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第五話「祈りは現実の否定なのか?」 3

挿絵(By みてみん)

 幾度目かの紗希からの通信を無視して、彩花は病院に向かっていた。


 一人で向かっている理由は正直彩花にもわかっていなかった。いますぐに向かわないといけない、こなたが危険だ、という焦燥感だけがあった。


 彼女たち、こなたとかなたを迎えに行く義理は紗希の方があるだろう。


 彩花はただ一度、二人に会っただけだ。


 それでも、彩花は動かずにはいられなかった。


 夢の中でかなたに言われたからかもしれない。


 いや、それだけかどうかはわからない。


 自分にも、融解の危機が迫っているからだろうか。


 とにかく、思考と身体が前のめりになっていた。


 夜の病院は静まりかえっていた。


 救急用の出入り口から入り、忍び込むように慎重に歩いた。幸い誰にも会うことなく、彩花は病院内に入ることができた。


 総合受付に出てみたが、そこは音もなく、彩花の足音だけがコツコツと彩花の後を追いかけていた。


 こなたがいるなら、どこかの病室だろうか。


 ここは総合病院だ、病室はかなりの数がある。


 そこまでは聞いていなかった、今からでも紗希と連絡を取るべきだろうか。


 レンズに命令をして紗希に接続しようとした瞬間、眼前に表示が現れた。


『プレイヤーが近くにいます。ヒットしました。相手の認証は成功しています。グリモア名はムルムル、Aクラスです。アスモダイ、クラスが取得できません。現在対戦中のため、参加することができません』


