10. 覚醒者は人間ではない
刑務所での出来事以来、レンには多くのことが起こった。
最大の異変は、防衛隊を去ったことと、彼の妹ユイを病院から出したことだ。
レンは病床に横たわるユイの握っていた手を、ゆっくりと揉みしだいた。
こうして手を揉むと血行が良くなることを本で見たからだ。
その時、ドアの外からノックの音とともに「入ってもいいか」という声が聞こえた。
シンイチロウだった。
いつの間にか彼の腕は正常に動いていた。
治療する場面は見たことがないが、これほどなら非常に優れた能力だ。
自分を回復する能力は探せば珍しくはないが。
他人を治療できる覚醒者は極めて稀だと聞いた。
それも浅い傷を回復するのがせいぜいだと聞いているから、期待しても良いだろう。
「妹さんはどうだ?」
「大丈夫です。」
「よかった。必要なものがあれば言ってくれ。最善を尽くして手伝おう。」
「そうします。」
そうは言ったものの、元の病院の施設よりも広くて良いので、これ以上追加するものはない。
初めて来た時、「良いところで暮らしている」と言ったら。
活動には多額の資金がかかることがあり。
お金がなければ何もできないと言われた。
冗談めかして、もし陰気な場所や古い場所だったらみんな逃げ出したと。
そして、なぜ自分を選んだのか理由を尋ねられた。
そこにはレンとユウマ、新任助長の3人がいたからだ。
「お前が気に入ったから…とだけではダメだろう?」
この人。
意外と茶目っ気があるタイプだ。
「お前が気に入ったのもそうだが、潜在能力を高く評価した。」
「どの面を見てですか?私たちは会ったこともないじゃないですか。」
「防衛隊にも我々と志を同じくする仲間がいるからな。その程度は難なく分かることだ。」
確かに防衛隊にいる人間は一人や二人ではない。
彼の言う通り、スパイがいるなら新人のデータを抜き出すのは造作もないことだろう。
「見るところ、回復速度が非常に速いと。将来が期待されると評価が良かった。ちょうど、人員を補充したいと思っていたところだったから好都合だと思った。どんな能力なのかは、後できちんと確認するつもりだ。」
話し始めてしばらく間を置いた彼は。
無表情な目で口角をわずかに上げながら言った。
「…それに、君は一人ではないだろう?」
「!!」
ただ一人の家族であるユイを引き合いに出す言葉に、レンは殺気を滲ませ、氷のような冷たい声で言った。
「ユイに何かあったら、ただでは済ませません。」
その言葉ににっこりと笑うシンイチロウ。
「私は善人ではないが、そこまでひどい真似はしない。家族を大切にしろという意味で言ったのだ。ハハ、最近の若い者は情熱がないが、君は意欲に満ちているようで気に入った。」
そしてシンイチロウが覚醒者を集める目的を聞いた。
日本の防衛隊には特殊な場所が存在するという。
それは魔導書という、人を覚醒者にするものを集めた場所だというが…その魔導書を日本からなくす?
「どうしてですか?魔導書があれば、他の国に比べて覚醒者が生まれやすいじゃないですか。」
魔導書があるからといって、それだけ覚醒者を作れるわけではないが。
あれば覚醒者が多く生まれる条件が整うということで、それによって得られる利点は無視できないはずだ。
モンスターの出現頻度が日増しに高まる状況で…この人は日本を滅ぼすつもりなのか?
彼の目標を聞いたレンは、この男がとんでもないことを企んでいるのだと思った。
しかし。
「魔導書はモンスターを引き寄せる。」
「!!」
シンイチロウの言葉に、レンの眉は天高くつり上がった。
言葉には信じられないという震えが滲み出ていた。
「…本当ですか?」
少し前まで、レンはモンスターによって家族を失った。
一瞬、頭の中を多くの考えが駆け巡った。
「公開されていない秘密だが、調べれば見つけられないほどではないから、私が嘘をつく理由はない。」
「……」
どんな防備をしたとしても、魔導書がモンスターを引き寄せる力を弱めるだけで、完全に遮断することはできず。
そのため、国土の広いアメリカや中国などに比べて、日本に発生するモンスターの頻度が高いという。
「できればなくしてしまいたいが、その方法を知らない以上、現実的な代替案を選ぶしかない。」
「…では、他の国はどうなりますか?」
「日本の負担を分かち合うだろう。どうせこのまま時間が経てば、日本の滅亡は予定された手順だ。人を消耗して繋ぎ止める平和はいつか破られるものだし。覚醒者の力で西側世界に傾いた力の構図を日本に持ってきたいと願う者たちの夢もいつか破られるものだ。私はただ、間違ったことを正したいだけの人間だ。その過程で妹も治療し、住みやすい国を作れるなら、良いことではないか?」
ユイの件を除いても、レンにはシンイチロウの発言が甘く聞こえた。
◇
新しく属することになった組織は、防衛隊のようにモンスターを掃討しに出動する必要がなかったので、レンはしばらくユイのそばにいることができた。
そうして時間を過ごしていると、シンイチロウから一つの仕事を受けた。
「気が進まないならしなくてもいい。」
強制はしないと言う。
