第1話「初犯」
皆さんは、今までの人生の中で「誰かを助けた」ことはあるでしょうか?「道端で迷っている外国人観光客に声をかけられて、道案内をしてあげた」、「お母さんの肩こりがひどかったので、ほんの小一時間ほど肩を揉んであげた」、「バスの中で立っているのがつらそうなご老人がいたので席譲ってあげた」などなど…。身近な「人助けエピソード」をお持ちの方は大勢いらっしゃるかもしれませんね。あるいは、「突然意識を失った友人のために119番通報をして救命措置を施した」、「両親を亡くした親戚の子供を引き取った」など、人の命に関わるような、勇気ある行動をしたことがある方もいらっしいますかね?
大小さまざま、どれも為せば世間から称賛され、相手から感謝されるような素敵な心温まる「人助け」が世の中にはたくさんあると思います。筆者もそんな「人助けエピソード」に日々心を温めてもらっている身です。当然、「良かれと思って」皆さんは行動していることでしょうし、「人を助けることはよいことだ」と幼いころから言われて今日まで疑ったことはないでしょう。
これから始まる物語は、誰よりもそんな「人助け」に力を尽くし、同時に誰よりも「人助けの罪」を感じながら生きている一人の男の物語です。
男の名は「徳田 救助」。救助は不思議と彼の周りに集まる困った人々をその名の通り、或いはその名の呪いにかかったように、日々救い続けています。誰もがそうであるように、この救助もまた、両親から、幼稚園や学校の先生から「困ってる人がいたら助けてあげなさい」、「人を助けることは良いことです」、そう幼いころから教えられてきた一人です。しかし彼は、その教えの通り身の回りにいる困っている人々を助けていくうちに、その「罪深さ」を自覚し苦悩していきます・・・。
世の中で「常識」、「当然」とされてきた「人助け」の正義に一石を投じる、道徳家から批判必至覚悟の連載小説、始まります・・・・・・。
これはまだ救助が高校生だったころ。当時からすでに、彼の周りには困った人々が大勢あふれていた。初めに断っておくが、彼はこの当時から今日に至るまで、進んで困っている人を探しに行ったことは一度たりともない。警察官のようにパトロールをするわけでもなく、消防吏員のように通報を受ける体制を持っていたわけでもなく、ただ日常生活を営んでいるだけで、彼の周りには不思議と、困った人々が大勢、引き寄せられたように集まってくるのだ。そう、ちょうど何処かの少年名探偵が、ことごとく事件に巻き込まれるのと同じように。
このころの彼の人助けと言えば、一つ一つを見ていけばごくごく小さなものだ。駅の階段で重い荷物を持ったご老人がいたので、階段の上まで荷物をもってあげたり、雪にはまった軽自動車を押し出すのを手伝ってあげたり、スロープを上るのが大儀そうな車いすを後ろから押してあげたり、はたまた学校で体操着を忘れた隣のクラスの友人に自分のものを貸し出したりと、それこそ誰もが年に1度は経験しそうなものばかりだ。
しかし当時の彼はその頻度が、既に常人のそれとは異なっていた。一度家を出て、学校へ向かい、学校生活を過ごして家路につき、自宅のドアを閉じるまでの間で少なくとも5回、日によっては十指で数えきれないほどの回数、この小さな「人助け」を繰り返していたのだ。そんな一見奇異な生活も、彼にとっては物心ついた時から繰り返されている「日常」であって、この歳の彼がそんな自分の「風変り」な生活に疑問を抱くこともなかった。あえて言えば、周りの友人たちが「人助け」をしていない様子を見て「冷酷な人間が多い世の中だ」と一人厭世的になることがあったくらいで、彼自身が自分の「日常」を「異常」だと考えることはなかった。
彼のそんな風変りな「日常」は、先ほども言った通り、彼の物心がついたころから始まっている。彼の家の自室に貼られている汚い文字で書かれた「一日一善」と書かれた掛け軸は、彼が4歳のころに急病で亡くなった彼の母が病床で
「救助、あなたの名前はね、あなたが、あなたの周りにいる人々が困っていたらすぐに助けてあげる、救いの手を差し伸べてあげる。そんな優しい立派な人になりますようにって、ママとパパが願い込めてつけた名前なのよ・・・。だから、もしこの先、あなたの周りで誰かが困っていたら必ず助けてあげてね・・・。ママの子だから、できるわよね・・・!」
