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天使の涙  作者: 聖 怜夕
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邂逅2

 その屋敷は、町の南方に位置していた。


 天窓から差し込む月明かりに照らされた、二階の部屋。薄暗いベッドの上で本を読んでいたフロムローズは、扉の外から聞こえた激しい音に、ドキリ、とした。


 今日買ってもらったばかりの分厚い本に栞を挟み、天蓋付きのベッドから降りる。その後何の音もしなくなった扉の向こうをじっと見つめ、ゆっくり近づいた。


―――何だろう……。胸騒ぎがする。


 今日は家族三人で外食に出かけ、帰りに本を買ってもらった。いつものように両親の仲は良かったはずだ。家についてからも、にこにこと笑っていた。


「……マム?」


 誰か、女性の悲鳴ともとれる声が、遠くに聞こえる。


 鼓動は次第に大きくなっていき、フロムローズはごくりと唾を飲み込んだ。


 取っ手に手を伸ばすが、震えて、触れることができない。


 また、何か音がする。そして、それはだんだんとこちらへ近づいてきている。


 フロムローズは怖くなって、駆け戻り、まだ暖かいベッドの中に潜り込んだ。頭まで布団を被り、音だけの怪物に見つからないように指を組み、この不安と怖い夜が早くが過ぎ去ってくれることを祈った。


「―――……!」


 この部屋の扉が、少し開いた。


 息を、潜める。


「フローズ……」


「マム?」


 布団の中からそっとそっと顔を出すと、目の前には荒く息をつく母親がいた。


「フローズ、起きて。ここから出るわよ。着替えの準備を」


「どうしたの?マム」


 口を閉ざした母親に首をかしげながらも、何か切羽詰っているような雰囲気がして、フロムローズは急いで布団を押しのけ、ウォークインクローゼットに走った。お気に入りのドレスを手に取ると、


「ドレスはだめよ」


 と、母親がズボンをタンスから出してきた。


「これに着替えなさい。急いで」


 渡されたズボンを穿き、シンプルな長袖シャツを着る。黒のスプリングコートに腕を通し、母が用意してくれた小さなリュックに、数枚の下着とエチケットセット、お小遣いが入っている財布を投げ入れ、準備を終えた。


 母親の方を見ると、天蓋やシーツの端を結び、強度を確認しては窓から垂らしている。長さが地面から少し浮くくらいにまで繋げ終わると、二人は窓枠を飛び降りた。


 フロムローズが地面に足をつけたことを確認すると、母は愛娘の手をしっかり握り、裏門より外に走り出た。


 何かにみられているような気がしたが、痛いほどに引っ張る母の手を振り切る勇気はなく、ただ転ばないように走ることに集中した。








 町の中央手前の、貴族たちのゴシック調の屋敷が立ち並ぶ住宅地へ入ったところで、母は足を止めた。


 建物の陰に腰を下ろし、まるで追っ手から逃げているようだ。


 いったい、何から逃げていたのだろう。


 荒く息をつく母は、先代ダラス候の一人娘だった。そのため、小さい頃よりレディとしての教えしか受けておらず、長い距離を走ることはもちろん、自分の足でここまで来たことも初めてだ。


「フ……フローズ……。大……丈夫?」


 家を出て、初めて話しかけてくれた。


「大丈夫よ。マム。森で動物たちと駆け回っていたから……。そんなに疲れていないわ」


 それよりも、突然夜逃げのようにして出てきて、苦しそうに深呼吸を繰り返す母の方が心配で、リュックの中からハンカチを取り出すと、普段はさらさらとしている母の額にある汗を拭う。


 冬の夜風が、二人の体温を急激に攫っていく。


「フローズ、ありがとう……。よく聴いて。私たちは、もうあの屋敷へは戻れない……。なぜなら、みんな殺されてしまったから……!」


「……みん……な?メイアは?ケットは?ラクシーは?……みんな、みんな?」


 産まれたときから一緒だった侍女のメイア。同い年で一人前の庭師のケット。美味しいご飯を作ってくれる、コックのラクシー。そして……。


「ダッド……は……?」


 置いてきた父のことを問う。すると、母はフロムローズの手を握り締め、厳しい顔をしてゆっくりと、自分にも言い聞かせるように呟いた。


「あの人のことは忘れなさい……。これからは、この町を出て、私たち二人だけで暮らすのよ……」


 侯爵の妻にしては、しっかりと前を見据えているように見える。そういえば、夢見がちで贅沢好きの父とは違って、母は現実思考で質素な生活を好んだ。


 子爵位の父は、ダラス侯爵家の財産目当てに結婚した。その頃すでに名前だけとなってしまった子爵家に、ダラス家の資産は魅力的だった。


 政略結婚後襲爵し、ダラス家の財産がすべて自分の手の内で踊るようになったとたん、妻の存在が疎ましくなったようだ。


 フロムローズの目には仲睦まじい関係に見えていても、実際は最悪に冷え切っていたということだ。


 細々と点された街灯の下を二つの影が歩いていく。もうすぐ、屋敷だけのこの路地も終わりに差し掛かり、後は駅へ続く石畳が伸びるばかりだ。その途中で町の中央にホテルがあったと、昔通ったことのある記憶を思い巡らせながら、親子は暗い夜道を進む。握られた手は、母のコートの中で熱くなっていたが、フロムローズはその熱が失われることを恐れた。


 まだ胸のうちで燻り続けているもやもやを、母に気づかれてはいけない。きっと、気づいたら母は自分を置いて行ってしまう……。そんな気がした。



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