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夏の日に咲く彼岸花

作者: つむ饅
掲載日:2025/11/14

命の灯が消える時


 現代から30年近くが経った日本の街並みは当時のままのことが多く、ビルなどの建物は老朽化が進んでいた。

 最も深刻なのは、住宅街の空き家だ。首都圏の都会でも3件連続で空き家が並ぶなんていうこともザラにある。

 それは建物だけでは当然なく、人も同じだ。少子高齢化が進んでいることで、地方の過疎化が更に深刻となり、活気があるのは大きな街ばかり。地方の高齢者ですら隣町の老人ホームに住み込むので、いよいよ本当に人がいなくなった地域が増えてきた。

 その影響もあって、路線バスや電車の便数は減ったり廃線になり、大体最後まで残るのは自治体の乗合タクシーだ。

 それでも世の中悪いことばかりではない。年々加速していった働き手不足は、ロボットの普及でその問題も解消されつつある。

 特に、介護施設やこども園、病院などの福祉関係から充実していった。

 彼女の勤務先に最近配備されたナースロボ_タイプTも、その施策の一つである。ナースロボは見回りだけでなく応急処置まで完璧にこなす万能なロボで病院が必要とするマンパワーは減った。

 しかし、人間の労働力は依然として求められている。そもそも病院に限った話で言うと、ナースになろうとする人自体が珍しい。故に優秀な人材が不足するので、自然と優秀な人への負担が集中することは多かった。

 "雨晴はう"も、数少ない優秀なナースの一人だ。彼女はフリーランスのナースとして様々な病院を転々としている。短くて数か月、長ければ数年という期間で働く場所が変わることが多い。

 仕事がどれだけ大変で短期の契約だろうと、担当患者のことを細かく把握することを徹底していた。患者の容態や年齢、性別は義務なので当然であるが、好物や苦手なもの、趣味、患者の家族構成や交友関係も。患者の見舞いに来る人物に限った話ではあったが全員把握するようにしていた。

 雨晴はうは、入院中に患者と会話することが好きで、その彼女らしさの看護は普段の仕事ぶりに加えて高く評価する病院は多かった。

 彼女が一番気にしていることは、孤独な最期を迎える患者も少なくなかったことだ。病院側が緊急連絡先を控えてはいるが、彼女は1人で他界してしまう患者を見続けて何とかできないかと思い、万一に備え業務に問題が出ない範囲で患者の親族や友人に早く連絡できるようにしていた。


「4XX号室、〇〇様の容態が急に悪化しました。」


 突然インカムが入る。見回りしていたナースロボからだ。それを聞いた彼女は大急ぎで病室に向かう。

 その病室にいるのは、介護施設を経営している男性の病室だ。

 彼が経営している介護施設はこの辺りでは有名で、介護施設をいくつも持つ大きな組織だった。経営者だからなのか性格なのか、彼自身が現場に入ることもあったそうだ。病院と介護は時に連携することもあったので、フリーナースをしている彼女とは顔見知りだった。

 彼女の心臓の音は心電図モニターなしでも聞こえるくらい激しく鼓動していた。部屋に到着するや否や、上がった息を整えながら冷静に状況を確認する。

「〇〇さん?聞こえますか?〇〇さん!」

 彼女の呼びかけに患者は全く応じない。心電図を確認するとどうやら不整脈のようだ。心電図モニターから無機質なエラー音が鳴り響く。患者はさっき見回りしていた時とは比べ物にならないほど顔色が悪く青白くなっていた。

 いくらなんでも容態が悪化するのが急すぎる、と彼女は思った。

「電気ショックの準備をしてください。」

 彼女は的確に指示を出しながら担当医を呼ぼうとしていた時、患者の心拍数がゼロになった。ピーーーという音が彼女の耳に突き刺さる。事前に準備をしていたということもあり、ナースロボによる電気ショックをする。しかし変わらずピーーーという無機質な音が鳴り続ける。

 ナースロボに担当医を呼んでもらい、しばらくは懸命に救命活動を継続した。

 こういった容態が急変する患者は少なくはなく、特に手術後や延命処置をした後には多かった。しかし、今回彼は特に大きな手術はしていなかった。点滴をうち安静にしており、事前の検診でも問題なく受け答えもしていた。

