32. 氷の精霊とユマ
動物たちに餌をやってから、帰るまでの残り時間を自由時間とすることにした。
自由時間と言っても、動物を見て回るだけだったが… それで今、ユイと俺は肉食動物エリアを訪れていた。
実は俺はウサギでも見に行こうかと思ったんだが、ユイが嫌だと言ってここに来ようと言うじゃないか。
普通、女の子は小さくて可愛い動物が好きなんじゃないかと思ったが、本人が嫌だと言うならどうしようもない。
「うわぁ……ユウマお兄ちゃん、大きな猫たちを見て。」
ユイの言う大きな猫とは、ライオンやトラ、それにヒョウまで。
全部ネコ科に分類されるのは合ってるが、可愛がるには図体がデカすぎやしないかと思う。
大きなタテガミを持つ雄ライオンが近づいてきて、ユイが座っている車椅子を物珍しそうに見回している。
ユイは雄ライオンのタテガミをそっと触ってみて、自信を得たのか手で悪戯したり引っ張ったりもし始めた。
「それじゃライオンが嫌がるよ。」
「うん。つい無意識に、気をつけるね。ライオンさん、ごめんね。」
ユイが危ないかと思って止めたわけじゃなかった。
ライオンが俺を見て、助けてくれと言わんばかりの目を向けてきたから、気をつけろと言っただけだ。
まあ、焔に教育された子たちでもあったし。
俺が一緒にいる以上、ユイに脅威となるようなことはない。
今なら素手でもライオン程度は勝てるんじゃないか……?
覚醒者になったということは、種の限界を超えたという意味で、平凡な人間なら想像もできないことを成し遂げられる人間だと、教育を受ける時に聞いた言葉だ。
何か恥ずかしい言葉だが、その言葉には俺も共感する。
そうしてしばらく猫たちと遊んでいると、防衛隊から連絡が来た。
スマートフォンを取り出しメッセージを確認すると、内容はかなり深刻だった。
東京市内で大量のモンスターが暴れているとのこと。
大多数が氷の精霊と把握されているため安全に留意し、外部に出ている人員は防衛隊に集結すること。
休暇や休日の人は防衛隊に来いとは書かれていなかったが、こんな事が起きているのに、ここで遊んでいるわけにはいかなかった。
焔も同じ考えだったのか、大きな声を出しながら近づいてきた。
「みんな! どうやら戻らないといけないみたいだ。」
その言葉に俺は、楽しそうに遊んでいるユイを見て言った。
「俺もそう思いますが、ユイはどうしますか?」
「どうして? なんで帰るの? 何かあったの?」
「あー……それが今、都心にモンスターが現れたんだってさ。」
「えっ? だったらここでこうしている時間なんてないじゃないですか。私は気にせず行ってきてください。」
俺はユイを安全な場所に置いていくなら賛成だが。
ここまでまた来ることになる焔が問題だ。
「大丈夫ですか?」
俺が言う言葉がどういう意味か気づいた彼は、肩をすくめて言った。
「問題ないよ。管理人のおじさんが退勤する時に、ユイを送ってくれと言えばいい。あの方も夜には家に帰るからね。」
「そんな方法が。」
彼の動物園には俺たちの他にもう一人いる。
焔が席を外す時、動物たちに餌をやる人が必要で新しく入れた人員だが、以前は別の動物園で飼育員として働いていて退職した経歴があるそうだ。
性格も良い人だから、ユイの面倒をよく見てくれるだろうと、心配する必要はないと。
「俺たちは先に行くから、ここで遊んでからゆっくりおいで。」
「心配しないでください。」
そうして俺はユイを動物園に残し。
焔と一緒にビル群へ向かうために動き出した。
東京へ戻る道。
「出ていく車が多いな。」
詳しい事情は分からないが。
都心に入っていく車は俺たちだけで。
外へ出ていく車の行列は終わりが見えなかった。
それほど状況が深刻ということか?
連絡が来た時の語感では、A級モンスターが現れた時ほどではなかったが。
もちろんモンスターが現れたというだけでも危険なのは間違いないが… こういう状況に遭遇するのは初めてだ。
東京がどれだけ広いか知ってるか?
