邂逅7
彼女と出会ったあの日は、輝く月が綺麗だった……。
この日も、日課となっている教会へ行く時間になり、クレスラスは蔦に絡まれた門を開け、深夜の教会へと出かけていた。
あまり人と接したくない彼に、いつでも礼拝堂の鍵を開けているからという神父の優しさが嬉しかった。日が落ち、人々の姿が街中から消える頃に、何本か燈してある蝋燭に照らされた神の像に会いに行き、日付が変わる頃まで祈り続ける。神の声が聞こえるまで。
昔から、髪の思し召しのままに生きてきた。
自分が生きているのは、神のご加護があるからだと。
『現代のジャンヌ・ダ・ルク』ともあだ名がつけられるほど、クレスラスの思慕は強いものだった。
教会の裏口から入ると、いつものように壇上の辺りだけ明かりがある。
「神父様。今日も感謝します」
壇上に一番近い位置に座ると、胸に十字を切り十字架を握る。瞳を閉じ、深呼吸。
「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ」こうして、ひかりがあった……」
旧約聖書の前文を、小声で唱えはじめれば、もう何も、微かに聞こえていた風の音すら、耳に入らなくなった。
己の中に入れば、周りはすべて遮断される。絶対的な集中力―――。
そして彼は、御神の聖なる啓示を聴く。
「出会い……悲劇……解放?」
目を開けて、一呼吸置く。
教会の窓がガタガタとなっていた。来たときより風が強くなっている。
「出会い?悲劇、開放。……漠然すぎるな……」
椅子の背もたれに頭を置き、天井を見上げた。いつもなら美しい絵を見せるステンドガラスも、夜はどんよりとしていた。
「何も見えない……か」
先ほどのように目を瞑り、暗闇を作ってみたが、何も見えなかった。腕時計に目を向けると、思っていた以上に時間が過ぎていることに気づく。あまり遅くなると神父に迷惑がかかると、クレスラスは蝋燭を消して暗い教会を後にした。
外に出ると南の空には満月が輝いていて、もう少し見ていたくなった。さっきの件も考えたかったので、遠回りをして帰ることにした。
青白く輝く月は、街灯がまばらにしかない街路以外でも道をしっかりと照らしてくれている。
閉鎖的なこのアキンタウンは、貴族たちの力の象徴を放散させないように、誰も彼もが通れないようになっていた。
イギリス国内で、納税率一位を誇る貴族の町は、あらゆる被害から彼らの生活を護るため、町全体が完全な防犯設備となっているのだ。
そのため、食べ物などは自給自足が多いし、外から入ってくるものに関しては飛行機に乗る以上の検査が行われる。貴族たちは、何かが起こって自分たちの生活が危ぶまれることを何よりも恐れた。
クレスラスがこうして一人夜道を歩いているからと行って、危険なことは無い……はずだった。
道の中央で、倒れている人がいた。淡く美しい銀髪。玉子のように白い肌。そして、地味な色の服には、べっとりと赤いものが付着していた。
「大丈夫ですか?」
これが予言の『出会い』なのかと、自分の目を疑う。
まだ、幼い少女だった。
そっと近寄ると、首筋に指を沿え、脈があることを確認すると一息ついた。眠っているようだ。
さすがにココに一晩置いていては、彼女が風邪を引いてしまうため、からだを揺さぶって起こそうと考えていたが、もし頭を打っていたりするとまずいと思い直し、頬を軽く叩いた。
「ん……」
「気分は悪くないか?」
「マ……ム?」
そっと開けられる双眸は、深い翡翠。月光を受けて淡く輝く宝石のようだった。
「残念だが、マムではないんだ」
「そうか。そうだった……。あなたは?」
「クレスだ。クレスラス。スノーホワイト?」
腕に抱きかかえ立たせると、頭や背についている砂を叩き起こす。着ていた上着を脱ぎ、小さい肩に羽織らせる。
「私はフロムローズ。元貴族の捨てられっ子よ」
「……なら、俺のところに来る?」
腰を落として目線を合わせてくるクレスラスの瞳が、真剣な色をしていた。
なんて、綺麗な人なの!