 昨日の会話でも「早く元気になって仕事に戻らなきゃ。」と話していた。それを彼女は鮮明に覚えている。


「…………この病室は私が対応をするので、あなたは見回りをしてください。.........お願いできますか……?」

 淡々と死亡診断書を書きに行った担当医とは裏腹に、彼女は指示待ちだったナースロボにそう言うと、ロボは直ちに即応し指示通りに部屋から出た。

 彼女は少々複雑な感情を抱いた。少しくらいは励ましてくれても良いだろうという思いと感情を持たずに仕事を徹底するのは流石機械だなという思い、そしてやはりロボットなのだなと思った。

 仕事を終えた彼女は、冬の始まりの夕方ということもあり段々と気温が下がり始める薄暗くなったタイミングで病院の職員玄関から帰路についた。さっきまでいた病院の室内が暖かかったということもあってか、コートを着ていても寒く感じる。

 彼女自身、この日に起きたようなことは良くも悪くも慣れていた。それでももっと出来たことはないだろうか?患者が望んでいた最期だったのか?と問う。ナースになってからそれは今もずっと変わらない考え方だった。

 瞳から流れた涙は寒さで既に冷たくなっていた。


 彼の死因は過労による心不全だった。

 夏の日に咲く彼岸花

 舗装されていない道、頭の中にまで響く蝉の鳴き声、田んぼの香ばしい匂い、太陽から容赦のない陽射し、それを遮るものは道中にほとんどない。遠くを見ても景色は変わらず、500メートルしないくらいの間隔にぽつりと一軒家があるくらい。

 彼の住む家は、さっき降りたバス停から2km弱歩いたところにある。家の周りは田んぼしかなく、夜になると辺りは真っ暗になり、その暗闇の中からは蛙の鳴き声しか聞こえなくなるようなところだ。

 赤ん坊の時から男子高校生になるまで、ずっと同じ家に住んでいる彼は隣町の学校に通っている。

 最寄りの停留所からバスに乗り、途中から電車に乗って隣町まで出る。隣町の駅から更にバスで高校まで向かう。片道ざっと2時間半。

 往復5時間の内4時間ちょっとの移動時間は、勉強や読書をするなどして時間を有効活用している。もし将来この男子高校生が社会人になった時、通勤で片道3時間かかるようなところでも、勉強などをして資格を取ってしまうような男だろう。とは言っても、通う学校も職場も当然近いほうが良いに決まっているし彼もそう思っている。家で勉強したほうが集中できるからだ。

 彼の住む町は名ばかりで実質的に彼は村の間違いじゃないかと思っていた。よく言えば自然豊か。悪く言えばドが5つくらいつく田舎。

 彼はこの場所が好きでもあり嫌いでもある。生まれてからずっと見てきた景色に安心することもあれば、この不便すぎる立地は彼を無性に苛立たせることもあった。

 住んでいる場所よりは便利であるが、隣町ですら少々有名な観光名所のような地域なのだ。彼にとっては隣町ですら物足りなく感じていた。

 同じ県内の新幹線が走っているような街の高校に通っている中学時代の友人とのメールの内容によると、友人の友人が遠距離恋愛をしていて、とうとう彼女に会いに東京へ行ってきたらしいのだが、福島や郡山とは比較にならないほど大都会らしい。

 人で溢れかえっている交差点、片側だけで何車線もある道路、コンビニの隣の隣にコンビニ、遠くをみても見えるのは高いビルばかり。その話を聞いた後の彼は、都会への可能性に憧れていくのと同時にこの町での生きにくさに将来不安に感じていた。

 そんな彼にも幼馴染がいる。

 "双葉 湊音"という少女だ。腰の下まである綺麗な髪、透き通った水のような瞳、太陽のように明るい笑顔、力強くて元気で可愛らしい声はヒマワリを連想するだろう。彼の2つ年下の15歳の少女、湊音は近所、と言っても歩いて500メートルくらいのところに住んでいる。

