解放1
「がはぁっ……!」
「……?」
苦しみを含んだ声が聞こえて、まだ自分が生きていることに気がついた。
―――……いったい……何が……?
「間に合ったようだな」
「誰だ!」
入口に顔を向けると、そこには、初めて会ったときのようにステンドガラスに彩られた美丈夫が立っていた。窓の外で融けた雪が反射して、いつもより輝きが増している。
「だから、忠告しておいただろう?神父には気をつけろと……」
ワイズは両手をコートのポケットに入れたまま、ゆっくりと二人の方へ歩いてくる。
「お前は誰だ!」
かつて神父だったものは、屈辱と憎悪にまみれていた。
「俺の顔を知らないとは、おめでたい奴だ。……だが」
「私の顔を忘れていたとは言わせないわ!」
ワイズの後ろから現れた銀髪の美女に、化物は異常なまでの反応を示した。
「き、貴様っ!なぜ生きている……!」
クレスラスの上から離れ、二人の前に立った。
「お前が殺したのが、別人だったからに決まっているだろう?」
クレスラスも上体を起こすと、フロムローズに似た美女の姿に驚いた。
「ずっと近くにいたのに、あなたは気づくことができなかったわね。楽しかったわ」
妖艶な笑みを浮かべて女は言う。
「お、のれ……!」
ワイズより前に出た美女が叫んだ。
「クレス!この化け物は、神父と姿を偽ってダディを誑かし、マムを、みんなを殺したの!」
「フロム……ローズ?」
目の前にいる大人の女性がフロムローズだと言われても、雰囲気がまったく違って見えて、頷くことができない。
「マムが殺されて、私は、ワイズのおかげで逃れることができたけど、代わりに、同じような背格好をしていた子が犠牲になってしまった!」
「ダラス一族だけで止めていればよかったものを、お前は他のものまで殺した」
町長の娘のことを言っているのだと分かった。クレスラスが幾度もワイズに確認したかったのはこのことだった。病室で伏せっている間に見た新聞には、ダラス候爵家惨殺事件のときと犯行が似ていたからだ。
冷酷な笑みを浮かべるワイズに、クレスラスは初めて、殺されてしまうような感覚に陥った。
「お前は何者だ!なぜ私の邪魔をする……!」
神父の成れの果てが叫ぶ。
ワイズは一笑し、刹那、姿を消した。
「なにっ!……ぐえっ!」
気がつけば神父の目の前で。ワイズの片腕が、目の前の巨体を貫通していた。
「私の名は、ファウンダー・W・フォーミュラー‐ワン」
「お前が……あの殺、人……きぃ……」
ズボッ、とワイズは腕を引き抜いた。その手には、ドクン、ドクンと動いている心臓。
ワイズはそれを、躊躇うことなく握り潰した。
「……っ!」
勢い良く飛んだ血しぶきが、クレスラスまで飛んできた。
頬に付いたドス黒いそれを、指で拭うと、現実から逃げるように聖書を唱えだす。
何年もかけてようやく信頼するように慣れた神父が、実は醜い化け物で、食べるためにずっと機会を窺っていたのだと、頭は理解しても、思考は追いついてこない。
ワイズは深いため息をつくと、視点が合わず無防備なクレスラスの顔に手を伸ばした。フロムローズも近寄ってくる。
「ワイズ?」
「私の気を注いだとして、ハイドロヂェンは正気を取り戻すか?」
クレスラスの目の奥を覗くと、何も無い深い闇色が拡がっているだけだ。いつもなら鮮やかに輝く金の縁は曇って見えなかった。
「……さあ、どうかしら?」
「そのときはまた考えよう」
ワイズは自らの指を噛み切ると、ジワリと溢れてきた血をクレスラスのくちびるへ寄せた。
ごくんと咽喉が降下したことを確認すると、指を外す。
「……クレス!よかった……」
「フロムローズ?」
心配顔だった美女が、クレスラスの傍に近づきしゃがみこむ。
「気分は、悪くないか?」
顔を上げると、血に濡れた表情のワイズが立っていて。
「ああ、ありがとう」
「……礼なら、こいつに言え。こいつが、神父が怪しいと睨んでいたんだからな」
「フロ……。本当に、フロムローズ?」
「そうよ、クレス。私、フロムローズよ。ダディたちを殺した犯人を見つけるために、ワイズの秘術によってからだを偽っていたの」
結果ずっと騙し続けていたことを謝られたが、クレスラスの中ではまだそこまで考えることができなかった。
「レディ・ローズ、場所を変えるぞ。嫌な血のにおいが充満する。ここの片付けは自警団に任せればいいだろう」
「そうね。クレス、行きましょう」