表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/12

命を奪わぬ者

 命を奪う。それは、勇者として当然のことなのだろうか。


 誰かを殺す覚悟。それができなければ、この異世界で生きてはいけないと、皆が言った。

 けれど一真には、それがどうしてもできなかった。


====


 剣を握る手に、震えが残っていた。


 前線から戻った翌朝、一真は訓練場に立っていた。王国騎士団の教官が、容赦ない声で怒鳴る。


「お前は勇者だろう! なぜ手を抜く!」


「抜いてるわけじゃない……!」


「ではなぜ、殺せなかった!」


 教官の怒号に、一真は返す言葉が見つからなかった。

 殺したくなかった。ただ、それだけだった。


 背後で訓練を、見ていた兵士たちの視線も冷たい。

 あの勇者、やはり異世界の子供だ——そう言っているようだった。


 この世界の常識が、自分のものと違うのは、もうわかっている。


 けれど、だからといって簡単に命を奪えるわけがない。


 その夜、神殿の回廊を一人歩いていると、月光の中に白い衣が揺れた。


「……エリシア」


「こんばんは。こんな夜更けに、散歩ですか?」


 優しく微笑むその姿は、まるで天使のように美しかった。だが一真は、なぜか彼女の笑顔に、僅かな影を感じていた。


「……皆、俺を疑ってる。勇者らしくないって」


「あなたは、優しい人ですね」


 エリシアは静かに答えた。


「戦場で命を奪わなかった。レイヴァンという魔将とも、互いに手を引いた。それは……この世界では、異常とされる。でも、私はそれを……正しいと思います」


 一真は目を見開いた。


「……正しいって……?」


「ええ。誰かの命を奪うことでしか終わらない戦いなら、そんなもの、最初から間違っているんです」


 エリシアの声は、確かに優しかった。けれど、どこかに妙な切実さがあった。


「あなたが……選ばれし者でなければ、きっと壊れてしまう。だから……私が導いてあげたいんです」


「……?」


「いえ、独り言です」


 彼女はふっと微笑んだが、まるで、何かを知っているような眼差しだった。


「一真さん。あなたは、神に近づきつつあります。だから、もっと強くならなければなりません。剣ではなく……心が」


「心が、強くなるって……どういう意味なんだ?」


 その問いには、彼女は答えなかった。


 ====


 数日後、軍議の席で再び前線行きが命じられた。

 一真は剣を握り、戦場へと赴く。


 その日は小規模な斥候戦。だが、相手は明らかにこちらの動きを読んでいた。


 伏兵、罠、そして……彼が現れた。


「また会ったな、勇者」


 レイヴァン。前回と同じ、銀髪の魔将。

 彼女は単独で現れ、剣を抜くことなく歩いてきた。


「今度こそ、決着を……」


「やめろ!」


 一真は叫んだ。


「こんな戦い、意味がない! あんたもわかってるはずだ!」


「……ならば、私に何を求める?」


「対話だ。理由を教えてくれ。なぜあんたは戦う? なぜ魔族と人間は殺し合う? 俺はそれを知らずに剣を振るえない」


 沈黙。風が草原を揺らす。


 レイヴァンはゆっくりと目を細めた。


「お前……まるで、かつての誰かに似ている。何故だろうな……」


 その声には、奇妙な懐かしさと、憐れみがあった。


「……答えを知るには、お前が、本当の自分を思い出す必要がある。だが、それができたとき、お前は、今の自分を捨てることになるかもしれない」


「どういう意味だ、それ……」


 レイヴァンは一歩、近づいた。剣を抜く気配はない。


「お前の中に眠る欠片が目覚めれば……門が開く」


「門って……異界の門か?」


 その問いに、レイヴァンは何も言わず、ただ一言だけ呟いた。


「私は……お前を殺せない。なぜなら、私は——」


 その瞬間、王国軍の援軍が駆けつけ、レイヴァンは剣を引いた。


「……また、いずれ会おう。勇者よ。私は、お前が何者なのか……知りたい」


 そうして彼女は再び霧の中に消えた。


====


 その夜、一真は再び神殿でエリシアと会う。


「戦ったけど……やっぱり殺せなかった」


「……いいんですよ」


 エリシアは微笑んだ。だが、その目は濡れていた。


「あなたが命を奪わない限り……門は完全には開かない。だから……」


「エリシア?」


 その言葉の続きを、彼女は飲み込んだ。


「いえ、何でもありません。あなたはそのままでいてください。一真さんが……壊れないように、私が傍にいます」


 その言葉は優しくて、あまりにも哀しかった。


 彼女の微笑みの奥に隠された祈りが、どこかで響いていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