31. 氷の精霊とキョウスケ
厚着をした男が周囲を見回しながら言った。
「ここはいつ来ても気味が悪い場所だな。」
「もう死んだも同然の人たちだからな。」
彼らの周囲には、軍服姿の氷の像が立ち並んでいる。
ここは雪女というモンスターにやられた人々がいる場所で、
凍りついた軍人や民間人を保管するために政府が用意した特殊施設だった。
いつの日か冷凍人間を蘇らせる方法が見つかるまで、彼らを保存するための場所なのだ。
「ここが墓場と何が違うってんだ。」
気温がどれほど低いのか、言葉を交わすたびに二人の口からは白い息が吹き出している。
「……じゃあ、俺たちは墓守か?」
「墓守? そう考えると気分悪いだろ。もういい、外に出てラーメンでも食おうぜ。」
「それ、いいな。」
ドン。
扉を閉めて立ち去ったその場所。
冷たい氷の像だけが残された中、
室温を下げるために稼働する冷却器の音だけが、寂しく響き渡っていた。
ピキッ。
しかし、彼らが去ってから間もなくして、像の表面に小さな亀裂が生じた。
翌日。
勤務中の作業員が像に入った亀裂を見つけ、仰天した。
「あれ? ちょっとここに来てこれ見てくれ!」
慌てて別の者を呼ぶ男。
だが、一緒に働いていた男は、こんな場所で大したことが起きるわけがないと高を括り、自分を呼ぶ同僚のもとへゆっくりと歩み寄った。
「どうした?」
「ここ! これ!」
「口で言えよ。それじゃわかんねえだろ。」
「いや! ここを見ろって。」
作業中に同僚に呼ばれた男は、彼が指差す場所を確認した。
「何だよ。大したことじゃなかったらただじゃ……うわっ! な、なんだこれ? 昨日もこうだったか?」
「いや、今日来たらこうなってたんだ。」
氷像の亀裂を見てようやく事態の深刻さに気づいた男は、不安な表情を浮かべて言った。
「……報告すべきか?」
「そうだけど……俺たちの管理不足のせいにされて、不利益でも被ったらどうするんだ……?」
「まさか……そうなるか? 俺たちはやるべきことをやっただろ。」
「だろ? 俺たちに落ち度なんてない。仕事をサボったわけでもないしな。ただ水をかけて割れたところを塞ごう。」
「……そこまでしなきゃいけないか?」
「おい、しっかりしろよ。ここにいる人たち……いや、もう人間とも呼べないだろ。お前の目にはこれが生きてるように見えるか? マグロみたいに冷凍された人間がどうやって生き返るんだよ。政府だって適当な場所に置くのは気が引けるから、こんな所に集めてるだけだろ。生きている人間は生きなきゃな。そうだろ?」
今は氷の像のように変わって冷凍庫に入っているが、彼らもかつては生きていた人間であることを知っている。
だからこそ、今回の件のせいで将来目覚められなくなったらどうしようかという不安が、彼らの心を揺さぶった。
それと同時に、あるかどうかもわからない遠い未来の不確実なことより、一度だけ目をつぶれば何事もなかったかのようにやり過ごせるという方へ、心が傾き始めた。
「……ああ。お前の言う通りだ。俺たちさえ黙っていれば誰にもバレない。」
「よし。見たところ他の像にもヒビが入ってたし、誰かに見られる前に急ごう。」
最初隠蔽しようと提案した男が、不安がる同僚の肩を叩き、外に出て必要な物を持って戻ってきた。
「ほら、受け取れ。どうせ元から表面が滑らかだったわけじゃないし、補修さえ上手くやれば何事もなかったようにごまかせるさ。」
「……俺、この仕事が終わったらここ辞めるよ。」
「そうか。遊びに行くなり、もっといい所に転職するなり好きにしろ。とにかく、まずはこれを片付けるぞ。」
水の入ったバケツとタオルを分け合い、亀裂が入った場所を埋め始める二人。
「ほら見ろ、これなら全くわからないだろ?」
「ああ、誰かに見られたらマズいから、早く終わらせて出よう。」
ひび割れた部分を、水に濡らしたタオルで埋めていたその時。
ピキピキッ――
どこからか、氷にヒビが入る音が響いた。
その音にびくりとした男は、震える声で言った。
「何かマズいんじゃないか?」
「俺たちが何をしたって言うんだ? 補修までしてこうなるなら俺たちの責任じゃない。心配するな。」
だが、まさにその瞬間。
氷が砕ける音が急激に早まり、
爆弾が爆発したような音が空間を埋め尽くした。
ドンッ、ドガン!
