53. デボロ vs リヴァイ(2)
巨大だった体はいつの間にか縮み、一般的な体格へと変わっていた。
いや、あくまで以前に比べれば一般的というだけで、人体に一家言あるデボロから見れば、相手はギリシャ彫刻でしか拝めないような完璧な造形をしていた。
一目で分かるほどバランスの取れた身体比率。過剰に膨れ上がった部位もなく、かといって物足りない部分もない。
愚かにも重りだけを振り回し、女に媚びるための「見せ筋」を作っている連中とは、次元の違う筋肉だった。
これぞまさに、実戦圧縮筋肉。
クレーターから抜け出し、一歩ずつ近づいてくる相手。
リバイを見守っていたデボロは、ふと悟った。
自分が長い間、羨望の眼差しを向けてきた姿が、今まさに目の前にあるのだと。
だが、そんな感慨も長くは続かなかった。
「この姿になるのも久しぶりだが……」
拳を握ったり開いたりしながら、自身の体を確かめるリバイ。
一息つくと、言葉を継いだ。
「お前も知っての通り、覚醒すれば本人が望む方向へ能力が発展するという説がある。それが正しいかは分からんが、俺はこの能力をいたく気に入っている。以前は体を管理するために食事を極限まで制限していたが、俺にとってそれは死ぬほど辛いことだった。冗談抜きで死を考えたほどだ。だが、覚醒能力が摂取したエネルギーの一部を貯蔵し、後で望む時に燃料として使えると知ってからは、何も選り好みせず食うことにした。もちろん、俺が食いたいものを中心にな」
「戦いの最中に感傷に浸るとはな。それで、何が言いたいんだ」
「大したことじゃない。久しぶりに元の姿に戻って、感受性が豊かになっただけだ。現実的な話に戻れば、お前のおかげで準備していた計画が狂った。手ぶらで帰れば、この作戦を注視している上層部が俺をどう思うか……。お前にはその代償を払ってもらうぞ」
そう言いながら、腕を上げてガードを固めるリバイ。
その瞬間、デボロはこれまで感じていた既視感の正体に気づいた。
デボロもまた腕を上げ、ボクシングの基本姿勢を取った。
その姿を見たリバイの目が、驚きに細められる。
「ほう? ボクシングができるのか?」
「少々な」
「珍しいな。今まで見てきた日本の男は、どいつもこいつもガリガリで貧相な奴ばかりだったが」
覚醒前からも自重トレーニングなどの運動を好んでいたデボロは、様々な運動を趣味としていた。その中にボクシングもあったというだけだ。
通っていたジムの会長の勧めでアマチュアの試合に出るほど打ち込んでいたため、趣味の範疇ではかなり熱心な部類だったと言える。
「俺の名はリバイだ」
「……?」
頭に浮かぶ疑問符。
今まで黙っていたくせに、今更名乗るとは。名前を聞けば礼でも言うと……。いや、「リバイ」という名に、ふと古い記憶を呼び起こされた。
ボクシングに熱中していた頃、ミドル級の世界チャンピオン戦があるというのでテレビで観戦したことがあった。画面の中の男が、目の前の男と重なる。
選手の名前も彼と同じだった。ミドル級の試合でありながら、相手選手を圧倒する姿が印象的で、昔のことながら思い出すことができた。
デボロの心境の変化を察したリバイ。
面白い獲物を見つけたと言わんばかりに、愉悦の笑みを浮かべる。
――カーン!
始まりの合図は、どちらからともなく響いた。
リバイが自然なリズムを刻みながら、デボロへと接近する。
ドォン!
ガードを上げたデボロに突き刺さるリバイの攻撃。
それは単純な拳などではなく、建造物を解体する際に使う破砕用の鉄球のような、重苦しい一撃だった。
よろめくデボロ。
だが、身体を強化し人間の限界を脱却させるデボロの覚醒能力のおかげで、見た目ほどの大きなダメージはなかった。
畳みかけるリバイの攻撃に対し、デボロも隙を突いて腕を伸ばした。
だが、ボクシングのプロになるには、相手を打つことと同じくらい「打たれること」に熟練しなければならないという言葉通りか。
デボロが三発受けている間に一度の攻撃を試みたが、リバイは肩をわずかに捻る最小限の動作で衝撃をいなしてみせた。
目まぐるしい攻防の最中、ふと「ボクシングというのは、上へ行けば行くほど、どんなスポーツよりも才能がすべてだ」というジムの会長の言葉が脳裏をよぎる。
その頂点に立った男と拳を交えている。男らしくもなく怯えて退くなど、デボロの性分ではなかった。
むしろ拳を交わすことに興奮を抑えられなかった。
覚醒する前にこの男に出会えなかったことが、口惜しくてならない。
まるで東京という都市が二人だけのリングになったかのように、二人は広く動き回りながら激突した。
そうしているうちに、デボロの背中に冷たいコンクリートの壁が触れた。
「もう逃げ場はないぞ。どうする?」
それは心配というより、相手を見下す強者の嘲笑だった。
リバイが窮地に追い込まれたデボロに向け、短時間の間に連続攻撃を叩き込む。
その一撃一撃が放たれるたび、デボロの足が宙に浮き、衝撃で背後のコンクリート壁には無数の亀裂が走った。
そして、ついに。
「終わりだ――!」
ガラガラッ。
ドォォォォン!
