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魔導書を拾う  作者: kjms
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14. 本来の能力 & 14.5) ヴァンパイア・エレナ

モンスター狩りを終えたレンは、新たに得た力を確認するため、コンクリートの壁を掴んで力を込めた。


バリバリ。


「……」


簡単に崩れる壁。

コンクリートが発泡スチロールか何かのように引き裂かれる。

以前と比べれば、別人と言っても差し支えないほどだ。

これではキョウスケが言った「覚醒した人間は人間ではない」という言葉に反論の余地がないではないか。


最初は体が切断されても、大きな傷を負っても、すぐに回復するから覚醒能力が超回復だと思っていたが。

シンイチロウが連れてきた人物に少量の血を提供したところ、その場で本来の能力が何であるかを教えてくれた。


一体どこからそんな人物を連れてきたのか、防衛隊にもそんな能力者はいなかったのに……

気に入らないが、彼の行動から見て、色々と学ぶべき点が多い人物であることは明らかだった。


そうして判明した本来の能力は。

狩ったモンスターの心臓を食べると、その力を使えるようになるというもの。


もちろん、元のままの出力を出すことは不可能だが。

古くから生命体の心臓は力の源だと言われるではないか。

それだけでも、こうして覚醒を飛び越える力を得られるようになったのだ。


しかし、一度に収容できる能力は二つ。本来の能力と強奪した能力。

最初は格の低いモンスターを相手に試してからそれを知った時、胸がドキリとしたが、得た能力を押し出して新しい能力と入れ替えられると知ってどれほど安堵したことか。


結局、超回復は能力を強奪する際の負担を減らすためのサブ能力だった。


「やはり俺は人を見る目があるな。信じていたぞ。」


シンイチロウは即座に戦力になる者が現れたと喜んだ。


覚醒すれば自分の能力を大体は推測できるようになるが。

彼が連れてきた人物がいなければ、ずっと後になってようやく本来の能力に気づいたことだろう。


抑圧されていた本能が目覚め。

これまで感じていた空腹は、単なる飢えではなく。

新しい力に目覚めるための合図であったことを知るきっかけでもあった。


それ以前にも、他の人には言わなかっただけで。

時々耐え難いほどの空腹に襲われることがあったのだが。

モンスターの心臓を摂取してからは、二度とそんなことが起こらないだろうと本能的に理解できた。


「使える能力を探してやろう。そのためには外国へ行くことになりそうだから、準備することがあれば準備しておけ。」


そんなものがあるわけがない、あるとすれば一つだけ。

一人でいるユイが気がかりだということだけだった。

レンがシンイチロウの下に入ったのはユイを治療するためだったのに。

その選択によってユイは新しい環境でより良い介護を受けられるようになったが、その程度だけを望んで防衛隊を辞めたわけではなかった。


レンの目標は、ユイが病床から目覚め。

日常生活を送れるようにすることだ。


シンイチロウの言葉があってから数日後、レンはニュースでユウマの姿を目にすることになった。


「福岡市へ向かっていたモンスターを日本の防衛隊が阻止した現場に来ています。見えますでしょうか!戦闘がどれほど激しかったか想像される現場が!推定等級はなんとA級!誇り高き日本の防衛隊さえいればモンスターの心配は…あ、あちらをご覧ください。ちょうど、遠くにあちらの仕事を終えて帰る防衛隊員たちがいます!」


ズームインされる画面。

後ろ姿しか見えなかったが。

マサヒロ隊長の隣にユウマがいる姿を見ると。

自分がいない間にA級レイドにも参加できるようになった彼を誇らしく思った。


そして時が来た。

レンはこれまで顔すら見たことのない人々とともに、中国の張家界へと向かった。


「我々のチームに新しく入ったレンだ。」

「はじめまして。レンです。」


拍手や挨拶の代わりに、鋭い視線が降り注いだ。

レンがどんな人物なのか、自分たちの役に立つのかどうかといった類いの。


すでに会ったことのある人物もいた。

キョウスケや空間移動能力者であるゲンドウ氏。

その他にも、魔術師のような格好をしたタクミという名の男と、レンが切望して会いたがっていた回復能力者シンゾウ。


「全員集まっていればよかったが、遊びに行くわけではないから必要な人員だけを呼んだ。残りの者たちもそれぞれの仕事があるからな。」


奇妙なのは、回復能力者だというのに、顔をはじめ全身に包帯を巻いていることだった。


「今回狩るモンスターはA級で、コードネームはグラビオン。能力は重力を使うことで知られている。」

「重力?何だか分からないけど、苦労しそうだな。」

「新入りがモンスターの能力を盗む能力を持っているらしいな?」

「はい。」

「ふむ、隊長が大義に役立つと思って選んだモンスターだから、こいつのように不満はない。頑張ろうぜ。」


タクミという男は常識人のようだ。

キョウスケが彼の半分でも似ていればいいのに。


「よろしくお願いします。」


レンの一行は中国に到着し、時折ゲンドウの能力を活用しながら張家界に到着した。


「うわー、実際に見てみるとすごいな。」


タクミ氏の言う通り、これが本当にA級モンスターが生み出せる光景なのかと思う。


インターネットで見た写真では空にそびえる山々が針のように尖っていたが、実際に来てみると空に巨大な山が浮かんでいた。


「行こう。」


シンイチロウの合図で、私たちはすでに到着していた中国の覚醒者とともに境界を越え、空中に浮かぶ石を踏みながら内部へと進入した。


◇ 14.5 ヴァンパイア・エレナ


修練を終えて家に帰ろうとする道すがら、雨が降ってきたのでタクシーに乗った。

もう一度言う。タクシーに乗った。


そうだ。

これこそが、私も今や高いお金を払ってタクシーに乗れるほど、立派な大人になってきているという証拠ではないだろうか?

以前の自分なら、タクシーに乗ろうとすることさえできなかったはずだが、ずいぶんと成長したものだ。


「ここで降ろしてください。」


家に入るのにちょうどいい場所で降りた。

タクシー代を支払い、家まで走ろうとしたその時、隅に一つの人影が見えた。

普段なら大して気にせず通り過ぎただろうが、今日は雨が降っていたこともあり、見て見ぬふりをするには私の繊細な心が痛んだ。


私は隅でうずくまっている人に近づきながら尋ねた。


「あの、大丈夫ですか?」


返事がない。そのまま帰ろうか?

いや、それでも確認はしておくべきだろう。

助けを必要としている人かもしれない。

私はもう少し近づいて、その人の様子をうかがった。

雨のせいで髪が体に張り付いてよく見えなかったが、ここから見ると髪が肩まで伸びているのがわかる。


「ううっ……」


うめき声を漏らしているのを見ると、具合が悪いようだ。

意識が朦朧としている中で雨に打たれているのだから、体が無事なはずがない。

私は彼女の後ろに回り込み、肩をそっと揺らしてみた。


「もしもし、大丈夫ですか? こんなところにいたら低体温症で死んでしまうかもしれませんよ。」


すると、囁くような声が聞こえてきた。


「お腹、空いた……」


お腹が空いた?

お腹が空いたなら家に帰ってご飯を食べればいいのに、なぜこんなところでそんなことを?

話しかけても同じ言葉を繰り返すばかりだ。精神を病んでいる人なのだろうか。

病人をここに放っておくわけにもいかず……警察に連れて行ってあげなければ。

急に警察へ行こうと言えば怖がるかもしれないから、食べ物で釣ってみることにしよう。


「お腹が空いているなら、コンビニに行って美味しいものでも食べますか? 私が奢りますよ。」

「美味しいもの……?」

「ええ。こんなところにいないで、行きましょう。」

「食べ物……お腹、空いた……」


その瞬間。

女が私の腕を引き寄せると、私の腕に噛み付いた!


「?」


どういうことだ? なぜ私の腕を噛むんだ?

