ARに棲む魔
ゲームのデータが吹っ飛んだ!
#像金町の駅前で聞きました
像金町は像金とかいて「ぞうきん」と読ませる。金細工を昔から作っていた土地だと聞くが、一度、街の資料館的なところを学校行事で訪れた折に「そんな最近の話なの?」と驚いた覚えがある。伝統的というのはいったい何年ぐらいで伝統的になるのだろうか。もうひとつ、いやらしいのは像金町がミカンを異様にプッシュしているところだ。その像金細工を作るのに果実の酸を使ったらしく、像金町には柑橘類が溢れ返っていたらしい。そこで、ミカンを御輿に町おこしをするつもりらしい。ここで、はっきりと断っておくが東京都江戸川区像金町ではミカンは今も昔もろくに収穫なんぞされていない。全部、他の地方から運んできたものだ。さらに駅前に行くと噴水にマーライオンがいる。シンガポールと姉妹都市だというわけでもないのにマーライオンが不眠不休で水を吐いている。この中途半端な町で寝起きをしていると、やはり中途半端な人間が育つのだろう。区立像金中学校の教師はほとんどがきちんと上下そろいのジャージを着ていた。まだ、スラックスにカッターシャツ、そして上からジャージを羽織って健康サンダルとかなら理解も出来たのに、折り目正しくジャージを着用してくるところがいただけない。とにかく像金町は中途半端な街だ。そんな街に池上少年は住んでいる。
ライトノベルの主人公には女性経験があまりない、高校生の男子が人気のようだ。池上少年はそのことについて若干不満を持っていた。
(主人公に選ばれるのは架空の人物だけで、運悪く現実の世界に生まれてきた人間は脇役にもなれない。)
そう考えるとため息が出る。ため息の内訳はこうだ。池上少年は現在、彼女いない暦と童貞暦を更新中でライトノベルの主人公になるにはうってつけの境遇なのだが、生まれた環境が悪かった。富○見書房でも○撃でもなく現実の世界に生まれてきてしまったのだ。これではいくら努力をしても幼馴染の美少女はおろか、超能力者や天才すら身の回りにいない池上少年としては「突破口」が見出せない。この「突破口」とは賢明な読者ならお気づきだろうが日常から非日常への突破口のことだ。結局、そんな恵まれない池上少年を現実から引き離してくれるものといえば、長らくはまっているスマホのゲームぐらいなものだ。
「やあ、ジェット」
スマートホンのカメラを通して、像金町の景色が写る。そして、ディスプレイの町の景色に扇風機を模したキャラクターが浮遊している。ジェットと呼ばれたそのキャラクターは町の中にいるわけではない。厳密に言うとスマートホンの中にいるわけでもない。スマートホンによって可視化された重なり合うもうひとつの世界の住人だ。そのもうひとつの重なり合う世界をAR空間と呼ぶらしく、ジェットは池上少年のペットのようなものであり、また分身のようなものであった。このゲームのタイトルは「ボクセルバトル」。スマートホンに興味がある人間なら誰でも一度は聴いたことがあるタイトルだ。
ジェット:対戦ヲ申シ込マレタヨ
池上少年はふんと鼻を鳴らした。非モテ、童貞、学業は人並み以下、運動神経は抜群にお粗末で、帰宅部のエースである池上少年であるが、そんな彼にも取り柄(?)が全くないわけではないのだ。育成対戦ゲーム「ボクセルバトル」ではプレイヤーの分身である「VOC」のレベルは50レベルが上限と決まっている。池上少年はそのゲームにおいてまさにレベル50なのだ。レベル50のプレイヤーともなると、そう多くはない。池上少年は東京都江戸川区内の有力なプレイヤーはあらかた記憶している。今、目の前でスマホをいじっている社会人風の男は池上少年の記憶にはない、したがって、目の前の男は十中八九池上少年より弱いことになる。対戦が始まると社会人風の男は苦虫を噛み潰したような顔になった。池上少年のVOCが最高レベルであることに気づいてしまったのだ。
「ジェット、突風だ。」
音声認識にもタッチ入力にも対応しているこのゲームをわざわざ声でやるのは池上少年のこだわりのひとつだった。多分、こういうところが彼女いない暦=年齢を実現させたのだろう。社会人風の男はそそくさと消えた。本来ならすれ違って対戦になると、そこに会話ぐらいは生まれそうなものだが、池上少年の発するオーラがそれを妨げている。ちなみに池上少年は社会人の逃げた理由を「自分が強かったから」だと分析している。
「またつまらぬものを斬ってしまった・・・」
要は池上少年はそういう人間だということだ。
#次は像金ぇ~
