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香草酒(後)

 「いつかこんな日が来ると思ってたんだよ。何年か前から、いろんな国の人が探りに来ててね。

 俺の顔見てびっくりするんだ、皆。あはは、そんなに似てるかな。似てないよね」


 リヒトは饒舌だった。

 昼間飲んだものより大きな香草酒の壺がドンと出され、差し出されるまま柄杓を受けとった。

 あまりものだけど。

 と出されたクーヘンのかけらと、ごった煮のようなスープのような鶏の煮込みが恐ろしく美味い。

 

 「最初はさ、隣町の若い娘さんだったんだ。結婚の約束をしたって言うんだよ。一緒に店をやろうって言われたって。

 おっかしいよな。あいつろくに働いたこともないのにさ」


 リヒトは自分の兄のことを「あいつ」と呼ぶ。

 イザベルがカロリーナ姫を「あれ」と呼んでいたことを思い出した。

 まぁ、そういう関係なのだろう。

 

 「その娘さん、うちの店に飛び込んできたと思ったら、金を返せってわめいてさ。

 あいつ、結婚するには金が要るって言って、金借りて、逃げたんだって。

 父さんは腰抜かすし、母さんは泣くし。あはは、もう大変だったんだ」


 ああ、だからあんなに手馴れていたのか。

 ぼんやりと鶏の煮込みを咀嚼しながら、ソフィアはもう忘れてしまった口説き文句の数々を思い出そうとした。

 そう言えば、結婚式までの記憶があまりない。

 騙す相手に考える時間を与えないためだろう。

 なるほどその手際の良さは、早くて熟練していた。

 

 なんだか嫌な気分になってきたので、ソフィアは遠慮なくクーヘンのかけらを口へ放り込んだ。

 焼きすぎたのだろう、茶色く焦げた端っこが香ばしい。

 少し気分が上向いた。


 「それが落ち着いたと思ったら、次から次へとやってくるんだよ。若い娘さんから色っぽい未亡人。娼婦ってのもいた。

 もうきりがないから、他人のふりしようって決めたんだ。

 父さんも母さんもすっかり弱っちゃって、人様に顔向けできないって、家に閉じこもって、死んじゃった」


 リヒトはじっと厨房を眺めている。

 両親が健在だった時のことを思い出しているようだった。

 もう涙も浮かばないほど、擦り切れた思い出なのかもしれない。

 少しだけ悔しそうに眉をしかめただけだった。

 

 気の毒に。

 

 思わずつぶやいて、ソフィアは厨房に向かって黙祷をささげた。

 酒入りの柄杓を握ったままだったので慌てて飲み干す。


 「で、ある時ひょっこり帰ってきやがった。ヘラヘラしながらさ。

 『国に雇われた。国が俺の腕を買ったんだ。これからは毎月金を送ってやる』って。

 俺はもう、あれほど腸が煮えくり返ったことはないよ。どの口が言うんだふざけんなって」


 言葉とは裏腹に、リヒトの口調は軽い。

 それでもやはり怒りを思い出したようで、香草酒を一気にあおった。

 ソフィアはいたたまれなくなって、クーヘンの皿を勧めてやった。

 

 付き合うよ。


 と言って同じように柄杓をあおって見せると、リヒトは苦笑いしてこんなことを言った。

 

 「ふふふ、殺すのは、俺だと思ってたんだけどなぁ」

 

 ソフィアは驚いた。

 この善良そうな男に、殺意は少しも似合わない。

 今もほのかに顔を赤くして、少女のように肘をついている。

 

 「あいつ、いつ死んだの?」

 「三年前だ」

 「うっそ。じゃあこの中身、三年物?」


 おどけた様子で大げさに顔をしかめてポケットをたたくと、リヒトはげーっと舌を出した。

 ソフィアは少し慌てて

 遺髪をそのように扱うな。

 と言いそうになったがやめた。

 あれはリヒトのものだ。どう扱おうとソフィアには関係ない。

 

