1. 『白き光のみちしるべ』
勇者は敗北した
圧倒的な格差、戦況は一瞬たりとも優勢には立てず、別格の存在と対峙した事を勇者は思い知った。
「攻め込んできた勢いは良かった。だが、相手が悪かったな。いくら戦力を整えようと俺の前では蟻の攻めも同然の行いなんだよ。」
城の最上階にて灰色髪の男が勇者に語る。
現状、この場には二人しか存在しない。
「お前らが階下にいる俺の部下どもを必死こいて倒してんのは分かっていたさ。どうやら、お前らの戦力と俺の部下どもの戦力は拮抗してるみたいだったからな。」
何もできず、何もさせてもらえず、抗うことすら、足掻くことさえも叶わなかった。
全く歯が立たないという事実を体に刻み込まれた。
勇者は一度もこの男に傷を負わせることができなかったために。
いくつもの魔法を駆使した。勇者は持ちうる全てをふんだんに使い、この男を打ち倒すためにあらゆる手段を行使した。
されど…この男には…それらが無意味であるという現実を突きつけられた。
「ギリギリの戦いで俺の部下を倒した時なんかはさぞ嬉しかっただろ?これで俺のとこへ近づけるってな。」
語られている言葉に返される声はない。
男は勇者に告げているのだがそれに応じられることはない。
「けどそこで、冀望したのがてめえらの尽きなんだよ。大方、お前らはありったけの戦力でこの城に攻め込んできたんだろ?」
返答となる言葉は紡がれない。
しかし、男は語り続けた。
「城にいる上級悪魔どもを倒せたから俺も倒せると思ったか?もし、そう思ってんだったら筋違いにも程があるってもんだ。」
そこまで言うと男は倒れ伏す勇者をジロリと黒瞳で睨めつけた。
鋭い目で見下し蔑みながら「はっ」と甲高く笑うと、
「魔帝である俺がてめえらごときに倒されるわけねえだろうが。」
男は眉間にシワを寄せながら倒れる勇者を見下した。
呆れと怒りが口調に滲み出ているのが分かった。
「人間どもが束になってかかってこようが、猛者を何人も連れてこようが変わらねぇ。そんな事をしたところで全部無駄なんだよ。無意味で無価値な行為だ。」
勇者がした行為を全て否定するかのように魔帝は目を鋭く睨める。
愚行であると、痴れ事であると、あまりにも蛮勇が過ぎる行いだと。
魔帝は呆れさえ感じる声音で勇者に対し罵声を浴びせた。
「格が違えんだよ。次元が違えんだよ。テメェら人間と魔帝の地位にいる俺とじゃな」
語られる口調に激しさが増していく。
勇者の前で魔帝が揚々と喋る光景が続いていた。
本来ならば勇者は魔帝を倒さなければならないというのに、今のこの光景は勇者にとって屈辱以外のなんでもなかった。
すぐさま斬り伏せなければいけないというのに。立ち上がり魔帝に剣を突き刺さないといけないというのに。
けれども、勇者は立てない。魔帝に剣を向けることができない。
魔帝を討ち滅ぼすためにここに来たというのに今、勇者は目の前の男と対面することすらできない。
「力も何もかも俺には無意味なことを知って戦意を喪失でもしたか?」
魔帝である男は勇者に呟く。そこには臨戦態勢や闘志などはない。
魔帝の勇者に対する警戒はゼロに等しい。
「……………」
壁に凭れかかり下を向く勇者の表情は窺えない。
けれど、抗う力は感じられなかった。
「この俺を倒せる奴なんざいるわけがねぇんだよ。この世界のどこを探しても、俺より上のやつはいねえ。なぜなら、俺がこの世界で一番上の存在だからだ!」
男は高らかにそう言い放つ。
事実、その言葉は決して誇張してはいない。
魔帝の強さは常軌を逸していた。
別次元の、桁違いの、別の概念とも言いたくなるくらいに魔帝は、
魔帝リュシエルは強すぎた。
「正直、俺のところまで来るほどのやつだ。人間にしては褒めてやるよ。勇者アルトっつったか?人間の中では相当な手練れ扱いでもされてんだろうが、それは自惚れってやつだ。俺の前では無謀もいいとこなんだよ。威勢よくここに来た時は肝を冷やしたぜ。まさか一人で俺とやろうってんだからよ。」
魔帝の声に返される言葉はない。
勇者は…勇者アルトは口を紡ぐ力すらなくなるほど完膚なきまでに魔帝リュシエルに叩きのめされたのだから。
力の差は歴然だった。自分の無力さを嫌でも痛感させられた。ほんの少しの抵抗さえもままならない相手だった。
「力の差ってのはどうにもならねえ事実なんだよ。俺とそれ以外じゃ次元が違う。」
魔帝リュシエルがアルトを見下しながら言い放つ。
次元が違う、まさにその通りだと痛感させられる相手だった。
全てを圧倒する膨大な力。一人だけ明らかに他の悪魔とはかけ離れた存在。
