凄愴5
「クレス?」
二階の奥。フロムローズの部屋の隣に位置する、一番広い部屋。
開いていた扉を、一応ノックして中に入る。そこは、カーテンを引いたままの、暗い部屋だった。
クレスラスの姿そのものを現しているといっても過言ではないほど、シックでモノトーンな数少ない家具だけが置かれた部屋。
「クレス……?」
ベッドに腰掛けていた部屋の主に声をかける。フロムローズが思っていた以上に、ショックを受けていたような様子。
だが、ワイズから承った伝言を早く伝えなければと、フロムローズは無意識に唾を飲み込み、表情が見えないクレスラスに近づいた。
こういうときになんと話しかければいいのだろうと悩む。今までこんなに人の感情に接する機会など無かった。
「クレス……。ワイズからの伝言よ」
ぴくっ、と肩が少し震えた。よほど強烈だったのか。
だが、彼はゆっくりと顔を上げ、フロムローズをその瞳に捉えた。
「何?……」
「……『神父には、気をつけろ……』……ですって」
クレスラスの表情は訝しいままだ。
神父を一番に信頼している人に、酷な内容だ。声を張り上げて反論するようなことは無いが、きっとバカなことを言うな、と思っているのだろう。
「神父様に?……なぜ……?」
「それは私には分からない。でも、彼は根拠のないことを言ったりしない。……生粋の研究者だから」
「……」
フロムローズが構えていたよりも彼は穏やかで、少し落ち着いているらしい。それでもいつものクレスラスよりわずかだが感情がこもっている感じだ。
「ワイズは中央のホテルに滞在しているらしいから、気になったら訪ねてみて?悪い人じゃないから」
パタン、と扉が閉まり、足音が遠くなった。フロムローズが出て行ったことを確認すると、ポケットに入れたままの十字架を、ぎゅっと握り締めた。
『神父には、気をつけろ……』。
気をつけるのは、あの男に対してだ。
あんなに、心の奥底から情欲を誘い出すような眼差しで見つめられて、いまだにからだが火照ったままだ。
……いったい、何が目的だ……?
あの男がフロムローズとの以前からの知り合いという点では雰囲気に納得したが、同志と言ったほうがいいのか。
あの瞳に見つめられるだけで、無意識にからだが動かなくなる。
きっと、もう一度会えば、自分の中の何かを制御できなくなるかもしれないと思うと、ぞっとした。ようやく……ようやくこの地にたどり着いて、自分の居場所を、信頼をこつこつと育てているのだ。ここを出て行くようなことはしたくない。
あの男が自分を惑わし堕落させる悪魔なのだと、そう思うまでに時間はかからなかった。
「……あの男に……二度と近づいてはいけない……!」
二の腕を、力の限り握る。
「……っ……」
指を離し、袖を捲くると指の形どおりに鬱血した腕が現れた。それは神の、心の痛みの痕なのだ。
「ははは……!」
俺は神のみを愛し、神のみに愛される……、絶対の存在なのだ……。
男は、ホテルの一室にいた。
ゆったりと座ることのできるソファに身を預けている。
機嫌よくグラスを揺らし、ピジョンブラッドのワインを一気に飲み干した。
「……」
傍にあるテーブルに広げた幾枚もの資料には、一人の男の名が記されていた。
男は、その中から一枚の写真を取り出すとほくそ笑む。明らかに隠し撮りだと分かるそれには、ミサ中の禁欲的な眼差しのクレスラスが写っていた。
「あと少しだ……。もうすぐ……手に入る……」
にやり、笑ったその口元には、光る牙……。