JR総武線の像金駅は亀戸の次の駅で「かたがね」と読む。像金町と書く場合は必ず「ぞうきんちょう」と読むくせに、像金とだけ書くときは「かたがね」と読ませる時がある。江戸川区立 像金中学校とかがそうである。池上少年はここ像金駅周辺では最強プレイヤーだと自負している。
「ジェット:対戦ヲ申シ込マレタヨ」
いや、風圧系VOCを使うプレイヤーでは最強のプレイヤーということだ。目の前でこちらをチラチラと見ているプレイヤーは炎熱系のレベル50VOCを操る「ぁゅ」こと「天鮎」と呼ばれているプレイヤーだ。茶髪でだらしない格好をしているが主婦だという噂だ。ぶっちゃけ時間さえかければレベル50になれてしまうこのゲームにおいて最強のプレイヤー層である。親のすねをかじってスマホでゲームをしまくる池上少年と旦那の稼ぎで日夜ぐうたらしている主婦のプライドを掛けた戦いだ。
「ジェット、突風だ。」
少し説明しておこう。このゲームには戦闘中あまり選択肢がない。ただ、ひたすらにAR技術と対戦育成ゲームが融合して珍しがられただけのゲームだ。以前は一般企業とコラボをしてイベントも盛り沢山だったが、今では珍しさも無くなって、昨年には完全無料化。そしてプレイヤーも激減している。
「ジェット、突風だ!」
そして、同じレベル同士の対戦ともなれば勝敗はほぼ運である。「天鮎」は目を伏せながらも池上少年をチラチラ見ているようだ。
ジェット:乱入者ガ現レタ
「あ」
乱入者と言うのは対戦に後から参入するプレイヤーが居るということだ。池上少年は「像金町最強決戦に横槍を入れるプレイヤーはだれだ」と周りを見回すと、以前、倒したリーマン風の男性だった。
「あ・・・」
池上少年は悟った。あのリーマンが1人では決して勝てない池上少年の「ジェット」だが、姉さんの炎熱系VOC「天ぷら火災」と協力プレイであれば・・・
(天鮎、協力を拒否しろよ!天鮎!てめえ、絶対に・・・)
ジェット:協力対戦ニ移行シマス
「天鮎ぅー!」
池上少年はレベル50炎熱系「天ぷら火災」とレベル33食糧系「モンキーG」に見事に倒されることとなった。
#塾の帰り道
池上少年は塾に通わされている。塾は好きでも嫌いでもなかった。塾にはスマホゲームをやっている人間は少なくなかったが、池上少年がやっている「ボクセルバトル」を未だにやっている奴はほとんど居なかった。発売当初、ARで対戦ゲームをさせるにはスマートホンのスペックがギリギリ過ぎたのだ。またゲームをデザインした人間がゲームの専門家ではなくARの専門家であったこともゲームの寿命を短くした。殆どの人にとって「面白くもなく」「妙に重い」ゲームだったのだ。実は最新のスマートホンで「ボクセルバトル」をプレイすればそれなりに快適なのだが、ぶっちゃけ今は「もっと面白いゲーム」がたくさん揃っている。「技術として面白い」と「ゲームとして面白い」は別の次元のようだ。しかし、池上少年はボクセルバトルを捨てなかった。なぜならレベル50に上がってしまったからだ。
「誰も対戦してねーし」
数年前は塾の行き帰りにも対戦相手はすぐ見つかったのに、今では駅前ぐらいでしか対戦ができない。相手が居ない。そうするうちに家の近くの公園に差し掛かった。この公園を斜めに抜けると家まで近い。
ジェット:対戦ヲ申シ込マレタヨ
「おっ!」
池上少年は小躍りして周りを見回した。遠くとも半径20m以内に対戦相手がいるはずだ。
#敗戦
そこは夜の公園の広場の真ん中。 昼間に小学生が野球をやっている場所だ。
「え」
そこには池上少年しか立っていなかった。
「ジェット・・・突風だ、」
敵のキャラクター名は「魔王」属性も「魔王」。
「おかしいよ!誰も居ないのに!魔王属性なんて無いはずなのに!!」
池上少年は塾の鞄を放り出しスマートホンを両手で握りしめてしきりに周りを見回した。スマートホンの中ではジェットの体力がみるみる減っていく。
「くっそ!」
一年以上前に更新が終わったゲームで、予備情報もサーバーメンテナンスも無く新属性が登場して、今まさに池上少年のVOC「ジェット」は負けようとしている。少年は走った。もし公園の何処かに誰かが隠れていても、そいつから一定距離離れれば勝負は終わる。
「・・・切れない!通信が切れない!!」
もう200メートルは走ったはずなのにジェットはもう瀕死だった。
「汚えぞ!」
池上少年をスマートホンを持って追いかけてくる誰かがいるはずなのに振り返ってもそこには誰も居ない。
ジェット:対戦ニ敗北シマシタ
「なんだよ糞!2連敗とかねえぞ畜生!!」
VOCガ死亡シマシタ。最初カラ始メマスカ?