差し出された手のひらに自分のそれを重ねたのは、独りが嫌だったからなのと、きっと、クレスラスに魅かれたから。
彼は、フロムローズのからだを抱え、本人のものではなさそうな血が服につかないように折り曲げさせた。
「忘れ物とか落し物は無いか?」
少女は首を振ると、もう話したくないのか、クレスラスの首元に頭を置くと、静かになった。微かな寝息が聞こえる。
屋敷に帰ると、リビングのソファに少女を横たえると、浴槽にたっぷりの湯を沸かす。
コートは使い物にならなくなっていたのでゴミ箱行きだ。
先に風呂を使うと、水気を切っただけの髪に、Yシャツとジーパンを着て少女の様子を見に戻った。
彼女はすでに起きていて、からだを起こしてきょろきょろと周りを窺っていた。
「おはよう。スリーピングビューティー」
「そんな綺麗な風に呼ばなくていいわ。フロムローズよ」
女性に何度も名乗らせないで、と睨んだが、丸っこい瞳ではいかんせん力が無い。クレスラスは苦笑を堪えて、
「それは失礼。浴室へ案内するよ」
背に手を添え膝裏にも手を添えると、子ども扱いはして欲しくないと抵抗されたが、
「部屋を汚されたらたまらないからね」
と一蹴し、有無を言わさず抱えて浴槽へと向かった。
脱衣所にタオルとフロムローズが肩から提げていたリュック、着替えを用意し、着ている服は捨てろと、部屋の奥を指差し、それだけ言うとクレスラスは扉を閉めた。指された部屋の隅には、先ほど肩にかけられていたクレスラスのコートが丸めてある。
残されたフロムローズは、血がこびりついた服を脱ぎ落としコートの上に重ねると浴槽に入り、シャワーを捻り出した。
頭からぼろぼろと砂が落ちて、床のタイルを汚していく。充分に髪を湿らせると、備えてあったシャンプーをありがたく使わせてもらうことにする。しっかりと泡立たせて洗い流した。ストレート髪は、すぐに泡が落ちてくれるから好きだ。たまに巻いたりするが、自分のからだの部位で一番好き。
石鹸を泡立たせてからだも念入りに洗った。いまだに鼻につく、鉄さびのにおいを綺麗に落としてしまいたくて……。
クレスラスは夕食のときに作り置きしていたスープを温めなおしていた。
少女のからだは長い間あの場所にあったようで、体温が冷たくなっていたのでしっかり風呂に浸かってくるだろう。
ダイニングのドアが開くくらいに、タイミングよくスープができた。
「ソファに座って」
「……?」
髪はタオルに包んだまま、クレスラスが用意していたYシャツを着て入ってきた。言われるがままに、先ほどまで自分が寝ていた場所に座る。
部屋は全体的にモダン調。自分の家に合ったような煌びやかな家具や調度品は一切無く、静かと感じられる部屋だ。
そこに、クレスラスが盆をもってやってくる。盆の上にはシンプルなスープ。
「お待たせ。芯から温まらないと風邪をひくから。召し上がれ」
コンソメベースの野菜スープ。残念ながら具が玉葱しかなかったため、パセリのみじん切りを浮かべた。
「……いただきます」
スプーンで一掬い。湯気が出ていたので軽く冷ましてから口に運んだ。
「美味しい」
「それはよかった。君の寝床の準備をしてくるから、ゆっくり食べていていいよ」
「ありがとう……」
「どういたしまして」
階段を上がり、春に桜が見える部屋にしようと、二階の奥の部屋に入った。
基本的にこまめに掃除をしているほうなので、ベッドにシーツを張るくらいで済みそうだ。
食べ終えたフロムローズを部屋へ案内して、クレスラスはようやく長い一夜に幕を下ろすことができた。