女だと思って油断してはいたが、私は一般人に体を引きずられたり攻撃されたりするほど弱くはない。

ましてや、噛まれた腕から血が流れ出している……私はこの女が覚醒者であるという結論に達した。


腕を振り払わなければならないが、なぜか彼女は私の血をとても美味しそうに飲んでいる。

『食事中は犬でも手を出さない』という言葉を思い出し、彼女を突き放す気になれなかった。

まあ、血を少し吸われたくらいで死にはしないだろう。


そうしてどれくらいの時間が経っただろうか。

十分に満足したのか、死んだ魚のようだった目に生気が戻ってきた。


「?」


彼女が私を見る目は、まるで「私はなぜこんなところでこんなことをしているの?」と混乱しているようだった。

噛み付いていた私の腕を慌てて離すと、しきりに謝ってきた。


「す、すみません。」

「お腹が空いていたら、そんなこともありますよ。」

「よいしょ。」


正気に戻ったようだから、もう家に帰るだろう。


「じゃあ、これで失礼します。」


とんだ災難だったと思いつつ、私も家に帰ってカップラーメンでも食べようかと考えたのだが。


スッ。


彼女が私の服の裾を掴んだ。


「?」

「……」

「私はもう家に帰りますよ。あなたもこんなところにいないで、帰ってください。」


スッ。


すると、服を掴んでいた手を離す彼女。


本当に帰ろうとしたその時。


スッ。


再び私の服を引く彼女の手の感触があった。


「……何?」

「私、行くところがありません。」

「家に帰ればいいでしょう。」

「行くところがないんです。」


怒鳴りたい気持ちを抑えて、冷静に言った。


「じゃあ、警察に行けばいいですね。」


首を横に振る女。


行く当てもない。

警察に行くのも嫌だ。

なら、私にどうしろと言うんだ?



「濡れると風邪を引くから、洗ってきなさい。」

「ありがとうございます。」


タオルとケイコ叔母さんの服を持って浴室に入っていく彼女。結局、家まで連れてきてしまった。

こういう時、ケイコさんはどこで何をしているのか。電話をしてみると、今日は帰ってこられそうにないとのことだった。


私はタオルで濡れた体を適当に拭き、カップラーメンを二つ取り出した。

カップラーメンにお湯を注ぐと、ラーメンの匂いが家中に広がり始めた。

鼻をヒクつかせた。やはり夜にはこれに限る。


シャワーが終わるのか、水の音が止む。

髪が濡れた状態で出てくるが、何が恥ずかしいのか私の顔色を伺いながらもじもじしている。


「前に座って。」


私の前に座った女の前に、カップラーメンを一つ差し出した。


「ラーメンは食べられるよね?」

「……はい。いただきます。」


血を吸ったからといって、ラーメンが食べられないわけではないらしい。

私たちは出来上がったラーメンの蓋を開けて食べ始めた。

最初は私の顔色を伺っていたようだが、次第に勢いよく食べ始める。

お腹が空いてカップラーメンを出したのだが、思いがけず和やかな雰囲気になったので、私は相手を知るために口を開いた。


「ここにはケイコという人がもう一人住んでいるんですが、今日は帰ってこないそうです。」

「はい。」

「名前は何ていうんですか? 私はユウマです。」

「エレナです。」


ん?

エレナ?


「ハーフなんです。」


言われてみればハーフのように見える。

ハーフであることもあるだろうし、それが悪いことでもない。


「その……行く当てはあるの?」


首を横に振るエレナ。

その言葉に、私は頭をガリガリと掻いた。


ホームレスなわけでもないだろうに、人がどうして……あ! 覚醒したみたいだし、防衛隊に送ればいいんじゃないか?

見たところ覚醒者の登録もしてなさそうだし……仕事も見つけて、お金も稼いで、家も支給してもらえば万々歳だ。


「何歳ですか?」


何歳かという問いに、彼女は両手をパッと広げた後、片手の親指を折ってみせた。

ということは、24歳ってことか? 私より年上だったんだな。


「……24歳?」


彼女は再び首を横に振る。

え、それだと困るんだが……不吉な予感が頭をよぎった。

私はまさかという気持ちで尋ねた。


「……14歳?」


私の言葉が当たっていると言わんばかりに、コクコクと頷くエレナ。

14歳という言葉に、私の頭の中の回路がショートした。

ありえない状況に、私は考えるのをやめて本音をぶちまけた。


「本当に14歳か!? 嘘つくなよ! どこをどう見たらその姿で14歳なんだよ! 私より年上だろ? 行くところがないっていうのも嘘なんじゃないのか!!!!」

「ううっ、えんえん……」


もう知らない、泣くなり勝手にするがいい。

大人の女性にしか見えないエレナが、私の前でしばらく泣きじゃくった。

私が理性を失って少し声を荒らげたからといって、大人の女性が目の前で泣くなんて話になるか?

覚醒してからというもの、おかしなことばかり起きるが……身体が急成長することなんてあるのか……?

頭を冷やして考えてみると、エレナは本当に14歳なのかもしれないと思えてきた。

だとしたら、私は14歳の幼い女の子を泣かせたクズ野郎か?


私は席を立ち、冷蔵庫のドアを開けた。

そこから、大事に食べようと買っておいた高級アイスを取り出し、悲しそうに泣いていたエレナに差し出した。


「……?」

「食べたくないならいい。私が食べるから。」


渡してすぐに奪い返そうとする仕草をすると、彼女は目を丸くして私が持っていたアイスをひったくっていった。


「いただきます……」


泣きべそをかきながらアイスを食べる姿を見ると、本当に14歳なのかもしれないという気がしてきた。大人があんな風になるわけがない。

14歳かもしれないと思うと、ふとユイを思い出して、「妹がいたらこんな感じだったのかな」と可愛く見えてきた。


エレナは私の部屋で寝かせた。

ケイコさんは今日は帰ってこないと言っていたが。

もし夜中に帰ってきて、自分のベッドに見知らぬ女が寝ていたら?

どうなるか考えたくもなかった。

私は布団を一枚持って、ソファで寝ることにした。


翌日。


ガチャッ。


ドアが開く音で目が覚めた。

ケイコさんが帰ってきたのだ。


「まだ寝てるなんて、どういうこと!」

「よく聞こえてるから、叫ばないでくださいよ……」

「くんくん。あれ? あんた昨日、雨に濡れたのに洗わずにそのまま寝たでしょ!」


パシッ。


「い、痛い。叩くのはやめて。」


そういえば昨夜、エレナに先に洗うよう浴室へ行かせて、私はそのまま寝てしまったんだった。

ケイコさんに言われるまでは何とも思わなかったが、言われてみるとなんだか体がベタつく気がする。


「洗うのを忘れてました……今から入ります。」

「綺麗に洗ってきなさい。ひどい格好よ。」

「はいはい。」


私は着替えだけ持って浴室に入った。

浴槽に温かいお湯を張り、昨夜の疲れを溶かすように浸かっていたのだが、リビングからケイコさんの悲鳴が聞こえてきた。


ケイコさんに何か危ないことが起きたのか?

私はシャワーを止め、浴室からそのまま飛び出した。


ドタバタ。


「叔母さん!? 何事だ!」

「ここ、うちに……見たこともないお嬢さんが……」

「あ……」


紹介するのを忘れていた。


「私が連れてきた人だよ。」


その言葉に、ケイコさんは意味深な顔で私とエレナを交互に見つめる。

そして「ふむ、ふむ」と頷くと、私を見て「シャワーの続き、浴びてきなさい」と言った。


「あ……」


今の私は、何一つ身に着けていない状態。


「うわあああ!」


急いで浴室に逃げ込んだ。

そして素早く体を洗い、外に出た。

リビングへ行ってみると、ケイコさんとエレナがおやつを広げて話し込んでいた。


「二人で何してるの?」

「ん? 私たちのエレナとお話ししてたのよ。」

「いつから『私たちの』エレナになったんだ?」

「今からよ。私はエレナが気に入ったわ。」

「私もケイコさん大好きです!」


食べ物をくれるから好きになったんだろうな。


「ユウマ、やる時は必ずゴムを使いなさい。急いでるからってゴムなしでやったら大変なことになるわよ。お金がなければ私に言いなさい。」


ケイコさんの話を黙って聞いていると、二人の仲を大きく誤解していることがわかった。


「え? えええっ!? 何の話だよ! そんなんじゃないってば!」

「そんなんじゃない、なんて。私の若い頃もみんなそう言ってたわよ。」


いくら言っても信じてくれない様子だ。

私はエレナを家に連れてきた経緯と、彼女が覚醒者である事実を伝えた。


「ふむ……」


ありのままを全部話しても、疑いが完全に晴れたわけではなさそうだった。

まあ、私でもそう思っただろう。それでも私が覚醒者だからか、渋々納得してくれた。


「ちぇっ。」


もしもし。残念がることじゃありませんよ。


「それで、これからどうするの? ずっとここに置いておくつもり?」

「えっと……それは違うんだけど。」


エレナを防衛隊に連れて行こうとしても、彼女が「怖い」と言って嫌がるので、無理やり連れて行くわけにもいかない。

いっそ、気絶させてからおんぶして行こうか?


