあん」
「ここにいるわ。離れない。ミナ。ミナ。良かった」
滂沱の涙を流し嗚咽混じりに親子は抱き合い、お互いに心の内をさらけ出していて。
「良かったな。」
一言、柔らかな目を向けてアルトは泣きじゃくるミナに呟く。
ポツリと小さくこぼした声音のため、涙するミナには聞こえない言葉。
かと思ったが、ミナはアルトの目線に気づいたのかこちらに瞳を向けると、
「ありが、どう…」
はっきりしない嗚咽混じりの声。酷くクシャクシャになった顔だ。けれどもその女の子の言葉は本当に感謝していることがよく伝わってくるもので。
「ミナ?この人は?」
ふと、ミナの母親がアルトへと目を向けた。それは不可解そうな念いが伝わる瞳であり。
「えっと……俺は」
彼女からしたらアルトは見知らぬ人物だろう。危険な中で娘と共にいた人間だ。怪訝な目を向けるのも無理はない。
「…んっと」
「この人は私を黒いのから助けてくれた人。命の…恩人」
「え?」
母親の目線にアルトが応じようとした矢先、食い気味にミナが説明する。
それを聞くや驚き、彼女は目を見開いた。そして確認がてらにミナに問い、
「黒いのって?」
「黒いの。黒くて大っきなかいぶつ」
「まさか、牛悪鬼のこと…?」
母親の疑心に対し、ミナは「うん!」と、力強くうなづく。
それを見た母親はさらに目を丸くして横で佇むアルトの方にまん丸とした目を向けた。
驚きの表情を向けられたアルト。
それに応じるように彼は頭をかきながら言葉を紡いで、
「まあ、ギリギリだったけどな。運が味方したのかわかんねえけど、一頭は何とか討伐したよ」
「嘘⁈あの牛悪鬼を?」
「嘘じゃないよ!私見てたもん」
母親が動揺するも、アルトの言が事実だとミナは声高に告げた。
娘の言葉を聞き、母親は「そうなの?」と驚きまじりでミナに呟く。彼女はうんうんとする娘を見るや、思わず口に手を当てた。
驚きを隠せない様子を見せる母親。
と、思ったらそれからすっくと立ち上がり彼女はアルトへ向かい合った。対面し前で両手を重ね、腰を曲げたかと思うと、
「娘を、ミナを助けてくださり、ありがとうございます。私、セシルと申します。この子の母親として心から感謝します」
深々と頭を下げながらセシルと名乗った女性は涙まじりの声音で「ありがとう、ありがとう」とアルトに告げる。彼女の眼下から雫が垂れているのがわかった。
大仰に感謝の言葉を言われたアルト、彼女の感謝の念が思いの限り存分に伝わり少し顔を和らげる。
それから、少し肩を竦めて、
「俺はアルトだ。あぁ、まあ無事に送り届けれて良かったよ。」
セシルの謝辞にアルトは無事で良かったと応じる。
けれどもそこまで言うと彼は目に少し鋭さを増し、「て、言いたいとこだが」と言葉を紡ぐと、
「まだ、牛悪鬼はいるんだろ?安心するにはまだ不安材料が残りすぎてる。」
「あ、」
アルトの言葉にセシルは乾いた声音を上げた。
彼の目を見せられ、愁眉を開いていたのを少し諫める。
そう、安心するにはまだ早い、村の脅威はまだ去ってはいなくて、
「聞いたところあと二体はいるんだろ?そいつらがうろちょろしてんならホッとすんのは後回しだ」
「…っ。ええ」
「とりあえず、俺はまた戻る。礼は奴らを倒してからでいい」
戦場へ戻るというアルトの気の張った言葉。
彼のその戦う意志は称えるべき心持ちだろう。
しかしその言に耳を向けていたセシルは彼に対し案ずるような目を向けた。
ぴたりと彼女の膝にくっつくミナの頭を撫でながらセシルは「…ですが」と一言紡ぐと、
「あなたは牛悪鬼の一体を倒したと言いますが、その……何かしら怪我をされているんじゃ?」
彼女はアルトに対し憂いそうにそう呟く。彼のその様を見て親身さを募らせた。
そのはず、セシルが心配するのも無理もないというものである。
彼女が危惧するのはアルトの布に覆われた左眼。その部分が傍目から見ても痛々しいほどに真っ赤に染め上がっているのが一目瞭然なために。
心配させるには十分過ぎるほどの痛苦さを感じさせる見た目だ。今は布で覆っているようだが、それは適した処置とは言い難い。
「その左眼は……大丈夫なんですか?」
「んん?いや、大丈夫だ。見た目ほど痛くはねえよ。」
けれどもセシルの言に、アルトはその心配は杞憂であると軽く言い告げた。
