凄愴8
途中で馬車を拾い、教会へと言いかけて、教会の裏に回るように付け足した。
なるべく人の目に付かないようにと、隠れるようにして馬車を降りる。
教会に行く気にはなれず、小道を歩いて邸まで戻った。
「お帰り。クレス」
リビングに入ると、暖炉の薪を取り替えているフロムローズと目があった。
「ただいま……」
上着を脱ぎ、気が張っていたのが緩んで、顔からソファにダイブした。
「珍しいわね。どうしたの?奥様たちの志気に圧倒された?」
まだそちらの方がいいかもしれない。
「……あの男は……何者……?」
「あの男って、ワイズのこと?まさかクレス、会いに行ったの?」
クレスラスの呟きにも似た問いかけに、フロムローズは思い浮かべた男の名を挙げた。
からだを起こし、すべてを話せという目で相手を見る。
フロムローズは少し考え、いい案が思い浮かばなくなると観念したように項垂れた。
「私が知っているのは、ばかみたいな大金持ちって事と、世界に何人かしかいないクラスの超天才ってことと……元医者だってことかな」
互いに自分のことを話さない二人だったので、知らないことの方が多いと思う。所詮フロムローズの知識だって、クレスラスとさほど変わらない。ただ、今している仕事のないような言わない方が彼のためだろう。
「会ってきたんでしょ?訊いてくればよかったのに……。彼、きちんと事情を話してくれたんじゃない?」
「どうしても訊きたいことだけ聞いて……。あとは、怖くて訊けなかった」
「怖い?」
フロムローズの中では、そんなこと思ったことも無い。
―――……キレイナヒト……。
「あの目に見られただけで、自分がおかしくなる気がする……。俺には神しかないのに、まるで、神がまがい物みたいに思えてしまう……!」
そんなことは許されない。
あんな、教えや道徳に叛くような考え方をする人間が、自分を欲しているなんてこと。
そんな人間に少しでも魅かれた自分が、おぞましかった。
「……クレス、もしかしてワイズにキ……」
「少し休む。二時間経ったら起こしてくれるかな?」
「ええ……」
壁に凭れるように階段を上がっていくクレスラスの姿に、フロムローズは寂しさを覚えた。
忘れてしまいたい過去が、ある。
思い出したい人が、いる。
それがいったい何なのか。誰なのか。
今まで、気にもしなかったのに、なぜ今日に限ってこんなにも気になるのか。
からだは疲れを訴えているのに眠ることができず、結局フロムローズが起こしにきたときも目は冴えたままだった。
地下の食料庫に入ると、チーズがあったので片づけが面倒だが簡単にできるので夕食はチーズフォンデュにする。
串に野菜やパンを刺し、チーズの中に入れ口に運ぶ。
「……ワインは強くない?」
ぼんやりしながら作っていたので、ワインを入れすぎたと思って訊いてみたのだが、
「大丈夫よ。ちゃんとアルコールは飛んでいるわ」
二口目を入れるフロムローズを見て、クレスラスはようやくほっとした。
「……クレス。ワイズのこと考えてる?」
「……」
「ワイズはね、心に闇を持っているの……。一生忘れることができない深い闇をね……。その闇を私は拭うことができなかった……。クレスなら、あるいは……」
「闇……」
串に刺すネタが底をつきかけていた。野菜は買っていなかったので、フロムローズが新しくパンを細かく切っていく。
「その闇は……今もあるのか……?」
「そうよ……。その闇が心地いいばっかりに、ワイズはその闇を捨て去ることができない……」
「本人がいいと言っているんなら、他人がそんなにならなくていいんじゃないのか?」
「その闇が、とんでもなく凶暴で、具現化するとしたら……?」
「具現化……?」
手を止めるクレスラスに対して、フロムローズは手を動かし続けている。クレスラスが見ているのを承知して、あえて目線を下げたまま、
「周りの私たちにも影響があるとしたら……?」
「まさか、俺や……君にも?」
「……少し違うわ。私たちには、あえて影響を受けないように彼なりに気を遣っているのよ」
「―――……わからないな」
食べる気が失せてしまい、串を置いた。
もう、鍋の中のチーズも焦げて固まってきている。
「フロムローズ、最後まで食べるよね?」
「うん」
パンを敷いた深皿に残ったチーズを流し入れ、オーブンに入れる。少し焦げ目がつけばパングラタンの完成だ。
「ノルマだから」
「……太っちゃうわ」
「まだまだ食べた方が、大人になったときに魅力的な女性になるよ」
「……クレスがそう言うなら食べるわ。……もし、私がオブスさんになったら、お嫁にもらってくれる?」
「―――……いいよ」
「やった!そうしたら遠慮なく食べるわ!あ。片付けは私がやっておくからクレスは休んで。ただでさえ病み上がりなのにたくさん無理したでしょ?」
「ありがたいね。お言葉にさせていただきます」
鍋を湯につけると、シンクの周りを簡単に片付けてリビングを出た。
一人残ったフロムローズは、食器棚に映る自分の姿をしげしげと眺めて呟いた。
「私、けっこうグラマーなのにな~」
やはり、十三歳の少女だ、と念頭に置いているからだろうか、クレスラスが取る態度はあくまでも妹的存在だからだろう。
口約束とはいえ、婚約までこじつけることができて、フロムローズの願いも順調に叶っているということにしておこうと、小さく両手でガッツポーズをした。