「じゃあ、当分はうちで寝泊まりさせましょう!」

「いいのか?」

「ええ。家にいるのはあんた一人だけど、もう大きくなって可愛くないじゃない。エレナを見てごらんなさい。エレナがいるだけで、むさ苦しかった家が人間らしくなったわ。そうでなくても、妹がいればいいなと思ってたのよ。」


いや、言い方がひどすぎる。

最後に言った不純な動機が本当の本音のような気がするが。

こうして当分の間、エレナと一緒に住むことになった。私たち三人で。


防衛隊から帰った後の残りの時間は、主にエレナと過ごした。

アイスクリームを食べに行ったり、映画が見たいと言うので映画館にも行った。


「これ、食べたかったんです!」


エレナの手に握られているポップコーン。


「映画館に来たらこれを食べなきゃいけないって、テレビで言ってました。」


映画よりもポップコーンに興味津々だ。

別の場所に連れて行って遊ぶたびに、初めてのように喜ぶので、私も連れて歩きがいがあった。


妹がいたら、エレナのようだっただろうか?

レンの野郎はユイのような可愛い妹がいながら、なぜあんなに冷たく当たっていたのか。


レンとユイのことを考えると、急に気分が沈んだ。

レンは死んだのか生きているのか行方も分からず、ユイは防衛隊の支援で治療を受けているが、目を覚ます気配がない……


そんな私の様子を見て、機嫌が悪くなったことに気づいたのか、エレナがポップコーンを摘んで私の口に入れてくれた。


「美味しいでしょ?」

「そうだね。」

「へへっ。」


一緒に過ごしてみると、体格こそ大きいが、やることは子供そのものだということが分かった。

家に帰ってからは、ケイコさんと一緒にエレナの髪を二つ結びに編んであげた。


「これをどれだけやりたかったことか。ユウマ、あんたはどうして男なのよ!」


ただ時間を潰していたわけではない。

防衛隊に通いながら周囲の人々に聞いて回ったのだが、エレナのような若さで両親を失い覚醒者となった子供たちは、そういった子供たちだけが集まる政府の施設で育てられるという話を聞いた。


その話を聞いて、「このまま過ごすのも悪くないかもしれない」という気持ちになった。


少し前までは忙しく過ごしていたが、今はモンスターによる出動もなく、平和な時間が続いているのも心地よかった。

そして、何を聞いても首を横に振るか「わからない」としか答えなかったエレナから、ある話を聞くことができた。


「私は小さい頃から体が弱くて、外に出るのも大変だったんです。でもある日、目が覚めたら『覚醒』というものをしていて、以前の弱い体じゃなくなっていたんですよ。」

「ううっ、うわあん。もう健康なんだからいいのよ。これからは美味しいものを食べて、楽しくて良いものだけを見ましょう。えんえん。」


その話を聞いて、エレナが私と出かけるたびに、どこへ行っても初めて見るもののように不思議そうにしていた理由が分かった。

エレナの話を聞く限り、他にも覚えていることはあるようだが、私から問いただすよりは、今回のように彼女が自ら話してくれるのを待つのがいいと思った。

まあ……いつかは心を開いて、今回のように話してくれる日が来るだろう。


「ところで、初めて会った日に私の腕を噛んだのはどうして?」

「へへっ。それが、正気に戻ってみたらお兄ちゃんの腕を噛んでいたんです。」


自分の頭をコツンと叩くエレナ。

無意識のうちに、本能だけで生きようとしていたということか。


「口、開けてみて。」

「あーん。」


エレナが口を開けた隙に、彼女の歯を観察してみた。

歯が鋸のように尖っているわけではないな。

待てよ、犬歯が少しばかり鋭く見える。

これで私を噛んだのか?

小さく整った歯の中に、ツンと突き出た犬歯を見ると、なぜか可愛らしく思えた。


「ふーむ……最近は血、飲みたくないの?」

「はい! あ……たまに飲みたくなることはありますけど、そんな時はこれさえあれば大丈夫です。」


彼女がケチャップを持ち上げて見せた。

あれが血と何の関係があるんだ?

赤いこと以外に関連性がないような気がするが。

いや、本人がいいと言うなら、それでいいんだろう。


「明日、お祭りに行くのは忘れてないよね?」

「はい! 絶対に行ってみたいです。花火も絶対に見ます!」


車でそれほど遠くない距離で、お祭りがあるという。

道を歩いていてポスターの広告を見かけたエレナが「行ってみたい」と言い出したのが始まりだったが、こんなに喜ぶ姿を見ると、お祭りがあまり好きではない私も明日が来るのが待ち遠しくなった。


お祭り当日。

エレナと私は、ケイコさんが運転する車でお祭りの会場へと向かった。


「うわあ! 人がすごく多いです。」

「そうだね。お祭りに来るのも久しぶりだよ。ユウマがもっと小さかった頃に来たことがあるけど、少し大きくなってからは、こういうところに来るのを嫌がってね。エレナがいなかったら、今回も来なかったわよ。うちの福の神ちゃん。」


モンスターが現れてからというもの、お祭りを嫌うようになった人は私以外にも多かった。

もちろん、私は最初から好きな方ではなかったが……お祭りには必然的に多くの人が集まるため、いくら注意を払っても突発的な状況には脆弱ではないだろうか。例えば、モンスターのような。

それでも、万が一の危険を冒してまでここに集まる人々を見ると、お祭りというドーパミンは抑えられないらしい。


お祭りに来ると、昔のことを思い出す。

両親が亡くなって、ケイコさんとお祭りに来た時のこと。

私が心を閉ざしていたから、ケイコさんは私をどうにかして笑わせようと、おかしなことまで厭わなかった……過ぎてみれば、すべてが思い出だ。

長生きはしてみるものだな。


私たちはダーツを投げて風船を割ったり、ポイで金魚をすくったりした。


「おっ、昔来た時は一匹も捕まえられなかったのに、今はすごく上手じゃない?」


覚醒してから身体能力が向上したから、これくらいはどうってことない。

おっと、店主の目線から「もうこれくらいにしてほしい」という気配を感じる。この辺でやめておくのが良さそうだ。

家に連れて帰る数匹だけを貰い、残りは返してあげると、店主は喜んでいた。これが共生というものだろう。


私たちは花火が始まるまで、会場のあちこちを歩き回った。

そんな中、見覚えのある人物に出会った。


「こんにちは。」

「ユウマだったか? ここで再会できるとは嬉しいな。元気にしていたか? 他の女性の方々もご一緒ですね。初めまして。ユウマの同僚のハヤクです。」


ハヤクの紹介に、エレナが緊張したように身をすくめ、私の服の裾を掴んだ。

防衛隊とは言わなかったものの、同僚だと言ったので察したようだ。

目が合ってしまった以上、気づかないふりをして通り過ぎるには遅すぎた。いっそ見なかったことにして、後で訪ねて事情を説明し、謝ればよかったかな、という思いがよぎった。