アルトの覚悟も仲間から託された思いも踏みにじり、全て無にするかのように、魔帝リュシエルは勇者アルトを完膚なきまでに叩きのめした。
「……く、……そっ」
かろうじて絞り出した声音。
しかし、悔しさと己の無力さを孕ませた呟きは何の意味も持ち得ていない。
「あぁ?まだ喋る力くらいは残ってたかよ。だがな、お前はもう何もできねぇよ。」
リュシエルが怪訝そうにアルトを見遣る。その蔑んだ瞳にはズタボロとなったアルトが映し出されていた。
「もう手も足もまともに動けねぇだろ?骨の髄まで潰れただろうからな。出血量も夥しいし、気を失ってもおかしくねぇぞ?」
見たまんまの感想を、見下しながら告げるリュシエル。
それから彼はアルトの一点を見つめては、
「腹が裂けてんだ。声出せるだけ、意識があるだけ褒めてやるよ。」
リュシエルは空虚に冷徹にアルトへ称賛の言葉を投げ捨てる。
そのはず、アルトは今すぐにでも死んでしまってもおかしくない状態なのだ。魔帝リュシエルに四肢を潰され、臓腑を貫かれた。アルトの周りには鮮血が飛び散っている。彼の鮮やかな青い瞳も今は力をなくしたように霞んでおり。
通常の人間ならばとうに生き絶えている頃だ。
けれども、それでもなお、アルトは命をつなぎとめている。
意識を飛ばせば死へ向かうだけ、そうすれば痛みから解放されて楽になれる、だというのに彼がまだ目を閉じていない理由は、
「まだ、…仲間が……戦ってんだ」
掠れ、力無き声音でアルトは魔帝に小さく告げた。
階下にいる仲間たちから託された思い。
今も体を張って、敵と戦っておりアルトを先に行かせた戦友たち。信じていると、魔帝を倒すのはお前だと決死な表情で伝えられた。
それらの心を背負ってここに来たのだ。
「だってのに、……俺が……くたばっていいわけ……ねぇ、だろ。」
地に尻をつき壁に背を預けながらもアルトは黒髪の隙間から男をギラリと睨みつける。戦意は失っていない、それを十分に感じられる青い瞳を向けた。
「ふん。口と心は達者だな。立派なもんだ。この状況でまだそんな目ができるんだからよ。」
アルトの瞳に宿らせた情念。それをリュシエルは理解してそれをぞんざいに軽く応じる。
「無稽だ」
蔑すむようにそう言葉を捨てる魔帝。それから彼はつかつかと瓦礫だらけの中を歩き、アルトの近くに落ちている一つの直剣を拾い上げた。
「お前の剣で殺してやるよ。本望だろ?」
「て、………めぇ……」
「俺を恨むのか?別にその憎悪はお前の自由だが、ただ、それは少し筋違いってもんだ。恨むんなら自分の無力さを恨め。自分の弱さを恨め。仲間の意味のない戦いを恨め。お前たちのやった俺を打ち倒すとかいう無謀な行いを恨め。」
淡々と魔帝リュシエルは語る。それに紡がれる言葉はない。
「ま、もう、それももはや無意味だけどな。」
リュシエルは最後に言い放つと、直剣をアルトの胸元、心臓に向けた。
「く、……そ………」
自分の死を察し、アルトは嘆声をあげる。
けれどもそれは死への恐怖ではない。
皆の思いを無下にしたこと。それに対しての嘆きだ。
託されたというのにアルトはそれを為すことが出来なかった。
圧倒的な力の前ではどうしようもなくて。
「じゃあな。勇者アルト」
魔帝が見下ろしながら低い声音でそう告げた。
そのままリュシエルの持つ直剣がアルトの心臓を突き刺してーーーー
「………⁈」
「………?」
掠れた目で自分の心臓を穿たれる瞬間を見ていたアルト。けれども、リュシエルの持つ直剣が己の胸に突き刺されることはなかった。
アルトの青瞳に映るもの。そこには突如として眩く光る白き灯火が魔帝と勇者の間に現れたからで、
「……なんだ⁈」
リュシエルはいきなりの事態に黒瞳を見開き動揺する。白光に対し彼は怪訝な目を向けた。
その様子から察するに、どうやらこの光は魔帝の為業ではないらしい。
と、なるとこの光はいったい誰が生み出したのか。
すると、そんな考えも関係なく白き光は瞬く間にアルトを包み込んだ。得体の知れない光に包まれるも今のアルトには抵抗できる力などない。
けれども、この白い光はなんとなく害はないと思った。
とても暖かい光だと、アルトは感じられたために。
「…っ!これは……あいつっ!」
白き光の様子を驚きまじりに静観していた魔帝リュシエル。
けれども、急に顔つきが豹変し、白き光ごとアルトを斬殺しようと直剣をふりかざす。
「…くそっ」
けれども、その剣撃は空を斬るのみに終わり、リュシエルの憤慨がさらに増した。
「シリエスゥゥゥゥっ!!」
魔帝の凄絶な怒号が辺り一体に響き渡った。
けれどもその声音は誰にも届くことはなく、白き光と勇者アルトの姿は跡形もなく消え去っていた。