未羅の場合 第九十八節 カーテンコール
私、これまで未羅のイヤなトコばっかり、ここに書いてきた。
これじゃ、読者のみなさんには、未羅は人間味に乏しい知的俗物、または頭でっかちの類型的人物としか思えないでしょうね。
ちょっと待って。
だったら、何で未羅は読書会のリーダーたり得たの?
何で、みんな黙って未羅について行ったの?
みんな、彼女に血を吸われて、頭がおかしくなってただけ?
そうじゃないの。
私は未羅のいいところを、これまで敢えて書かなかった。
未羅の魅力から目をそらしてた。
本当は私も未羅に魅了されてた。
いや、幻惑されたと言った方がいいかもしれない。
私は彼女の感情豊かなところが好きだった。
彼女の情緒的な部分が好きだった。
だって、情緒豊かだからこそ、彼女は革命家になったんだから。
人を動かす物は思想でも利害関係でもないと、私は未羅から教えられたような気がする。
「言葉だけなら何とでも言える」と、世間知のある人間は考える。
だから思想じゃオトナは動かない。
お金は人を動かすけど、お金で買った心は、お金が無くなれば離れる。
つまり、どんなに動機が純粋でも、利害関係はソロバン勘定を越えられない。
「この人にだったら、わが身を預けてもいい」と人に思わせる物は、生身の人間の、まるごとの魅力だけ。
人徳と言ってもいいし、パワーと言い換えてもいい。
人を動かす物は、ただ人だけだと思う。
子どもみたいに未羅に反発して、イジワルなことばっかり言い続けた私に、未羅の主義信条を論じる資格はないと思う。
実は、未羅が残した化粧ポーチの中に、お守りくらいのサイズの手縫いの袋が入ってたの。
中身は、大事そうに折りたたんだ手書きのメモだった。
誰の本から写してきたんだか、私には分からなかったけど、未羅にとっては、きっと大事な言葉だったんだろう。
だから、それをご紹介して、さよならの総括にします。
未羅、さよなら。
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ナターシャが今、庭から入って来た。私の部屋に、もっと自由に風が入るよう、もっと広く窓を開けるために。塀の下には緑の芝生、塀の上には青空が見える。ここにも、そこにも、陽の光が降り注いでいる。ライフ・イズ・ビューティフル。未来の世代には、人生と言う布から罪悪と弾圧と暴力のシミを洗い落し、人生を目いっぱい楽しんでもらおうではないか。
(原文ロシア語。神永未羅が英文翻訳書から重訳した)
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(一九八〇年編、完)
「第8次少女大戦記」一九八〇年編が完結しました!
本作に、ここまでお付き合い下さって、どうもありがとうございました。
この小説の続編については、下記のように構想しています。
一九九〇年編は「一回休み」。阪神・淡路大震災は、東日本大震災と合わせて扱います。
二〇〇〇年編は、米国9.11テロ事件を契機とした、世界規模の地政学的変動を扱います。
二〇一〇年編は、東日本大震災。
そして二〇二〇年編は、コロナ・パンデミック。
これで、ようやく「第8次」少女大戦になります。
もっとも、二〇二〇年代は未だ前半戦ですが。
私は必ず本作に戻ってきます。I'll be back.
(2024年5月12日記)




