聖女の祈り
柔らかな光が、神殿のステンドグラスを通して差し込んでいた。
エリシア=ルクレールは、静かに祈りの姿勢を取りながら、その光の温度を肌で感じていた。
けれどその内心は、決して穏やかではなかった。
「一真様は……どこに?」
控えていた修道士たちは口ごもった。
すでに一真が王都を離れたという事実は、彼女の耳にも届いていた。
だが、それでも信じたかった。彼は、神に選ばれた私の勇者なのだと。
「ご安心ください、聖女様。儀式は予定通り……魂の器は、既に揃っております」
「器……?」
エリシアの声が震えた。
かつて、神殿の奥深くで読まされた禁書に書かれていた言葉。
それは、異界の魂を供物とすることで神に通じる術。
「……まさか、一真様を」
「ええ。彼は選ばれた存在です。門を開く鍵なのですよ」
神官長が笑う。
信仰に満ちたその表情の裏には、狂気としか言いようのない意志があった。
「違う……一真様は、そんな風に扱われるべき存在じゃない……!」
エリシアは神殿を飛び出した。
だが、彼女の瞳もまた、静かに、確実に神の光に染まり始めていた。
「……私が、救わなければ」
その言葉は祈りだった。だが同時に、それは呪いでもあった。
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一方その頃、王城ではひそやかに儀式の準備が進められていた。
「これが、過去に使われた勇者の記録……?」
一真が置き去りにしていった部屋で、老臣が古文書を手に取った。
そこには、かつての勇者たちが帰還することなく、次々に魂の消失という形で記録されている。
「……やはり、勇者召喚とは門を開くための手段……鍵とは、器であり犠牲でしかなかったのか……」
老臣は天を仰いだ。
「我らは……どこで間違った……」
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夜。
エリシアはひとり、神殿の奥深く、誰も足を踏み入れぬ祭壇へ向かっていた。
手には神聖具が握られている。
それは、異界と交信するための古代の遺物。
本来ならば、神官長すら手を出せぬ禁忌の器具だった。
「……一真様。どこにいるの……?」
その声は空虚に響く。
答える者はない。
だが——次の瞬間、祭壇の上の鏡面が揺れた。
水面のように、淡く波打ち、そこから、何かが顔を覗かせる。
見えたのは——門。
そして、そこに立つ彼の姿。
「……かず……ま……さま……?」
彼は答えない。幻影か、それとも本当に繋がったのか。
その姿は薄れ、やがて闇に飲まれた。
「……神よ。どうか私に……力を……」
エリシアの瞳が金色に染まり、魔法陣が彼女の足元に展開される。
その詠唱は、本来神官長すら禁じたはずのもの。
——「我が身を器となし、神の意思を迎えん……その名を讃え、命を贄とせん」
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一真とレイヴァンはまだ旅の途中にいた。
しかし彼らの背後で、静かに異界の扉が揺れ始めていた。
次元の狭間が、わずかに裂ける。
そこから聞こえたのは——聖女の祈り。
「かずまさま……あなたを救うのは、私だけ……」
その祈りは光に包まれていた。
だがその光は、どこか濁り、ねじれ、狂気すら孕んでいた。
そして、神殿の最奥で、誰にも見られぬまま、門がわずかに開いた。
その奥から現れたのは、名前も姿もない何か。
それは言葉を持たぬ意志、ただ求めるだけの存在。
——「継承者を……差し出せ」