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第7話 かくして私達『 』になった

 

「ここは何処だろう……」


 足が痛くなって走り疲れた私は近くにあった木に背中を預けて腰を下ろした。

 雑草が生い茂り、崩れかけの花壇があることから長年手入れがされていない忘れ去られた小さな庭なのだろう。

 そんな場所でも様々な色をした花が逞しく咲いていて、私は手を伸ばしてそっと触れた。


「私は何がしたいのかしらね」


 花に話しかける光景は頭がおかしい女だと思われるかもしれないが、今は誰かに相談をしたい気分だった。

 悩みも愚痴もこれまで聞いてくれたたった一人の友人に嫌われてしまった。

 けれど、あの時口にした言葉は間違いなく私の中にあった本音。

 私に付き合わせてサヴァリスをこのまま縛り付けておくなんて出来ない。


「彼を待ってる家族がいるんだもの」


 短いやりとりではあったけど、陛下とサヴァリスの仲の良さは十分に伝わった。

 少し年上でいつも私を導いてくれた頼れる彼が子どもみたいにムキになったりと私も知らない一面を見せていた。

 陛下もサヴァリスも一緒にいられないことを納得しているように振る舞っていたけど、やっぱり家族なら共にいるべきだ。

 私なんかのせいで双方を不幸にしちゃいけない。


「家族は仲良くなくっちゃ」


 私の実家である男爵家でさえ、幸せはあった。

 妹の誕生日を両親が祝い、弟の成長を喜んだ。

 その輪の中に私は入れなかったけど、家族の幸せは隣で眺めてきた。

 幸福が誰かの犠牲や我慢で成り立つのなら私はそれを受け入れよう。

 聖女をこれからも名乗るなら人に献身的で優しく在ろう。


「もう、立ち上がれるよね?」


 自分に言い聞かせるように呟いて、触れていた黄色の花から手を引いた。

 スカートに付いた土を払いながら余計な感傷も振り払う。


「とりあえず戻らないと」


 王宮の中を勝手にうろついて迷子になるなんて迷惑な客人だと思うが、一人じゃ帰り道もわからないし誰か人に尋ねよう。

 陛下にお礼を言って、サヴァリスに別れの言葉を告げたら帝国の教会に向かうのだ。

 何もかもを忘れて仕事に没頭すればこの胸を引き裂く痛みを忘れられるから。


「大丈夫……私は大丈夫……だから、止まってよ」


 上を向いても視界が滲む。

 足元に咲く花が枯れてしまう前に止まるよう強く願っても溢れる雫は思い通りにならなかった。




 ♦︎




 慣れない実家を奔走しながら、サヴァリスは見慣れた胡桃色のわからず屋を探す。

 かつては腹違いの多くの兄弟姉妹が暮らしていた王宮は空き部屋が多く、苦労していた。


「くそっ。どこ行った!」


 走り回る元皇子の姿に何事かと使用人達が振り返るが説明してる暇はなかった。

 皇帝である兄に頼んで人手を借りることも一瞬だけ考えたが、やはり彼女のことを他人に任せられないと却下した。


「エリーゼの奴、ここ最近魔法を使ってないせいで体力有り余ってんな」


 普段と体調が逆になのが仇になったとサヴァリスは思った。

 帝国や教会への根回しのため連日徹夜したせいですぐ足が重くなった。ついでに頭も回らなくなっており、先程は感情を堪えきれなかった。

 エリーゼの性格を考えればあのような発言するのなんて分かりきっていたのにと後悔する。


「……あれ? 何処だここ?」


 男らしくないことをいつまでもうじうじ考えながら自分の直感に任せて進んでいると道に迷っていることに気づいた。

 床や窓の汚れ具合から誰も使わずに放置されている区画のようだ。

 元々は先帝が増える側室のために用意させた後宮の一部であり、その必要が無くなった現在は取り壊し予定が立てられている。


(俺には馴染みの無い……いや、何度か来たことあるなここ)