「ケイコです。」

「エレナです。」

「ハヤクさんもお祭りに遊びに来たんですか?」

「いや、もし何かあってもすぐに対応できるように巡回中なんだ。」


高速移動の能力を持っているから、人が多い場所でも能力を活かすのに適していると判断されたのだろう。

モンスターがメインだろうが、他のトラブルにも迅速に対応できるはずだ。


「お疲れ様です。」

「祭りの見物もできると前向きに考えなきゃ、やってられないよ。それにしても君は、綺麗なお姉さんたちとお祭りに来られて幸せ者だね?」

「ほほほ……まあ、お上手ね。」

「お姉さん? お姉さんじゃなくて……あいたっ!」


誰が俺の姉さんだよと言おうとした瞬間、ケイコさんに強くつねられた。


「じゃあ、私は行くよ。楽しんで。もう少しで花火が上がるから、絶対に見るんだぞ。お二人も楽しんでくださいね。」

「はい。お疲れ様です。」


手を振るケイコさん。

ハヤクが去ると、不満げな声で言った。


「ユウマ、あんたはいい子だけど、女心が分かってなさすぎるわ。将来、彼女ができたらどうするつもり?」

「俺が何を?」

「大丈夫。私はそんなユウマも好きだよ。」


エレナにまでそんなことを言われると、一瞬自分が間違っているのではないかという気がしてきた。

それでも、エレナにまでそんなことを言われる筋合いはないと思うのだが。


「ここで待ってて。私が食べ物を買ってくるわ。花火を見るなら綿あめがなくちゃね。」

「私はピンクがいいです。ピンク色を買ってください!」

「分かったわ!」


ケイコさんが綿あめを買うために、人混みをかき分けて進んでいった。

ケイコさんを待つ間、手持ち無沙汰だった私はエレナの後ろに回り、彼女を抱きかかえるようにしてゆらゆらと揺らした。


「ええっ。お兄ちゃん、目が回るよ。」

「そうさせるためにやってるんだよ。」


レンがユイをからかっていた気持ちが、少し分かったかもしれない。


「今日はどうだった?」

「楽しかった。人も多いし、面白いね! ユウマお兄ちゃんは?」

「俺もまあ……悪くなかったよ。」

「ちぇっ。何それ。」


ふざけ合っていると。


ヒュルルル……

ドンッ!

ドーン!

パパンッパパッ!


空に美しい花火が打ち上がり始めた。


「へぇ……綺麗。」


私たちだけでなく、周囲にいた人々も顔を上げて空を見上げる。

暗闇の中で弾けた花火が夜空を赤く染め、続いて金銀や青の光が幾重にも広がっていった。

ドン!という音とともに、星屑のように散らばる光の欠片。

しばし夜空に留まっては消え、その場所をまた別の花火が埋めていく。


「ママ! 見て! あれ見て!」


一番喜んでいるのは子供たちだったが、大人たちも言葉を失い、空を見上げながらその光景を胸に刻んでいた。

この瞬間だけは、誰もが同じ空を見上げ、花火が上がるたびに、それぞれが抱える悩みを一つずつ消し去っていった。


その時だった。


「うっ……」


脇腹に焼けるような痛みを感じた。


「……お兄ちゃん?」


私はエレナの言葉に答えず、私を刺した男を確認した。


白髪の老人。外国人。

騒がしい状況の中でも、彼が低く囁く声がはっきりと聞こえてきた。


「助かるよ。ずっと東京にいたから、いっそ強行しようかと思っていたが、こんな機会をくれるとはな。」


ブシュッ。


私を刺した剣を引き抜きながら、エレナを連れ去っていく。私はその姿を無力に見送ることしかできなかった。


「きゃあああー!」


私の周囲に、人々が足を踏み入れることができない結界が張られたかのように、自然と円形の空白が生まれた。


私だけが取り残されたような空間。

しばらくして悲鳴を聞きつけたハヤクが姿を現し。

手には綿あめを持ったケイコさんが駆け寄ってきた。


「ハヤクさん、ユウマはどうですか?」


驚いて言葉を詰まらせているのとは裏腹に、妙に落ち着いた様子を見せるケイコさん。

ハヤクが私の服をまくり上げ、傷口を確認すると、命に別状はないと言った。


「一般人なら危険でしたが、ユウマは覚醒していますから。防衛隊に行って治療を受ければ問題ありません。」

「……よかった。」

「救急車を呼びますから、お祭りはここまでにして、私と一緒に戻りましょう。」

「ありがとうございます。」


ハヤクが救急車を呼ぼうとするのを、手を挙げて制した。


「エレナが連れ去られました。まだ祭りの会場を抜けていないはずです。今すぐ探さないと……。」

「一緒にいた女の子か?」

「はい。」

「……追跡のヒントが必要だ。人相風体は?」

「白髪の老人。外国人。肌は白くて薄いコートを着ていました。短い剣で私を攻撃しました。」


追跡のヒントが必要だという言葉に、私は手に握りしめていたものを見せた。


「それからこれ。エレナが着ていた服の切れ端です。役に立ちますか?」

「よくやった。役に立つとも。少し借りていくぞ。」


一瞬で姿を消したハヤク。

ユウマからエレナの服の切れ端を受け取ったハヤクは、祭りに同行していた支援型の覚醒者、焔に切れ端を見せ、追跡可能か尋ねた。


「やってみます。シザー、これは連れ去られた人の服よ。匂いを覚えて追跡できる? よし。ハヤクさんは足が速いから、一旦ここにいてください。また何が起きるか分かりませんから。私がシザーと追跡して、連絡します。」


ホムラはシザーと共にオートバイに乗り、追跡に出た。



ハヤクさんが一瞬で姿を消した。

私が渡した手がかりが、追跡の役に立ってくれればいいのだが……。


「大丈夫?」

「少しヒリヒリしますけど、大丈夫です。これくらい、針に刺されたのと大して変わりませんよ。」

「強がりを言う元気があるなら、あの人が言った通り死ぬような傷じゃないみたいね。こんなことになって、あなたが『覚醒』したんだっていう実感が湧いたわ。ユウマが覚醒して防衛隊に入った瞬間から、いつかこんな日が来るんじゃないかとは思っていたけれど……。もしかしたら、私が知らないだけで、あなたがこんな風に怪我をしても平気な顔をしているようなことが、今までも何度もあったのかもしれないわね。」


普段とは違い、鋭い観察眼を見せるケイコさん。

これまでは心配をかけたくなくて、辛いことがあっても言わずにいた。

ケイコさんも私に言葉や感情を見せなかったので、うまく誤魔化せていたと思っていたが、今の反応を見る限り、私は大きな勘違いをしていたようだ。

察していながらも、私が自分から言わないから、これまで笑顔で迎えてくれていたのだろう。


「とりあえずエレナのことは、他の同僚の方々が助けてくれるそうだから、信じて任せてみましょう。今はあなたの体が治るのが先よ。」

「……。」


私が口を閉ざしていると、彼女は小さくため息をついて言った。


「あなたが元気でいなきゃ、エレナが戻ってきた時に笑顔で迎えてあげられないじゃない?」

「……はい。」


納得はいかないが、ケイコさんの言う通りだ。

エレナの性格なら、自分がさらわれたというのに、今頃私の心配をしているかもしれない。

その時、私が「ほら見ろ」と言わんばかりに、いつ怪我をしたのか分からないほどピンピンした姿を見せれば、彼女は満面の笑みで喜ぶだろう。


パッ。


消えていたハヤクが戻ってきた。

私は矢継ぎ早に尋ねた。


「どうなりましたか?」

「別の仲間に追跡を頼んだ。その道のプロだから、すぐに良い知らせが届くはずだ。それより、体は大丈夫か?」

「はい。」

「思ったより体が丈夫なようだな。」

「昔から、頭が悪い代わりに体だけは健康なんです。」

「冗談を言う余裕があるなら、救急車が来るまでは持ちそうだな。」


ここに来る途中で救急車を呼んだという。


「それでも念のため、病院に行って診てもらえ。ここは俺たちに任せて。」

「……。」


救急車を待っていると、ハヤクのスマートフォンの着信音が鳴った。


「ちょっと待て。ああ、頼んでいた件はどうなった? なに?」


間違いなくエレナに関する報告だろう。

私は耳をそばだて、ハヤクの言葉を逃さないように集中した。


「あ……それならどうするか。ああ、分かった。気をつけてな。」


電話を切ったハヤク。

会話の内容からするとエレナを見つけたようだが、彼の表情は晴れなかった。

その様子に焦りを感じた私は、どうなったのか問い詰めるように聞いた。


「どうなったんですか? 見つかったんですか? ねえ!」

「あー……それが、どういうことかと言うと、見つかるには見つかったんだが……」


言葉を濁しているところを見ると、状況は良くないようだ。


「それで、どうなったんですか!」

「見つかったんだが、エレナという女性を連れて外国へ行こうとしているらしい。」

「……それ、どういう意味ですか?」


理解できない。

エレナを連れて外国へ行く?