 ゲーティアがプレイヤーを認識した合図だ。


 ムルムルはこなたのグリモア。


 それと交戦しているのはアスモダイと呼ばれるグリモア。


 こんなときに、こなたは誰かと勝負をしている。


「クラスが取得できない?」


 相手のクラスが取得できない理由はわからない。通信環境のせいだとは思えない。何かがあるはずだ。


「どこにいるの?」


 指輪が反応しているのだから、近くにいることは明らかだった。


『距離は二十メートルです』


 場所はかなり近い。


 彩花は周りを見渡すが、それらしい人影は見当たらない。


 となると。


「二階か、三階か、地下か」


 しかし、上階は診察室が並んでいる。無人だとしても、ゲーティアをプレイしていれば誰かに気づかれ、それを咎められてしまうのではないか。


 確か、この病院には地下一階があったはずだ。霊安室か何かがあったと思う。


 そのとき、チンと、音がした。振り返ると、彩花を誘い込むかのようにエレベータが開いていた。階段を下りるより早いかと思い、彩花はそのまま乗り込む。


 地下のボタンを押そうとしたとき、エレベータに通常と違う箇所を見つけた。


 エレベータの階数表示の下のパネルが外れていたのだ。


 どうやら通常は、押せないように鍵がかけられているらしい。それが今は開いている。


 そこにはB2のボタンがあった。


「地下二階?」


 彩花は気になって、そのボタンを押す。


 エレベータは静かな唸り声を上げて、地下へと沈んでいった。


「行けるんだ」


 壁に背中を預ける。静かな振動が彩花を包む。


「距離はどれくらい?」


『距離は十メートルです』


 指輪を通してレンズが告げる。


 近づいているから、上階ではなく地下で正解なのだろう。


 エレベータが地下二階に到着して、ドアが開く。


 地下はホールのようにがらんどうになっていた。


「こなた、さん!」


 そのフロアの壁に背を付けて、両足を伸ばしてこなたが座っていた。


 彩花はそこまで小走りで駆ける。


「ああ、君か。紗希かと思った」


「はい」


 こなたは紗希に連絡を取っていたから、紗希が来ると思っていたのだろう。


「大丈夫、ですか?」


「うん、まあ、こんなざまだけど、ね」


 彩花が顔を上げ、フロアの中央に立つ人物に目を向ける。


 緩いウェーブのかかった金髪に、整った無表情の顔に青い瞳、高い身長を強調するようなヒール。


 かなたを自動車で連れ去った人物だ。


「いやあ、強かった。反則的な強さだ」


 こなたが呟く。


 金髪の彼女は仁王立ちをして彩花とこなたを見下ろしている。


「あなたは、誰?」


 彩花はじっと彼女に睨まれてしまう。


「私ですか? 私はニーナ、ニーナ=サザーランドです」


 彼女、ニーナが名前を言う。


「あなたは、なにを」


「あなたがたプレイヤーの動向を監視していました。あなたがたが『融解』し始めた情報を得て、研究所に運ぶのが私の仕事です」


 入ってきたドアと反対方向に別のドアがあった。


 彩花がそこに視線を向ける。


「この先に、かなたさんが?」


「この先? ええ、そうですね。先と言えば先です」


 ニーナは彩花の質問に曖昧に答えた。


「まさか、通してくれない、ですよね?」


「いいですよ、どうぞお進みください」


 あっさりとニーナは言った。


「と言いたいところなのですが、ここであなたにはグリモアを使っていただく必要があります」


 ニーナが右手を前に伸ばす。


 その手の人差し指には指輪が嵌められていた。


「グリモワール!」


 ニーナの周りにサークルができる。


 ニーナもゲーティアのプレイヤーだということだ。


「アスモダイ!」


 ニーナがグリモアを呼び出す。


 クラス不明のグリモアは、KLSの関係者だからなのか。


 ニーナのグリモアは人型だ。しかし、その人間の頭は羊のそれに置き換わっていて、両手に黒い革手袋をしている。


 右手に五十センチほどのアスモダイの身長と同じ長さの槍を持っていた。


「こ、こんなことしている場合じゃ」


 今の彩花の目的は、かなたを救い出すことだ。今のこなたもどうにかしないといけない。


 ゲームなんてする意味はどこにもない。


「違います、こんなことをしている場合なのです」


 そう言った彩花にニーナが首を振った。


「もしあなたがこの先に行きたいなら、これは必須条件なのです。あなたはグリモアを呼び出すしかないのです」


 こなたもニーナの意見に同調する。


「彼女の言う通りだ。この先はグリモアがなければ行けない」


「……わかった」


 こなたが何を知っているのかはわからない。観念して、彩花は手の甲をニーナに見せ、詠唱を行おうとした。


 そのときだった。


「グリモワール!」


 もう一度、ニーナは宣言した。


 すでにある足元のサークルに、更に一つサークルが重なる。


「フォラス!」


「え?」


 ニーナの前に現れたのは、全身に一枚の白い布を被ったもう一体のグリモアだった。フォラスと呼ばれたグリモアはふよふよとなんだかコミカルに動いている。


「二つ目!? 指輪一つで一体じゃないの!?」


「答える義務はありません」


「まさか一人でグリモアを二つ出せる人間がいるなんて思わなかったんだよね。おかげで負けてしまったよ」


 のんびりした声でこなたが言った。


「ど、どうすれば……」


「手を貸してくれないか」


 起き上がろうとしたのかこなたが右手を伸ばす。彩花も手を差し出して、引き上げようとする。


 しかし、こなたは立ち上がろうとせず、重い腰を下ろしたままだった。


「すまないが、もうしばらく立てそうにないんだ」


「うん」


「代わりと言ってはなんなんだけど」


 こなたが彩花を引き寄せる。


「きゃっ」


「グリモワール、ムルムル」


 頬同士が重なるほど近づいて、こなたが耳元で囁く。


 すぐに彩花が起き上がって離れる。


 彩花が立ち上がってこなたを見ると、すでにこなたは杖持つ骸骨を呼び出していた。


「ちょ、ちょっと、こなたさん! 無理しないで」


「逆に質問だけど、君一人で勝てそうかい?」


「それは……」


 彩花が言い淀む。


 経験はこなたの方が上だ。


 そのこなたがニーナに敗北している。


 それに相手は二体のグリモアを出している。


「私なら大丈夫。ムルムルは遠距離タイプだから、私が動かなくても多少は戦うことができる」


「そうかもしれないけど」


「問題ないだろう? そっちが二体なんだから、こっちが二体でも、さ」


 中央から動かないニーナにこなたが聞く。


「どうぞ。ですが、あなたにとっては負荷が大きすぎるはずです。本当にいいのですか?」


 自信があるのかニーナが淡々と返した。


「もちろん」


「わかりました」


「だってさ、ありがたい話だ。彩花さん、こっちに来てグリモアを」


 差し出されたこなたの手を再び彩花が掴む。今度はこなたに引き寄せられることはなかった。


「うん。グリモワール、サミジーナ」


 彩花は指輪からサミジーナを呼び出す。


 何もない空間から裁定者がゆっくりと、日傘をパラシュートにしているかのように降りてくる。ゲコゲコとカエルが鳴く。


『ゲーティアの起動を確認しました。ゲームを開始します』


 裁定者がゲームの開始を宣言した。


 グリモアの数が合っていればプレイヤー数は関係ない、ということなのだろう。


「再戦期間も関係なし、か」


 組み合わせが変われば、再戦には一定の期間を空けないといけないルールも無視できるらしい。


 こなたが壁に背を付けたまま、手を前に突き出す。


「よし、再戦といこうじゃないか」

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