どこかで見たんだが、サッカースタジアムが30万個は入るほど大きいらしい。
小さな画用紙に絵の具を落とせば滲むだろうが、一部分だけ変色するように。
人々もモンスターが近くにいるのでなければ他人事だと思って家の中にいるはずなのに、どれだけ状況が深刻ならこんな大規模な移動が発生することになったのだろうか。
俺たちは間もなくして、今回の事態を引き起こした元凶の一部と出くわした。
「これ、これは何だ?」
「……」
東京の都心に入って間もなく。
天と地を隠す必要もないほど、通り過ぎる場所ごとに氷の精霊が目に入ってきた。
「多すぎるぞ?」
彼の言葉通り、多くても多すぎた。
これだから人々が怯えて逃げようとするんだな。
ここで車を止めていようとしても、どう対応すべきか輪郭さえ見えなかった。
「とりあえず……防衛隊へ向かわないといけないと思うんですが。」
結局、元の計画通り押し通すことにした。
俺の考えも彼と変わらないし、車の持ち主もそうだと言うなら、俺に言うことなどあるか。
そうして信号が赤になっても無視して飛ばしていた最中、俺たちの周りに氷の精霊たちが集まり始めた。
「奴らがついてきてるみたいですが?」
幸い車の移動速度の方が速くて、後ろから追いかけてくる連中に追いつかれることはなかった。
それに焔が車についているルームミラーを覗き込み、追いかけてくる氷の精霊を確認した。
「多すぎる、どこから湧いてきたんだ。」
しかも俺たちがここにいると噂にでもなったのか、前から来る奴らもいた。
「しっかり捕まれ。」
精霊を避けようとあちこち動いたせいで、焔の運転が荒くなった。
それでも運転が上手いからか、このままなら防衛隊に到着できるだろうと思った瞬間、車体の下部から何かズレたような音がして。
ガガガッ。
ガタン。
車が沈み込み、世界がぐるぐると回った。
キキキーッ。
ドカーンー
「頭が。」
俺たちが乗っていた車が木に激突して止まった。
怪我はしていないが、ぐるぐる回ったせいで頭がふらついた。
俺は急いで気を落ち着かせ、焔の状態を確認した。
「焔さん、大丈夫ですか?」
「うぅっ……大丈夫だ。」
首筋を押さえているのを見るとそうでもなさそうだが……とにかく今は戦時状況。
簡単な打撲傷程度なら唾でもつければ治るだろうから、今は他所を気にしている場合じゃなかった。俺は事故で潰れて開かない車のドアを足で蹴った。
開いたドア。
外に出て俺たちが置かれた状況を見ると、決して良いとは言えなかった。
しばらくして焔も外に出てきて周りを見回すと、『うーん……』と唾を飲み込んだ。
今、俺たちの周りを氷の精霊たちが取り囲んでいて。
精霊たちは楕円形に俺たちの周囲をゆっくりと回っており。
もう少しすれば、かろうじて見えていた空さえも遮られる勢いだった。
なぜこんなことをするのか分からないが。
まるで何かを待っているような形だった。
俺はどうにかしてここを抜け出せそうだが、非戦闘員である焔は大丈夫だろうか?
その時。
焔が銃を取り出した。
ガチャッ。
引かれる引き金。
ターン!
発射された弾丸が氷の精霊の体を貫通した。
しかし拳ほどの穴が開くだけで、また傷を回復する精霊を見ると、大きなダメージを与えられていないようだった。自分が撃った銃で大した傷も負わない精霊を見た焔は、銃をまた仕舞った。
こりゃ本当に問題だな。
覚醒者が使用する銃は、一般人が使うものより強いというのが常識。
そんな焔の銃が精霊に大した被害を与えられなかったのだから、動物との疎通能力を備えている彼としては、今や丸腰も同然。
俺は腰に差していた剣を外して彼に渡した。
「これを受け取ってください。」
「お前はどうする?」
「俺には覚醒能力があるじゃないですか。これを持って、来るのだけどうにかしてみてください。」
「剣は訓練の時以外使ったことないんだが……とりあえず使ってみるよ。ありがとう。」
慣れていないとしても、覚醒者である以上、素手よりはマシだろう。
俺は焔にその場にいるように言い、氷の精霊に向かって突進した。