実はエレナの祖父がどこかの国の富豪で、エレナを本国へ連れ帰るために誘拐した……なんて、漫画のような状況なのか?

そうでなければ、私の乏しい想像力では理解が追いつかない。


「理由は分からないが、港へ向かったそうだ。おそらく船に乗るつもりだろう。」

「……船に? いつですか?」

「よりによってお祭りがある今日を選んで事を起こしたんだ。間もなく動き出すだろう。まずは警察と防衛隊に連絡したから、少し待ってみよう。」

「いや、日本を離れようと船に乗りに行ったのに、今から出動してたんじゃ間に合わないんじゃないですか!? エレナを追跡した覚醒者は何をしてるんですか!」


興奮して口調が速くなる。

喋れば喋るほど、私の声はどんどん大きくなっていった。


「戦闘向きのタイプじゃないから、移動先を見失わないよう周囲で見守るように言ったんだ。」

「ああっ! 間に合わないって言ってるのに! 時間がない……」


パチンッ――。


目の前に火花が散った。

何が起きたのか理解するのに、時間はかからなかった。

ケイコさんが私の頬を叩いたのだ。痛みはなかったが、昂ぶっていた感情が鎮まり、ハッと我に返った。


「すみません。少し、取り乱していました。」

「いいえ。分かっているわ。」

「情けない姿を見せてすみません。おかげで目が覚めました。」


頬を打たれて冷静さを取り戻した私は、ハヤクに謝罪した。

そして、私を叩いたケイコさんには、目を覚まさせてくれたことへの感謝を伝えた。


「痛くなかった?」


彼女は自分が叩いた私の頬を、申し訳なさそうに撫でた。


「いいえ。大丈夫です。」


叩かれたのは私だが、むしろケイコさんの手のほうが心配だった。

私の頬を叩いた彼女の手のひらが、赤く染まっているのが見えたからだ。


「ユウマ、あなたの気持ちは私も分かるけれど、あまりにも興奮していたから、この方法しかなかったの。怒鳴って解決することなら、私もあなたと一緒に泣きわめいていたわ。」


人と親しくなるのに、必ずしも長い時間が必要なわけではない。

ケイコもエレナと一緒に過ごした日々は私と同じなのだ。彼女の心境も今の私と大差ないはずなのに、私は自分のことしか考えていなかった。


ケイコさんの言う通り、怒ったところでエレナが戻ってくるわけではない。今からは心を落ち着かせなければ。


「もう落ち着いた?」

「はい。おかげさまで。」

「ハヤクさんも最善を尽くしてくれているんだから、あなたもあなたにできる最善を尽くせばいいのよ。」


ケイコさんのその言葉で、ハヤクさんの能力を思い出した。

以前のオーガ討伐戦の際、負傷者を搬送していたのがハヤクさんだった。

このまま応援が到着するのを待っていては、エレナを救うには間に合わないかもしれない。


「ハヤクさん、俺をあそこへ連れて行ってください。」

「まさか、その体で現場に行くつもりか?」

「はい。今すぐにです。」

「お前は病人だぞ! 安静にしなきゃいけない時だ。」

「大した怪我じゃありません。自分の体は自分が一番よく分かっています。」

「何を……あんなに血を流しておいて……。」

「ハヤクさん。もしエレナを助けられなかったら、俺は今日起きたことを一生後悔しながら生きることになります。そうならないようにさせてください。お願いします。」

「はぁ……。もう分かったよ。そんな許可は俺じゃなく、ケイコさんに取ってくれ。」


そうだ。ハヤクさんは承諾してくれるかもしれないが、最大の難関はケイコさんだった。

私はケイコさんを見つめて言った。


「エレナを助けに……」


しかし、私の言葉が終わる前に、ケイコさんから許可が下りた。


「行っていいわよ。私は、助けが必要な人を放っておくような子に育てた覚えはないわ。その代わり、一つだけ約束して。」

「……。」

「無事に帰ってくること。もちろん、エレナも連れて帰ってくるのを忘れないでね。」

「はい!」


ケイコさんの許可を得て、私はハヤクと共に港へと向かった。

ハヤクの能力のおかげで、これまでに経験したことのない速度で移動する。周囲の風景がすべてスローモーションのように見えた。


「一応連れて行くが、本当にお前大丈夫か? 俺も現場向きじゃないから、役に立てないかもしれないぞ。」

「やれるだけのことはやってみます! それに、私を攻撃した外国人は、おそらく覚醒者ではなかったはずです。覚醒者だったら、最初の攻撃で私は死んでいたでしょう。でもあの男は、一瞬の隙を作ってエレナだけを連れ去りました。」

「それは確かに奇妙だな。あいつの立場なら、完全にトドメを刺しておくほうが好都合なはずだ。だが、あまり決めつけるなよ。戦闘での油断は死に直結するからな。」

「はい。ただ、ハヤクさんの言う通り少しおかしい点があって……。私の能力は念動力なんですが、間違いなく念動力であの男の攻撃を防いだはずなんです。でも、奴が持っていた剣が、念動力を突き抜けて入ってきたんですよ。」

「そういう能力なのか、あるいはその剣が『宝具』なのかもしれない。だが、どちらにせよ念動力を無力化されたというのが核心だ。戦うことになれば、また奴と遭遇する可能性が高い。対応策を考えておくんだな。」


ハヤクと話しているうちに、いつの間にか港が見えてきた。


港には船が停泊していた。

普段は船をテレビでしか見ていなかったが、実際に目の前で見ると、これほど巨大な船が海の上に浮いているという事実が信じられなかった。ビルよりも大きな船もあって、一目では収まりきらないなんて信じられるだろうか? 私もこうして実際に見ていなければ、誰かに聞かされても「人を馬鹿にするな」「嘘をつくな」と言い返していたはずだ。