 先帝がサヴァリスを他の皇子や皇女と遊ばせようとして無理矢理この場に連れて来たのは過去の話。

 子供同士仲良くしろと言って不安から怯えていた我が子を置き去りにして側室の寝床に消えて行った。サヴァリスにとって忌々しい記憶の残る場所だった。

 自分にとって敵しかいない空間の中で、こじんまりとして誰かが趣味で世話をしていた庭で彼は兄貴や母親が迎えに来るまで息を潜めて待っていた。


「って、お前がそこにいるのかよ」


 誰も手入れをすることがなくなり荒れていた庭。

 その庭の奥に生えてたかつて自身も身を隠していた木の下にエリーゼは立っていた。



「サ、サヴァリス……」


 踏んだ落ち葉の音が聞こえたからか、声をかける前にエリーゼはサヴァリスの存在に気づいた。


「よくもまぁ、こんな場所まで逃げたな。おかげで俺の足がパンパンだぜ」


 自分の太ももを指差しながらわざとらしく言って苦労をアピールする。

 いつもの口の軽いを男を演じて相手を安心させようとした。


「サボるために脱走するのは俺の得意分野だったのにな。机仕事ばっかで体が鈍ったのかもしれねぇ」


 ははは、と笑いながらサヴァリスはエリーゼの顔色を伺う。

 彼女が涙を流しているのを見てしまい、話を切り出しにくくなった。

 これまでサヴァリスはエリーゼが泣いているのを直接見たことがなかった。

 勿論、泣き終わって目元が腫れているのは何度も目にしたが、エリーゼは人に泣いている姿を見られるのを嫌がる。

 決して泣くのが恥ずかしいからではなく、泣いても事態は何も変わらず、むしろ相手の機嫌を損ねて暴力を振るわれるかもしれないという防衛反応からくるものだった。


「あ〜、大丈夫……なわけないか」


 誰がどう見ても限界だった。

 心を押し殺し、気丈に振る舞いながら理想の聖女を演じようとした少女の心はヒビの入ったガラスと同じで欠けた場所から感情が漏れ出した。

 我慢していた分だけ止まらないのだ。

 そのきっかけを作ったのは紛れもないサヴァリス自身であった。


「すまねぇ。さっきのはちょっと怖かったよな。折角お前が気遣ってくれたのにあんな態度とって悪かった」


 何を言うかは考えていたのに泣いたエリーゼを前にして気まずくなったサヴァリスはまず謝罪した。

 頭を下げて真摯な態度で謝り、未だ涙が止まないエリーゼと向かい合う。

 静かな木陰の下で少女の声を殺して静かに泣く音だけが聞こえている。


「ち、違うの……」


 すぐ目の前で悲しむ少女をどうにかしなくてはと喋ろうとした矢先、嗚咽を堪えようとしながらエリーゼが口を開いた。


「サヴァリスは悪くないの。悪いのは私だから……」


 くしゃりと顔を歪めて、自分の胸元を手で強く握りながら話す。


「サヴァリスはずっといらない子だった私のお世話をしてくれた優しい人ってわかってる。一緒に居たら悪口だって言われるって知っててもそばにいてくれた」


 震えた声でゆっくりと言葉を紡ぐ。


「だけど、やっぱりあなたは私と一緒にいるべきじゃないの」


「なんでそう思った?」


 不機嫌にならないよう、これ以上エリーゼを怖がらせないように自分に言い聞かせる。

 この先を聞かずに苛立ってはさっきの二の舞だ。


「サヴァリスには陛下が、お兄さんがいるから、家族と一緒にいた方がいいと思うの」


「でも、兄貴も俺も納得してる。帝国にいればどっかのタイミングで会うこともあるさ」


「それでもだよ。ちょっと離れただけ、また明日会えるって思っていても人はすぐに死んじゃうんだよ」


 その言葉には重みがあった。

 かつて体験した大切な家族との一生の別れ。

 エリーゼにとって最も身近で大好きだった母の記憶。

