邂逅8
あの日、月夜に見えたものはフロムローズだけだった。だが、新聞では母親と娘らしき死体があったという。
フロムローズの服にあった血液は母親のものだろう。彼女が痛がることは無かったし、実際傷もなかった。
気になるのは、それだけではない。ダラス侯爵が、干からびるようにして死んでいたことだ。彼は邸の寝台の上で死んでいたという。
何かが起こった……。
いくら考えても、これ以上は見えてこない気がして、泣き疲れて眠ってしまったフロムローズを、部屋へと運んだ。
あの日以来、なぜだろうか、誰かに見張られているような気がする。
フロムローズを狙っているのだろうか。ダラス侯爵家を本当に根絶やしにするつもりなのか……。ともかく、まだ幼い少女をこのままにしてはおけず、一度食器を片付けに戻ると、フロムローズの机で塾の問題を作ることにした。
どのくらいの時間がたったのだろう。
フロムローズは、ふと目を覚ました。
目だけを動かして、どのくらい眠ってしまったのか考えた。時計を見ようとすれば、自分の机に誰かの姿がある。
むくっと起き上がると、それは、机に伏せっているクレスラスだった。
「クレス?」
音を立てないようにして近づくと、規則正しい寝息が聞こえる。
思わず顔を笑わせると、机の上に途中にされた問題プリントの一枚をフロムローズは手に取った。
「ドがつくくらいの几帳面……」
綺麗な字体で書かれた問題は、まるでパソコンで打ったかのように乱れなく並んでいる。
どこまでこの男は女性に愛される要素を持っているのだろう。
クレスラスからは、女性のにおいが一切しない。彼と出会って数週間経つが、会話にも一度も出てこない。
気が向いたときに赴く、教会の教壇裏に隠れていたときも、女性から逃げるようにしていた。あくまでも、誰にも気づかれないようにだが。
「……同性愛者……?」
その割には男の影も無い。すべてが謎だらけだ。
「秘密だらけなんて……ずるいわ……」
「……君が、聴かないからだと思うけど」
「!」
突然聞こえた声に、フロムローズはどきりとした。別に悪いことをしたわけでもないのに、心臓が漠々(ばくばく)いっている。
「……いつから……」
「……几帳面辺り」
顔を上げて、フロムローズを見上げてくる。椅子に座っていると彼はフロムローズより少し低くなった。
「最初から起きていたの?」
「……気配にはなるべく気を使っているんだ。抜き足で来られても同じことだよ」
クレスラスは意地悪そうにニヤリと笑う。
そんな姿も、初めて見る。
「俺の過去なんて、君以上に興味が湧くものではないし。それに、言ったからといって君にどうこうできるものでもない……。君もそうじゃないの?」
「……」
「俺は、フロムローズ・スピリット・M・ダラスという少女が、なぜ悲壮な事件に巻き込まれたのかを知りたい」
少し顔が強張る。間違いなく、この子がダラス侯爵家の一人娘だ。
「知っていたの?……いつから」
「……つい数日前。新聞を読んでいてなんとなく……。君と会ったあの夜、事件が起こったんだろう?」
隠すことも無くすらすらと事実を述べるクレスラスに、フロムローズは無意識にため息をついた。
―――こんなに早く知られてしまうなんて……。
そう思うと、知らずに涙がこぼれていた。
「私のこと、調べたのは……追い出すつもりで……?」
やはり、クレスラスもダッドたちと一緒なのだと、世界が暗転する。
「調べようにも証拠は何も無いし。君の家はすでに壊されている。死体も処分されただろうね……。だけど、君をココから出すわけにはいかないと思っているよ」
「……え……?」
顔を上げたフロムローズの涙を指で拭うと、クレスラスは、慎重な面持ちで彼女の頬に触れた。
「君は、狙われている……。なぜ、そうなってしまったのか、真実を話して欲しいんだ……」
少しでも、心を軽くしたい……。
「……何も、無いわよ……」
「君が、唯一の事件関係者だろ?」
「いい加減にして!」
少女の悲鳴にも似た叫びに、クレスラスは、その先を続けることが出来なかった。
翡翠の目には、見慣れてしまった涙が溢れている。
「……クレスは酷いわ……。私は何も知らないのに……。無我夢中で屋敷から逃げて、気がついたらクレスが助けてくれていたの……。それだけよ……。私は、何もわからない……っ!」
ベッドに飛び込むと、布団を頭からかぶり、出てこなくなった。
「……」
それ以上言うことが出来なくなって、クレスラスは静かに部屋を出る。
また泣かせてしまったことに、胸が痛むが、間違いなく彼女は関係者だと確認することが出来た。
しばらくは話を聴くことが出来なくなってしまったことが少々残念だが、彼女の傷を更に深くしてしまったことには代わりは無い。これからどうしようかとため息をついた。
ふと顔を上げたその先に、仄かな輝きが見える。
「……」
フロムローズの部屋まで戻って、扉を開けずに、
「フロムローズ、外出してくる。施錠して行くから、勝手に外に出ないように」
それだけ中に聞こえるように叫ぶと、ばたばたと階段を下りた。