その時、ハヤクのスマートフォンが鳴った。


「ああ。そうか? 分かった。お前も気をつけてな。」


新しい情報が入ったようだ。

良い知らせならよかったのだが、電話を受ける彼の顔を見る限り、私が望むような知らせであることを期待するのは難しそうだった。

私はハヤクが話し出すのを待った。

彼は言うのをためらっていたが、ようやく口を開いた。


「あー……それが、ユウマ。怒らずに聞いてくれ。」


彼の中で、私のイメージはどうなっているんだろうか。


「エレナが乗った船が、今、港を離れようとしているそうだ。」


怒鳴りそうになったが、ケイコさんのことを思い出して、かろうじてこらえた。


「まだ応援の部隊は来ていないじゃないですか!」

「そうだな……どうするか。」


ボーッ――。


その時、港を出発しようとする船が見えた。

この場所で一番大きなコンテナ船が。


「あれですか?」

「ああ。あの船がある方向からエレナの気配が感じられるそうだ。」


くそっ。

応援の姿は影も形も見えない状況。

私は今こそ決断を下すべき時だと直感した。


「ハヤクさん、今からあの船に乗ることはできますか?」

「難しそうだが……。」


その言葉に、私は素早く周囲を見回した。

そして、コンテナ船よりも先にあり、高い位置を確保できる装備を発見した。


「あそこまで連れて行ってください。あとは自分で何とかしてみます。」

「クレーンか?」


あれがクレーンという物なのだろうか。


「はい。」

「何を考えているかは分からんが……分かった。」


私はハヤクの助けを借りて、クレーンのある場所まで移動した。

そして、どれほどの高さか見当もつかないクレーンを猛スピードで駆け上がり、頂上に辿り着いた。


ヒュオオオ――。


あまりの高さに、風で体がよろめくほどだった。

幸い、まだコンテナ船は港からそれほど離れていない。

私はクレーンと船が一直線になるまで待ち、持てる力のすべてを足に込めて、コンテナ船の方へと駆け出した。


そして、クレーンの端からジャンプ。

私は空を飛ぶ鳥になったかのように、自分と船との距離を縮めていった。


「うわああああっ――!」


空中でもがくように手足をバタつかせるが、このままでは届かずに海に落ちてしまうような気がした。


「頼む! 届けぇぇっ――!」


その瞬間、突風が吹き、背中を押されるような感覚があった。

そのおかげで、私はかろうじて船の端にある手すりを掴むことができた。


ガシッ。


手すりを掴んだ私は、一気に飛び上がって甲板に着地した。

ハヤクの言葉が正しければ、ここにエレナがいるはずだ。

焦る気持ちでエレナがいそうな場所を探し回ったが、彼女の髪の毛一本すら見つからなかった。


ここからは何も見えない。まずは高い場所へ行ってみよう。

上がる途中で何人かの人に出会ったが、そのたびにエレナの特徴を伝え、見たことがないか尋ねた。しかし、返ってくるのは「知らない」という答えだけだった。


船の大きさに比べると人の数はあまりに少なく、空虚な感じがした。

まるでここが海の上を漂う鋼鉄の棺桶であるかのように。

一目で見下ろせるほどの高さまで上がってようやく全体を把握できたのだが。

木ではなく森を見るようになって初めて、ここで自分一人でエレナを探すのが愚かなことだと悟った。


当然と言えば当然のことだ。

船の面積が広いだけでなく、高さまであるのだから、自分一人でどうやって見つけられるだろうか。

さらに、私が何の成果もなく時間を過ごしていた間に、陸からどれほど遠ざかったのか、出発した場所が見えなくなっていた。


このままではいけないと考え、すぐにこの船の船長がいるであろう場所へと向かった。

部屋の中にいた人々の視線が私に集まる中、制服を着ている男が見えた。

制服を着ているのなら、ここが船長室で間違いないだろう。

船長室に辿り着けたことに安堵した。

もうこれ以上、時間を無駄にはできない。


「何だ?」

「どうやって乗ったのか知らないが、一般人がここに入ってこられては困る。外に出なさい。」

「……え? 押しても動かないぞ?」

「外へ出せ! もっと力を入れろ!」


私がその気になれば、覚醒していない一般人に私を動かすことなどできない。


「防衛隊から来ました。」

「防衛隊?」

「そんな話は聞いていないぞ。」

「防衛隊の人間が乗船するという話を聞いた者はいるか? 誰かいないのか?」


誰も知らないのは当然だ。無断で乗ったのだから。


「待て。」


中年男性の言葉に、その場にいた全員が動きを止めた。


「私たちがどうやって信じろと言うんだ? 君が防衛隊から来たということを」


祭りの途中で駆けつけたため、身分の証明代わりになる剣を家に置いてきてしまった。

そのせいで、船長の言葉に対して自分が防衛隊員であることを証明する方法がなかった。


「今、この船に女性を誘拐した犯人が乗っています」


女性を誘拐した者が船に乗っているという言葉に、船長が眉をひそめる。


「急いで来たので、私が防衛隊員だという証拠をお見せする術がありませんが……」


私は周囲を見渡し、鉄板を掴むと片手で折り曲げた。


「ヒッ……!」


私が曲げた鉄板を見て驚く人々。

私を外に追い出そうと近くにいた人々が、一歩後ろに下がった。

念動力も使ったため、他人の目にはいとも簡単にやってのけたように見えたはずだ。


「覚醒者だということは分かった。だが、だからといって君が防衛隊から来たという証明にはならない。人を誘拐した奴が私の船に乗っているというのも信じがたい」


言葉だけではダメなのか。

助力を得るためには、時間がかかってもこの男を説得できる確実な証明以外に方法はなさそうだ。


「海上だとはいえ、ここでも電話は繋がりますよね? 防衛隊に電話して確認してください」


私は所属と名前を船長に伝えた。


「少々待て」


彼は衛星電話というものを取り出すと、どこかへ連絡を入れた。

茶を一杯飲むほどの時間も経たないうちに電話を切り、私の身元が確認されたと言った。


「防衛隊に連絡したところ、君に協力しろとの指示を受けた。どうすればいい? 私の船に誘拐犯がいるとは不愉快だな。最善を尽くして協力しよう」


その言葉に、私は待っていたと言わんばかりに答えた。


「人を動かして、船の中を捜索してもらえますか?」

「それはできない。誘拐犯は許せないが、私の船員が傷つくことは容認できないんだ」


いや、最善を尽くして協力すると言ったばかりなのに。

まあ、防衛隊員が追っている相手が普通の人間であるはずがない。

不満ではあるが、部下が怪我をすることを心配する船長の気持ちも理解できる。


私は、自分が取れる選択肢が何なのか考えてみた。


まず、船員たちの助けを借りるのは論外だ。

船を止めるか? それでは誘拐犯が異変に気づくだろう。

投降しろと放送する? エレナを助けに来たと宣伝するようなものだ。


エレナを殺さずに誘拐したという点からして。

理由は分からないが、間違いなく必要があっての行動だろう。

誘拐犯がエレナに大きな危害を加えることはないはずだ。


だとしても、気づかれないようにするのが最善。

待っていれば防衛隊から増員が送られてくるというのだから。

私は犯人がどこかへ逃げ出さないよう監視するのが、今できる最善のことではないか。

あ、もう一つある。


「速度を落としてください。気づかれないように、ゆっくりと」

「それなら容易い。速度を落とせ」

「了解」


船があまりに大きいため、航路を変えるのは難しいが、速度を落とす程度なら可能だ。


あとは他の人たちが来るのを待つだけだと思ったその時。


チリチリッ。


「あー。マイクテスト。聞こえるか? そうか。頭を動かしたところを見ると聞こえているようだな。速度を落とさず、全速力を出して既存の航路を維持しろ。さもなければ、ここにいるお嬢さんに不都合なことが起きるかもしれんぞ」


突然聞こえてきた声に、私は音の発生源を探した。

ある機械装置の下側に、何かが貼り付けられていた。

音の出るマイクは見えたが、カメラは見当たらない。間違いなくどこかに隠してあるのだろう。

船長も知らない様子からして、これをエレナを誘拐した犯人が、かなり前から準備していたという事実が伺える。


「船長……速度を上げてください」

「……分かった」


船が動く速度が上がるのが体感できた。

これでは追加の増員が早く来るのを待つしかないと思った瞬間、船長が紙に何かを書いて私に見せた。


紙には「正体不明の船が前方で待機中。もう少し進めば日本海域を抜ける」と書かれていた。

あぁ……速度を上げて航路を維持しろと言ったのは、このためだったのか。

このままでは、正体不明の船が到着するほうが早いかもしれなかった。


ここで再び速度を落としたり、止めたりしてほしいと頼めば、誘拐犯は別の要求をしてくるだろう。

それならば、彼がエレナを傷つけることはできないと信じ、奴が別の要求で私たちを振り回せないよう、果敢に動くのが私の役目だ!

私は船長室を飛び出し、船のエンジンがある機関室へと向かって走った。

幸いなことに案内標識があり、見つけるのは難しくなかった。


クン! クワン!

クンクワン! クンクワン!


とてつもなく巨大なエンジン。

10メートルはあろうかという船の「心臓」が、目の前で動いていた。

私は手すりを踏み、船の心臓がある場所へと飛び込んだ。

腰を反らし、手に念動力をまとった私は、巨大なシリンダーが動いている機械装置へ向かって拳を叩きつけた。


ズガアアアァァァンッ!