かつては生きていた人間の氷像が連鎖的に破裂し、氷の粉塵が部屋を舞う中、
「うわあっ!」
突然の混乱の中で身を縮めていた彼が再び顔を上げた時、目の前で信じられない光景が繰り広げられた。
砕け散った氷の山の中から寒気を放つ幽霊が現れ、同僚の周りを漂いながら彼の温もりを貪る姿を見たのだ。
しばらくして、震えていた彼の体がピクリとも動かなくなると、
次の獲物を見つけたかのように、彼の方へと近づいてきた。
周囲にいた幽霊が彼に迫り、冷たい手を差し伸べる。
「ひっ、あぁ……!」
その手が触れるたびに、男の体温は急速に奪われていった。
彼が生涯最後に見た光景は、同僚が凍りついた姿だった。
◇
「クソッ。これ詐欺じゃねえか?」
「お手伝いしましょうか?」
「いい。自分でやる。」
京介は横から手伝おうとする人の好意を断った。
クレーンゲームの回数は32回目。
過去から今までこんなことは一度もなかったのに。
今日は人形を一つも取れていないという事実が信じられなかった。
手伝おうとした男は、クレーンゲームで楽しんだのか両手いっぱいに物を抱えている。その姿になぜか胸焼けがした。
瞬間、燃やしてしまおうかという衝動。
だが彼がいる場所は街のど真ん中で、下手に火を放って防衛隊と遭遇でもしたら、面倒なことになるのは火を見るより明らかだった。
今回は見逃してやることにして、あえて声を張り上げて彼を追い払った。
「鬱陶しいから消えろ。」
邪魔な男を追い払って心機一転した結果。
試行回数50回。
成功回数0回、あるいはゼロ。
結局何も手に入れることはできなかった。
途中で店員が来てアドバイスをくれると言ったが、俺にできないとでも思うのかと追い返してしまい、今さら後悔が押し寄せてきた。
ドン。
罪のない機械を蹴りつけた。
突然の音に何事かと覗き込み、一言注意する店員。
「そういうことされちゃ困りますよ。」
京介は分かったというように手を軽く上げて見せた。
店員が他の場所へ行くのを確認した京介は、周囲を見回して誰もいないことを確認すると、右手を広げて鉤爪のような形を作った。
指先から静かに立ち上る炎。
その状態でクレーンゲーム機に指を当てて徐々に力を込めると、薄い鉄板が剥がれ落ち、手が一つ入るほどの空間が作られた。
スッー
狙っていた人形を堂々と取り出した京介。
再び周囲に人がいないことを確認し、建物の外へ出るために歩き出した。
何の成果もなく帰るよりは、この方がはるかにマシだと自分を正当化した京介だった。
建物の外に出た。
景品も手に入れたし、アイスクリームでも買って食べに行こうとしたところ、どこからか人々の悲鳴が聞こえてくるではないか。
「怪物だ!!」
「逃げろ!」
怪物だと?
どこからかモンスターでも現れたのか?
建物を突き破り、京介が知っている奴らが現れた。
半透明な体を持ち。
通り過ぎた跡に残る霜。
姿は違うが、北海道で遭遇した氷の精霊だった。
精霊。
モンスターよりも希少で知られていることが少ない存在。北海道にいた時に一度相手にした感想としては、一般的な攻撃はすぐに回復するし、執拗で面倒な奴らだった。雪女からエキスを借りる時もかなり苦労した覚えがある。
数もかなり多かった。
今出没した氷の精霊は殺傷力こそ低そうだが、一度通り過ぎた場所には、数で圧倒するイナゴの群れが通り過ぎたかのように、青白い肌の人々だけが残されていた。
防衛隊の連中はどこで何やってんだ?