 その代わり、少し意趣返しをしてやることにした。

 真面目くさった顔を作って、こう言ってやる。

 

 「ちなみに私も結婚しようと言われて信じた哀れな女の一人だ」


 リヒトは途端に顔色を変えて、ぱくぱくと口を動かした。

 驚きすぎだろうとソフィアは苦笑いする。


 「え、あの、その」

 「落ち着いてくれ。殺したのは私だと言っただろう」

 「いや、それでも。あの、なんとお詫びすればいいのか」

 「まぁ、私の若さも一因ではある。それに、殺したことを詫びる気がないのでな」

 「いえ、とんでもない。そんなことは」

 「そう構えないで欲しい。ほれ、飲め」

 

 すっかり酔いが醒めてしまった様子のリヒトに柄杓を手渡す。

 しかし震える手でそれを受け取った彼はすっかり委縮してしまっていた。

 

 「あの、お名前からして、貴い生まれの方だとは思っていたのですが、まさかブルトがあなたのような方にまでご迷惑をとは…」

 

 あぁ、とソフィアは思わず声を上げた。

 処刑人か何かと思われていたようだ。

 しかし困ったことになった、とも思う。

 ソフィアが騙されたというだけでこの縮こまりよう。

 あの結婚詐欺師が一体誰と逃げたかを話せば、リヒトは卒倒してしまうのではなかろうか。

 もういっそ、話さなくてもいいような気がしてきた。


 「まあ、私は外国から来た旅人ということになっている。だから、その、不敬だなんだと騒ぐ気はないし、そんなことはできない。今まで通りにしてくれないか」


 とは言ったものの、やはりリヒトの表情は強張ったままだ。

 ソフィアは自分の冗談の下手さを呪った。

 これではせっかくの酒も美味くないだろう。悪いことをしてしまった。


 しょうがないので、これだけは言わなければならない、と思っていたことを口にすることにした。

 

 「えっと、あのな、彼は女と一緒に逃げていたんだ」

 

 飲み納めになるかもしれない、と意地汚く香草酒を飲む。

 

 「意地悪で、考えなしで、でも美しい女だった。結局、死ぬときまでずっと二人で逃げていた。荒んでいたけど、一緒にいたんだ。

 それでな、思ったんだ。二人とも罪人だったし、嘘つきだったけど、好き同士だったんじゃないかって。

 別々に逃げたり、途中で相手を放り出したりしなかったんだからな」


 上手く話せたとは思えなかったが、それでもリヒトははっと顔をあげた。

 

 「だからな、遺髪をどうしようと、あなたの好きにすればいい。

 好きな女と一緒の最後だったんだ。弔ったり、私に謝ったり、そんなことをしなくても、化けて出てきたりしないさ」


 リヒトは顔をあげてぽかんとしている。

 自分の冗談の下手さを改めて呪いながら、ソフィアは逃げるように立ち上がった。


 「夜分に長居して悪かった。宿の女将が心配するので失礼する」


 ああ、最後にあのクーヘンのかけらを一口食べればよかった。

 などと、いやしい事を考えながらソフィアは店を後にした。

 もう少し上手く話せれば、と後悔の念が溢れてくるが、しょうがないことだとも思った。

  

 宿に帰ると、女将は食堂の片づけをしているところだった。

 酒を飲んできた様子に気付いた女将は、年頃の娘が一人で男のいる店に行くもんじゃないよ。と暖かいお叱りの言葉をくれた。

 このまま寝てしまおうと考えていたソフィアに、女将は湯を用意してくれた。

 若い娘が、湯も使わずに寝るもんじゃない。

 そう言われては、と軽く体を清めてから眠った。


 何とも格好がつかない夜だった。




---




 次の日は曇天。

 ソフィアは朝市に出かけた。

 朝市とは名ばかりで、道に茣蓙を引いて品物を並べただけの雑多なものだ。

 店番をするのは幼い子供や妊婦、年寄など。

 売っているのは、いわゆる手慰みの結果のようなものばかりだが、その分安価だ。

 ふらふら冷やかして、藁編みの靴と乾燥木の実をいくつか買った。

 次の町までは歩いても半日程度なので、あまり欲張らずに出立することにした。

 目的を果たした今では、この村にはそれほど魅力を感じない。

 村人は皆親切で気持ちの良い人ばかりだったが、どこにでもある小さな村なのだ。 


 それにしても。

 と、ソフィアは買ったばかりの木の実をボリボリ噛みながら思う。

 