私が叩きつけた拳により、巨大なシリンダーがへし折れた。

それと同時に、船の心臓であるエンジンから異音が発生し、異常をきたし始めた。

だが、元があまりに巨大だったせいか、一度の攻撃では足りず、私はエンジンの周囲を回りながら手当たり次第に破壊していった。


クルルル……。

キィィィィッ。


悲鳴を上げるようなエンジン音が機関室に響き渡る。

エンジンが完全に停止するのを見て、これくらいで十分だと感じた瞬間。

我に返ると、かつて船の心臓を担っていた巨大なエンジンは残骸となり、四方に散らばっていた。


私はお前の終焉だ。


エンジンを少し壊したくらいで、船が沈んだりはしないよな?

自分がしでかしたことを見て、少し不安になった。

だが、もうやってしまったことだ。心配するのは後回しにしよう。


私は再び船長室へと戻った。

しかし、どういうわけか誰もいなかった。

船長が船員たちを連れて船から脱出したらしい。

まあ、機関室であれだけのことをやらかしたのだから、何が起きたか察知できなければ、こんな船の船長は務まらないだろう。


ガラス越しに外を覗くと、小さなボートに乗った人々が見えた。

無事に逃げ出しているようだし、これ以上気にする必要はなさそうだ。

念のため、その中にエレナがいないか探してみたが、姿は見当たらなかった。


まだコンテナ船の中にいるということか?


「面白い真似をしてくれたな。」


ちょうどその時、スピーカーを通じて誘拐犯が話しかけてきた。

私も一言返してやりたいのだが、何か方法はないだろうか。

辺りを見渡すと、マイクが見つかった。


これが起動ボタンか?

緑色のボタンを押した。


ザァァ……。


「ああ、よく聞こえるか? お前は包囲された。エレナを返せば、何もなかったことにしてやる。……いや、待てよ。やっぱりそれは無しだ。一発だけ殴らせろ。」


どこかで聞いたようなセリフを口にしながら、最後に本音が漏れた。

やられた分とまではいかなくても、お返しはしないとな。

そうでもしないと、悔しくて夜も眠れない。


「ははっ、一人でいるのは分かっているぞ。若いせいか虚勢がひどいな。君が探しているお嬢さんは、私と一緒に行きたいと言っているんだが、どうしたものかな。孫娘のようでもあるし、私がしっかり面倒を見てやろう。心配しなくていいぞ。」

「おい! 孫娘を誘拐するじいさんがどこにいる! エレナ、もう少し待ってろ。僕が助けてやるから!」


言いたいことを言ってからしばらく待ってみたが、それ以上、誘拐犯の声は聞こえてこなかった。

誘拐犯は用意した船に乗り換えようとするはずだ。ならば私がすべきことは、応援が来るまで時間を稼ぐこと。

だが、それはあまり好ましい選択ではない。できれば自分の手で終わらせたい。


まずは自分にできることをすべきだろう。

さっき見ると、まだ小さなボートが船に吊るされていた……。

他の船に移動するにはボートに乗る必要があるはずだ。ならば、見晴らしの良い場所で監視しようという考えに至った。

私は船長室を出て、船の最も高い場所へと登った。

そして、下方を注視し始めた。



「ポポフさん、なぜ私を誘拐したんですか?」


エレナを誘拐した男の名は、ポポフ。

ポポフはエレナを連れてどこかへ移動しているだけだった。

今に至るまで、彼女を傷つけたり脅したりしたことは一度もない。

エレナの目には、これからも危害を加えるつもりはないように見えたため、勇気を出して尋ねてみたのだ。


エレナは、自分が誘拐されたという、もどかしく不安な気持ちから、答えを期待せずに問いかけた。しかし、ポポフはしばし沈黙した後、口を開いた。


「私も、こんなことはしたくなかった。孫娘のような子にしてはならないことだと分かっているからな。私にもお前くらいの孫がいる。その孫娘が不治の病で長く病床に伏せっているのだが、もう限界なのだそうだ。そんな折、エレナ、お前の覚醒能力の話を聞いた。お前の能力が必要なのだ。すべてが終われば無事に帰してやるから、心配しなくていい。」


ポポフは元ロシアのKGB工作員だった。

引退して久しいが、彼が活動していた頃のロシアでは、こんな話があった。

親の言うことを聞かない悪い子は、ポポフが恐ろしい場所へ連れ去ってしまうという噂が。

その噂はロシア全土に広まり、民間人ですら知っているほどだった。KGB工作員の間では、伝説的な存在として語り継がれているのがポポフだった。


「え? 私の能力……ですか?」


何のことか分からないというエレナ。

自分でも覚醒はしているようだが、これまで能力を使ったことがないため、自分がどのような能力を持っているのか分からなかった。それなのに他人の口から自分の能力が必要だと言われ、困惑した。


「必要なら、こんなことをしなくてもお手伝いできたのに……」

「はは。それが可能であればよかったのだがな。世界はどうしてこうなってしまったのか……」


エレナに歩み寄ったポポフは、手刀を打ち込み、一瞬で彼女を気絶させた。


「ここにいれば安全だ。すぐに迎えに来るから、そう長くはかからない。少しの間だけ、我慢して待っていてくれ。」



海風が冷たい。

船の最上部にうずくまっているからだろう。

波同士がぶつかり合い、チャプチャプと鳴る音が鮮明に聞こえてきた。


誘拐犯はいつ現れるつもりだろうか。

時間が経つほど不利になるのはあいつの方なのだから、そろそろ動き出すはずだ。


そうして、どれほどの時間が経っただろうか。

コンテナの間から、剣を手にした男が歩いてきた。


奴だ!

祭りで私を攻撃し、エレナを連れ去った男。

私はうずくまっていた状態から足に力を込め、奴に向かって弾丸のように飛び降りた。


ズシンッ!


「若いせいか、迫力が凄まじいな。そうやって体を酷使していると、歳をとってから膝にガタが来るぞ。気をつけたほうがいい。……ああ、覚醒者だから関係ないかな?」


奴の言葉を聞いてみると、確かに膝が少し痛むような気がした。

私は何でもないふりをして立ち上がった。


「あんたが心配することじゃない。エレナはどこだ?」

「近頃の若い者は礼儀がなっておらん。日本人は年長者を敬うと聞いていたが……。どうやらそれも違うようだな。世も末だ……。私の若い頃はな、通りすがりの年寄りの影さえ踏まなかったものだ。やれやれ。私の名前はポポフ。本当はもう少し長いが、気軽にポポフと呼んでくれて構わんよ。私が許そう。」

「……エレナはどこだ?」

「無事だから心配いらん。すまないが、今ここで海へ飛び込んでくれないか? ここで取っ組み合いをしていては、約束の時間に遅れてしまうかもしれんでな。ははは。」


近所に住んでいそうな慈愛に満ちたおじいさんの顔をして、なんてことを言うんだ。

自分の言いたいことばかり並べているが、どれ一つとして聞き入れられるものではなかった。


「エレナの居場所を教えて、あんたこそ海へ飛び込め。そうすれば、これまでのことは目をつぶってやる。」

「気持ちとしてはそうしたいのだが、この歳で冷たい夜の海に飛び込めば心臓が止まってしまう。孫のようで話をもっとしたいところだが、時間がなくてね。これ以上付き合ってやれず申し訳ない。代わりに、謝罪の意味を込めて、できるだけ苦しませずに送ってやろう。許してくれ。」


パッ。


言葉が終わるやいなや、ポポフは野球バットほどの長さの剣を手に私に接近してきた。

速い。口ぶりから察するに覚醒していないと思っていたが、その動きの速度を見る限り、とても一般人には見えなかった。


だが、油断は一度だけで十分だ。

わざと能力を隠している可能性だってある。

奴が私の念動力を突き破り、傷を負わせたことを覚えている。

私は周囲にあった鋼鉄の板を掴み上げると、ポポフに向かって投げつけた。


シュパッ。


威圧的に飛んでいった鋼鉄の板が、奴の手つき一つで真っ二つに裂かれた。

間違いなく、ポポフが持っている剣はただ事ではない。

ハヤクさんが、あの剣は『宝具』かもしれないと言っていたが、その言葉が正しいのかもしれないと感じた。


近距離は危険かもしれない。


私は武器として使えそうな鋼鉄の棒を引き剥がし、手に取った。

細長い棒状で、先端が尖っている。棒というよりは槍と呼ぶべき、威圧的な武器になった。

主に使うのは剣だったが、防衛隊に入ったばかりの頃、棒のような長い武器の使い方も教わっていた。素人ではない。


私は鋼鉄を引き剥がした際の鋭い先端を突き出し、突進した。

私とポポフの距離が縮まった瞬間、握っていた槍を前へと押し出し、ポポフに向けて突き放した。


ポポフが僅かな差で攻撃をかわす。

その程度は当然かわすと予想していた。

私は左手で棒の末端を掴み、ポポフが避けた方向へ全力で槍をなぎ払った。


ドォォンッ!