 昔は兄妹のようによく一緒に遊び、笑い、お風呂にも一緒に入るような仲で、まさに青春の日々であった。

 彼の家に到着すると、制服姿の"双葉湊音"が玄関前に立っていた。彼を見つけるなりに怒りをあらわにして大きな声で駆け寄る。

「ちょっと!!!おばさんから聞いたよ!?東京の大学受けるんだって!!??なんで!!!???」

 どうやら彼の母がわざわざ湊音に電話かメールか、何かしらの手段で東京の大学に受けるということを伝えたようだ。

「いやまだ決まったわけでもないし、どうなるかわからないよ...」

「否定しないってことは、もう心は東京にあるんだね!!!!!」

「いやそういうわけじゃないけどさ...湊音も東京の高校なり大学受ければいいじゃん…」

「なんでよ!!!こんな素敵な場所、他にないよ!?どうして東京なのさ!!!まさか東京に彼女でも出来た!!??」

 彼は東京に行きたい。湊音は地元にいたい。お互いの気持ちこそ通じる部分はあれど、地元に対する考え方は平行線を辿る。暫く言い合いをしていると、彼の母親が家の奥から出てきた。

「二人とも、せめて家の中でやって頂戴ね?傍から見たら喧嘩しているマンネリしたカップルみたいよ?」「「カップルじゃないよ!」」「まだ!」湊音だけが「まだ」と付け加えて言った。彼は照れを隠しながら「まだってなんだよ」と、彼の母は「あらまあ」と微笑みながら言い、顔を真っ赤にさせた湊音を家にいれた。

 彼の部屋は、机は綺麗に整頓されているが机棚には赤本やら問題集やらビッシリ並んであって飾り気がほとんどない。

 年頃の男子高校生であれば、スポーツ選手だの好きなバンドだの漫画やアニメだの、何かしらのポスターなど張ってあったりするイメージだが見当たらない。テレビにゲーム機、隅にはおもちゃ箱、本棚には漫画本イメージがあってもおかしくないが、それも見当たらない。

「あれ?好きな野球選手のポスター剝がしちゃったんだね!あ、あんなところにゲーム機隠してある!!なんか久しぶり見たらゲームしたくなっちゃった!!!一緒にしようよ!!!!」

「......しないよ。双葉だって今日はゲームしに来たわけじゃないでしょ...?」

「あ、そうだった!東京の話だった!!!ねえ、なんで東京なの!!ねえ!!!東京って新幹線で半日くらいかかるような場所でしょ!!!会えなくなっちゃうじゃん!!!!」

 彼はため息を交えながら、3時間もかからないと答えた。

 湊音はそれを聞いて拍子抜けしかけた。「なぁんだ」と言いそうになったが、「でも!!!」と一歩も引かない。

 お互いに分からず屋だと言わんばかりに睨み合っていると、彼の母がノックをしてお茶と菓子を持って部屋に入ってくる。

「おばさんーーー!大切な息子さんを東京になんか行かせられないですよね?ここに!!地元に!!!このお家のお庭に!!!!骨を埋めてもらわないとですよね!!!!!」と彼の母にすがりつくように、助け船を出してくれと言わんばかりに訴える。

「そうねぇ...でも私よりも湊音ちゃんのほうが寂しがってくれてるから、おばさん何だか嬉しくなってきちゃった!」湊音はそう言われ、自分が恥ずかしいことを言っていることに気付いて再び顔を赤くした。


「そもそもなんで東京なのさ~?」東京への妬みなのか、自分なりに納得しようと理由を聞きだそうとしているのか。不満と何故?が入り混じった感じでそう言った。

「だって東京って凄いんだ。人が溢れ返っていて、とても高いビルがずらーっと並んでるんだよ。」

「それのどこが凄いんだよ!窮屈なだけじゃん!」

「でも道路は片側3車線あるって話だよ?」

「え!?そ、それは確かにちょっと凄いかもしれないけど……。でもそんなつまらない理由だけで東京に行きたいの?」

 そうじゃないよね?と悲しそうに聞く湊音を見た彼は思わず目を逸らし、どこか心の奥がキュッとなる感じがしていた。

 彼にとっての肉親は母一人で父親は彼が生まれてすぐにどこかに行ってしまった。そういった背景もあり、彼は母を楽にさせたい、女手一つで育ててきてくれた母に親孝行したいと思い、慣れない土地で多くを学び、挑戦したいと決意していた。