 過去に別れを告げて、放浪の旅に出る。

 朝が来れば、新しい自分になる。

 そんな絵になる出立を想像していたのに、現実は甘くないものだなぁ。とぼんやり考える。

 

 そもそも絵になる出立とは何なのか。

 曇天ではなく、晴天ならすこしは格好がついたのか。

 口の中の木の実はなかなか無くならない。

 保存食としては優秀だが、嗜好品としては落第だ。

 ソフィアはうっそりとため息をついた。

 これからまた徒歩の旅だ。


 

 村の入り口差し掛かった時だった。


 「ソフィアさん!」


 と呼ばれて、振り返ってみれば、リヒトが慌てて走ってきていた。

 忘れ物をしたか?と思ったが、よく考えれば忘れて困るようなものを持ち歩いていない。

 

 「ああ、よかった間に合った」

  

 そう言って追いついたリヒトは、小さな布包みを差し出してきた。


 「はいこれ、クーヘンです。よかったら、お昼に食べてください」


 まだ温かいその包みからは、かすかに白玉葱の香りがする。

 今すぐ食べてしまいたい気持ちをこらえて、ソフィアは丁寧に礼を言った。

 これは有り難い。

 リヒトの親切に、心が温かくなった。


 「ところでソフィアさん、これからどちらに向かわれるんですか?」

 「そうだな、一応は砂漠の国を目指している」

 「それ、俺追いかけてもいいですか?」

 「そうだな、…う、うん?」


 この男、今何と言った?

 ソフィアは驚いて大きく瞬きをした。

 にっと笑うリヒトは目を輝かせている。

 

 「ソフィアさんのおかげで、なんか吹っ切れたっていうか。俺、なんだかんだ言っていろいろ気にしてたんですよね。

 でも、もういいやって、思えたんです。俺、好きなことやってもいいんだって。そうしたら無性にどっか行きたくなっちゃって」


 あまりの勢いに、ソフィアはお、おう。と漏らすことしかできない。

 

 「それで、これって全部ソフィアさんのお陰だと思ったらいてもたってもいられなくて」


 あ!

 とソフィアは唐突に気付いた。

 これこそが新しい自分だとか、過去との決別だとか、ソフィアが想像していたものではなかったのかと。

 リヒトは昨日と同じように善良そうな面差しだが、しかしその目には何となく、希望みたいな何かが宿っているように見える。


 「もちろん、店のこともあるので、すぐに出発というわけには行かないんですけど、それでも」

 「わかった」


 気付いたらソフィアは頷いていた。

 

 「ただし、私は国から援助を受けて旅をする身だ。あなたに合わせたり、気遣ったりする余裕はない。それでも良ければ好きにしてくれ」


 途端に破顔するリヒトを見ていると、こちらまでいい気分になってきた。

 案外この男とは相性がいいのかもしれない。などと考えたりもする。


 彼は本当に一人で旅ができるのかとか、身を守る術はあるのかとか、金はどうするのかとか。


 考えなければならないことは山ほどあったが、ソフィアはそれら全部を無視して歩き出した。

 なるようになるだろう。

 次の町に着いたらイザベルに手紙を書かなければ。

 また昼から酒を飲むのもいい。

 

 まずは一口。

 と、まだ温かいクーヘンをちぎって食べながら歩く。

 街道沿いの疎らな畑を見ながら、あくびをかみ殺す。

 まだまだ時間はある。

 ソフィアの旅は続く。

  

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