槍を受けたポポフが弾き飛ばされるように宙を舞い、コンテナの山に叩きつけられた瞬間、鈍い衝撃音が船上を揺らした。

その衝撃でコンテナが揺れ、積み上げられていたものがバランスを崩して海へと転落していった。


ガラガラ、ドブンッ!


「歳をとったせいか、以前ならかわせたはずのものも、体が言うことを聞かないようだ。……君は、歳をとらんようにな。惨めでかなわんよ。」


ひどく凹んだコンテナからポポフが飛び降り、地面に着地した。

そして何事もなかったかのように、埃のついた服を払い、私に向かって顔を上げた。


一体、何者なんだ?

あの瞬間、剣の腹で槍を受け流すなんて。

それは瞬発力ではなく、予知に近い何かのようだった。


「おじいさん、話しすぎると孫に嫌われるよ! 最近は、お金だけ出して口は閉じるのが一番だって知らないの?」

「ははは、肝に銘じておこう!」


メンタルを揺さぶろうとしたが、通用もしない。

これが老骨の余裕というものか? 厄介だな。

これまでポポフより強い敵は何度も見てきたが、そのほとんどは先輩たちが相手をしていた。

防衛隊に入ってから、自分と同等、あるいはそれ以上の敵を相手にするのはこれが初めてだ。


槍を握りしめる手に、無意識に力が入る。

緊張感が体を締め付けたが、同時に脳から分泌されるドーパミンが私を興奮させていた。


「今度は気をつけたまえ。」


私たちは再び激突した。

しかし、最初とは違う様相が繰り広げられた。

ポポフの剣が蛇のように動いたかと思うと、私が手にしていた槍を先端から切り落とした。


「……ッ!?」


このままでは危ないという警鐘が頭の中で鳴り響く。

先ほどと同じように動こうとしても、ポポフの剣が巧妙にそれを阻んでくる。


私に向かって突き出されるポポフの剣。

私は左腕を上げて防ごうとしたが、またしても念動力を突き破り、剣が深々と突き刺さった。


「前途ある若者を台無しにするのは、あまり気が進まないのだがな。エレナ嬢に免じて、このあたりで……」


腕を貫通し、私の肩をじわじわと抉る剣。

勝利を確信したような顔で語るポポフの言葉が、ひどく耳に障った。

私は彼が言い終わる前に、防衛隊の医療技術を信じて賭けに出た。


「じいさん、話が長いって言っただろ!」


私は突き刺さる剣を防ぐのを諦め、足に念動力を込めた。

そして右足を高く上げ、下に向かって全力で叩きつけた。


ズガアアアァァァンッ!


船が真っ二つに割れるほどの衝撃に、私は下方へ、ポポフは後方へと弾き飛ばされ、私たちの距離が大きく開いた。

重力に引かれて落下しながらも、私は降り注ぐ残骸を必死で防いだ。

瓦礫をすべて叩き落とした後、顔を上げて自分が落ちてきた場所を見上げた。エレナは大丈夫だろうか。周囲はそれほどまでに無残な状況だった。


ポポフがエレナを安全な場所に置いたと言っていたのを信じるしかない。

私は半壊した構造物を足場にして、再び船の上へと駆け上がった。


シュッ。


船の上まで浮上し、しばし虚空に留まりながら周囲を見渡した。

増援が来たのか、私が乗っている船に向かって何隻もの艦船が接近してきていた。


「……遅すぎるんだよ。これじゃあ死んでから来ることになるぞ。」


ポポフはどこだ?

予期せぬ脅威に緊張しながら辺りを探ったが、結局、彼の姿は見当たらなかった。

到着を待っていられなかった私は、痛む体を引きずって船内を捜索した。


そしてようやく、片隅で壁に寄りかかっているエレナを発見した。

エレナに近づき、鼻の下に手をかざす。


フゥ……。


よかった、息はしている。

首筋に赤い跡があるのを見ると、ただ気絶しているだけのようだ。


グルルル……。


船から不気味な音が響く。

先ほどの戦いで船が沈没するかもしれない。エレナを連れて脱出しようとしたが、気絶したまま背負っていくのは万が一の事態に対応しづらいため、起こすことにした。


私はエレナを起こそうと体を揺すった。


「エレナ、起きられるか?」

「うぅん……お腹空いた……あむっ。」


目を開けるかと思いきや、お腹が空いたとうなされながら、私の左腕に噛み付くエレナ。


ジュー……。


またエレナと出会った最初の日を思い出すな。

満足するまで吸ったのか、ようやく正気に戻って私を見た。


「ユウマお兄ちゃん、腕が! 血が! え? まさか私がやったの? 大丈夫? 痛くない?」


矢継ぎ早に飛んでくる質問。

私の怪我を見て大騒ぎしている。


「大丈夫だよ、これくらい蚊に刺されたようなもんだ。ほら、見てろ?」


私は左腕を持ち上げて見せようとしたが、腕がうまく動かないのを見てギクリとした。

あまりに興奮していたせいで、自分がどれほどの傷を負っていたのか、その時になってようやく気づいたのだ。


エレナが私の左腕を見ると、そっと持ち上げてから手を離した。

ぶらりと垂れ下がる左腕。

……正直、ちょっと痛いかも。


「うわぁっ! お兄ちゃんこれ見てよ! 腕が勝手にぶらぶらしてる!」

「大丈夫だ、これくらい。……さあ、外に出よう。」


私はエレナを立たせて外へと向かった。

幸いにも私たちを探している人々がいたおかげで、沈みゆく船からすぐに脱出することができた。



「うわあっ! 痛いから、もっと優しくしてください!」

「大げさね。これほどの怪我なら、負った瞬間に気絶していてもおかしくないわよ。もう少し我慢しなさい。」


防衛隊に戻った私は、応急処置を受けた。

しょっちゅう顔を出しているから慣れてもよさそうなものだが、今回の治療は耐え難いほど痛かった。

「怪我をするな」という言いつけを守らなかったことへの罰なのだろうか。


エレナも私と一緒に防衛隊に来たが。

彼女の事情を聞いたマサヒロ隊長は、安全が確認されるまでの間は防衛隊のセーフハウスにいたほうがいいと判断した。

そして、エレナを連れて行った。

そうせずに「僕の家で預かるのはどうですか」と言いかけ、言葉を飲み込んだ。

私が常にエレナのそばにいてやれるわけではないし、一緒にいたとしても今回のようなことが起きたのだから、とてもその言葉を口にはできなかった。


別れ際、彼女はどれほど泣いただろうか。


「離れたくない……嫌だけど、仕方ないんだよね。うわあああん!」


涙より鼻水のほうがたくさん出ていたのは秘密だ。


今にして思えば、祭りで花火を見ていた時から。

ポポフは私を殺せたはずなのにそうせず、手加減をしていたような気がする。


船で戦った時も、そんな雰囲気を感じた。

孫がどうこう言っていたが、本当に私をそんなふうに見ていたのだろうか?

ポポフなら、あの状況でも死んではいないだろうという予感があった。

再会するまでは分からないが……いや、彼が生きていたとしても会わないに越したことはないだろう。


一通りの治療を終えた私は、ケイコさんが待つ家へと帰った。


「ただいま戻りました。」

「おかえり。お疲れさま。」


そして、ケイコさんは私を抱きしめた。

その温もりに、胸の奥から温かさが染み渡っていった。


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