邂逅4
「今日の授業はここまで。お疲れ様」
「ありがとうございます。クレス先生!」
「気をつけて帰るように」
「は~い!」
子どもたちは、夕食前の空腹を我慢できずに、我先にと帰っていく。
町にある小さな小屋で、クレスラスがこの町の子どもたちに教鞭をとるようになってから半年経った。きっかけは、貴族の子どもたちとは一緒に学びたくないという子どもを持つ親や、商売をしている親から熱心に頼まれたからだ。
子どもたちが全員帰ったことを確認すると施錠し、早足で商店が立ち並ぶ通りへと向かう。今日は週に一度野菜をまとめ買いする日だ。授業をする前に一度立ち寄って買うものを伝えているので後は引き取るだけだが、今日は問題の解説に時間がかかり、少し遅くなってしまった。
案の定、常連の為に八百屋は半分だけシャッターが開けられていた。
クレスラスが近づいたのに気づいた店主は、にっこりと笑い大きな紙袋を奥から持ち出してくる。
「時間外なのに、いつもありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ。クレスラスさんのおかげで、うちの子供たちは貴族の方々と近い学習ができていますので、これくらいお礼させてください」
そう言って八百屋の女主人が渡すのが、青々とした野菜とみずみずしい果物だ。林檎はおまけにしていると小声で。
クレスラスの塾には、もちろんここの子どもたちも通っている。仲のいい姉弟は、昼間は店の手伝いをし、夕方塾に通う。女手ひとつで店を切り盛りする母を支えたいと、二人は文字の読み書き、計算を中心に勉強しているのだ。
先日行った簡単な記述問題にも二人は積極的に取り組み、高得点をマークしていたことを褒めると、店主は嬉しそうに涙を流した。
それを見て、クレスラスは親子の情の深さを感じる。
「……まいったね」
「俺は……勉強していい成績を取ることが、親からの愛情をもらえることでしたので……正直羨ましいです」
過去の映像が現れて、クレスラスは目を伏せた。
「……私はね、自分ひとりだけであの子を育てたわけではないわ。この町みんなに育ててもらっているの。もちろんあなたからもよ」
「―――……!」
「子どもは、ひとりでは成長できないわ。きっと、あなたのご両親は、まだ幼いあなたを過大評価していたんだと思うの……。でなければ、二十歳前にこの町に一人で暮らすことを、許しはしないでしょうし……」
礼を言い、家路を急いだ。きっと、同居人がお腹を空かせて待っているはず。
「過大評価……?そんなこと、あの親が思っていたはずがないだろう?」
メインロードを抜け、路地に入る。教会の横にある石畳を歩いていると、教会の明かりが点されていることに気がついた。
「もう、そんな時季か……。ステンドガラスが綺麗だ。神父様も仰って下されば手伝ったのに……」
ここ最近は忙しくて、ろくにカレンダーも見ていなかった。
窓の向こうでゆらゆらと揺れる蝋燭の火が綺麗で、思わず足を止める。
気がつけば、自分の吐く息は白く。心なしか寒かった。
教会が夜に煌々としているのは、きっと冬の一大イベントに向けてだろう。もうすぐこの町は雪に包まれる。
ぶるっと身震いすると、ジャケットを持っていないことを後悔しながら、走って家に向かった。
その姿を見張られていることに、クレスラスは気づくことはなかった……。
家に着くと案の定、同居人がリビングのソファに膝を抱えて待っていた。
「すまない。遅くなった」
謝ると、燃える暖炉の火によって暗めに見える大きな緑の瞳が、クレスラスを捉えた。
「いいのよ。クレスが人気者で、多忙なのは承知しているわ」
彼女なりの譲歩だろうが、そこには皮肉が混じっている。
「すぐ夕食を作る」
そこは軽くかわし、キッチンに向かうと、
「……手伝うわ」
応戦してやらないとつまらないと言いたげに、整えられた爪先が綺麗な裸足で、カーペットを歩いてくる。
「食糧庫に何も入っていなかったから驚いたわ」
「ああ……そうだね。買出しに行く前日には使い切ってしまうから……」