皆が「一つの目標」のために結束しているのであって。
誰かの下に入ったのではなく。
対等な存在として集まっているのだから。
強制するようなことはない、と。
しかし、するのかしないのか尋ねる理由があるはずだ。
ユイの治療を待つレンの立場としては、むやみに断る気になれないのは当然のことだった。
そんなわけで依頼を受諾。
久しぶりにユイと離れて外出することになった。
「名前はレンで合ってる?お前はどんな能力だからシンイチロウさんが連れてきたんだ?」
一人でやる仕事ではなかった。
先輩と呼ぶべきか分からないが、同年代に見える男と一緒に行くことになり。
依頼内容は同行する者が知っているから、二人で処理すればいいとだけ聞かされた。
「超回復。」
「超回復?怪我したら治るってこと?」
「ああ。」
「体が切断されたらトカゲみたいにまた生えてくるのか?」
初対面なのにため口で話すので、レンもため口で返した。
雰囲気からして、そういうことは気にしないようだった。
「まだそこまでは…後にはできるかもしれない。」
「ふーん…だから連れてきたのか……」
他の言葉を交わさなくても、何かを知っているようなそぶりだ。
「お前の能力は?」
キョウスケの能力について尋ねると。
燃え上がった。
彼の掌から炎が上がった。
言葉より行動で示すタイプだとレンの頭にインプットされた。
「今日は面白くなりそうだな。頑張ろうぜ。」
レンの目には、その笑顔がまるで玩具を見つけた子供のように見え、やはり親しくなりにくいタイプだと思った。
事情は知らないが、それぞれが望むものがあってシンイチロウと行動を共にしているのだから、親しくなるというのもおかしな話ではあったが。
レンとキョウスケは目標地点に到着した。
少し外れた場所ではあったが、ぽつぽつと高級住宅が多い地域だった。
「へへ…ここに誰がいるか知ってるか?」
「知らないけど。誰だ?」
「隊長の昔の知人。」
知人?
たかが使い走りなのに二人も送ったのか?
キョウスケの話を聞くと、そうではなかった。
私たちが受けた任務は…屋敷にいる人間を一人残らず始末することだった。
「今日は初めてだから俺が譲ってやるよ。できなかったら言え、代わりにやってやるから。」
レンは悟った。
キョウスケは仲間として同行したのではなく、監視者として同行したのだと。
素早い判断を下し。
刑務所に置いてきた剣の代わりに。
シンイチロウから渡された武器を取り出した。
「見てな。」
屋敷に侵入。
家の中には日が差し込まないように窓には遮光カーテンが引かれている。
「……」
そして匂いのせいで眉をひそめた。
いや、単に食べ物が腐った匂いというよりも。
もっとひどく不快な気分を呼び起こす種類だった。
家の中に入っても人が出てこないのを見て。
外出していて家にいないか、この匂いの発生源にいるのだろう。
階段を上って2階へ上がった。
「くそっ、臭い…早く終わらせようぜ。」
キョウスケは私たちが来たことを隠すつもりがないのか、匂いに不平を言いながら大声で言った。
行く途中でドアを一つずつ開けながら進んだが、どれも長らく使われていないのか、人の手が入った形跡が見られなかった。
ギィ。
不快な匂いの発生源と推定される場所に到着。
ドアを開けると…部屋の中には2人の人間がいた。
椅子に座っていた男が微動だにせず、ベッドだけを見つめて言った。
「…やっと来たのか。」
まるでこの日を待っていたかのような口調で。
ベッドには女が死んだように横たわっているが。
死体のように青白い顔で微動だにしなかった。
「私はもう未練はない。終わらせてくれ。」
「……」
ここに来るまでに、人を殺すかもしれないという覚悟はしていた。
しかし、いざその状況に直面すると、レンは人を斬ることができないと悟った。
相手もレンの躊躇を感じた。
立ち上がって鋭い牙を剥き出し、レンに襲いかかってきた。
レンは剣を構え、襲い来る男の攻撃を防いだ。
鋭い爪に火花が散り、黒板を引っ掻くような耳障りな音がした。
力も並大抵ではない。
攻防が交錯する中、レンの心の中には嵐が吹き荒れる。
男がガードを解き、無防備に首を差し出した。
ゴトン。
ポトリ。
床に落ちる男の頭。
自らの意志ではない出来事に、レンの瞳は地震のように震えた。
「レオにはすまなかったと伝えてくれ。」
首が落ちたにもかかわらず、生きていた。
急いでくっつければ、助かるかもしれない。
「私たちは防衛隊から来たのではない。」
「そうか…では、シンイチロウだな。感謝していると伝えてくれ。」
「面倒くさいな。」
「それも悪くないだろう。これまで死に切れずに生きていたが…やっと目を閉じることができる。」
レンが男の頭に近づこうとした刹那。
頭に火がつき、瞬く間に灰になった。
「ずいぶん衝撃を受けた顔してるな?モンスターをあまり殺したことないのか?」
「人間だった。」
「へへ、いや、化け物だ。覚醒者は人間ではない何かになっていくんだ。首が斬られても話せるのが人間だとでも思ってるのか?」
二人が去ったその場所には二体の遺体と、三人が共に写った家族写真が床に落ち、血に染まっていた。




