凄愴1
……どうしたのだろうか。
ふわふわとしているかと思えば、視界がはっきりしていたり暗闇だったり。
次に目が覚めて気がついたときには、見覚えのある教会の、奥に位置する客間にいた。
「―――……気がついたかい?……大丈夫?熱は下がったみたいだけど……」
渡された体温計を受け取る。額に触れる神父の少し冷たい手が、気持ちよかった。
ここは、身内や宿の無い人たちにと開放されているところで、簡易ベッドとユニットバスがある小さな部屋だ。
「……すみません。迷惑……かけて」
「本当よね?」
神父の後ろから、腰に手を当てて立っているフロムローズが答えてくる。
「ほらほら、レディ。相手は病人だから」
神父は苦笑いをしながら、プー、と膨れるフロムローズを部屋から出した。
「……彼女が、全くここから動いてくれなくてね。風邪が移るよと何度も言っても聞いてくれなかったから、もしかしたら菌が移っているかもしれない」
「構いませんよ。彼女も多分そのつもりでしょうから。フロムローズが寝込んだら俺が看病します。……三倍返しで」
「ははは……。そうだね。そうでもしないと彼女は許してくれないだろうし」
「ところで、俺はどれだけ寝込んでいたのでしょうか?」
「今日で十日目。……日付が変わる前から倒れていたとしたら十一日目だね」
第一発見者の神父は、朝になり向かった礼拝堂に人が倒れているクレスラスに気付き、懇意にしている医者に来て貰い、解熱剤を投与し続けていたのだという。
神父はクレスラスから渡された体温計の目盛りを見て、ようやく安心する。昨日まで四十度近くを停滞していて、製氷が間に合わなくなったほどだった。
「まだ起き上がらないように。水が飲みたいときは反対側のサイドボードにあるから。洗面所もそこの扉から行くことができる。決して私の後ろの扉を開けてはいけない」
「……?」
フロムローズが出て行った扉なのに、なぜだろうと神父を見ると、彼は、
「君が元気になったらいいよ。それまでのお楽しみだ」
クレスラスへ微笑んだ。そして、それまでの表情を変え、
「君に、残念な報告が一件。君も記憶に新しいだろう。町長の一人娘、ダリア嬢が惨殺されたそうだ……」
「ダリア嬢が……?」
「大変な噂で持ちきりだよ。クレスラスに一人で会いに行ったから、ライバルたちに殺されたんだってね……」
「バカな……!そんなことで……っ」
「彼女たちにとっては、そんなことだよ。まあ、狂犬でもいたんじゃないかってことで、町長自らが自警団を指導して捜査にあたっている」
困惑したクレスラスに、まだゆっくり休むようにと布団を首元までかけて、出て行く。
「神父様!」
振り向いた神父に、
「ありがとうございます。フロムローズを……お願いします」
「……もちろんですよ」
神父は微笑んで扉を閉めて行った。
通路に出ると、長机が壁に寄せて置いてあり、その上には溢れんばかりの花や果物、菓子の詰め合わせが犇めき合っていた。
どこからかクレスラスが倒れたという噂が駆け抜け、貴族たちはもちろん、町の女性や塾の生徒たちが教会に押し寄せ、自宅を教えろと恐喝まがいまで起こったが、噂の本人はここで療養中だと打ち明けると、彼女たちはおのおのが持ってきた見舞い品を神父に預けおとなしく帰って行った。
残された神父はというと、小屋から年に一度くらいにしか使わない長机を持ってきて陳列し、生ものは冷蔵庫に入れ、今に至る。
クレスラスは人の感情にとても敏感だ。
特に異性の、恋に恋をしている状態のときは、傍に近寄ることすらしない。さらに言うなれば、自分と同じ年頃の女性にだけは分かりやすいほどに距離を置く。その差は歴然としていた。
いつだったか、自分は聖職者なので家族を持てないのだと話すと、彼は自分も聖職者になりたいとまで言っていた。何かから逃げるように、彼は神にのみ愛されることを強く望んだ。
落ちそうになっていた果物を再び机に盛ると、礼拝堂に向かう。
ふと見上げると、廊下の壁から銀色のテールが見えていた。
「レディも休んだ方がいいですよ」
「……ばれていたの?」
姿を現してわざとらしく舌を出したフロムローズに苦笑して、神父は、彼女の香りのよい頭を、ぽんぽんと叩いた。
「看病でほとんど寝ていないのでしょう?目の下の隈は一朝一夕では消えませんよ?」
「……分かったわ。クレスがいないのも嫌だけど、ますます過保護になっちゃうのも嫌だもの」
「さあ、ミルクティを入れますので、その後ゆっくり休んでください」
神父も過保護だと呟く。神父は微笑み、フロムローズが上げた手を取ると、ダイニングへエスコートした。
「どうして、私をここへ呼んだの?」
香りよいティンブラのミルクティは、頂き物のチョコレートによく合った。濃い目に作られたストレートティならば苦いと思うが、ミルクを入れて煮立たせるとなぜか甘くなる。
いつもなら砂糖をたくさん入れるのに、このときはティースプーン一杯で済んだ。
「クレスラスがあなたを呼んだからです」
お茶を口に含んでは、これまた頂き物のクッキーを頬張っている神父が笑った。
「嘘。危ないって言っていたじゃない」
信じられないと、彼女は翡翠の瞳で神父を凝視する。
「……私がクレスラスを見つけたとき、まだかろうじて意識がある状態でした。そのとき彼は息もまともにつけない中で、君をここへ連れてきて欲しいと言ったんです。自分がいなくなったら、必ず泣いてしまうからと……ね。私はクレスラスの言うとおりにしたまで。それだけです」
ポットからお茶を継ぎ足すと、口へ運ぶ。嚥下してからフロムローズを見ると、彼女は泣いていた。
「……クレスはずるい……。結局私はクレスに何も返すことができないでいるわ……」
「世話になっていることについて?」
神父の優しい口調に、彼女は頷く。
「クレスが優しすぎるから……私は図に乗ってたくさんの嘘をつく……」
「……」
無言の神父に何か気づいたように、突然フロムローズは手振り身振りで神父に乞うた。
「神父様忘れてください!……私、クレスが安心して休めるようにいい子でいるから……」
「……」
少女にタオルを差し出し、神父はもちろんだと、涙を拭く彼女の頭を撫でた。