深く踏み込んだリバイの拳が、デボロを建物ごと埋め殺した。
「掘り出すには、人を呼ばなきゃならんな」
リバイが瓦礫の下に埋まったデボロを引きずり出すため、応援の電話をかけようとした、その時だ。
瓦礫に押しつぶされたデボロは、先ほどの戦いを脳内で復習していた。
ダメージが蓄積すれば、打たれ強さだけで耐えるのにも限界がある。
このまま外に出て再び戦ったとしても、同じ二の舞を演じるだけだ。
ボクシングのルールで戦えば、リバイには勝てない。それを痛いほど悟らされた。
戦いそのものは好むが、変なこだわりは持たない。それが彼の強みだ。
デボロが狙えるのは……圧倒的な実力差に、相手がいつか一度は見せるであろう「油断」の瞬間。その一瞬を突くために、今は耐えるのみだった。
パッ。
考えを整理したデボロが、瓦礫を突き破って外へと這い出した。
その姿を見て、リバイが驚きに目を見開く。
「瀕死かと思ったが、随分と元気そうじゃないか」
「元気なわけねえだろ。これが見えねえのか? ここだよ、血だ」
デボロは頭から顔へと流れる血を、片手で乱暴に拭った。
「ハハッ! 日本の男にしちゃ骨があると思ったが、期待以上だ!! 別の場所で会っていれば、友人になれたかもしれんな!」
直後、戦いが再開された。
リバイが瓦礫の山の上にいるデボロに向かって飛びかかる。
その姿を見たデボロは、思わぬ好機が早くも訪れたことを確信した。
今か? それとも、もっと忍耐強く相手を油断させてから機を狙うべきか。
コンマ一秒にも満たない刹那、膨大な思考が脳裏を駆け巡る。
今のリバイに通用する適切な技術は何か。
これまでの人生で学んできたあらゆる技が浮かんでは消えていく。
その中で選べるのは、ただ一つ。レスリングの技術――アームドラッグ。決断は早かった。
デボロはボクシングで応じる代わりに、突っ込んできたリバイに向かって一歩踏み出した。
そして相手の手首を掴み、その懐へと潜り込んで肘関節を力強く引き寄せた。
そのまま180度体を回転させ、リバイを巻き込むようにして地面へと転がった。
直接的なダメージは与えていない。
だが、次の動作へ繋げるには十分だった。
デボロはリバイの上に馬乗りになり、マウントポジションを取った。
「クソッ! 貴様、何をするつもりだ!?」
凄まじい力だった。
下から逃れようとリバイが身悶えするが、純粋な筋力だけで言えば、デボロの方が一歩上だった。
「何言ってやがる、マヌケが。お前、まさか俺たちがボクシングのルールで戦ってるとでも思ってたのか?」
デボロの言葉に、リバイの瞳に冷徹な光が宿る。
不利な位置から脱しようとするリバイを、デボロは太腿でがっちりと締め上げた。
「うおおおおぉぉ!」
残るは、全力を尽くして相手を叩き潰すのみ。
デボロは両拳を高く振り上げ、リバイに向けて拳の雨を降らせた。
ドォン!
ドガッ、ボゴッ!
デボロが一撃を放つたび、地面が激しく揺れる。
周囲には土煙が舞い上がり、これから起きる惨劇を覆い隠すかのようだった。
どれほどの時間、殴り続けたろうか。
下で暴れていたリバイの抵抗が完全に消えたことに気づくと、デボロは攻撃を止め、相手の死を確認した。
「……疲れたぜ」
疲弊した分、強敵に勝ったという充実感がデボロを包んだ。
手に付いた血をリバイの服で拭い、ゆっくりと立ち上がる。
そして天を仰ぎ、勝利の咆哮を上げた。
「うおおおぉぉーー!!」
勝利の余韻に浸っていると。
周囲に一人、また一人と人影が集まり始めた。
その中に、デボロが見知った顔がいくつか混じっていた。
彼らはアメリカの「半端な」覚醒者たちだった。
以前、アヤノを護衛していた際に一般人を覚醒させたことがあったが、どういうわけか、その一部がこの場所に集結していたのだ。
今はリバイとの死闘で、体力を大幅に消耗している。
集まってきた連中が、善意で集まったようには到底見えない。リバイの遺体を返せば大人しく引き下がる、という雰囲気でもなかった。
降伏か?
降伏すれば、ここでは命を拾えるかもしれない。
だが、これほど気分のいい日に勝者が取るべき道は、降伏などではない。
新たな挑戦者を迎え撃つことこそが、ふさわしい。
デボロはいつの間にか周囲を埋め尽くしていた連中に向かって、大声で叫んだ。
「かかってこい!!」
その気迫に、そして足元に転がるリバイの姿に、一瞬たじろぐ男たち。
だが、それも束の間。
数多の覚醒者たちが殺意を剥き出しにし、一斉にデボロへと襲いかかった。