クレスラスが持っていた果物が入っている袋を取り出し、ダイニングテーブルにあった籠へと入れていく。
その間にクレスラスは先ほど購入したばかりの野菜を数点手に取り、二人分に切り分ける。さっと鍋に湯を沸かし、作り置きしていたブイヤベースを加えた。切り刻んだ野菜と乾燥ベーコンを入れ、溶き卵を流し込み、最後に片栗粉でとろみをつける。
テーブルではフロムローズがバケットを数センチ幅に切り、暖炉で暖めていた金網の上に広げている。ガーリックオイルを上から塗っているため、食欲をそそる匂いが漂った。
「今日のメインディッシュは何?」
焼けたパンを皿に取りテーブルに置いてから、キッチンを覗く。
「チキンの香草焼き」
「クレスって、凝ったものが好きよね?」
「駄目?簡単なものは一通り作って飽きたからね。味付けを変えたら、同じ食材だって見違えるだろう?」
そう言って、最後の仕上げとばかりにチキンの上にオリーブオイルを一かけ。
「それはそうだけど。マムは作ってくれたことなんてなかったわ……。いつもコックのラクシーが作ってくれていて。私は毎日のように、ラクシーの後ろで何ができるかわくわくしながら見ていた……」
急に黙ってしまったフロムローズの方を見る。
「……」
「クレス……。焦げてない?」
「……ああ」
慌てて用意した大皿にバランスよく盛ると、色付けにクレソンを添えた。
それっきりフロムローズは先ほどの話に触れることはなく、静かな食事にありつくことになった。
「フロムローズ。教会でイルミネーションが点っているんだ。行かないか?」
「行かないわ」
いつもはクレスラスが反対しても外出したがるのに、クレスラスが誘っても出ようとはしない。それどころか、まるで怖いものを見るかのように、俯いて震えだすのだ。
ナイフとフォークを置き、席を立つと、正面に座っているフロムローズの傍まで行き、
「無理強いはしない。ゆっくり休んでいるといい」
と、軽く頭をぽんぽんと叩いて席に戻った。
「……ないで……」
「なに?」
ぼそっと呟く声色を聞き取れず、もう一度と聞きなおすと、
「行かないで!独りの夜が怖いの!」
真っ赤な顔で叫んだ。
「……クレスまで居なくなっちゃ……嫌……!」
ガタン、と勢いよく椅子を引くと、クレスラスの胸に飛び込み、声を上げて泣き出した。
「フロム、ローズ?」
「ああっ!マム……っ。マムが……!」
なんとなく事情がつかめてきたクレスラスは、あまりにも小さい背中を放置することはできず、軽いからだを持ち上げて、膝の上に載せ、胸に寄せた。
「たくさん泣いていいよ……。涙が枯れるまで、泣き続ければいい……」
「……!……」
一度緩んだ涙腺は壊れたように、クレスラスの服を濡らしていく。
寂しがり屋の少女が眠りにつくまで、柔らかい銀髪を撫で続けた。
ようやく寝息が聞こえると、フロムローズを抱え、二階にある彼女の部屋へ運ぶ。
彼女をベッドへ入れると、自分の部屋で濡れそぼったシャツを着替えて、食事を再開するために階下へ下りた。
彼女の分を冷蔵庫へ入れ、冷えてしまったバケットを頬張りながら、最近目を通していなかったアキンタウンで配布されている新聞を探し出し、何かなかったか調べる。
「これ……か」
フロムローズと遇った日に、侯爵家が一家全滅したと、大々的に報道してあった。住人すべてが殺されており、犯人の目星はついていないとある。侯爵も干からびるようにして死んでおり、奇怪な事件だと取りざたされていた。
不思議なことに、婦人は屋敷から遠く離れた、駅へと続く石畳の上で、引きずられたような格好で息絶えており、一人娘は近くの川に、顔が分からないようにして死んでいたという。
クレスラスはフロムローズがその一人娘だと確信を持っていた。
ならば、その死体は誰なのだろう……。
「……調べてみるか……」
フロムローズに直接問いただしてみたい気もあったが、これ以上泣かせるのも辛い。
彼女と会えたことは神の思し召しだろうと、クレスラスは自分に言い聞かせて、温めなおしたチキンを口に運んだ。