決別の剣
王都を抜ける風は冷たく、一真の頬を切るようだった。
夜の街を駆け抜けながら、彼は自分の心臓が荒々しく脈打つのを感じていた。
追手の気配はない。いや、気配がしないだけで、もうすでに――王国は自分を敵とみなしている。
(……俺は、勇者なんかじゃなかった)
背に負った剣が重い。けれどそれ以上に、一真の胸にのしかかっていたのは、己の存在の重みだった。
====
「儀式の核……だと?」
一真は、かつて耳にしたザルギスの言葉を思い返していた。
神官長たちの会話、エリシアの祈り、そして何より――門の声。
あれはただの幻覚などではなかった。
自分の中に、何かが入り込んでいるという感覚。
それが今、確信へと変わりつつあった。
そして同時に、一真は知ったのだ。
自分がただの勇者ではなく、門を開く鍵――すなわち、神の贄であることを。
====
夜明け前の城門。
そこに現れた影を見て、兵たちは一瞬身をすくめた。
「魔族将……レイヴァン=アズレイド……!」
「下がれ。戦うつもりはない」
彼女の声は静かだった。だが、軍装姿のその威容に、誰一人として近づくことはできない。
「……彼は?」
「ここにはいない。私が迎えに来ただけだ」
一言そう言い残し、レイヴァンは闇に紛れて姿を消した。
====
「……遅かったな」
廃墟となった水路の奥。
そこで待っていたのは一真だった。
レイヴァンは彼の姿を一瞥し、眉をわずかにひそめた。
「顔色が悪い。王国に何かされたか?」
「……全部、知ったよ。俺が……器であるってことも。神に捧げられるための存在だってことも」
「……そうか」
レイヴァンは静かに頷く。
それは、同情でも共感でもなく、ただ事実を受け入れる者の顔だった。
「……お前はどうする?」
問いかけに、一真はゆっくりと剣を抜いた。
その刃には、わずかに魔力が帯びている。彼が創造神の欠片に目覚めつつある証。
「戦わない。だけど、立ち止まらない……俺は、もう誰かの道具にはならない」
その言葉に、レイヴァンの唇がわずかに笑みを刻んだ。
「ようやく、勇者ではない、お前が見えてきたな」
====
王都の上空。
突如として、空が歪んだ。
音もなく、色もなく、ただ空間がめくれた。
「……次元が裂けた……?」
レイヴァンが目を細める。
一真の身体から、淡い光が放たれていた。
「……ッ、これ、は……!」
一真自身もその現象に驚いていた。
彼が放った感情の波が、無意識に空間を揺らしたのだ。
彼の中にある欠片が反応している。
怒りと、悲しみと、決意。そのすべてが、世界の境界を突き破る力となって。
「……このままだと、門が……」
「分かってる!」
一真は叫んだ。
目の前に見える裂け目の向こうに、何かがいる。
見えないはずの何かが、確かに自分を呼んでいる。
——来たれ、継承者。
その声が、再び響く。
「レイヴァン……頼みがある」
一真は彼女を見た。その瞳は決して揺れていなかった。
「このまま、王国に戻れば、俺はきっと殺される。いや、それ以前に、利用されて終わる……だったら、俺は逃げる。逃げて、俺自身の答えを探したい」
「……よく言った」
レイヴァンは、魔剣を一閃させ、空に開いた裂け目を切り裂いた。
瞬間、そこに扉が開かれる。
異界への道。
かつて、誰もが恐れたその先に、今、ふたりは立っていた。
「……行こう、レイヴァン」
「ああ。鍵と守人、ふさわしい旅立ちだ」
夜が明ける。
けれど、王都にはその光は届かない。
扉が開いた影響で、次元の揺らぎが現実世界にじわりと広がりつつあった。
異界が、こちらを見ている。