薄暗い部屋の中、ぐずついていたフロムローズは、バタンと遠い音がしたのを確認すると、布団からもそもそと這い出て窓の外を覗いた。
駆けて行く背中を確認すると、部屋の電気を点け、扉の横についている全身鏡の前に立ち、自分の姿をまじまじと見る。
雪が輝いているような髪。翡翠を埋め込んだかのような瞳。ほんのり色づいた白い肌。クレスラスと神父が隣町にまで行って買ってきてくれた、ピンクのイブニングドレス。
手を伸ばすと、鏡の手に触れた。
すべてが血に染められている……。自分は、その血からは逃れられないような気がした。
少女は、姿も見えぬ恐怖から必死に逃げていた。どんなに細い路地に入っても離れず追いかけられている。
「……いやっ……やめっ!」
少女は袋小路に追い込まれ、断末魔の叫びをあげた……。
クレスラスは、息を荒くして教会の裏口を開けた。
今日は約束をしていなかったので、礼拝堂は真っ暗だ。ただ、月明かりによってステンドガラスの明るい影が出来ていて幻想的な世界ができている。
息を整えながら、祭壇中央へと歩いていく。並んでいる椅子に腰掛けた。
蝋燭をわざわざ点けるようなことはせず、ゆっくりと目を閉じ、深呼吸を繰り返す。
フロムローズとの諍いに尖っていた神経は、さざ波に身を任せて少しずつ少しずつ消されていく。
「……出会い……悲劇……解放……」
あの日から、これ以外の言葉が見えてこない。つまり、まだ出会いもしていないことだ。
フロムローズとの出会いが出会いでないとするならば、いったい……。
その後に待ち構える悲劇が気になって、どうしてもフロムローズの身に何かがあると勘繰ってしまい彼女にきつい言葉を与えてしまう。そうしても、何の解決にもならないというのに……。
「俺は……嫌でも繰り返してしまうのか……」
指を組んで足の上に肘を立てる。額に当てた指が少し冷たくて気持ちよかった。
「……俺は、何も成長できていない……」
「そうだな……」
「―――……!」
突然聞こえた心地のいいバリトンに、クレスラスは顔を上げた。ココには自分しかいないはずだ。入ってすぐに内側から鍵をかけた。
カツン、と後ろから足音が聞こえる。
なぜか、怖い予感がした。だが興味もある。怖いもの見たさというやつだ。それは、クレスラスの中で初めてのことだった。
ゆっくりと振り返ると、ステンドガラスのスポットライトの中に、佇んでいる一人の男性。
背まである、きらきらと輝く美しい髪。広い肩幅。スーツが似合う長い足。
髪に隠れている顔を見てみたくて、クレスラスは立ち上がると、彼に向き合った。
「……」
「……やはり、現物のほうがいいな……」
「……?」
男は、自分のことを知っているようだ。
「……クレスラス=ハイドロヂェン。考えていたものより、綺麗な顔立ちをしていたんだな……」
そう言いながら、近づいてくる。
何故だか分からないが、……寒い。
「逃げるか……?」
「……?」
片足をさげたからか、男はますます近づいてくる。
「……お前のことを、ビデオで見たぞ……。それは、本物か……?」
「―――……!」
この男は、自分を追ってきた?
「……っ!」
自分のことを知っている。そのことが、普段のクレスラスには無い慌てぶりをみせた。男の口元は笑っているふうだ。
―――危ない。
―――ココは危険だ。
―――彼は、自分を捕まえにきた……!
逃げようと壇上へ駆け出そうとするが体は動かない。まるで金縛りにあったように、指先すら動かすことが出来なかった。
「……そんなに怯えるな……。俺は、まだお前をどうこうするつもりは無い……」
信じられるわけがない。
クレスラスの脳裏には、過去に散々甚振られ続けた映像がフレッシュバックしていて、男の言うことなど、まったく入ってこなかった。
「……それほどまでの……過去か」
追いついて正面に立つと、手を差し出し、動けないでいるクレスラスの顎を掴んだ。
自分では動かせないのに、彼は軽い力で上を向かせる。
「……」
「金輪に縁どられた瞳。……罪の色だな。なかなか興味深い能力を持っているようだが……予知だけか?」
息がかかるほどの至近距離で紡ぎだされる美声に、体が震えている。どうしてか、逃れたいのにますます体は動いてくれず、それどころか、歓喜に震えているのだ。
脊髄を駆け抜ける歓喜。身に覚えの無い感情が、溢れてくる。
男はにやりと一笑すると、クレスラスのくちびるに自分のそれを重ねた……。
「―――……!」
男から香る、ライトブルーの香りにごまかされたように、奪われたくちびるは熱く。
驚いているクレスラスを一笑すると、男は離れて行った。
出口に向かう足をいったん止め、振り返ると、
「俺はファウンダー・W・フォーミュラー‐ワン。覚えておけ。また近いうちに逢うことになる」
それだけ言うと、暗闇の中に消えていった。
姿が見えなくなると、がくんと膝が動いて、床に座り込んだ。
触れられたくちびるに指を伸ばしたのは、多分無意識。
朦朧としていて、夢か現か判断がつかない。
これが……“出会い”だと気がついたのは、意識が戻った後だった。