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「これ、俺の大好きな本なんだ」
今の時代では受けないであろう飾り気のない表紙に、大きな文字で肉屋に恋をと書かれている。しまは、その本のページをぺらぺらとめくり出した。
「この最後のページの後書きは特に好きだ。実にお前らしいよ、貞夫。人を殺してみたいと思う感情は誰しも持っている」
しまは、最後のページの部分を読み上げた。貞夫にとっては、何の気も無く書いた一行を。
「亜国先生、俺はね。リアリティが欲しいんだよ。偽物なんかじゃなくてね。リアリティ。先生も思っているはずだろう?デジタルばっかで飽き飽きしてるって」
しまは、本を閉じるとテーブルに置いた。
「それにさ、お前、今のところ煮詰まってんだろ?これはいい小説のネタになると思わないか?」
貞夫の言う通り、それは今自分が一番欲してやまないものだった。もしも、この監禁されている男を目の前で見たとすれば、自分はよりリアルなホラー小説が書けるのではないだろうか。作品の表現の向上も望ましいに違いない。本が売れず不眠で精神的にも苦痛な状況下、作品が良くなる材料は、喉から手が出る程欲しいのだ。
「何か企んではいないか?俺をはめようとでもしているんじゃあ無いか?」
「さすが作家様は、想像力がいい。けど、俺は残念ながらはめようなんて気はさらさらない。ただ単に純粋なあの頃の、高校時代の、青臭い春が忘れられないんだよ。それを二人でまた共有しよう。全てが終われば、俺は自首する。お前と関わった事も誰にも言わない。お前はいいネタが書ける。俺は青春時代を味わえる。誰にも損は無い」
しまは立ち上がり、本当に純粋な目で貞夫に言った。貞夫は躊躇いがちに目を伏せた。
「もしも、不安があると言うなら、俺が先生も監禁していたと言う。憧れだったと理由をつければ問題ないだろう。亜国貞夫も、頭のおかしな犯人の、被害者という事にする」
しまの頭の中には完璧なまでに、一つの達成するべき目標があるようだった。貞夫は苦い顔を浮かべた。
「どうだ?一度見てみるだけでもいい」
しまは念押しするように問いかけた。貞夫は腹の底から息を吐いて、重たそうに一言を放った。
「分かった」
それから、もう一言付け加えた。
「考える時間をくれ」
明るい店員の声が、来客を出迎えている。学生時代によく来ていた店内は、今や別の店のようだ。あまりに衝撃的な情報ばかり入ってきた為、頭が痛くなってきた。さっさとここから立ち去りたい。それを察してか、しまも、薄い水色の上等なジャケットを拾い上げて羽織った。
「そうか。ならじっくりと考えてといてくれ。その気になったら連絡してこいよ。ここは俺が払っとくよ」
しまは伝票を持って、一人レジへ向かった。貞夫は、冷たいコップの水を一杯飲み干した。馴染みだったはずの珈琲屋は、居心地の悪い店に変わり果てていた。