 だが湊音には余計な心配をかけたくない思いから彼は詳細を言わなかった。

 しばらく、湊音が食べているクッキーがポリポリという音とゴーーーーと快適な室温にしてくれているエアコンの音だけが響く。

「ご馳走様!!もういいよ!!!君なんか一生東京に閉じこもって東京人になってしまえばいいんだ!!!!東京人め!!!!!」しびれを切らした湊音はそう言い放った。丁寧に一緒に出された紅茶を飲み切ってから。

 それから二人は話すことはあれど、お互いに距離を感じていた。夏が終わり冬に入る頃には彼も大学受験で更に忙しくなり、二人が会うことはめっきりと減った。後に彼と湊音のやり取りは毎年恒例のバレンタインと受験の合否の報告だけだった。


 上京した2年目、彼は都会の生活に慣れ始めてきた。

 都会の人の多さも、ビルの高さも、ビルの数も、道路の車線の多さも、最初はあれだけ衝撃を受けたのに今では何とも思わなくなってきていた。

 未だに彼が苦労していることは、電車の混雑具合や複雑すぎる鉄道網だ。特に早朝の通勤ラッシュや夕方の帰宅ラッシュでは今まで習慣にしていた移動しながらの勉強が難しいほど混雑する。何もしていないのに、電車に乗って移動するだけで疲れる。

 だが最近は、自然と体力を消耗しないように比較的空いている車両に乗り、スマホに繋いだ有線イヤホンで好きな音楽をきいてやり過ごすようになった。

 都会の人はどこかピリピリしていて、何故か疲弊していて、それを癒すためだけにみんなが飲み会やスマホゲームなどの娯楽に夢中になっていた。少なくとも彼の目にはそう見えていた。そして彼自身も同じようになっている感覚が、自身が都会に染まっていく感覚があり、違和感を覚えながらもそれを受け入れていた。

 去年の夏休みは勉強のために地元には帰らない、と母と湊音にスマホのSNSで伝えた時は二人から寂しさであったり、失望のような雰囲気が文脈にはあったが、同時に応援していますという気持ちも感じ取れた。

 しかし。勉強するために東京に出てきたということもあり、彼は安易に帰ろうとは思わなかった。スマホで容易に連絡がとれるし、その気になればいつでも帰れる、いつでも会えるという思い込みをしていた。

 彼自身も余裕をもって単位を取得していて浪人することなく無事にこの春から大学二年生となる。

 昼食を食べ終わり、いよいよ大学受験に向けて進学した湊音に連絡を入れてから、借りているアパートの近くにあるコンビニのバイトへと向かう。


 バイト終わり、着替えているとスマホに何件も着信があるのを見る。怪訝な顔で履歴を見てみると彼の母からだった。30分ちょっと前から何十件も立て続けに電話がかかってきていた。

 母から何度も着信があったのは初めてだったので、思わず着替えながら電話をかける。

「......もしもし、湊音ちゃんが、ね......湊音ちゃんが...……。」

 普段どっしりと構えていて少しのことでは全く動じない母が、電話越しの声からでも信じられない、信じたくないという思いを汲み取れた。声は震えていて鼻をすする音と一緒に告げられたのは、幼馴染の訃報だった。

 溺死だった。

 地元には大きな湖があり、その河口付近で少女が溺れかけていたのを湊音が助けた。

 少女の命は無事助かったが、湊音は川底が急に深くなったところに気付かずにハマってしまい、そのまま湖に流れてしまった。救助される頃には意識はなく、既に体は冷たくなっていた。

 その日のうちに彼は新幹線で地元へ向かいながら、バイト先にも事情を話して暫くシフトから外してもらっていた。

 そんなことをしつつも、どこか母と湊音がドッキリを仕掛けているのではないか?全て会うための口実なのではないか?と思っていた。

 行きはあんなに時間がかかったのに、今回はあっという間に郡山駅に到着したように感じた。そのままローカル線で病院のある市街地まで行き、駅からはタクシーで病院へと向かった。

