46. エレナ? エレナ!
旅行の準備を終え、いよいよ出発するばかりという時に、マサヒロ隊長から連絡が入った。
私はその知らせをケイコに伝えた。
「防衛隊に寄らなきゃいけなくなったみたいだ」
「えっ? まさか休暇が取り消しになったりするの?」
休暇中に防衛隊へ行かなければならないという衝撃的な知らせに、ケイコは驚いて聞き返してきた。
目に涙まで浮かべているのを見ると、せっかく取った休暇が台無しになるのではないかと、相当焦ったようだ。
その姿を見ていると、なんだか封印していた私の中の「加虐心」がむくむくと湧き上がってきた。
ふふ、ここで私が少し突っつくだけで泣き出しそうだな……。
パシッ。
だが、私の中の加虐心が目覚める前に、自分で頭を一発叩いた。
ケイコがこの日をどれほど待ちわびていたかを知っているのに、悪ふざけはできない。
不思議そうに私を見つめるケイコに、安心させる言葉をかけた。
「そうじゃなくて、これから出発するって言ったら、ちょうど良かった、行く前に少し防衛隊に寄ってくれって言われたんだ」
「そうなの? もしかしてあなたの休暇がなくなったのかと思って、びっくりしちゃったじゃない。まあ……何か理由があるんでしょうね。ユイのところへ行く前に寄りましょう。すぐ終わるわよね?」
分かりやすくすぐに元気になる。
こういうところを見ると可愛いところがあるんだよな、誰が連れていくんだろうか。
「ええ、大したことじゃないはずですよ」
私にも、呼ばれた理由は分からない。
なぜ呼ぶのか聞いても、「来れば分かる」と言われるだけだったので、急ぎの用件ではないだろう。
私はケイコの運転する車に乗って、防衛隊へ立ち寄った。
防衛隊に到着した私は、マサヒロ隊長の執務室のドアを開けた。
中へ入ろうとした瞬間、巨大な影が私に襲いかかってきた。
「ユウマ――お兄ちゃん――!」
エレナだった。
私の胸に飛び込み、レトリバーのように顔を擦り付けてくるエレナ。
私は彼女をそのままに、これは一体どういうことだと、説明を求める意味でマサヒロ隊長を睨みつけた。
「お兄ちゃんに会いたかったです!」
エレナの真心が伝わってくる言葉に、ぎこちない姿勢でいた私もエレナを抱きしめた。
「俺も会いたかったよ」
その一言を口にして、ようやくエレナに再会したのだと実感が湧いた。
無事だと知っていても、心のどこかに残っていた不安。
もしかしたら二度と会えなくなるかもしれないという恐怖が。
エレナの温もりで、少しずつ溶けて消えていった。
そうして隊長の執務室の前で互いに抱き合っていると、見かねたマサヒロが咳払いをしながら言った。
「コホン。再会を喜ぶのはいいが、そろそろ中に入ってもいいんじゃないか」
そこでようやく周囲の視線に気づいた。
執務室の前で私たちが抱き合っているものだから、何か事件でも起きたのかと、通りがかりの人たちが足を止めてこちらを見ているではないか。
エレナが私から離れようとしないので、彼女を抱き上げたまま室内へ入った。
バタン。
そして、私はエレナと並んでソファに座った。
マサヒロ隊長が出してくれた抹茶は、少し苦かった。
エレナが私の片方の手をおもちゃにして遊んでいる。
私は持っていた湯呑みを置いて切り出した。
「どういうことなんですか?」
「黒い服を着たおじさんたちとばかりいたんだけど、話しかけてもつまんないことしか言わないから、退屈で死ぬところだったんだよ!」
マサヒロ隊長に聞いた言葉なのだが……。
セーフハウスがよほど気に入らなかったのか、頬を膨らませて喋るエレナ。
とにかく、エレナの話を聞く限りでは、これまで安全な場所にいたのは間違いないようだった。
「コホン、今度海に行くんだってな?」
「え? ええ」
以前話したから知っているはずなのに、なぜ今更聞くのかと思った。
続くマサヒロ隊長の言葉を聞いて、私が飛び上がるほど驚くまでは。
「海に、エレナも連れて行ってやってほしいんだが」
マサヒロの言葉に、私たちはどちらからともなく大声で聞き返した。
「はい?」
「本当!? 私、行きたい! 絶対に行きたいです! お兄ちゃん、いつ行くの?」
エレナが片手をビシッと挙げて海に行きたいアピールをするが。
その姿に喜ぶよりも、エレナが祭りでの誘拐された光景が先に脳裏をよぎった。
エレナが少し落ち着くのを待ってから、私はマサヒロ隊長にその理由を尋ねた。
「エレナが退屈しているようだったからな」
「……?」
「と言っても、信じないだろうな」
驚かせないでくださいよ、この人は。
一方で、こうして座って冗談を言えるほど、私たちが親しくなったのだとも実感する。
「実はだな、エレナを海外へ拉致しようとしていた組織のボスが死んで、組織内で内紛が発生したんだ」
ポポフを使ってエレナを攫おうとしていた奴が死んだ?
それは朗報だ。
私は耳をそばだて、彼の言葉を傾聴し始めた。
「だから、セーフハウスで密着警護を受ける必要もなくなったのではないかと思ってな」
その言葉に、エレナがパッと顔を明るくして言った。
「私、もうあのおじさんたちに会わなくていいの?」
「まだどうなるか分からないから、以前のようにはいかないが、警備レベルを下げて様子を見るのが良いだろうと思ってな」
「それだけでも私は嬉しい! えへへ」
都合よくボスが死んで、自分たちで内紛を起こすなんてことがあるだろうか。
「防衛隊が手を回したんですか?」
「いや、我々は日本国内の事案を処理するだけでも手一杯だ。あくまでエレナを保護するために、どこが拉致を企てたのかを把握したに過ぎない。どの組織か特定して監視していたのだが、数日前に組織間の抗争と思われる事態が起きたとの報告を受けてな。状況を調べてみると、ボスが死んでいたそうだ。発見された遺体が無惨な状態だったことから、怨恨による犯行と見られている」
彼の話を聞いて、コンテナ船で戦ったポポフという老人の顔が浮かんだ。
覚醒者ではなく一般人だったが、凄まじい実力だった。
エレナを攫いに日本まで来たというのに、どこか納得がいかない様子でもあった。
マサヒロは、誰が敵対ボスの殺害を実行したのか分からないと言うが、直接会った私には、彼がやったのだという確信があった。
たとえ一般人であっても、彼にはそれだけの能力があるし、ポポフがその気になれば、一介の組織員だけでは防ぎきれなかったはずだ。
「どうする?」
四つの瞳が私を見つめる。
マサヒロの言う通りなら、祭りでのあのような出来事は二度と起こらないだろう。
「エレナを連れていきます」
「ユウマお兄ちゃん、最高!」
エレナがそのまま私にしがみついてきた。
「ゲホッ、ゲホッ……う、腕が……首が……」
喜びを抑えきれない腕が、私の首を絞めていた。




