つづくもの3
「時間ですね。そろそろ病棟に戻りましょう」一宮が言った。全員煙草を消した。
看護師に身体チェックされ、刃物などが持ち込まれていないことを確認される。マキは古沢のうなじの匂いを背伸びして嗅いでいた。杉原はメロディを忘れないように口ずさんでいる。
閉鎖病棟の二重のロックがかかった扉が開かれる。患者たちは四方八方に散らばっていった。杉原は個人ロッカーからミュージックプレイヤーを取り出した。以前もこのミュージックプレイヤーに作った曲を録音していた。四人は杉原の後をついていった。彼は自室の扉を閉め、発声練習を始めた。マキは新しい曲がどんな曲だろうかとわくわくした。古沢がマキの肩に手をやる。「さ~て、今回はどんな曲かな」 古沢が小さい声で言った。「失恋の歌だと思う」 マキが古沢にささやいた。「どうしてそう思ったの」 「メビウスの香りって、別れた恋人のことをさしてるんでしょ。よくあるパターン」 「なるほどね、さあ始まるよ」
杉原があー、あー、と言った。レコーディングの始まりの合図だ。
次の瞬間、杉原の野太いが繊細な声が廊下に響き渡った。坂下と一宮は拳をグータッチで合わせた。
今回も傑作だった。失恋した女性の曲だった。
失恋した女性。まだ恋人に未練がある様を杉原節で見事に歌い上げた。
五分くらいの間、四人は固唾をのんで見守った。
やがて、杉原が自室から出てきた。四人は彼を拍手で迎えた。
「本当いい曲できたね!」マキが杉原の両手を握りしめる。
「何曲目だっけ?」古沢が杉原に聞く。
「これで4曲目っすね」
「入院中にアルバム作れるんじゃないですか?」一宮が彼を持ち上げた。
「本当に杉原さんの声は人を惹きつけますね」坂下が言った。
「路上で鍛えましたからね。とにかく声量が無いとストリートではやってけないっすよ」
坂下は違和感を覚えた。自分はいつから批評する側になってしまったのか。批評される側にいないとクリエイター失格ではないか。
彼の心にまた新たな燃料が足される感覚があった。執筆しなくては。
「それで坂下さん。作詞の方の細部について相談に乗りたいんですけど...」
「あ、うん。いつも通り、言葉が間違って使われてないかチェックしてあげる」
「助かるっす。あと煙草のメビウスを作詞に使ってみたんですが、実際聴いてみてどうっすか」
「うん。なかなか悪くないと思う。ただ、一つだけ気になる点があって...」
二人はクリエイターの世界へと入っていった。こうなってしまうと、残された三人はただ見守るしかなくなる。
「杉原さんって絶対売れるよね!? 顔もイケメンだし、芸能人の卵感ヤバい」マキが興奮してそう言った。
「これだけ出来が良くても、まだまだ上には上がいるものよ」古沢がマキの頭を撫でながら言った。
「俺は絶対、杉原さん売れると思ってます」一宮が力強く言った。
「世の中そんな甘くないわよ」
「いえ、絶対売れます」
杉原と坂下があっちの世界から帰ってきた。
「とりあえず、細部は後で直すっす。皆さん何点ですか、俺の今回の曲」
「100点!」
「120点だね」
「2000点です」
「そりゃあ良かったっす。またアイデアが湧いたら作曲するっす」
「楽しみに待ってるね!」
「ここじゃ、やることもないしな」
「いい曲、待ってます」
「アイデアがポンポンと湧くのは羨ましいですね。ぼくも参考にしたいです」
一段落して男たちが集まった。話題はグループホームの話だ。
「坂下さん、ケースワーカーさんから連絡がありました。俺も同じグループホームに体験入所できるみたいです」
「そうですか。それは良かったです」
「坂下さんはパチンコとかってやります?」
「やったことないですね」
「興味とかってあったりします?」
「う~ん、本読んでた方がマシかな~。パチンコってお金かかりますし」
「俺が体験入所のときちょっと行ってみませんか?」
「検討してみます」
一宮はそこで一旦言葉を切った。坂下は断ったのは悪いと思った。
「いいでしょう。一宮さんがそこまで言うのなら行きますよパチンコ」
「よっしゃー!約束ですよ」
「わかりました」
二週間が経った。坂下は晴れて閉鎖病棟を退院し、寂びれたグループホームへ入所を果たした。
管理人は彼に正式に部屋の鍵を渡した。階段を上ると子猫が倒れていた。急いで彼は駆け寄る。大丈夫、まだ息はある。
彼は子猫を抱えて部屋へ入った。まずは濡れタオルで身体の汚れを落とし、ミルクを電子レンジで温めた。指にミルクをつけて子猫の舌を湿らすと、ペロリと子猫が舌を動かして反応した。
ミルクを指につけて一滴、また一滴と子猫に飲ませていく。20分くらい経った頃、子猫は瞳を開け、涙を流した。
「大丈夫か!?お嬢!?」
二週間ぶりに会ったお嬢はひどく痩せていた。やがてお嬢は足に力を入れ、ぷるぷると立ち上がった。にゃあと弱々しい声で鳴いた。彼はキャットフードを皿に入れて持ってきた。お嬢は涙を流しながらキャットフードを食べた。もう大丈夫。
彼はコーヒーのお湯を沸かして、煙草に火を付けた。初日からハラハラした。