 時間外出口から受付を済まし、急いで湊音のいる部屋に向かう。

 部屋には、彼女の両親と彼の母、そして見知らぬ少女とその少女の母親らしき人物がいた。

 彼は湊音に近寄り顔を見る。肌は青白く、生前の綺麗で健康的な白色とはかけ離れていた。ところどころ紫の痣のようなものまであった。

 彼女の亡骸を見ても、元気よく飛び起きてくれるんじゃないか?飛び起きてくれと願うが、湊音は静かなままだった。

 部屋には娘の死に絶望し、嗚咽する人の声でだけが響いていた。

 葬式は3日後に行われた。


 彼はいつも通り東京での生活を送っていた。

 人の多さも、ビルの高さも、自動車の交通量も、電車の混雑も。都会は何もかもいつも通りで変わっていなかった。

 葬式と告別式が終わって半年が経ったお盆の頃、彼は母に会うため、湊音の墓参りに行くために帰省した。

 彼の母も湊音の両親も現実を受け入れていて傍から見るといつも通りの生活を送っているように見えたが、どこか寂しさを、喪失感を、ぽっかりと中身が無くなったかのようだった。

 一人で墓参りに行き、湊音が少女を助けた場所に立ち寄る。

 河口付近の川の流れはとても穏やかで、とても溺れてしまう場所には見えない。当時とは流れ方も異なっているだろうが、それでもむしろ川の流れ方に優しささえ感じた。

「もう......本当に、会えないのか……」と呟くように彼は言い、その場を後にする。

 途中、通っていた高校に向かう道で母のいる家へと向かう。

 ふと目をやると彼岸花が。開花するのには一ヶ月ほど早い時期だが、季節外れに美しく咲いていた。

「久しぶり!!!」

 聞き慣れた声が。彼がもう一度聞きたい声と心から願っていた声が。信じられないことに彼の背中から聞こえた。

「元気だった?」

 振り返るとそこには湊音が立っていた。

 青いリボンが巻いてある、ひまわりの飾りのある帽子。快晴の空のように澄んで濃い青いの花がアクセントの髪どめ。左手首に青いシュシュをつけていて、襟から下に流れるようにリボンで結ばれた青いネックレス。

 肌と同じくらい真っ白に眩しいノースリーブのワンピースを着た少女が、そこに確かに立っていた。

 湊音の死で涙を流せなかった彼は、今までの我慢からなのか。まるでダムが決壊したかのように涙が溢れ、嗚咽した。

「ちょちょちょ!!!そんな泣かないでおくれよ!」

 驚いた表情で湊音が言う。彼の涙を見て、いつものいたずらしてしまった後に見せるやりすぎてしまったなという表情で「意地悪言っちゃったね。ごめんごめん。」と言った。

「双葉......好きだ.........」

 泣きながら、彼はそう言った。ずっと伝えられなかった想い、湊音が生きているうちに伝えたかった想いが言葉になってこぼれていた。それを聞いた湊音は照れと驚きが合わさった表情をして、ニコリと笑いながら彼を見つめてこう言った。

「ありがと。でも私の代わりにね?ほかの女の人を好きになってさ。君にはちゃーんと青春してほしいな?私はそれが聞けただけで満足だから......」

 自分が死んでしまったことで彼の気持ちに応えられない申し訳なさと「もう決意したんんだ」という気持ちが声音にのっていた。

 しかし、その声は徐々に震えていて、目にも涙が溢れていた。静かだが確かに泣いていた。

 最期にまるで悪あがきをするかのように「またね?」とだけ一言残し、彼が瞬きした一瞬に湊音の姿は消えていた。

 湊音の死をようやく受け入れられたこと、彼が湊音に対して秘めていた想いを伝えられたこと、幻なのか霊なのかはわからないが湊音と再会できたこと。彼は色々な思いが溢れてその場で号泣していた。

