第2話「累犯」
体育大会から1月ほど経った7月中頃、救助のいる5組は、未だ体育大会総合優勝の余韻であろう興奮した空気感が漂っていた。
「お前らー!早く座れよー!ホームルーム始めるぞー」
そういって入ってきたのは担任の西谷だ。みんなが席に着いたのを確認した西谷はこう続けた。
「総合優勝の余韻にどっぷり浸かってる君たちに次の試合のお知らせだ。夏休み前の試験の出題範囲が決まったぞー!掲示板に貼っておくから、各自目を通して準備するように!」
教室の温度が3度ほど下がったような気さえするほど、クラス全員の顔色が一気に青ざめた。
「体育大会で成績を残したのは結構だが、そろそろ気持ちを切り替えて勉強に集中するように!以上!」
そう言って教室を出た彼も、昨晩まで脳裏に浮かぶ教え子たちの雄姿を肴に涙を流しながら晩酌していたのはここだけの話である。
さて、西谷からの連絡でクラス中の話題は体育大会の思い出話から、専ら試験対策の方法や試験に対する不安へと切り替わった。と、同時に、クラスの中心たる人物も矢崎のような体育会系の面々から学業成績の優れている者たちへと移り変わった。とりわけ、クラス一の秀才で学年では主席争いの常連、全国模試でも常に有数の成績を保持している藤堂は、一気にクラスの輪の中心へ誘われた。
「なぁ、藤堂。日本史の斎藤、次はどこ掘り下げてくると思う?」
と、藤堂に問いかけたのは、このクラスの次席、堺である。
「僕はもう予想できてるよ。まぁ堺君に教えちゃうと僕のトップが揺らいじゃうから言わないけどね?」
少々社交性に欠けるのが藤堂の欠点だろうか。
「堺君はどうなの?よかったらアドバイスしてほしいな!」
そう堺に言い寄ったのはクラス一の声の大きさを誇る元気少女、北野である。
「うーん…、俺の予想では次のテストの焦点は中世から近世の文化史だと思うんだよな…」
「えー…、私それ苦手・・・。昔の絵とか、何か書いてんのか分かんないし、パッと見てどの時代かすらわからないよ・・・。」
「それなら、私が今度ゆっくり教えるよ。復習にもなるし。」
そう割り込むように入ってきたのはこれまたクラス有数の秀才、とりわけ日本史に関しては主席の藤堂をも凌ぐ成績をとっている才女、御坂である。
「御坂さんは生粋の歴女だもんなぁ。俺や藤堂でも日本史では敵わないよ。」
と、堺が言うと
「いや、次の試験は全科目で僕がトップを取ってみせるよ。堺君や御坂さんに負けるつもりはないさ。」
と、藤堂が決意表明をしたところで1限開始の鐘がなった。
その放課後、「ねぇ、徳田君はもう試験勉強始めてるの?」と話しかけてきたのは救助が親しくしている成績も運動神経も至って平均的な女子生徒、戸高だ。
「少しずつねー。まぁ俺らがどんなに勉強したところで藤堂君たちにははるかに及ばないけどさ」
徳田はおどけて答える。
「私も別に藤堂君みたいにトップになってやろうなんてつもりはないんだけど、ちょっと英語が危なくて・・・。徳田君、よかったら勉強付き合ってくれないかな?徳田君は英語得意だったよね?」
「僕でよければいいけど…。堺君とか御坂さんに教えてもらった方がためになるんじゃない?」
「うーん、堺君も御坂さんも他の人たちに教えたりもしてるから、私まで教えてって言っちゃうと、二人の勉強する時間が無くなっちゃうんじゃないかと思って・・・。」
「あぁそっか。わかった。じゃあ一緒にがんばろう」
「ほんと?ありがと!」
こうして救助と戸高の勉強会の約束が交わされたとき、後ろの席から
「あ、あの・・・。よかったら私も交ぜてもらえますか・・・?英語・・・不安で・・・。」
と、戸高の友人である齋藤が声をかけてきた。
「齋藤さん、もちろんだよ。みんなで頑張ろう!」
救助は明るく迎え入れたが、その隣の戸高の表情は、心なしか晴れやかではなかった。
それはさておき、藤堂ら成績トップ層や救助たち平均層は、この日を境にそれぞれ試験対策を本格化させた。どうやらこの3年5組の生徒たちには共通して「やるときはやる」という熱心さが根底にあるようだ。加えて体育大会で培った団結力が奏功したためか、普段は個人や小グループでの勉強が主となっていたが、放課後に度々クラス全体での勉強会が自然発生的に開催されたりもした。
かくして和気藹々と、かつ真剣に試験対策に取り組んだ彼らの成績は軒並み右肩上がりであった。中でも救助に助けられながら試験勉強に励んだ齋藤の英語の成績は、藤堂、堺、御坂ら不動のトップ3に次いで4位の救助を挟んだ5位という結果であった。春の試験ではちょうど下から5番目に位置していた齋藤にとっては、快挙ともいうべき大躍進である。そして同じく救助と一緒に勉強に励んだ戸高が6位となり、救助の「英語塾」は成功裏に終わった。この成績を知った戸高と齋藤はそろって救助のもとへ駆け寄ってきた。
「徳田君!今回は本当にありがとう!齋藤さんには負けたけど英語で5位なんて初めてだから本当にうれしい!徳田君の説明、めっちゃ分かりやすかったし!徳田君のおかげだよ!」
続けざまに齋藤が「私も、下から5番が上から5番になるなんて…。私ひとりじゃ絶対に無理だったと思う。徳田君、ありがとうございますっ…。」
「そんな、僕は大したことはしてないよ。二人が頑張った結果だから、本当におめでとう」
この時、救助のこころの中には、体育大会の折に矢崎から「お前のおかげで優勝できた」と言われた時に生じたものに近い感情が湧いていた。
もし、自分が手出しをしなかったら、二人は本当に今回のような成績をとれなかったのだろうか?そうだとすれば、自分の行いは二人のためになったと言えるのかもしれないが、二人が自力で勉強してこの成績を取れていたら、それは「自分は頑張ればできるんだ」という今より大きな達成感につながったはずだ・・・。自分が手出しをしたせいで、「自力で成功することの喜び」を感じる機会を奪ってしまったのではないだろうか。
と彼は考えていた。
彼のこの後悔にも似た感情が妥当か否かは、「彼女たちが全くの独力で頑張る」という展開がたらればの話となってしまった今は、もうわからない。しかし、この戸高と齋藤、そして体育大会での矢崎から救助へと掛けられた「感謝の言葉」たちは、今後の彼の人助けに「罪の意識」が付いて回る決定的な要因となったのだった。