翼の少年と復讐のお話
これは、昨日のおはなし?
いいえ。
ずっとずっと、明日のおはなし。
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異変とは、常に突然やってくる。
当然だ。予測できる異変は異変ではない。それは単なる変化だ。どこかで「予測された『未来』は『現在』だ」などと書かれた本を読んだことがあるが、根本的にはそれと同じだろう。
そして俺は、異変のない平坦な『現在』が嫌いだ。
よって、俺は異変が好き、ということになる。
自分でもそれは認める。ハプニングとかは、自分でも他人でも、起きれば面白い。
そして、そんな俺は今。
自分の背に付いた白い翼を見ながら、嫌な異変ってあるんだなあ、なんて呑気に驚いているのだった。
____いやいやいや、ちっとも呑気じゃねぇよ。今日これから学校じゃん。どうすんだ俺。
いろいろやってみて確信したが、どうやらこの翼、本当に俺から生えているらしい。頬をつねってもぶっ叩いてもどうにもならないあたり、夢でもないらしい。引っ張ってみて激痛が走った時は驚いた。
とりあえず、なんとなしに翼を動かしてみる。すると、紛れもなく現実の、俺の体の一部である小さな翼は、俺の意思に従ってぱたぱたと羽ばたいた。
結局、背中から胸にかけて翼を添わせ、その上から普通に制服を着ることにした。季節が冬なのが幸いして、そんなに目立っていない。
体育の日はサラシでシャツだな、などと考えながら上着を羽織る。翼は肩のあたりから生えているからちょっと痛いが、仕方がない。
普通に朝食を済ませて家を出る。
親も気づいてなかったし、大丈夫大丈夫。
そう自分に言い聞かせつつ、俺は学校への道を急いだ。
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言い忘れていたが、俺は高校生だ。高校一年生。花のシックスティーン。いや、それは女子か。というか誰に話しかけてるんだ俺は。
そうこうしてる間に学校に着く。靴を履き替えて、教室に急ぐ。
教室のドアの前に立ち、ひとつ深呼吸。
____いつも通りに。普段通りに振る舞えばいいんだ。大丈夫、きっと大丈夫____
「……こーくん、何してるの?」
「うわっ!?」
びっくりして飛び上がってしまった。服の下の翼もばさっと跳ね上がる。慌てて翼を元の位置に戻す。
クソッ、誰だよ! ひとが落ち着いてる時にいきなり声なんかかけて来やがって!
心の中で悪態をつきながら、俺は声の主に怒りの目を向けようと、
「こ、こーくん……?」
「…………な、なんだ。お前か。いきなり声かけんなよな、びっくりするから」
…………したけど中止。というか、無理。俺がこいつに怒りの目とか向けるときは、天地がひっくり返る時くらいだ。多分。
声の主は、俺の幼馴染だった。
女子と話すのはそんなに苦じゃないけど、こいつほど仲のいい女子は、俺にはまずいない。
いや、仲がいいっていうより、もうこれは心の距離が近いっていうか、なんていうか……って、何を考えてるんだ俺は。恥ずかしい。
「こーくん、なんか今、体が大きくなったみたいだったけど……」
やべ、バレる。
「な、何言ってんだよレイ! 変なものでも食ったんじゃねえのか? ……と、とにかく教室入ろうぜ。邪魔んなるからさ、な?」
「……見間違い? そっか、そうだよねー。ごめんごめん、なんかまだ目が覚めてないみたい」
あはは、と笑いながら、幼馴染は教室に入る。俺もそれに続く。いつも通りを装ってはいるが、内心ホッとしていた。あぶねえあぶねえ。いきなりバレるかと思った。
____でも、こっからが本番だよなあ。
不安は募るばかりだ。この先どうなるんだろうか。
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あれから早一ヶ月。
翼はどんどん成長していって、最初は焦った。だけど、ある程度大きさが調整できることに気づいたから、途中からは大して問題でもなくなった。
それにしても。
みんなが鈍感なのか、俺が自意識過剰なのか。
案外バレないものだ、というのが正直な感想だ。
