凄愴4
翌日。
「クレス……。友達を連れてきてもいいかしら?」
「友達?」
丘の上の屋敷。
久しぶりに二人だけでたべる食事の最中に、フロムローズが突然言い出した。
友達がいるとは聞いたことも無ければ見たことも無い。もしかしたら自分が寝込んでいる間にできたのかもしれないと、クレスラスはOKした。
「急なんだけど、多分、もうすぐ来るの……」
「いいよ。俺は部屋にいるから。夕食までは遊んでおいで」
食べ終わって、食器をキッチンへ運び、洗い出す。
「クレスは……?」
ソファに移ったお嬢様は、病み上がりのからだをいたわることは無い様。大事な友人なら、できれば病原菌がうようよしているだろう所につれてくるのも間違いだ。そこはやはり子どもだ。
「俺は万全じゃないから、風邪をうつす危険性もある……。君の大事な友達に……ね?」
「……」
フロムローズの態度が以前と変わりが無いようだが、どこかよそよそしくなっているのは当然のことだろう。
恋に恋するのは勝手だが、できれば関わりあいたくないものだ。
「その人ね、この町の住人じゃないの。ここの人たちって、すごくカトリックの信仰が篤いでしょ?クレスのことも噂で聴いて、それでアキンタウンまでやって来たんですって!ぜひクレスに会いたいって言ってるの。顔を合わせるだけでも……駄目?」
そんなに必至になることなど無いだろうに、その友人を本気に気に入っているのか、妙に力説だ。拳にも力が入っている。
「わかった。お茶は出すつもりだから、そのときだけ……。あとは休ませてもらうよ?」
観念したように言うと、フロムローズはソファの上で飛び跳ねて喜んだ。
落ち着くと、ソファからおりると駆け寄って微笑み、礼を言う。
「じゃあ、門まで迎えに行くわ!」
「ああ。行っておいで」
同い年くらいの友達だろうか。自分にも、あの頃はたくさんの友達がいたことを思い出した。今となっては昔のことだと割り切れるが。
洗い物を終え、ポットに二人分の水を入れた。暖炉で暖めればこのくらいの量ならすぐ沸くだろう。
ティポットには、セイロンウバの葉を入れる。カップは華やかな絵柄のものを選んだ。
お湯が沸騰し始めた頃に、玄関の扉が閉まる音がした。帰ってきたらしい。二人分の足の音がする。
リビングの扉が開き、フロムローズがただいま、と入ってきた。
おかえり、と言って入口を見る。
「―――……!」
フロムローズの後ろにいたのは、クレスラスが思っていたような友達ではなかった。
彼女をはるかに上回る長身。長い銀の髪。蒼とも緑とも取れる、不思議な色の瞳……。
あのとき教会で会った男が、そこにいた。
「クレス、彼が私のお友達の……」
「ワイズです。初めまして」
優しそうな笑みを浮かべて近づいてくる。あくまでも身なり、歩き方などは貴族紳士と言われても違和感は無い。声もあの時より、比べ物にならないほど柔らかい。
初めましてということは、あの時と瓜二つの別人か……。それともわざとか。忘れているはずは無い。そう……。あの時、男はクレスラスを捜していたと言った。
絡んだ視線を外そうとすれば、再び見つめるように緊張を強いられる。そんな空気から解き放ったのは、沸騰して湯が溢れているポットが立てた音だった。
「―――っ!」
びくっとして、思わずポットに指が触れた。
「クレス!」
フロムローズが慌ててクレスラスをキッチンへ引っ張り、水を勢い良く流す。冬の水は冷たいので、そんなに酷くはならないだろう。
しばらく冷やし、応急処置をした後、改めてお茶を淹れた。
ソファに座る姿も優雅で、動く指にも視線が付いていってしまう。当の本人は気づかない様子でフロムローズと談話している。あくまでもこちらは初対面という扱いだ。
「甘いものは大丈夫ですか?」
「何でも大丈夫です。すみません。気を使わせてしまって……」
「いえ……」
あのときのような、相手に威圧感を与えるような雰囲気は、どこにも見当たらない。別人なのか。
気がつけば、あの夜の人物と何度も重ねている。
ひとつ深呼吸をして、教会から持ち帰っていた菓子を積めた皿をテーブルに並べた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ……。フロムローズと仲良くしていただいて、ありがとうございます」
ソファに腰掛け、礼を言うのはこちらのほうだと頭を下げた。
「……美味しいですね。お茶」
「とんでもないです……」
話が続かないことは、分かりきっていた。
それを払うように、フロムローズがお菓子を食べていた手を止め、
「ワイズ、早くクレスに言ったほうがいいわ。クレスは病み上がりだから」
「それは……失礼しました。突然押しかけたりして……」
「いえ。俺も、一つ訊きたいことができました」
訪問者に気をつかうように、フロムローズの姿がいつの間にか消えている。
二人きりの空間に、緊張が走る。
「あなたが、熱心なカトリックと聞きまして、ぶしつけかと思いましたがお願いがありまして本日伺いました」
この人は、誰かの家族なのだろうか?
