クロックホロウブレイブ〜時を戻った勇者は世界をもう一度巡ります〜

第1章 巻き戻された世界

5. 『代償のあらわれ』

　言うならばこれは博打というやつだ。

　相対する牛悪鬼は今のところ一体。それだけならばなんとか戦うことはできるだろう。しかし、もしもう一体、はたまた二体もここに乱入してくる個体がいるとなれば状況は一気に劣勢となる。

「頼むから、一対一(サシ)でやろうぜ。」

　この集落に何体の牛悪鬼が攻めてきたのかわからない状況なのだ。多勢に無勢となる前にこの個体だけは倒さなければならない。

　相手が複数にならないことを祈りながら、アルトは牛悪鬼へ言を投げるとともに突っ走って特攻する。

「ゴオオオオルルルゥゥゥッッッッッ！！」

　低く発せられる牛悪鬼の不快な咆哮。

　漆黒の身に黄色く光る瞳を血走らせながら、黒き異形の怪物は向かってくるアルトへ躊躇いなしに爪をかき立てる。とても固そうな黒爪は、どんな物も抉り取るかのような鋭さだ。

「なめんなあっ！」

　なぎ払われた剛爪に、アルトは一瞬身を捻りギリギリのところで回避。そのまま短刀を握りしめ、牛悪鬼が攻撃した後の隙を見計らって後ろに回り、手にする短刀をキラリと向けた。そのまま大きく振りかぶって黒色の背中へと刃を突き刺し、