最初はびくびくしながら過ごしてたけど、最近はごく普通に、それこそ、翼がなかった時くらいリラックスして過ごせる。『異変が収まってまた退屈になった』なんてたまに考えるあたりどうなんだ、と自分でも呆れたりする。
ただ、全部が全部今までと同じって訳じゃないらしい。
最近、運動がものすごくできるようになった、らしい。幼馴染、レイがそう言っていた。自分では全く自覚がないから困ったものだ。この前も、授業でサッカーをやっていてシュートを撃ったら、相手のキーパーごとゴールしてびっくりした。それで変な目で見られるようになったから、それ以降は加減するようにしている。おかげで今では、ある程度は周囲の目も落ち着いている。
____これも、翼のせいなのかな。
考えてみたところで始まらない。
明日は早いんだ。それに、万全の状態で臨みたい。大事な用だし。
そうして俺は、いつも通りに眠った。
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____思えば、甘かったんだろう。
必ずいつかはボロが出る。そうでなくても、あいつにはどのみち明かさなくちゃいけない。
それは、分かっていたはずなのに____
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翌日。週末、休日である。
俺は公園にいた。これから、レイと二人で街に行く。
別にこのくらいはいつものことで、何となしに俺から声をかけたんだが。
「ごめん、こーくん! ま、待った?」
「お前が遅れんのはいつものことだろ。今さら気にすんなよ」
「もしかして、慰めてくれてるの?」
「いいや、その逆」
「む!? むぅーっ!」
これもいつものやりとり。
だが、今回は別の目的もある。一世一代の大勝負という奴か。
____それ考えると緊張してきたな。ヤバい。落ち着け、俺。
「じゃ、じゃあ、行こうぜ」
「? こーくん、顔赤いよ?」
「え? いやいや気のせいだろ! ……と、とにかく行こうぜ! 今日は色々おごってやるよ」
「ほんと!? わぁい、やったぁ!」
なんとかとりなした。あぶねえ。ここでバレたら一巻の終わりだ。それこそ、翼と同じくらいに。
そして俺たちは、賑わう街に飛び出して行った。
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その日の夕暮れ。
日も傾いて、建物が鮮やかなオレンジに染まっていく。
俺たちは、その街で一番高い電波塔の、展望スペースに立っていた。
いつも街に出るときは来ない場所だ。街の喧騒とは真反対の静寂が、夕暮れの街の美しさを一層引き立てる。普段こういうのには全く興味がわかない俺でも、綺麗だと思うほどに。
「綺麗だね……」
「ああ、凄いな」
しばらくの間、その景色に魅入る。
所々のビルのガラスが日光を反射して、きらきらと輝いている。
「……ありがとう、こーくん。こーくんに誘ってもらわなかったら、こんな景色見られなかった」
隣に立つレイが、独り言のようにつぶやいた。
俺はそこではっと我に返った。これって、すごくいい雰囲気なんじゃないか……?
ごくり、と生唾を飲み込む。鼓動が高まっていく。
今がチャンスか…………!
俺はレイの方に向き直る。これを逃したら、多分もう言おうとは思わないだろう。だから今、言う。
「な、なあ、レイ!」
「……? どうしたの?」
「実は俺、お前に言いたいことがあって……!」
「えっ…………!?」
レイの頬が赤らむ。
気付いたか。なら、もう迷わない!
「俺は……俺はお前のことが、好____」
ドオンッ!
「「……えっ!?」」
突然、轟音が響いた。電波塔全体が大きく震え、俺たち二人もよろける。
『爆発だぁっ! 』
『崩れるぞ!』
『外に逃げろ! ここにいたら巻き込まれる!』
「な、なんだって……!?」
当時の俺は知り得ないことだが、この時下の階で、電子回路がショートして爆発が起きていたらしい。その後の警察の調べによれば、元々古いこの電波塔は、整備の杜撰さとあいまって、倒壊寸前だったようだ。けど、たとえそれを知っていたところで、俺にはどうでもいいことだっただろう。
「くそっ……! なんで、なんでこんな時に!」
もう少し、もう少しで言えたのに……!
