セーブコマンド
超能力小咄ショートショート。くだらねぇなぁと笑っていただければ幸いです。
セーブしますか? YES NO
和彦は、薄暗い部屋で、画面に向かっている。彼の目は、画面に映し出された文字に注がれたままだ。
すう、と一呼吸。マウスを握る手に思わず力がこもる。
「これで、大丈夫なはずだ」
「YES」の文字にポインタを重ね、人差し指でマウスの左ボタンをクリックする。
本当によろしいですか? YES NO
そうだった。この入力には確認がついてくるんだった。和彦はわずかに眉をひそめ、考える暇を自分に与えないよう、素早くもう一度「YES」をクリックした。
セーブコマンドが実行され、データは保存された。
――6月2日
惨憺たる一日だった。会社ではつまらないミスでさんざん課長に絞られ、夕食の約束は突然の残業(大して緊急性はないのに!昼間のミスで俺をいじめたいだけの課長の陰謀だ)で消えた。「楽しみにしてたのに」と彼女はひとしきり怒った挙句泣き声になるし、自室に帰って寝ようとしたらゴキブリに遭遇した。6畳一間の部屋で、Gを放置したまま寝るのは度胸がいる。戦いの最中、テレビの上に飾っていたフィギュア(ゲームソフトの初回特典。非売品)を一つ犠牲にし、戦いが終わったときには既に午前2時。
今日は、とても「ダメ」だ。
和彦は、眠い目をこすりながら、画面の前でさっさと決断を下した。
セーブしますか?
「No」
確認画面が表示されたかどうかわからないくらい素早く確認し、セーブは見送られた。ついでにロードもしてやろうか?という気持ちが起きる。
しかし、まだそこまで大きな失敗をしたわけじゃない。まあ、いいだろう。
僕は、超能力者だ。
なんで超能力者かというと、道でへんなランプを拾って、それを擦ったからだ。ランプを擦ると、大きな魔人(自称ランプの精だそうだが、ごつすぎた)がでてきて、超能力者にしてやる、と言った。
で、困った。
映画で見るように、サイコキネシスで物を動かせたり、稲妻が撃てたりってのは格好いいが、実用性があるのか疑問だった。テレパシーは便利そうだが、なんか自分が不幸になる予感がした。時間を止める、というのもあったが、自分だけ年をとりそうだし……で、そのとき手元にあったゲームソフトを見て、ふと思いついた。
「セーブできたらいいかな」と。
その日から、和彦には「いざとなったらセーブしたデータからやり直す」という選択が生まれた。失敗を恐れない者に追い風が吹くのは世の常であり、彼はその後の人生をトントン拍子に切り開いていったのである。
――8年後の6月2日
出世も恋も大胆不敵。和彦はこれまで「ロード」の必要ない、順風満帆の人生を送ってきたと自負してきた。
しかし、今日こそ、ロードを使う日だ、と確信した。
和彦はいつもと同じように、仕事から帰ると感謝の言葉もなく妻の用意してくれた食事を黙々と食べ、当然準備できているものと思ってた風呂の用意ができていないことに不機嫌になってソファに転がった。
テレビを見ている最中に話しかけられ、妻へ不機嫌そうにに生返事をした。もちろん愛人にはこんな態度はとらない。妻にだけである。
「ねえ、あなた、テレビを消して。話があるの」
妻がこんな切り出し方をするのは珍しかった。なんかイヤな予感がして、話を聞きたくはなかったのだが、上手い言い訳も考え付かなかったので、適当に付き合うことにした。
「あたしね、あなたと離婚しようと思うの」
これが、晴天の霹靂ということわざか――と思っただけで、それほど動じなかった。自分にはロードという手段がある。
「ずっと考えてきたの。あたしたち、合わないなって」
テレビの続きが見たかった和彦としては、その後何を話したかあまり覚えていない。
「俺の仕事には信用が大切なんだ」とか「離婚なんてふざけるな」とか、そんな言葉を適当に返した気もする。
午後11時48分。和彦の手元に残ったのは、自分の名前の欄だけ空欄になった離婚届と、新品の認め印(たぶん100円ショップ購入品)だった。家に常備していた印鑑は、妻が自分の名前の隣に押した。
和彦は、画面の前で考えている――ように見せて、ただ単にボタンを押す前に深呼吸をしているだけである。
「ロードする」を選んで、クリックする。
「本当にロードしてよろしいですか」も「YES」をクリックする。
そう。セーブしたのは昨日の夜だ。
離婚の一日前に戻って、阻止すればいい。
和彦は、ボタンを迷いなく押した。
ランプの精は、自分の仕事に責任をもつプロである。その仕事ぶりは完璧だった。
和彦がボタンを押した瞬間、世界は完全に前日6月1日夜の状況に戻った(もちろん、和彦自身の状態も含めて)
そして、世界は今日も6月2日である。
(了) 2006年5月