「…っな！固ぇ⁈」

　ガキィンンッとした金属音が鳴り響いた。

　背中の肩甲骨と腕の間の肉身、そこを削ぎ落とし腕を再起不能にさせる狙いだったのだが。

　アルトの短刀は黒き皮膚を斬ることができず、石のような堅固な装甲に無残にも弾かれてしまう。

「……くっ！」

　瞬間、反転した勢いと同時に牛悪鬼が巨大な拳を後ろに向かってぶん回す。

　それを見たアルトは咄嗟に低空姿勢とり、敵の殴打を空振らせる。彼の頭の上で黒き剛腕が空を舞った。

「っぶねえ！」

　そのまま、アルトはその場から飛び黒爪の連撃から逃れ出た。

　牛悪鬼から距離をとり、姿勢を崩さず敵を一見。

「骨に当たった感じは無え。…筋肉が異常に固いのか。」

　短刀を振りかざした感触的に、今のは浅い一撃となっただろう。

　牛悪鬼も全く痛みは感じてない様子。ダラダラと涎を垂らし鋭い牙を見せている。

「まあ、こっちの武器のせいもあるかもだけどな。普通に目に止まったただの刀だし。

…………………………つってもこの状況でそれに文句言っても何にもねえけど」

　アルトは握りしめる短刀を一瞥する。適当に物置庫の中に立て掛けてあった刀だ。切れ味は上物というわけでも無い。

　しかしいくら不満を垂れようが、今更武器を変えれるといった都合のいいことが起こるわけもなく。

今は、与えられた持ちうる物で牛悪鬼に対応しなければならない状況だ。

「厳しいったらありゃしないな。」

　アルトは敵を見据えながら苦笑する。

　それから再び臨戦体勢。敵に対して完全なる対応をするための構えを取った。

　牛悪鬼は怒りを覚えたのかこちらに突進するような様子を見せていたために。

「まあ、持ってるものは刀だけじゃねえ。こっちには魔法だってあるんだ。」

「グルルルァァァァッッッ！」

　鋭利な黒角を向けながら、アルトへ突貫する牛悪鬼。

　アルトはそれを見据えながら、タタっと駆けて建物を背にし、片手に意識を集中する。

「接近戦だけじゃねぇぞ。魔弾っていう飛び道具はあるんだぜ。………っらあ！」

　ギリギリまで牛悪鬼を接近させ、迫りくる黒角をひらりと回避。

　黒き怪物は勢い止まらず瓦解した建物の中へと激しい音を立てながら突っ込んでしまう。

　狙い通り。少ない時間ではあるが魔力を練るための時間を割くことに成功。そのままなるだけ炎魔法の弾を作り上げて、奴に喰らわせてやろうとし、

「………？」

　けれどもふと、アルトの中で異様な違和感に包まれた。

　彼は不可解に自分の片手に目をやる。なぜ？という疑問が頭の中を網羅した。

　魔力を生成しようと手のひらに力を込めているのだが、いっこうに炎が発動させられる気配がないために。

「なんだ？どうして？」

　覚えている感覚との不一致にアルトは怪訝な表情を浮かべた。

　物心ついた時から魔法生成はお手の物だったアルト。しかし、たった今それが出来ないという不可解な現象に陥ってしまって、

「魔力の枯渇か？…いや、でもそんな感じじゃねえ」

　一つの可能性を思惟するが、しかしおそらくそれは違うと感じた。

　もっと奇妙で異様な違和感。何か内からすっぽりと失った感触。

「……くっ、このっ！」

　もう一度、手に力を込め炎を顕現させようと試みる。けれどもいっこうに魔力が、アルトの念に呼応しようとする気配はない。

　というか、この感覚はそんなものではないと感じた。

　もっと重大的な問題。魔力を生成するしない以前に、

「なぜ？魔力を……感じない…？」

　人の内側に蔓延っている筈の魔力の感覚。それが今のアルトには寸分も感じられなかったのだ。

「……っ！…くそっ！」

「ゴルルルオオォォォッッッッ！」

　しかしそんな現状に嘆いている最中、瓦礫から出てきた牛悪鬼が叫びながら再びアルトへと差し迫る。

　わけのわからない状況に唾を吐く暇も与えられないとでもいうように、命のやり取りは健在だ。

　炎弾を与えてやるという思惑も無投に終わる。

「…ちいっ！」

　歯軋りを浮かべながらアルトはただ相手の短調な動きを見定めてするりと回避する。

「おらあっ！」

　悪辣な剛爪を躱すついでに、腰骨付近に刀による一撃を置き土産程度に喰らわしておく。が、黒き硬身にはやはり通じ無い。短刀による剣撃では手応えは皆無に等しい。

「くっそ。やっぱ硬ぇ」

　斬りつけも無意味と知り、アルトは屈辱的に敵の間合いから逃れた。

それから自分の片手に眼をやり、不可解な現状に歯軋りを立てる。

「…なんで？なんでいきなり魔法が使えなくなる？女神のやつからなんか影響でも受けたか？」

　牛悪鬼の様子を警戒しながらアルトは白き空間でのやりとりを思い返した。

　しかし、あのシリエスは特段そんな様子はなかったように思える。そもそも送り出したのはあの女神なのにどうして魔力を奪うなんてことをする？

「………いや、待て。」

　と、アルトは一瞬目を見開く。ふいに、アルトの中であることが脳裏をよぎった。

　それは白い空間の中でシリエスから再三言われた言葉。

　時を渡る際に起こる災い。

　世界に干渉したものに対する払われる対価。

『確実にあなたの中の何かを失うことになるわ』

「まさか……これが、代償？」

　白い空間でシリエスから通達されていた言葉を思い浮かべる。

　時を渡った後、体のどこの部位も失われたものは無かった。それはそれで不可解には思ったが、しかし得をしたと、運が良かったのだと決めつけた。

　けれどもそんな甘い考えを世界は許してくれることはなく、

「よりによって喪失したのは、魔力かっ⁈」

　時への干渉はアルトへの憂慮など省みることなどはしない。戦場において最も有力視される魔力を容赦もなく根こそぎ奪い去った。

「まずいっっっ！」

「グルルルァァァァ！！」

　戦いの場、死戦の場において、一つの油断は命取りとなる。

　敵対する相手とて待ってくれるわけはない。敵視したものが動揺しているとならば、容赦なく命を刈り取りに来るのが筋だ。

　牛悪鬼はさらに剣のある顔つきとなってアルトへと襲いかかる。見立て通りの脚力で瞬時に接近戦の間合いまで近づく異形の怪物。

　フゥフゥと息を汚く荒げながら、人の何倍もある巨大な黒爪を、異様に発達した剛角を、涎の滴る鋭利な牙をふんだんに使い、アルトへ致命傷を与えようと高速で引っ掻き回す。

「…くっそおっっがぁっ！」

　アルトから離れずに噛みつきを連発し、剛爪を縦横無尽になぎ払い、黒角を突き刺そうとしてくる牛悪鬼。

　黒い兇器の数々はどれに当たってもゲームオーバーだ。

「…当たるかよおっ！」

　アルトは培った戦闘経験と軽やかな身なりで回避し続ける。が、しかしそれもギリギリだ。

一つの動作を誤れば黒爪の餌食にされるのは目に見えている。

　防戦一方、受け身のまま、攻撃の手が出せない状況が続く。このままじゃジリ貧なのは確実だ。

避け続けるのだって無理がある。

「ちっ！くそっ！」

　持ち前の剣術での対応と体術による身のこなしでなんとか牛悪鬼の猛撃を防いでいるこの状況。

　それでも、かすり傷や避けきれない攻撃が増えてくる。

「しつ…けえぇっ！」

　一言罵声を捨てながら、アルトは相手の喉元あたりに強烈な蹴りをお見舞いしつつ、少し後ろへ退避した。

　敵から距離を取り、刀を握りしめ牛悪鬼を一瞥する。魔法なしのこの状況、剣戟が効かないほどの硬い装甲を持ち合わせる敵。

　それを打開する策は何かないかと考えをめぐらし、

「ゴアアァゥゥ……」

「………？」

　すると、ふと唐突に牛悪鬼の様子が一変した。

　後退したアルトに追い討ちの猛撃をかけてくるかと思ったが、奴は首に手を添えて、「ガァッ、ガァッ」と不快な声を鳴らしながらベロンと舌を垂れ下げている様子。

「なんだ？」

　急に動きを止めた牛悪鬼。アルトはそんな敵を不可解に思い、何事かと注視する。

　けれども、その怪物の様子を見て「ハッ！」と、とある事に思い当たった。

　首を押さえ少し苦しむような仕草をする牛悪鬼。

その様を見据えながら、アルトは睨むような微笑を浮かべ、

「なるほどね。全部が全部硬い皮膚ってわけじゃ無いわけだ。」

　牛悪鬼の様子を検分しアルトは一つの仮説をたてる。

　奴の首元を抑える行為、それは見方によれば呼吸において何かしらの不影響が起こったようにも思えるのではないだろうか。

　動きを止めた原因はおそらく先ほど離れ際に喰らわしたアルトの足蹴。

　つまり、その一撃が首元にあたり牛悪鬼は少しの間呼吸の苦しさに耐えかねたということにも見てとれた。

「そういやそうだ。あいつも生物だ。全ての肉が堅固なわけがない。柔いとこもあるわな。」

　たとえ硬い筋肉で覆われている生物だとしても、体の構造的に鍛えきれない部分はあるだろう。二足歩行の牛悪鬼だってそれは例外ではないはずだ。

　よくよく考えて見ると案外、手段は潰えたわけではない事に気づく。おそらく、この短刀でだって首元以外にも斬り裂けるところは何箇所かあると考えられる。

　代償として魔力を簒奪され、手にするものはてんで普通の短刀。

　数少ない武器の中で牛悪鬼という怪物との対峙ではあるが、

「やりようによっては倒せるか。」