たとえば、町の貴族の女性たちに通じる人物。幾度の交際の申し込みを、片っ端から断り続けてきたから、その兄弟が身請けを迫りに来たとか。それとも、神父から話しが伝わってやって来た、聖地バチカンからの使者とか……?
もしくは……。
「現代のラ・ピューセル……お前が、欲しい……」
「!」
この声色。この口調。そして……この冷笑!
「あんたは……っ!」
「あの日、教会で遇っただろう?私のことを、覚えているはずだ」
一瞬で、自身を包んでいた『いい人』の空気を見事に脱ぎ去った。
事態の流れについていけず、気がつけば目の前に鮮やかな蒼が広がっている。
「……!」
青天の、霹靂。
肩をソファに押さえつけられ、もう一方の手で顎を固定される。
「な……」
青く輝く銀糸の幕に覆われている気分だ。
「私はお前の力を知っている。それによって知り得た苦しみも知っている。ほら……私のほかに誰が、お前の力を理解し、許容できる?」
不思議な色の瞳が、クレスラスの動きを封じ込める。
「面白い瞳だ……。知っているか?感情によって縁取っている金輪が暗くも鮮やかにもなる……」
「……?」
互いの息が溶け合うほどに、近い。
震えるクレスラスに、男はくちびるを歪めた。
「フ。……いい加減に思い知れ。お前の神の愛とやらが、所詮お前の想いよがりだということを……」
「あんたは……いったい……。俺が、神の愛を信じることは、あんたに関係のないことだろう!」
目を細める相手に、どうしても思い知らせてやりたかった。こんなことをしても無意味だと。
「男が欲しいなら、他所をあたってくれ」
「そういえば……私に訊きたいことがあったんだろう?」
「やめた!」
押さえつけられていた手を払いのけ立ち上がると、急ぎ足でその場を去った。
残されたワイズはカップに残っていた、冷たくなってしまっていた紅茶を一気に飲み干した。
思っていたよりも侵食しているらしい。
「さて、どうしたらお前は手中に堕ちてくる……?」
「だから言っていたでしょ?強敵って」
クレスラスが出て行った入口に、視線を向けるとフロムローズが立っていた。
「……あなたがクレスをどう思おうと構わないけど、彼が私の前から去ったら許さないから」
「フロムローズ。お前は最初からそこにいたのか」
「もちろんよ」
ワイズの膝の上に、向き合うようにして座ると、男は自然な様子で自分のほうに寄せる。どちらからともいえない接吻ははじめから激しく、互いに何度も貪った。
「クレスもワイズのキス好きになると思うんだけど……?」
「あの男が驚くぞ。お前のその変貌に……」
「ふふ……。そっくり言葉を返すわ。楽しみよ……。クレスの驚く顔を見るのは……」
十三歳とは思えない、妖艶な笑みを浮かべる。
「ああ……言い忘れていたぞ。あいつに伝えておけ。―――に気をつけろ……とな」
「わかったわ」
ワイズはにやりと笑い、フロムローズのからだをソファに下ろした後部屋を出て行った。
「……」
残された少女は、皿に盛られたチョコレートを口に入れた。少し融けていたチョコレートは、絹肌の指を厭らしげに汚していた。