第一話「レンズは現実の拡張なのか?」 3
「え、なんのこと?」
彩花は聞き返すが少女は意に介さない。
「Cクラスかー」
空中を右手でフリックして、少女は何かを見ている。
「ま、いっか」
「ね、ねえなにを言って」
彩花を無視して、少女が言う。
「それじゃ、僕からいくね」
指を広げた左手を顔の横にまで上げて、手の甲を彩花に見せる。
その左手の薬指には、彩花がしているのと同じ指輪が嵌められていた。
「グリモワール! 我は汝に命ず、神の名に従い、神の意志をなす我が命に従い、万物の主の威光にかけて、鏡の中に現れよ!」
突然、大声で、対面している少女が叫んだ。
少女の足元が光り、地面に半径一メートルほどのサークルが出現する。角度的に見えづらいが、サークルの端には文様が浮き出ているようだった。
もちろん現実にそれが生じているわけではないことくらいは彩花にもわかる。
レンズが見せている、拡張現実上の表示だ。
「レラージュ!」
少女の声に呼応して、指輪が光る。
そこから出てきたのは、五十センチほどの人間型の何かだ。
これも現実には存在しない、レンズを通しているからこそ見えるものだ。
それは、金髪に緑のワンピースを着ていて、女性のようなシルエットをしていた。背中には羽が生えている。どこか絵本で見た妖精のようだと彩花は思った。
ああ、ピーターパンに出てくるティンカーベルだ。
アバターと呼ばれる、拡張現実に表示される架空の存在だ。指輪を介して起動しているらしい。やはり、この指輪は何かを起動するためのデバイスで、見たところオモチャのようだった。
レラージュと少女に呼ばれたそのアバターは、まるでようやく狭いところから出てこられたとでも言わんばかりに、背伸びをした。
背中には、矢の納められている矢筒があり、左手に弓を持っていた。
アバターの中でも、かなりリアルな動きをするタイプだろう。
「さあ」
少女に促されるが、何をしていいか彩花にはさっぱりわからない。
「いや、詠唱してくれないと勝負にならないじゃないか」
「しょ、勝負?」
「いや、違うのか? 指輪を持っているってことはそういうことだと思うんだけど。初めてってことはないだろう?」
「えーっと、なにを」
「仕方ないなあ、これだよ」
彩花は何を言っているのか、と続けるつもりだったが、少女には、何をすればいいのか、と捉えられたかもしれない。
「パブリック」
少女が一度自分の瞳を指して、それから彩花の目を指した。
パブリック回線を通して、視界に文字列が浮かぶ。
呪文のような文言が表示されていた。
少女が叫んでいたものと同一のものみたいだった。
「えーと、まずこれで」
少女が指輪をしている左手の甲を顔の横に持ってくる。
「そうそう」
同じように彩花も顔の横に手を置き、手の甲を少女に向ける。
「さあ、読んで」
「グ、グリモワール。我はなん、汝に命ず、神の名に従い、神の意志をな、なす我が命に従い、ばん、万物の主の威光? 威光にかけて、鏡の中に現れよ?」
彩花の足元に、少女と同じサークルが現れる。彩花は自分のサークルを見てみると、文様の他、円形に文字が描かれているのがわかった。
「よし、次はグリモワールの名前を」
「グリモワール?」
彩花の態度に困っているのか、うーんと少女は唸っている。
「本当にわかっていない? それとも知らないふりをしているだけ? この時期に?」
「ぜ、全然」
「ほら、この辺り」
彩花の視界、左下辺りを少女がぶんぶんと手を振って囲む。
指定された位置に、名前らしきものが浮かんでいた。
「サミジーナ?」
「OK、それでいい」
レンズ越しに指輪が光り、少女の妖精のように人型の何かが姿を現す。
「これが、サミジーナ?」
現れたのは、銀色の甲冑を着込んだ西洋の騎士だった。兜が頭全体を覆っていて、隙間から暗い瞳がわずかに見えていた。うねうねと装飾が施されている剣を刃を上にして両手に持ち、無言でたたずんでいる。
「来たな、裁定者」
そう言って少女が空を見上げる。
彩花のレンズの端に白い影が見えた。
空から白い影がゆっくりと降りてくる。
『ゲーティアの起動を確認しました。ゲームを開始します』
イヤフォンに小さな子どもの声が流れる。
夜にもかかわらず、その白い影がほのかに光っているのがはっきりと見えた。
影は白いワンピースを着て、白い日傘を、細く白い右手に持っている少女だ。
足には白いサンダルを履いている。
日傘の隙間からちらりと見えた頭の上には、なんだか奇妙な緑の物体を乗せていた。日傘から考えても帽子と考えるには奇妙だろう。
それよりも奇妙なのは、その両目が白い眼帯で覆われていることだった。
異様な格好をした少女が地面にふわりと降り立つ。
人間は空中を歩くことはできない、彼女もまたゲームに登場するアバターなのだろう。
「じゃあやろうか」
「え、ちょっと」
「行くよ、レラージュ」
少女は後ずさりして、彩花から離れた。
「まずは小手調べ、レラージュ、魔弾を放て」
妖精は弓矢を構える。
放たれた一本の矢は二本に分裂して、その二本ともが彩花が呼び出した騎士に向かって一直線に飛んでいく。
「わわっ」
彩花の顔をヒュンと音をさせてかすめるように矢が過ぎ去り、騎士に甲冑を貫いて突き刺さった。騎士がぐらりとよろめく。
「あれ、避けないの?」
首を左右交互に傾げながら、少女は何か考えているようだった。
「ま、いっか。レラージュ、雨霰を降らせ」
レラージュが弓を引き、空に一本の矢を放つ。
重力に従うように、大きく弧を描いて落ちようとしたとき、その矢が十数にも分裂した。
少女が言った、まさに雨のように矢が降ってくる。
「ひゃん」
それが怖くて、彩花は膝を曲げてうずくまった。
矢のほとんどが地面に突き刺さる。
「あれ?」
不思議そうな声を出したのは少女の方だった。
「なんで、そっちが避けようとする?」
「ちょっと、待って待って」
「待ってもなにも……」
話が通じそうにない。
彩花はその場から離れるため、グラウンドの外に逃げようとする。
呼び出した騎士もついてきた。
「もしや、本当に素人?」
「だから、わけがわかんない!」
「レラージュ、曲射」
妖精は彩花がいるところとは見当違いの方法に矢を射る。
矢は弧を描いて結局彩花のところまでやってきた。
「うーん、楽しくないなあ。歯ごたえがない」
少女は陣取った場所から一度も動いていない。
「まあ、いいか。勝ち点だけでももらっておこう」
あくびでもしそうなほど退屈そうにして、レラージュに命令をしている。
「レラージュ、攻撃、続けて」
一定の間隔を置いて矢が彩花の方に飛んできて、一本一本、確実に騎士に刺さっていく。
「これで終わりっと」
矢が止まり、ほっとする。
「レラージュ、必中」
ギリギリと音がしそうなほど妖精は矢を強く引いて、真っ直ぐに矢を射る。
矢は騎士の甲冑を貫き、彩花の身体をすり抜けていった。
騎士は霧のように消えていった。
『ゲームが終了しました。勝者レラージュです。勝者には栄光を。敗者にはペナルティが与えられます。両者お疲れ様でした』
イヤフォンから声がした。
そこで彩花に衝撃が走り、気を失ってしまった。