おひっこし
「おひっこししなければならないの」
ある日、おかあさんがゆうたたち3人に言いました。
「今住んでいる家より部屋の数が少なくなるから、ひっこす前にいらないものはすててね」
「ぼくが使っていたおもちゃはいらないよ」
とおにいさんが言いました。
「あたしのお人形もいらない」
とおねえさんも言いました。
ゆうたのおもちゃはルーベンカイザーだけ。あとのおもちゃはみんなおにいさんとおねえさんのおさがりでした。このままでは、ほかのおもちゃは全部すてられてしまいます。
ゆうたは言わなければなりません。ぼくのおもちゃをすてないで。ぼくの王国をなくさないで、と。
だけどゆうたは、なにも言えなかったのです。
「ゆうた、おもちゃをすててもいい?」
なにも言わないゆうたを見ておかあさんが言いました。おかあさんは、いつもゆうたがおもちゃで遊んでいることを知っていたのです。
するとおにいさんが、
「来年は、もう小学校にあがるんだろ。あんなおもちゃで遊んでいる小学生なんていないぜ」
おねえさんも、
「お人形であそんでいる小学生の男の子なんていないわ」
と言いました。
ふたりにそう言われると、ゆうたもなんだかはずかしくなってきました。
でも、おもちゃで遊ぶことって、そんなにはずかしいことなのかな。ゆうたは、おもちゃがよごれると、きれいにふいてあげました。青いドレスがほかのおもちゃにひっかかって切れないようにていねいにならべておもちゃをしまっていました。おもちゃのひとつひとつをとてもだいじにしていたのです。きみたちは、おもちゃをそんなふうにだいじにしている?
おかあさんは、ゆうたが遊んでいるだけでなく、おもちゃをだいじにあつかっていることも知っていました。だから、おかあさんはゆうたがおもちゃで遊ぶことをちっともはずかしいなんて思っていませんでした。
だけど、ゆうたはうつむいてもじもじするだけ。
「いいよな、すてても」
おにいさんが強い口調で言います。
ゆうたは、うつむいたまま首を横にふりました。
いつも、ゆうたが遊ぶときはおにいさんとおねえさんに言われるがまま。だから、ゆうたはふたりになにか言われても、言い返すことができません。おにいさんのことばにも、首を横にふるのが精一杯でした。
「じゃ、おもちゃはとっておいてもいいから、ほかのものはできるだけすててね」
おかあさんは、やさしくゆうたに言いました。
◆
ひっこしの日がやってきました。
おもちゃはそのまま新しい家に運ばれました。
新しい家は今まで住んでいた家より部屋がひとつ少なくて、ダンボールにつめられた荷物を運びこむと、すわれる場所もありませんでした。
ゆうたたちは、おかあさんといっしょに荷物を出して、たなや押し入れにしまっていきました。
日が暮れるころになると、荷物をしまえる場所は、押し入れの下半分だけになっていました。残ったのは、おにいさんの野球の道具と、おねえさんの楽器、それにおもちゃだけです。
「これを全部しまうことはできないわ」
おかあさんが言いました。
「野球の道具がなくちゃ、家で練習ができないよ」
「あたしだってこまるわ。家でちゃんと手入れをしなくちゃ、楽器がだめになっちゃう」
おにいさんやおねえさんが、口々に言います。
ゆうたは、ダンボールをあけた口からのぞいているおもちゃを見ました。
「ゆうた、このおもちゃを全部しまうことはできないわ。いやなのはわかっている。わかっているけれど、おにいさんやおねえさんのことも考えてあげて。全部とは言わない。この中の半分くらいはしまえると思う。だからつらいかもしれないけれど、この中から残すおもちゃを半分選んで」
おもちゃを半分にしてしまったら、そこはもうゆうたの王国ではなくなってしまいます。ゆうたにそんなことできるはずありません。だけど、ゆうたは、そのことを言いだせなかったのです。
「・・・・今すぐじゃなくてもいいのよ」
ゆうたの暗い表情を見て、おかあさんがやさしく言いました。
「選ぶまでのあいだ、夜寝るとききゅうくつになるけど、それでもいいよね。おにいちゃんとおねえちゃんもがまんできるよね」
おねえさんはこくりとうなづきました。おにいさんは、口をねじまげましたが、さいごにはうなづきました。
◆
その夜、ゆうたは夢をみました。
ゆうたのおもちゃが、ゴミ置き場に積まれています。とつぜんすごい音がして、上から鉄のかたまりが落ちてきました。おもちゃは、ほかのゴミといっしょにぺしゃんこです。合金でできたビュートルグラスの顔もひしゃげてしまいました。
ゴミとゴミのあいだからはみだしているのは、アンジェリエッタの青いドレスのきれはしです。そのドレスごと大きなショベルカーがゴミをすくい上げたとき、白いものがこぼれ落ちました。からだからもぎとられたアンジェリエッタの白い手が、ほこりがもうもうとしている土のうえをころがっていきます。
ショベルカーは、ゴミ置き場のまん中にあいた大きな穴の中にゴミを投入していきます。穴の中では、赤い炎がごうごうと音をたてて、とぐろをまいています。その炎の中で、ルーベンカイザーのソフトビニールでできたからだがみるみるうちに熱でねじまがり、ひしゃげて、とけていきました。
ゆうたは、飛び起きました。
すぐとなりに寝ていたおにいさんが、寝がえりをうちます。その横では、おねえさんもおかあさんもまだぐっすりと寝ています。部屋の中はまだ暗く、月はまだ紺色の夜空の真上にかかっています。
ゆうたは、ふとんから出て、押し入れの前に置いてあるダンボールを開けました。
ビュートルグラスも、アンジェリエッタも、そしてゆうたのただひとつのおもちゃ、ルーベンカイザーも、ほかのおもちゃといっしょにダンボールにおさまっていました。
ゆうたは、ルーベンカイザーを手に取りました。それから、アンジェリエッタを取ろうとして、その隣にある小さな消しゴムの人形に目がとまりました。消しゴムの人形の小さなからだを指でなぞります。
その消しゴムの人形の顔にぽとりとなにかが落ちました。
ゆうたの涙です。
ゆうたの涙はひとつぶ、またひとつぶ、おもちゃの上に落ちていきます。おもちゃの上に落ちた涙は、おもちゃのからだをつたって、その下のおもちゃの上に落ちました。下のおもちゃに落ちた涙は、ゆっくりとそのからだをつたわり、さらにその下のおもちゃの上に落ちていきます。
ゆうたの涙は、ダンボール箱にしまわれたすべてのおもちゃのからだに、涙の伝ったあとを残しました。