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早瀬くんを殺したい99の理由  作者: ウソカラマコト


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2/10

時効不成立のプロポーズと、マイク越しの殺害予告について(2)

 式は粛々と進行しました。

 校長の式辞。祝辞。在校生代表の歓迎の言葉。


 わたしは自分の席で、それらの言葉を一つも聞いていませんでした。


 原稿の文面を脳内で再生しようとすると、なぜか逆光の中の彼の顔が割り込んでくるのです。


 「大丈夫?」という声が。

 「相変わらず」という囁きが。

 腕の中の温もりが。

 

 初対面のはずです。間違いありません。

 

 それなのに、あの目を細めた笑い方や、声の響きに、奇妙な既視感がつきまとうのです。

 どこかで会ったことがある気がするのです。

 知っている気がするのです。


(——そんなこと、今はどうでもいいでしょう!)


 心の底から湧き上がる思考を、力ずくでねじ伏せます。

 

 今はわたしの晴れ舞台です。あんな正体不明の男子生徒への既視感など、スピーチの後にいくらでも検証すればいいのです。


 何度追い出しても、彼の残像は消えてくれません。  

 わたしはこれほど頑固なバグに遭遇したことがありませんでした。


(消えなさい。今すぐわたしの脳内から退去してください。あなたの存在にこれ以上のリソースを割く余裕はありません)


 何度追い出しても、彼の残像は消えてくれません。

 わたしはこれほど頑固なバグに遭遇したことがありませんでした。


「——続きまして、新入生代表挨拶」


 司会の声が、わたしを現実に引き戻しました。


 深呼吸。

 大丈夫です。原稿は完璧に暗記しています。三十回は音読しました。

 たかだか数分前のアクシデント程度で、わたしの知性は揺らぎません。


(集中しなさい、恋春。あんな些末な出来事に動揺しているなんて、完璧主義者の名折れです!)


 わたしは席を立ち、壇上へと向かいました。


 壇上に上がりました。

 マイクの前に立ちました。

 会場中の視線が、わたしに集まるのを感じます。


 大丈夫。ここからは、わたしの独壇場です。

 先ほどの転倒をリカバリーするのです。

 むしろ好都合です。一度落ちたところからの華麗な復活ほど、人間の印象に残るドラマはありません。完璧なスピーチを以て、先ほどのマイナスをゼロ、いや——プラス100に書き換えてみせます!


 口を、開きます。


「——」


 出て、きません。


 暗記したはずの文章が、すべて消えています。

 いいえ、消えたのではなく、別の何かに上書きされていたのです。

 頭の中は、真っ白ではありませんでした。  

 あの男の顔で、埋め尽くされていたのです。


 逆光の中の微笑み。  

『相変わらず』という声。  

 腕の中の温もり。


(どこで? いつ? なぜ「相変わらず」なのですか?)


 思考のメインメモリが、その不毛な検索処理に100%持っていかれています。

 スピーチの原稿を引き出すためのリソースが、1バイトも残っていません。


(な、なぜ……! なぜ消えないのですか! 消えなさい! わたしの脳内メモリから直ちに出て行きなさい!)


 沈黙が、流れました。

 1秒。

 2秒。

 3秒。


 会場がざわつき始めます。


「どうしたの?」

「緊張してるのかな……」


 ヒソヒソとした囁きが聞こえてきます。


 橘恋春は緊張などしません。

 わたしは完璧に原稿を暗記しています。

 決してわたしが緊張しているわけではありません。これはあの正体不明の男子生徒による精神的テロ行為です!

 あの「大丈夫?」と「相変わらず」という不快なノイズが、わたしの頭の中から退去してくれないのです!


 ——なのに。


 指先が震えています。呼吸が浅い。視界がぼやける。


 完璧な言葉が出てきません。一文字も。


 4秒。

 5秒。


 (——出なさい。出なさい、橘恋春。あなたは完璧なのですから。ここで黙って立ち尽くすような人間ではないのですよ!)


 叱咤しても、声は喉の奥に張り付いたまま動きません。


 6秒。


 ***


 壇上の袖から、一人の男子生徒が、スッと歩み出てきました。


 長い脚。堂々とした歩幅。前髪を軽く搔き上げながら、まるで自分の部屋に入ってきたかのような自然さ。


 もう一人の新入生代表。

 男子代表の、早瀬蓮。


 あの男でした。


 彼は何の躊躇いもなく、わたしの隣に立ちました。


 近い。さっきと同じくらい近い。

 また、彼の匂いがする。制服の布地の匂いと、微かな石鹸の香り。


 そして、マイクに向かって、ゆったりとした、本当によく通る声で語り始めたのです。


「えー、すみません。新入生代表の早瀬です。相方がちょっと緊張してるみたいなので、僭越ながら、僕の方から少しだけご挨拶をさせてください」


 会場に、小さな笑いが起きました。

 張り詰めていた空気が、ふっと和らぐのが分かりました。


 早瀬くんは、用意されていたであろう原稿など持っていないのに、まるで最初からそう話すことが決まっていたかのような自然さで、挨拶を述べていきます。


 新しい仲間との出会いへの期待。三年間という時間の大切さ。先生方や先輩方への敬意。


 飾らない言葉の一つ一つが、不思議と体育館の空気に溶け込んでいく挨拶でした。


 わたしは彼の隣で、必死に呼吸を整えながら、ちらりと彼の横顔を見ました。


 堂々としています。

 余裕があります。

 声が——


(……悔しい)


 その感情が、最初に——そして圧倒的な勢いで、わたしを満たしました。


 わたしが失敗したところを、この人がフォローしている。

 わたしの完璧な計画を台無しにした張本人が(転倒は彼のせいではありませんが、あの腕がわたしの脳を狂わせたのですから!)、今度は英雄のように壇上でスピーチをしているのです。


 屈辱です。

 完璧主義者のプライドが、ズタズタに切り裂かれていくような感覚です。


 誰が代わりに喋れと頼みましたか!

 わたしの完璧な原稿——三十回の音読と三重のバックアップ——を披露する機会を奪う権利が、一体どこの誰にあるというのですか!


 あなたの即興のスピーチより、わたしの完璧な原稿の方が一万倍素晴らしいに決まっています!

 それなのに、なんですかその何の苦労もなく語っている横顔は!

 その無駄に通る声は!

 その小憎らしい余裕は!


(……許しません。この屈辱は、必ず、返させていただく所存です)


 わたしは唇を強く噛み締め、彼の横顔から目を逸らしました。


 原稿の冒頭の一文が、ようやく、頭の中に戻ってきていました。

 怒りの熱量が、バグを焼き尽くしたのです。


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