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早瀬くんを殺したい99の理由  作者: ウソカラマコト


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3/10

時効不成立のプロポーズと、マイク越しの殺害予告について(3)

 早瀬くんがひと通りのスピーチを終え、わたしにマイクを渡す段になりました。


 彼のスピーチの間に、わたしの原稿は完全に復旧していました。

 怒りという名の最強のアンチウイルスソフトが、あの男の残像をメモリ領域から完全に駆逐してくれたのです。


 遅れを取り戻しなさい、橘恋春。

 完璧な挨拶を以て、先ほどの醜態を上書きするのです。


 早瀬くんがマイクをわたしの方へ差し出してきました。

 しかし、すぐには手渡しませんでした。


 彼は片手でマイクの集音部を覆いながら——覆ったつもりで——わたしの方に、すっと身をかがめてきたのです。


 近い。

 さっきとは比べものにならないほど。

 彼の吐息が、わたしの耳に直接かかるような距離。

 微かに感じる、石鹸のような清潔な香り。


「大丈夫。お前なら大丈夫だよ」


 低く、穏やかな声。

 さっき体育館でわたしに聞かせた、あの軽薄な響きの欠片もない。

 まっすぐで、静かで、心の一番深いところにそっと置かれるような声でした。


(……何を勝手なことを言っているんですか、この人は)


 わたしは大丈夫に決まっています。

 完璧に暗記した原稿がある。三十回の音読がある。三重のバックアップがある。

 初対面の人間に心配される筋合いなど、1ビットたりとも存在しません。


 しかし、早瀬くんはそこで止まりませんでした。

 彼はさらに声を落とし、わたしだけに聞こえるように——聞こえるはずだった声量で——こう付け加えました。


「——昔から泣きそうな顔してる時が, 一番可愛いんだよな、お前」


 そして微笑みました。


 その笑い方を見た瞬間, わたしの脳裏で、何かが揺れました。


 ガタリ、と。

 長い間開けていなかった扉が、内側から揺さぶられる感覚。


 この笑い方。

 この、目を細める角度。

 どこかで、見たことがあります。昔。ずっと昔。

 小さくて、泣き虫で、いつもわたしの後ろをついてきていた——


(……誰? この人……誰……?)


 記憶の奥底に手を伸ばしかけた、まさにその瞬間。


 わたしの思考は、全く別の衝撃によって、完全に吹き飛ばされました。


 なぜなら。


 早瀬くんがマイクを覆っていた手が、ほんの数ミリ、ずれていたのです。


 『——昔から泣きそうな顔してる時が、一番可愛いんだよな、お前』


 彼の囁き声が。

 体育館の大型スピーカーを通して。

 壇上から全校生徒・保護者・教職員に向けて。

 クリアに、余すところなく、轟き渡りました。


 すると——


 1000名の人間が、息を呑んで固まった、完全な沈黙。


 そして——


「きゃーーーーーーーっ!」

「え、今の告白!?」

「やばっ……」

「『昔から』って何!?」

「付き合ってんの!?」

「入学式で公開告白かよ……!」


 体育館が爆発しました。

 悲鳴と歓声と冷やかしの嵐。保護者席からも「あらあら」「若いわねぇ」「青春ねぇ」という声が波のように押し寄せてきます。


 わたしは。


 壇上で。


 全身の血液が顔面に集結するのを感じました。


 体温が異常に上昇しています。

 視界が真っ赤に染まっています。

 これは怒りなのか、羞恥なのか、もはや区別がつきません。


(な、な、な……!? い、今、何が……? 全校生徒に……? 「可愛い」が……? 「昔から」が……? しかも全校放送で……?)


 「昔から」。


 その二文字が、脳内で、何度も何度もリピートされます。


 昔から。

 昔から泣きそうな顔。

 昔から。


 ——記憶の扉が、完全に開きました。


 泣き虫の、小さな男の子。

 いつも、わたしの後ろをちょこちょこついてきた男の子。


 幼稚園の卒園式の日。

 わたしは泣きじゃくりながら、その男の子の手を握りしめて叫んだのです。


『れんくん、おおきくなったら、ぜったいにけっこんしようね! やくそくだよ!』


 れんくんは、泣きながら頷きました。

 鼻水を垂らして、真っ赤な顔をして、ぐしゃぐしゃに泣きながら。


 サトウ・レン。

 卒園後に引っ越して、それきり連絡も途絶えた男の子。

 わたしの記憶からはほとんど消えかけていた——はずの男の子。


 ——あの笑い方。

 ——あの目の細め方。

 ——「蓮」。


 れん——?


 ハヤセ・レン。


(う、嘘……。この人が……あの、れんくん……?)


 苗字が違います。「佐藤」ではなく「早瀬」。

 背丈が違います。あの小さな泣き虫が、175センチの長身に。

 顔立ちも、声も、雰囲気も、何もかもが違います。


 それでも。


 笑い方だけが、同じでした。


 あの日の泣き虫の男の子と、今、壇上に立つこのイケメンの、笑った時の目の細め方だけが——まったく同じだったのです。


 全身が、頭のてっぺんから爪先まで、燃え上がるように熱くなりました。


(わたしが……わたしが、この人に……「けっこんしよう」って……!?)


 脳裏に、五歳のわたしが泣きながら男の子の手を握りしめている映像がフラッシュバックしました。

 しかもそのわたしは、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、「ぜったいだよ! やくそくだよ!」と叫んでいます。

 なぜそんなに鮮明に思い出すのですか!?


(そして今、全校生徒の前で、この人に「可愛い」と!? 「昔から」と!?)


 つまり、1000名の前で展開されたのは、こういうことです。


 「幼稚園時代に、自分から泣きながらプロポーズした相手(超絶イケメンに進化済み)に、入学式の壇上で、全校スピーカーを通して『昔から可愛い』と公開告白された」。


 わたしの人生の中で、これほど恥ずかしい瞬間は、過去にも未来にも、二度とないでしょう。


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