そう彼に語りかけた言葉が彼にとっての母の形見として残ったものである。ちなみにこの掛け軸は彼が小学5年生の時に、冬休みの自由研究で書き上げたもので、母とのエピソードを交えて当時の担任に話をしたときには、最初は「もっとしっかり取り組みなさい!」と怒った担任が、涙を流しながら「これからもその心を大事にするんだぞ・・・!」と彼に語り掛けたという少々気色の悪いお涙頂戴エピソードがついている。
さて、そんな母の遺言通り、遺言になぞらえた掛け軸通り、そして小学5年の時に担任からかけられた言葉通り(?)、一日一善を、いや一日十善ほどをこなしている高校時代の彼の話に戻ろう。
高校3年の6月末。日差しが随分と強くなったこのころ、救助の通う高校では例年この時期に、体育大会が行われる。どのクラスも学年1位のトロフィーを目指して・・・、いや、実を言えば副賞としてついてくる「クラス全員分のお菓子」を目指して、練習を積み重ねる。中でも救助のいる3年生の各クラスは高校生活最後の体育大会ということもあり、お菓子のついでにいい思い出を残そうとどの学年にも劣らないほど気合が入っている。これは言うまでもないが、例年3年生はそうであった。
そんな汗と涙(?)と笑いに満ちた練習の日々を経て迎えた体育大会当日。救助はバレーボールのメンバーに入っていた。と言っても正規メンバーではなく補欠。正規メンバーの誰かが病欠したりけがをしたりしない限りは出番が回ってこないので応援に徹する。救助の通う高校は地域では名の知れたバレーボールの名門校で、そういった事情もあってか、体育大会の大トリにこのバレーボールが組み込まれている。ここまで実施された種目の成績で救助のクラスは僅差で2位。そしてこのバレーボールはトーナメント戦で行われ、決勝戦は救助のいる5組と、現在総合1位で、しかも名門バレーボール部の主将とエースが率いる1組との戦いとなった。普通に考えればこの決勝戦で1組が勝利し、総合優勝は1組となる運びが自然だろう。しかし実際は当初の予想とは大きく異なる様相を呈していた。
第3セットを終えて5組が2セットをとりリードを作っていた。つまり5組があと1セットを取ればバレーボールでは優勝、加えて総合成績もここで逆転し総合優勝も5組となるのだ。ところがここで5組主砲、バレーボール部の副主将、矢崎が右足首を捻挫して後退。補欠の救助に急遽出番が回ってきた。攻勢一転、旧知の追いやられたかに見え、実際白熱していた応援も一気に冷め切った5組陣営であったが、何を隠そうこの救助、高校のバレーボール部には所属していないものの、中学校までは全国に名をとどろかすほどの名門バレーボール部に所属してレギュラーメンバーとして活躍していたのだ。それが功を奏してか、彼の強烈なサーブやスパイクは1組側のコートに次々と突き刺さり、1組から飛んでくるこれまた強烈なバレーボール部の主将とエースのスパイクは救助の堅牢なレシーブによってふわりと宙に上げられるばかりだった。
そんな試合の運びを見て最初は呆気にとられていた5組陣営も徐々に元の熱を取り戻し、「救助いいぞ!」「決めろ救助!」と、たちまち救助コールで溢れかえった。終わってみればこの4セット目は5組25点に対して1組は僅かに12点と大差での勝利。救助たち5組はバレーボールの優勝と、総合成績の逆転優勝(と副賞のお菓子)を手に入れた。感動で涙する女子もいた。男たちを救助を囲み、一斉に雄たけびを上げた。
そこへ、保健室で手当てを受けた矢崎が戻ってきた。
「救助、ありがとうな!お前のおかげで俺たちは優勝できたよ!」
そうさわやかに、少し寂しげに声をかけてきた矢崎を見て、救助は不思議な感情に囚われた。
(俺のおかげ・・・?そんなことはない。俺が参加したのはバレーボールの最後の1セットだけだ。その前の3セットを戦って、しかもそのうちの2セットをものにしたのは矢崎たちスタメンじゃないか・・・。それなのに最後に俺が出たばかりに矢崎は――――。)