面倒になる前に他の場所へ移動しようとしたが。
親を失って一人で泣いている子供が目に入った。
「クソッ。」
炎を放ち、子供を襲おうとしていた氷の精霊を吹き飛ばした。
「おい、母ちゃんはどこ行って一人でいんだ?」
「わかんない……うわぁーん。」
ガキも嫌いだが泣かれるのはもっと苦手なのに……
しかも子供の泣き声が氷の精霊を刺激したのか、彼がいる場所へと近づいてきていた。
「泣くのをやめてこっちへ来い。」
泣くなと言って泣き止むなら子供ではないだろう。
その姿に京介はため息をつき、泣いている子供を片手で抱き寄せた。
それから精霊が近づけないよう、周囲を回転する炎の幕を展開した。
確保された安全。周囲を見渡した。
防衛隊が来るまで待てば解決することのように見えた。
子供を連れて安全な場所へ行くべきか悩んだが、そうすれば彼の腕の中にいる子供は、一夜にして両親を失うことになるだろう。
心の中では『ただ静かな場所へ行こう』という気持ちと、『子供が親を失わないように助けてやろう』という二つの気持ちが互いに衝突していた。
「おい。泣くのはやめてこれでも持ってろ。」
結局、助けてやるという気持ちに傾いた。
下手に死なれて幽霊になって現れ、寝覚めが悪くなるのは嫌だからな。
周囲を見回して必要なものがないか探した。
見つけた、ガス管。
彼の能力だけでも氷の精霊を相手にできるが。
できるだけ早く処理しなければ、どこかにいるであろう子供の両親が助からないかもしれない。
子供を連れてガス管がある場所まで移動した京介は、すぐに露出したパイプを掴み、力いっぱい引きちぎった。
バキッ。
ゴォォォー!
ガス管から吹き出る天然ガス。
天然ガスが京介の炎に触れると、炎が爆発するように燃え上がった。
京介の周囲はいつの間にか巨大な炎の海へと変わり、炎は止まることを知らず規模を拡大していった。
「くっ……。」
短い時間ではあるが、空を覆う炎がこれ以上大きくなれば制御できなくなると感じた京介は、両手を突き出して溜めていた炎を拡散させた。
広く広がっていく炎を操って周囲の氷の精霊を一気に飲み込み、炎の熱気に閉じ込められた氷の精霊は動きを制限されて溶け落ち、一帯では水蒸気が爆発的に発生した。
「ふぅー」
しばらくして氷の精霊の気配が感じられないことを確認し、力を収めた京介。
そして間もなく風に散らされた水蒸気が晴れ、惨酷な光景があらわになった。
地面に倒れた人々。
氷の精霊は消えたが、死んだ人は戻らなかった。
後始末も終わったことだし、防衛隊が来る前に帰ろうとしたが。
「坊や!!」
近くから子供の母親らしき人が、京介のいる場所へと走ってきた。
「ママ!!」
去っていく子供。
「あ、人形持ってきやがった……」
あげてもいない人形を持っていく子供を見ていたが、彼を呼ぶ声に振り返ると、そこにはレンがいた。
「京介、帰るぞ。」
「てめぇ、どこ行ってたんだよ。」
一人で苦労したと思うと腹が立った京介が怒鳴った。
だが、よくあることだというように淡々と話すレン。
「お前が先に用事があるから別行動しようと言っただろ。」
「そうだったか? 俺がそう言ったとしても、事が起きたら早く来なきゃだろ。どこで何してた?」
「氷の精霊がいたから処理して来た。それでお前は?」
「こっちも精霊の野郎どもが来て、俺が処理したんだよ。なら、お前、俺の炎見ただろ? どうだった?」
「いや。見てないが。」
「この野郎、俺の活躍を見ないでどこ行ってたんだよ!!」
二人は言い争いながら街から姿を消した。




