13. 『熱い感覚』
なんとなく今なら分かるんだ
牛悪鬼を前にしたままアルトは左眼に手を添え、一言胸中でそう呟いた。
軽く充血はしているが今は痛みなど感じない。
敵対する者に対して苦痛を生ませたこの左眼。
発動条件は分からない。前の時は無意識だったし、正直、力が発動しているかどうかも気づけなかった。必死すぎて左眼に意識がいかなかったとも言えるかもしれないが、
「あん時はなんか熱くなったってのは分かる。ぶっちゃけ怒りで必死になってはいたが。とりあえずその状態で牛悪鬼を睨んだらいきなり苦しみ出したからな。」
唐突な出来事だったのでなぜこの眼が急にそのような力を顕現したのかははっきりしていない。
だから正直、どのように左眼が力を発動させたのかてんで見当もつかなかった。
けれども、
「敵対するものを前にするとこの眼が異様に怒るってのはなんかわかんだよ」
「グラアッ!」
「落ち着けよ、すぐ楽にしてやっから」
牛悪鬼の黒爪による猛攻を、アルトは冷静に握る短刀で上にはじき相殺する。次いで剛脚による蹴りがアルトの横腹目掛けて飛んでくるが、けれどもそれは空をよぎった。
その一撃を片目で目にした刹那、彼は瞬時に地面を蹴り、飛んで足蹴りを回避したから。
「ガルララァッッ!」
「おっと!」
空中に飛んだアルトに対しすぐさま牛悪鬼の剛拳が降り注ぐ。けれども彼は怪物の肩あたりを蹴りつけては後ろに飛び、拳撃の間合いから抜け出し回避。
「相変わらず、気い抜けねえな」
「ガルルゥゥ」
牛悪鬼の攻撃領域外の場に立ち、アルトは敵を一瞥する。
対して黒き怪物も攻撃を躱しきるアルトにギロリと黄色い眼光を睨めつけた。
片目を閉じたアルトと顔面の壊れた牛悪鬼の一対一。
その戦況は傍目からだとアルトの短刀は持ちうるその斬撃を発揮できてはいないといった状況にも見てとれた。
防戦一方、攻撃を繰り出すのは黒き怪物のみといった光景が続いているという現状。
だが、そんな状況でも特段アルトは焦ってはいない。
劣勢にも見えるこの戦局だが、彼はその時を待っているのだ。
「………」
なんとなく直感で分かっていた。この閉じた左眼がジワジワと力を滾らせているということに。
閉じている左眼から感触を感じる。だんだん熱くなっていっているのが分かる。それは燃え上がるような怒りの熱にも思えて。
「もうちょっと、まだだ…」
「ほらあっ!君やっぱ受け身なだけじゃん!危なかったらお姉さんに助け呼ぶのよ!すぐ駆けつけるからね!」
「うるせえ、今集中してんだ!そっちはそっちで適当にやってろ!」
「てか今もう君危ないよね!よし分かった、お姉さんすぐ駆けつける!……ああっ⁈やっぱ無理!余裕ない!」
「何がしてえんだおめえは…」
巨躯の牛悪鬼と戦っているリーネルはアルトの方へチラチラと顧慮を向けている。だが、強敵との戦闘とも相まって言うこと為すことがチグハグだ。
結局彼女は口をへの字にしながら目の前の相手と対峙して。
「グルアァァッ!」
「よっ」
そんな爛漫なリーネルはさておき、アルトは自分の相手に集中。牛悪鬼の剛爪の薙ぎ払いや剛拳による一撃を片目で慌てず落ち着いて対処。
そして、
「……あ、あぁー、きた。」
突如なんの前触れもなく唐突に、左眼に感じれるものが来たことを察知した。
じんわりと閉じた目蓋の奥が熱くなっていくのが分かる。
早くこの眼を開かせろとでも言っているように、すぐさまこの瞳で睨ませろとでも言っているように。
閉じた左眼がピクピクと熱く疼いているのを感じ取れ始めた。
「熱いな、目ん玉だけがマジで熱い」
「グルアァァッ!」
牛悪鬼の剛爪や剛拳の一撃一撃を距離を取るように避けながらアルトは左眼に手を添えてこぼすようにそうぼやく。
意識をそこに集中するとよく分かった。
熱く、左眼だけが特に熱く感じる。何というのか、瞳の中で何かがぐるぐると回っているみたいにも感じられた。煮えたぎるような熱い怒りの意思がこの眼に宿ったかのように。目蓋の下で鋭い殺意が蠢いているような感覚。
今ならはっきりと分かった、眼の力が発動させれると。
「…いける」
そう、告げると同時にアルトは目蓋を閉じるのをやめた。
牛悪鬼から大きく飛び離れ危険な領域から距離を取る。