はたしてそれは本当なのかはセシルには分からない。けれども、なんとなくその言葉は痩せ我慢のように思えるもので。
「……お兄ちゃん…」
すると、そんな彼に対し下から小さく声が響く。
セシルの横にいたミナが慮るようにアルトを見遣っていた。そのはず、彼の辛苦げに痛がる瞬間を見たミナにとってアルトの大丈夫という言葉は空音にしか聞こえないから。
「平気だ」
しかし、アルトはミナの視線に対し心配ないと言い通した。
「牛悪鬼一体を倒したんだ。動けねえ怪我をしてるわけじゃない。」
「…でも」
「どうこう言ってる場合じゃないのも事実だろ?早いこと他のを片付けに行かないとだしな」
「……その話は真であるか?」
と、アルトとが戦地へ行くと言い張った刹那、唐突に、彼の耳に年老いた声が響いた。
声のした方に目を向けると、そこには杖を持った老人がこちらを見据えている様子があり。
さらには、周りには何人かの人たちが集まってきている状況になっていた。
「そなた、牛悪鬼を倒したのか?」
杖を持った老人が再びアルトへと問いを投げる。それには驚きの声音が混じっていて、
「……あぁ。これから他のも掃除しに行くところだ」
「なんと」
「あんたは?」
「わしはこの村の長老じゃ。名はオーベウという。牛悪鬼から身を隠すため今はこの洞窟にて潜んでおった。皆も同じじゃ」
白い髭を生やしながらくぐもった声で老人はそう告げる。周りにいた者たちも老人の言葉にコクリと首肯した。
村人たちの自衛手段を耳にしたアルト。
だが彼はそれを聞き、やや懸念じみた思いを巡らして、
「……そういや、隠れてるっつってもこんな洞窟で平気なのか?奴らに入り口塞がれたら一巻の終わりになるんじゃ?」
さほど大きくない、ただ岩々の裂け目にできた洞窟だ。隠れるにしても入り口は牛悪鬼が通れるくらいの穴であるし、逃げ道も限られていると見てとれてしまう。
避難するにしてもそんな危惧を考えてしまう場所だと思えるのだが。
けれども、アルトの言葉に老人オーベウは柔らかな声音で告げ、
「それには心配及ぶまいよ。ここには魔除の結晶石が置かれとるからの」
「結晶石?」
「そうじゃ、ほれ」
老人は髭を摩りながら呟くと共に、ある地点に指を指した。アルトはそこに目を向けると、洞窟の入り口付近にうっすら輝く丸石みたいなものがばら撒かれているのが見てとれて、
「あれは、魔物に対し害ある光沢を放つ結晶石じゃ。あの石がある限り奴らはここには入って来れん」
「あぁ、それで」
老人の口弁にアルトは軽く納得する。
黄色や赤色に光る魔除の効果を持つ結晶石。それらがばら撒かれているため奴らは入れずじまいということか。
「なるほどな。だから、みんなここに。」
「そうじゃ」
「けど、いつまでもここにいるわけにはいかないだろ?奴らはいずれここに来る………ん?」
そこまで言うと「あれ?」とアルトは心の中でふとぼやく。
人々を襲いにきた黒き怪物。奴らは人間の血肉を求めている魔物たちだ。
ならばなぜ牛悪鬼らは村人が大勢いるこの場へやってきていない?
「魔除の結晶石っつっても効力は広範囲なわけじゃねえ。洞窟の入り口付近にばら撒かれてはいるがそれでも奴らは入れないだけで近くまでは来れるだろ?なんで牛悪鬼はここにいない?」
アルトは思わず目を見開き疑心をふと呟いた。
まさか集落の人たちを見失ったわけではあるまい。様々な地域で語られる怪物だ。鼻がよく利き、視力も人間よりは良いと聞く。
普通、獲物が逃げたならば追っかける筈だろう。飢えているのなら尚更のこと。奴らはそういう魔物たちだ。
「わしらには抵抗する術はあったのじゃ」
すると、アルトが不可解に疑心を浮かべたのを察したか白髭を摩りながら老人が一言告げた。
唐突な呟きにアルトは「え?」と呆けた面を浮かべてしまう。
訝しげな様子のアルト。
しかし老人はそんな彼に説明するようにクシャリと自身の髭をさすり洞窟の方へ目を向けると。
「一つはこの結晶石。これらによりわしらは身を守る場を設けた。一時的にではあるがの」
きらりと光る結晶石を指差し老人オーベウはアルトに陳ずる。それから「もう一つ」と心ありげな眼差しを浮かべ、
「今もわしの孫娘が奴らと戦っているのじゃ。牛悪鬼がここに来ないということは未だに戦局は変じておらぬのじゃろう。」
「…え?」
予想外の老人の発言。
それを聞いたアルトは再び呆けた声音を上げてしまった。