表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

33/34

第六話「諦めは現実の妥協なのか?」 5

 部屋の隅にいる祈を見る。


 サミジーナを失った祈は膝を抱え、両手で耳を塞ぎ、小さくなって震えている。


 燐が自身を貫いたあと、バエルが飲み込んでいたデリートされたすべてのグリモアが吐き出され、誰の管理下でもなくなったのか、ふよふよと空間内に浮かんでいた。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 彼女は懇願するように、小さく呟きを繰り返すだけだ。


 彩花は近づき、祈の頭に手を置く。


「誰も怒っていないよ」


「許して、許して、許して、許して」


 グリモアのない彼女は、ただの女の子だった。ただ、世界に絶望して、逃げ道を探していただけの女の子だった。


「私は、私は、道連れが欲しかった」


「うん、わかるよ」


「彩花なら、きっとわかると思ってた」


「わかるよ。ただ、私とあなたはちょっと違っただけ」


 祈が顔を上げる。


 顔を涙でぐしゃぐしゃにしていた。


「もしも、違う形で出会っていたら、友達になれたかもしれない」


「彩花……」


「あとすべきことはわかりますね」


 ミチルが最後の確認を彩花にした。


「うん」


 祈に背を向けて、部屋の中央に向けて歩を進める。


「でも、どうしても、しなきゃダメかなあ」


 彩花は横に立っていたミチルに目を向けた。ミチルは表情を変えず、頷きもせず、言葉では肯定も否定もしなかった。


 それは肯定を意味する。


 ニーナと別れるときに彼女が言っていた。


 夢から醒めたいなら決断をしろ、と。


「そうだよね」


 一歩、倒れている燐に近づく。


 彼女が自身を貫いた日傘はすでに消失していた。穴どころか傷もなく、当然血も流れていない。仰向けに眠っているだけのように見えた。


「本当は、嫌だけど、私が選んだんだ」


 選択の自由。


 この世界で、リアルでもヴァーチャルでももっとも尊ばれる概念だ。


 そして、彩花は選択をすることにした。


 眠っているのはただの少女だ。


 祈や彩花と同じく、どこにでもいる、少女だ。


 ただ生きることを願っただけの。


 この世界にいることが、生きていることになるのか、彩花にはわからない。


 ただこの先の結末は、燐にとっては喜ばしいことではないだろう。


「サミジーナ、剣を」


 右手を広げ、一番近くにいたサミジーナに向ける。


 その意図を理解したかのように、サミジーナの構えている剣が彩花の手のひらの中へと移る。


「だから、せめて、私が、自分で」


 片手で包み込めるほどの大きさだった剣は、彩花の体格に合わせて大きくなり、彼女の身長と同じくらいになった。重さのない剣は、それでもこれからすることを思うとずっしりと感じた。


「ごめんね、私は」


 もう聞こえないだろう燐に、彩花が謝る。


「帰らなくちゃ」


 剣の重みを乗せて、自身の力も込めて、垂直に下ろす。彩花の手に、仮想の世界で、確かに肉を貫く生々しい感覚がフィードバックされる。


「おやすみなさい」


 剣が燐に突き刺さった一瞬、燐の身体が僅かに仰け反った。その姿を彩花はきちんと見ていた。目を逸らさなかった。


 ビクビクと動いていた燐の身体は、次第に大人しくなる。


「終わりましたね」


 燐に突き刺さった剣は、砂になって崩れるように霧散していった。


「うん、終わった、でも」


「祈の身体はもうだめです、アップロードが完了しているのですから。この世界が残っているとすれば、永遠にここに留まるでしょう。あるいは、研究が進めば」


「そう、ミチルは」


 ミチルは肩をすくめて、さあ、というジェスチャーをする。


「私もアップロードが完了しています。それに責任の一端は私にもあるでしょう。私は、無実ではない。それより今はあなたのことを心配してください」


「えっ」


 ミチルが天井を指さす。


「崩れます」


 部屋の天井がチカチカと明滅を繰り返す。


 遠くで地震でも起こったように、ドシンドシンと鳴り、天井の破片が粒になって降り注いでいる。


 彩花は天井に注意しながら、一歩一歩ドアへと後ずさりする。ドアと部屋の境目に指が触れた。


「ミチル」


「はい」


 二人の間には粒がヴェールを作り、遥かに遠く感じられた。それでも彩花には、ミチルが穏やかな顔をしているのがわかった。


「私たち、友達かな?」


「ええ、そうだと思います。もちろん、定義次第ですが」


「ありがとう」


「こちらこそ」


「……さようなら」


「さようなら、お元気で。彼女のことは私がいますので、安心してください」


 祈はまだ部屋の隅で震えている。


「祈!」


 彩花の声に祈はビクついて、顔を上げる。


「さようなら、もっと仲良くなれたらよかった!」


 祈の返した表情は見ずに、彩花はノブを回して、ドアを開ける。


 廊下に出て、頭の中で自分が歩いた研究所の地図を思い出そうとする。


 それからすぐに、この世界が仮想世界だと気づく。


「出口を、お願い」


 強く念じて、ぐにゃぐにゃに廊下をねじ曲げて、出口を作り出そうとする。


 世界が書き換えられて、目の前に出口ができた。


「うっ」


 そのとき、激しい頭痛が彩花を襲った。


 そこで視界もブラックアウトした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