 周りからはひぐらしの鳴き声だけが響き、暑さと風からは確かに夏が終わる予感があった。

伝えたかった想い


 彼は都内で社会人経験を経たのち、地元に近い市街地で介護施設の経営を始めていた。

 順調に規模を拡大して地域で一番大きい介護事業者となった。

 その裏には、彼の思いや使命があったのだろう。母のことや湊音の死などが更に彼を搔き立てたであろう。

 しかし、50代になる頃に体調を崩し始め、過労によって息を引き取った。

 彼を担当していた看護師"雨晴はう"は悔やみ、悲しんだ。

 もっと出来たことはないだろうか?患者が望んでいた最期だったのか?と。

 別の日に雨晴はうは、また大切な患者さんが亡くなってしまったと、つい自身の母に電話で弱音を吐いていた。

 雨晴はうの母は優しく受け止め、それから過去の話をした。

 自分自身が幼い頃に川で溺れて死にかけたこと、その時に年上の少女が命を懸けて助けてくれたこと、それから自分自身も人の命を助けられるようになりたいと思い、医者になったこと。

 医者になって人の死に直面することは、娘である雨晴はうと同様に経験して、その度に娘と同じように今までしたことは本当に合っていたのかと自問自答することもあった。

 しかし、己を信じて前へ進んでいれば、いつか自分のしてきたことが正しかったのかどうかわかる日が必ずやってくる。

 その時が来るまでひたすら自分が持つ信念を持ち続けて牛のように突き進むしかないのよ、と。

 娘の、看護師の、雨晴はうにそう伝えたのだった。


 ――――――――――――――――――――


 ――――ここは………、そうか。僕はもう......

 気付くと目の前には真っ白な空間が広がっていた。天界なのだろうか。わかっていることは、自分が既にこの世から去った後だろうということだった。暫く当てもなく歩くが景色が一向に変わらない。どこへ向かってあるけばいいのだろう。

「君も死んじゃったの?」

 もう遠い昔に忘れていた、ヒマワリのように力強く、元気で可愛らしい声が後ろから聞こえた。もう二度と、聞けないと思っていた声だった。

 振り返るとそこには双葉が、あの時の姿のまま、あの時の年齢のまま、透き通った水のような瞳でこちらを見ていた。いつかのお盆の時を思い出す。

「結局、他の女の人とは青春しなかったんだね?というか出来なかったのか!!」

 悪い子どものように、いたずらっぽく双葉は言った。

 僕はどこか懐かしさを覚え感動的な涙の再開なはずだが、何故か強く安心感を覚えた。ホッとした表情をして僕は双葉を見ながら頷いた。

「でもさ?私、ずっと見てたよ。あれが君なりの青春だったのかな?私はそういう青春もありだと思うよ?それでも他の女の人と幸せになってほしかったけどなぁ...」

 自分は理解してますよ~~~と言わんばかりな雰囲気だが、結局最後にハッキリ言っていた。それが双葉らしくて、どこか可笑しかった。

「僕は......、誰かと恋愛したとしても、結局その相手を傷つけてしまっていたと思うんだ。君のことを忘れようとしたが忘れられていなかったんだ。だから......、あれで良かったんだよ。双葉しか愛せなかったと思う………。」

「そんな......!双葉しか愛せなかったと思うだなんて………!!そんなのもはやプロポーズじゃないのよ!!!」

 死人も可愛く照れるんだなと思いながら聞いていた。

 僕はどれだけ生きている時に僕の想いを伝えられたら良かったかと後悔の念を感じるも、今こうしてどんな形であれ、直接伝えられて良かったと思う。想いを伝えられたこと自体に深く感謝していた。

 突然僕らの横を川が流れ始めた。さっきまでなかったはずの川には橋がかかっていた。白い霧、というかモヤがかかっていて橋の先は見えない。橋の近くの川辺にはどこか見覚えのある彼岸花が散っていた。

 ーーーーあぁ………。僕らはこの場には長くは居られないんだな…………。と直感的に思った。

 双葉も同じように思ったのか、橋の先を見ながらこう言った。

「それじゃあ…………行こっか!来世は、どんなに忙しくてもちゃんとバレンタインのお返ししてよね~~~?」

 受験で忙しく、最後のバレンタインのお返しをしていなかったことを指摘され、そんなこともあったなと思い出しながら僕と双葉は静かにその川にかけられていた赤い橋を渡り始めた。

 川の流れは速かったが、絹のように滑らかでとても優しい感じがした。

 橋の上から川を見ながら進んでいると、双葉が僕の手を取り、持ち前の太陽のような明るい笑顔でこう言った。

「来世こそ一緒に青春しようね?」

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