俺は、神を恨んだ。神なんて信じないタチだが、この時、俺は心底神を恨んでいた。
「こ、こーくん!」
レイの声で、俺は意識を引き戻される。そうだ、今はここから逃げないと。
「ここから出るぞ!」
「う、うん!」
離れないように、ぎゅっと手を繋ぐ。俺たちは全力で走った。エレベーターじゃ遅すぎる。それに、止まっているかもしれない。となれば、目指す先は階段だ。
現状で最善と思われる判断を下し、階段に向かって走る。しかし、運命は____神は、やはり非情だった。
「……嘘、だろ……」
「……そんな……」
階段は、なかった。
爆発がよほど近かったんだろう。階段があったはずのところには、ぽっかりと大穴が空いていた。
「こーくん……私たち……もう……」
レイは大粒の涙をぼろぼろと零している。その目には、死への恐怖がありありと感じられた。
「諦めんな! 俺が絶対助けてやるから!」
しかし、俺の頭の中には何も浮かんでは来なかった。考えても考えても、何も出てこない。このまま二人で死ぬのか、と、そう考えたその時。
忘れかけていた、最後にして、最高の策が脳裏をよぎった。
しかしそれは同時に、俺にとっては最悪の策でもある____という考えを、頭を振って打ち消す。
今、そんな事を気にするやつは馬鹿だ。大事な人が、レイが、目の前で助けを求めてるんだぞ。
心を決め、俺はレイを抱きかかえた。
所謂お姫様抱っこ。しかしこの時、俺の心は驚くほど静かだった。
「……え!? ちょ、こ、こーくん!?」
少しして状況に気づいたレイが、顔を真っ赤にしてわたわたと手を振る。それに対して、俺はただ、優しく答えた。
「レイ。絶対……絶対、俺が助けてやるから」
言い終わると、俺は背中に力を込め。
翼を、解き放った。
服がびりびりという音をたてて引き裂かれる。次いで、純白の翼がその姿を現した。
俺には見えないが、見えなくてもわかる。今の俺の翼は、俺自身を優に超える大きさまで成長している。
「……こー、く、ん……」
レイは目を見開いている。信じられない、と言った表情だ。これが正しい反応なんだろうな、と勝手に納得して、短く言った。
「ごめんな、隠してて」
同時に、大きくはばたく。次いで、思い切り床を蹴って、全面ガラス張りの壁に突進する。翼を使うのは初めてだが、なぜだか、飛べるという確信があった。
レイを守るようにして、展望台のガラスをぶち破る。同時に翼を広げ、風を受ける。一瞬の浮遊感の後、予想通り、俺たちは空を飛んでいた。
ここで俺は、レイと目を合わせた。
「絶対助けるって言ったろ?」
先ほど見たときの表情のまましばらく固まっていたが、やがて小さく笑った。それを見て、俺も笑う。しばらくして、もう一度、俺の口があの言葉を紡ぐ。
「レイ。俺……お前のことが、ずっと好きだったんだ」
「……こーくん……」
レイはまた、頬を赤く染めた。
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翼を細かく動かして、ゆっくりと下降する。
着地する直前に一度強めに羽ばたいて、俺たちは地面に降り立った。
「ありがと、こーくん」
「ああ」
俺はレイを腕から降ろす。
その直後だった。
物凄い勢いで飛んできた小石が、レイの額に直撃した。力なく崩れていくレイを、俺は愕然とした表情で見ていた。見ていることしか、出来なかった。
小石が投げられた方を見ると、若い男が立っていた。ガタガタと歯を鳴らし、やおら叫びを上げる。
「あ、あの化け物! 女の子を殴りやがったぞ!」
化け物、というのが自分を指していることに気づいたのは、別の方向から石が飛んで来たときだった。
『その子から離れろ!』
『どっか行け、この化け物!』
『死ね!』
『消えろ!』
まるで最初の一言が合図だったかのように、大量の石と罵詈雑言とが一斉に飛んで来た。
投げつけられる石からレイを守りながら、俺は必死に叫ぶ。
「ちがっ……! 違う! 俺じゃない!」
だが、彼らが”化け物”と形容するモノの言葉が、彼らに届くはずもなかった。
結局、俺は逃げた。
レイを、守るべき人を、置いて。
だが、レイは俺といない方が幸せだ。きっと。一緒にいれば、きっといつか殺されるだろうから。
これでいいのだ。これで。
そう自分に言い聞かせて、逃げ続けた。
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それから数ヶ月間の話をしよう。
”化け物”になった俺には、もう、居場所はどこにもなかった。
次に登校した時には、俺の席が消えていた。
いじめ、ではなかった。”化け物”を擁する学校というレッテルを貼られるのを恐れた教師たちが、生徒に指示させたのだそうだ。それを聞いて以来、学校には行かなくなった。
その後、家には毎日のように窓から石が投げ込まれるようになった。最初は気丈に振舞っていた母親も、しまいには精神を病んで自殺。程なくして、父親も蒸発した。物心がついたばかりだった妹は、親戚に引き取られた。
俺は、一人になった。
それでよかった。いいと思った。
だが、胸のなかで燻る感情は消えなかった。消せなかったと言ってもいい。
なぜ、俺がこんな目にあわなければならない。
俺が何かしたか? 人でも殺したか?
違う。
人殺しはお前たちだ。
母さんを殺したのは、お前たちだ。
あの時レイを傷つけたのも、お前たちだ。
お前たち、人間だ。
「……許さねえ」
真夜中。
窓が砕け、吹きさらしの自室で俺は独りごちた。
感情の昂りが、身体に力をみなぎらせる。全身に、燃えさかる炎のような、エネルギーの循環を感じる。
俺は立ち上がり、割れた窓の桟に手をかける。めりっ、という音を立て、ステンレスの桟が歪む。
そう。絶対に、許さない。許すものか。
「復讐、だ。俺の、俺たちの」
愚かなニンゲンめ。
自分たちが何をしたのか、思い知らせてやる。
そして少年は、一度大きく羽ばたくとともに、真冬の空へと飛び立った。
続きは、あなた次第。