奴を警戒しながらその場に佇みフウと軽く一息。
そしてゆっくりと慎重に己の瞳に意識を持っていきながら少しずつ眼の視界をクリアにしていき、
「……。」
疼き、衝動に満ち満ちた左眼を開眼させた。
「……、よし。痛くはねえ、あちいけど」
両の目の状態を確認して軽く辺りを俯瞰する。
最初に左眼の力を駆使した際に起こった激痛が響くことも覚悟したが、今はそれは無いようだ。
ジワジワと熱く前を見据える感覚だけがこの左眼にはあるだけ。
そして、
「グルアァァッ!」
「…っ!」
問答無用、一人立つ彼に対し牛悪鬼は剛爪を勢いよく掻き立てる。
血まなこにアルトを追いかけては怪物らしく猛攻を繰り出し続け、
「単調だな、当たらねえよ。顔面吹き飛んで脳みそ使えなくなったか?」
牛悪鬼の攻撃に対し拍子抜けだとでも言うようにアルトは軽く肩を竦めた。
そのはず顔の表面を醜怪な様にした牛悪鬼は無雑作に蹴りや殴りを炸裂させるのみだ。どうやら荒い息切れもしているようであり、汚らしい吐息をしているのが分かった。
「スタミナ切れか?それとも拉致が開かねえってイラついてるだけか?人喰いの牛悪鬼さんよ」
不快極まりない涎を撒き散らしながらも淡々と爪を払うのみの怪物に対し、アルトはひょいひょいと身軽に奴の一撃を躱し続ける。
そして隙を見るや、トンッと牛悪鬼の懐に入り込み、
「………っ」
「ガア?」
アルトはただ牛悪鬼の黄色い双眸を一瞥した。
胸元付近まで接近させられ、刀による斬撃を繰り出されるかと身を怯ませた牛悪鬼。だが彼がそこで何もせずただ睨めつけただけで退散したという行為に対し、疑心さにあふれた奇声を発す。
たしかに牛悪鬼から見た今のアルトの行動は不可解に思えても仕方ない行為だ。
「………へっ」
しかし、アルトは牛悪鬼を一瞥しては軽く微笑を浮かべた。
そしてそのアルトの笑みの算段は少しの時間もかからずに、
ーーーー発動した。
「ガルルルアアァァァッッッ⁈」
突如、牛悪鬼が何の前触れもなく苦しみだす。呻いて叫んで奇声を喚き立てては、頭を抱えて慟哭し始める。
黄色い双眸をカッ開かせ、天に仰ぐように阿鼻叫喚の凄絶な咆哮。非常に痛苦げに辛苦げに訳も分からないまま惨たらしく絶叫する。
「グルルルルアアアァァッッッ!!」
「………」
その様を静観していたアルト。しかし、すぐさま短刀を握りしめ、叫び苦しむ牛悪鬼のもとへ地を蹴り瞬時に駆けつける。
暴れる巨体を目に入れては刀を握り狙いを定めた。
見つめる先は首元一択。
「…おらあっ!」
「グルアァァッ!?」
苦しむ牛悪鬼の首元へ短刀による一撃が炸裂。途端、どす黒い血が否応なく大量に噴出された。
新たな痛覚の発生に黒き怪物はさらに慟哭を増し思いのままに絶叫し咆哮の雄叫びを上げる。
だが、それはほんの一瞬であり、アルトは瞬時に首元に刺さった短刀を横へと切り払い、
「…………っ」
「…ガッ!…ルゥゥッ」
彼の最後の一斬で牛悪鬼の首と胴体が離別する。生命器官としての機能が消えた牛悪鬼は次第に沈静していき、瞳の色が消える。
「一体は終わり……まあ早い方だろ」
ドタンと大きな音を立てながら首なしの黒い巨体が地に倒れた。首元の断裂面から凄まじい量の血を流し、小さな血溜まりができている。
それはもう生あるものではない。ただの動くことのない死体だ。
「…やっぱ眼が効いたか」
牛悪鬼の死骸を見下ろしながら、アルトは左眼に手を添えて一言ポツリとそう呟いた。
この左眼が効力を発揮した瞬間を回顧し、その感覚を思い出す。
前回のも今のも力が湧き出たことを感じとり、その左眼で牛悪鬼の眼と見合わせた時。
途端、奴はなんの前触れもなく苦しみだしたということ。
「どういうことか分かんねぇけど、この力は使えるな」
概要も原理も詳細も知らない。だが、どうやらこの左眼と瞳を合わせたものは異常なまでに阿鼻叫喚を発するようだ。
最初に戦った牛悪鬼も今回の牛悪鬼もこの眼が効力を発揮することで倒すことができた。
「よし、あとはあの女がちゃんとやってるかだが」
「あきゃぁぁぁぁ⁈」
「おい⁈」
死体から眼を背け、もう一つの戦場へとアルトが眼を向けた矢先。
変な悲鳴を上げながらリーネルが吹っ飛んでいるのが見て取れた。




