『優しくて思いやりがあって、寮の外のひとに迷惑をかけたりなんてしない、そんなひとたち』
「ねえ、おばあちゃん。魑魅魍寮にはどういうひとたちが集まったの?」
「そうだね。優しくて思いやりがあって、寮の外のひとに迷惑をかけたりなんてしない、そんなひとたちだよ」
「ほんとに〜?」
「ほんとさ、ほんと。わたしがまずその良い例さ」
『魑魅魍寮へおいでよ!』
前回のあらすじ。
魑魅魍魎が跋扈する世界に転移したわたし、山田八雲。『奇想天街』で財布(とおばあちゃんから貰った御守)をスられてしまったわたしは、犯人の男にたどり着くことが出来た。が、管狐によって攻撃されてしまうのだった。
※
「でも」
わたしは震えをおさえて、男を見据える。
「わたしはそれを返してもらわなければならないんです……ッ!」
男が顔を歪める。
「はぁ、ツイてねえな。じゃあ、死ねよ、お前」
男は竹の細い筒を構えている。指の股に左右それぞれ三本ずつ。腕を交差させて、わたしを狙っていた。わたしはいま視力が研ぎ澄まされている状態ではあるが、さきほどの一発、弾丸のような狐の射出には身体がまったくついていかなかった。かすった頬から血が流れている。
逃げるべきだ。
わたしの本能は、そう言っている。わたしの脚は、そう震えている。が、わたしは決してそのようなことはあってはならないと、男を見据えている。おばあちゃんの御守は、とてもとてもたいせつなものだから――。
「尾裂流飯綱術『管狐』!」
鋭い殺意がわたしに向けて放たれた。
※
目の前に白銀の壁があった。
鎧を着た誰かが立ち塞がってくれたのだということに気づくには、少し時間がかかってしまった。それほど巨体だった。カンカンカン、と狐が鎧に衝突する音が響いた。それなりの衝撃があったはずなのだけど、その鎧のひとは微動だにしなかった。
「守って、くれた?」
「(こくこく)」
目の前の大きな鎧。頭部のヘルムがぐるりとこちらを向き、こくこくと頷いた。ヘルムの隙間からは、中に誰かが入っているようには思えない(それに入っていたら、さっきみたいに首を180度回すことも出来ない)。なかみは、から。わたしはそんな存在を、おばあちゃんから聞いたことがあった。
「生ける鎧、リビングメイル……」
わたしがそう呟くと、鎧のひとはなにかに気がついたようにわたしを見つめた。もっともヘルムは無表情であるから、表情が変わったわけではない。が、もし彼がひとだったとしたら、きっと眼を見開いていたにちがいない。
「おーい、大丈夫か、少女」
やる気のない声がして振り返ると、ひとりの女性が立っていた。長くきれいな白い髪が特徴的な色白の女性だったが、部屋着にしてもダサすぎるようなジャージに便所スリッパだった。
「『アラミタマート』にお使い頼んだのに全然帰ってこないから、管理人、どこほっつきあるいてんのかなと思ってさ。あー、ここ、アラミタマートへの抜け道なんだよね」
「(こくこく)」
「でさ、こんな場面に出くわしちゃったから、まー、めんどくさい」
少女はいかにもダルそうな口調で喋りながら、便所スリッパをかつかつ言わせて、鎧のひとの肩を叩く。そして、その向こうに居る、狐の男を睨みつけた。狐の男は突然現れたふたりの存在に慌てていた。
「なんなんだよお前ら」
「なんなんだよってのはこっちの台詞。いくら『調停者』がいなくなったからって、あやかし同士の決闘はご法度だ。ましてやこんな弱そうなちびっこ捕まえて。戦いたいなら、わたしたちが闘って闘るよ」
「後悔するなよ……」
二対一で不利なはずなのに、狐の男はそう言って舌なめずりをした。鎧のひとの付近から彼の手元へ、複雑な軌道を描いて管狐が舞い戻る。第二撃への装填だ。威力では鎧のひとを抜けないとわかっている状態で、この装填を行うのだから、なにか方策があるに違いなかった。より威力の高い『尾裂流飯綱術』なのか、それともピンポイントで急所を狙う攻撃なのか。目が離せない――、と前のめりになっているわたしに、白い髪の女性はいきなり振り返った。
「一匹、戻ってないよね」
白い髪の女性がキッとわたしの背後を睨みつけると、ごとりと氷漬けになった小さな狐が地面に落ちた。最初にわたしの頬に傷をつけた管狐だ。狐の男の手元の管に注目していたから、まったく注意が払えていなかった。きっと体のいい人質にするつもりだったのだろう。
――すごい。
「狐のやることはいつもこんな感じだ。君とはくぐってきた修羅場が違うのだよ」
「なんだこいつら。待てよ。氷? リビングメイル? まさか――」
狐の男が青ざめる。
「『魑魅魍寮』のやつらじゃねえか!? ツイてねえ。命がいくつあっても足りねえよ! こんなもん返すわ!」
――あの。いままで魑魅魍寮の面々、何をしでかしたのでしょうか。というか、管理人をしていたおばあちゃん、『優しくて思いやりがあって、寮の外のひとに迷惑をかけたりなんてしない、そんなひとたちだよ』とは一体……。
男は財布を投げ出して、路地裏の奥へと逃げていった。
「追いかけなくていいよ、鎧」
「(こくこく)」
財布を拾った白い女性がわたしを見つめた。
「やぁ。危ないところだった。だけど、命はたいせつにしなよ。ここにどんな大金が入っていたとしても、君よりは軽いはずだろ」
「あの、ありがとうございます。助かりました」
「わたしは柊憂姫、こっちのリビングメイルは鎧。まぁ、さっきの反応のとおり、この街じゃちょっとした有名人。ところで君はあまりここじゃ見かけないね」
わたしはなんと自分を紹介したらいいのか、少し迷った。財布を受け取り、ファスナーを開く。わたしがいのちを投げ出してまで取り返したかったのは、このおばあちゃんからもらった御守だ。
ぎゅっと握ると、さっきまで張り詰めていたこころがほっと安らぐ。気が抜けてしまったのか、もともと視力がほとんどなかった左目の視界が徐々に失われ、世界から遠近感が消える。それにしてもなんで左目が視えていたのだろう。
「あの、これ、見覚えがありますか?」
「それ……」
「(びっくり)」
ふたりは顔を見合わせた。
「はじめまして。わたしは山田八雲といいます。おばあちゃん――、山田九十九がたいへんお世話になりました。実はひょんとはぐれてしまって、困っていたんです。よろしければ、アラミタマートまで案内をお願いしてもいいですか?」
※
わたしを背後から襲おうとしていた管狐の一匹が、まだ氷漬けになっていることに気がついた。
「ところで、その狐はどうするんですか?」
「うーん、人質?」
悪戯げにわらう憂姫さんだった。