『北川古書店』 【5】「雅人、成長のとき」
古書店の店主としての経験を重ねる雅人。
和美さんの学習指導を通じて、その成長を見守る母親も登場します。
そして、洋子さんが抱える思いもまた、次の一歩を踏み出そうとしています。
嬉しいことに、毎日お客さんが増えてきた。
雅人は来客の質問にも丁寧に答えた。訪れる人の目的はさまざまだ。安く本を買いたい人、思い出の本 を探している人、貴重な古書を求めている人——それぞれの想いを胸に、店を訪れる。その様子を観察していると、何となく、来店者の目的が分かってくる。特に思い出の本を探す人は、時間をかけてじっくりと本を手に取っていた。興味深いことだった。
五時を過ぎた頃、
「雅人先生〜」
和美さんが入ってきた。店内を見回して、
「お姉さんは?」
「前沢さんは来てないよ。始めようか」
問題集を開き、分からなかった問題を一つずつ解説していく。六時近くになって、雅人は空腹を感じた。
「和美さん、お店の弁当はまだ残ってるかな?」
「見てこようか?」
「一緒に行こうか」
雅人は鍵をかけ、和美の後を追って上野商店へ向かった。ショーウィンドウにはお惣菜が並び、その 右側に弁当の棚がある。残りは少ない。
トンカツ弁当を手に取って店の女性に渡すと、和美さんが紹介した。
「お母さん、この人が雅人くん」
「お母さんですか。初めまして、大沢雅人です。和美さんと一緒に勉強しています。ご挨拶もせず、申し訳ありません」
「和美を、よろしくお願いいたします」
「600円ですが、100円引きです」と言われ、雅人は500円を渡した。
和美さんの母・紀子さんは、娘よりも背が高く、姉妹のように見える。
「今日は、もう30分だけ勉強します。様子を見に来てください」
「喜んで伺います」
六時になり、店を閉めてカーテンを引いた。再び勉強が始まる。10分ほどたった頃、チャイムが鳴り、紀子さんが心配そうにドアを開けた。和美さんは奥の机に向かい、雅人がその向かいに座って教えている。
「ちゃんと勉強してるの?」
和美が振り返って、
「もちろん。ねぇ、先生?」
「お母さん、和美さんは覚えが良くて勘も鋭い。とても良い生徒ですよ。母校に入ってほしいと思っています」
「本当に、そんな力があるのですか?」
「このまま努力すれば、ですが——」
「先生、頑張ります!」
そう言い切ると、紀子さんは安心した様子で店を出ていった。お母さんの見学が終わり、和美さんも そのあとを追って帰った。雅人は冷蔵庫からお茶を取り出し、ようやく弁当の時間となった。
雅人は大学1年生のときから、夏休みや冬休みに「青春18きっぷ」を使って全国を旅してきた。列車に乗っている時間が多く、その土地の人々の服装や会話、方言、珍しい食べ物などを細かく観察してメモしていた。その「旅日記」はすでに数冊になっていた、それを読み返し注釈等を加えていた。
古書店で過ごす時間は、これまでにない社会経験となった。接客の仕方も上達し、若い人と年配の人と で話の内容や言葉を変えるようになった。それもすべてメモしていた。時折読み返すのは大変だが、それによって自分が進歩してきたことを実感していた。
次の日、洋子さんが少し暗い表情で店に入ってきた。
「勇さんのお見舞いに行かなきゃと思うんだけど、どう思う?」
「何か気になることがあるんですか?」
「電話で話していると、勇さん、ちょっと元気がないの」
「私もそう感じました。ぜひ行ってください。勇さんを元気づけてあげてください。お願いします」
「じゃあ……行くとするか。雅人くんのお願いだからね」
「はい、お願いします。運転は慎重にね」
雅人はLINEで連絡を送った。
『洋子さんが明日、蓼科に向かいます』
登場人物たちの心の動きが、少しずつ物語に深みを与えていきます。
この静かな変化が、やがて大きな流れへとつながっていくはずです。
次回も、どうぞお楽しみに。