「は?」
池上少年の「ジェット」は消滅した。
#特別なコード
池上少年は精神に異常をきたしていた。彼のアイデンティティのほぼ全てともいうべき「ジェット」を失ってしまったからだ。対戦ゲームで敗北したのはこれが初めてではない。しかし、「ボクセルバトル」では負けても体力がゼロになるだけで一定時間で全快し、再びゲームはできるのだ。
「・・・・・」
しかし何度立ち上げても、ゲームの画面はあの時のままだ。新しくキャラクターを作り直したらジェットは本当に消えてしまうかもしれない。そう思うと池上少年は画面を見るのも辛い様子だ。
「・・・公園に・・・行ってみよう」
池上少年は公園へと向かった。公園にはうっすらと街灯に照らされた池上少年の鞄が落ちているのが遠目に分かる。あの場所で「魔王」に出会ったのだ。
「・・・・・」
のろのろと鞄を拾い上げる。鞄から筆箱がこぼれている。それも拾い上げる。
「・・・QRコード?」
公園の広場の土の上にQRコードが刻まれていた。まるで、小枝で地面を引っ掻いて落書きをするようにQRコードが掘られていた。
「・・・・・」
自然とスマートホンを取り出す。画面はあの時のままだ。
最初カラ始メマスカ?
ボクセルバトルには特定のQRコードを読み込ませてゲームを始めると特殊な属性のキャラクターが入手できる機能が有る。それによってボクセルバトルは多くの企業とタイアップしてきた。企業の商品やイベントで貰える記念品にQRコードをプリントしたのだ。
「・・・・・」
「最初から始めればジェットは消えるかもしれない」という懸念は無視できるほど希薄になり、少年はスマートホンを指で触った。
QRコードを画面中央に写して下さい
公園の土をスマートホンのカメラが捉えた瞬間
カチリ
と音が鳴って、フラッシュしたのはインカメラだった。
「ボク・・・」
QRコード読み取り画面に撮影されていたのは虚ろな目をした自分の顔だった。
ジェット:対戦相手ヲ探シマショウ
#レベル51
「風圧系・・・レベル・・・51・・・」
ネットゲームの世界などではそれ以上上げることが出来ないレベルの上限を「レベルキャップ」という。ジェットはレベルキャップが外れたのだ。
「・・・アップデートが・・・きてたってことか。」
池上少年は納得したような顔をして鞄を抱えると再び家路を急いだ。そういえばさっき一度家に帰っていた気がするが、あまりに錯乱してよく覚えていない。
「あ・・・」
家の玄関の前に鞄を置くと池上少年は走りだした。公園の広場の真ん中へ再びやってくる。地面を見るとQRコードはなかった。
「この辺だったはずなのに」
しかし、少年はそう口にしながら自分の記憶を疑っていた。QRコードも何もかも夢か目の錯覚だったのではないかとそう考え始めていた。
ジェット:対戦デキル相手ガイルヨ
「え?」
辺りに人は居ない。しかし、対戦を申し込んでみる。
「え・・・落ち葉?」
対戦相手としてスマートホンが捉えていたのは目の前に落ちている落ち葉だった。
「ジェット、突風だ」
ジェット:失敗シマシタ
「ジェット・・・突風だ」
ジェット:失敗シマシタ
「ジェット!突風だあ!!」
無風だった夜の公園に穏やかな風が吹いた。落ち葉がかさこそと吹かれて動く。
ジェット:対戦ニ勝利シマシタ
そして、公園はまた無風になった。
#ARに棲む魔
そのリーマンは池上少年が紙飛行機を折る様子を横からぼうっと覗いていた。
「池上さんはこの先どこ目指すんですか。」
池上さんと呼ばれた少年は紙飛行機を飛ばす。
「狭山さんこそどうするんですか?」
狭山と呼ばれたリーマンは駄菓子を取り出すと食べ始めた。
「どうなんでしょうね。どうするんでしょうね。」
池上少年が投げた紙飛行機は室内を回って飛んでいる。
「これどれぐらい続けるとレベルあがるんですか?」
紙飛行機を眺めながら狭山は駄菓子をスマートホンから取り出した。
「20分ぐらい?狭山さんは?」
狭山はペットボトルのお茶を飲みながら「ふう」とため息をつく。
「20本です。」
きっかり紙飛行機が20分飛び続けた頃、池上のスマートホンからレベルアップ音が聞こえた。
ジェット:レベルアップシマシタ
最近は他所で中編ばかり書いていたのですが、「小説家になろう」に作品を投稿するにあたって「やっぱり短編を書こう」と考えました。しかし、いざ短編を書くにあたって「ネタがない」とありきたりな壁にぶち当たったわけですが、幸いお蔵入りになりかけているオリジナルの世界観がちょいちょいあります。「ARに棲む魔」もその一つです。いわゆる能力系ですが、何だか少し頑張れば手が届きそうな世界の不気味さを感じ取っていただければ幸いです。