 床に臥せた母の病が移らないよう顔を合わせなかった。

 扉越しに声をかけていたのに、ある朝返事なく医者が部屋に入ると既に息を引き取っていた。

 別れの言葉すら言えなかった。


「だからこれからはお兄さんの側にいてあげて。嫌いじゃないんでしょ? 喋ってる時のサヴァリスは私より小さい普通の男の子みたいだったよ」


 親しい人との別れの辛さを知るからこそ、エリーゼという少女は自ら身を引こうとした。

 サヴァリスも彼女が口にしたように兄のことは好きだった。

 この広い檻の中で兄は自分と母を守ってくれたヒーローだったから。

 だからこそサヴァリスはそんな兄の重荷にならないよう神官になることを受け入れた。


「私はもう大丈夫だから。サヴァリスがお世話しなくちゃいけないような子供じゃないし、新しい教会でどんな扱いをされてもきっと王国よりはマシだと思うし。聖女として頑張って働くから私なんかの心配はせずに自分の家族を大切にしてよ」


 泣き笑いしたままサヴァリスの唇に指を当て、にいっと広げて笑みを作る。


「サヴァリスが幸せになるのが私の幸せだよ」


 心の底から思っている願いだった。

 なんて部下思いの素晴らしい聖女様なのだろうと一般の神官であれば感服させられる場面だろう。

 事実、サヴァリスも自分のことを思ってくれているエリーゼの優しさが嬉しかった。

 ただ、それよりも込み上げる怒りの方が遥かに大きかった。


「ふざけんな!」


 言いたいことは全て言ったと立ち去ろうとしたエリーゼの白く細い腕を力一杯握り締める。

 普段なら絶対にしない乱暴な振る舞いで彼女を引き寄せ、今度はその肩を掴んだ。


「お前が勝手に俺の幸せを決めつけるんじゃねーよ!」


 怖がらせたり怯えさせないようにしていた我慢の二文字は頭の中から消え去っていた。


「大体なんだよ。私なんか〜とか、私はもう大丈夫〜って、そんなこと言うやつの発言なんて信じられるわけないだろ!」


 堰を切って溢れ出した言葉をエリーゼへと投げつける。


「お前の頑張るとか大丈夫って大丈夫じゃないんだよ。いつも自分のことなんて二の次でぶっ倒れるまで無理するくせに信用できるかこの鈍感馬鹿女!」


「鈍感……馬鹿……女……」


 急に罵倒されてしまい、エリーゼが言われた悪口を復唱しながら固まる。

 一方でサヴァリスはまだまだ言ってやりたいことが山のようにあった。


「俺が居なくなったら先に死ぬのはお前の方だろ。こっちは知ってるんだよ。最近、飯の味がしなくなったり文字が上手く頭に入らなくなったりしてんの」


「えっ、なんで……。私そんなの言ってないのに」


「言われなくてもわかるんだよ! 何年隣でお前のことを見てると思ってんだ。どうせいつもみたいに俺を心配させないようにしてたんだろうが、そんなもん全部まるっとお見通しだ!」


 サヴァリスの考えていた通りだった。

 あんな下手くそな演技で人を騙せていたと思っていたことに益々腹立たしくなる。

 すぐに無理をするエリーゼの体調を管理して食事を用意させたり仕事を調整していたサヴァリスにとっては彼女の身に起きた変化を感じ取るのはお手のものだ。

 しかし、そんなことを本人に伝えれば気にして更に精神を蝕む恐れがあり、気づいていないフリをしながらサポートしていた。


「俺はな、エリーゼ。心配なんだよお前が」


 唖然とするエリーゼの肩を更に力強く握りながらサヴァリスはこれまで秘めていた本音を漏らす。


「俺が目を離したらどこか遠くに行きそうで、誰にも見られてない場所で死にそうで」


 怒っているはずの男の目頭が熱くなり、怯えるような声がエリーゼの耳に届いた。


「お前のことを好き勝手に言う連中が嫌いだった。お前を奴隷みたいに扱って金で売り飛ばして、用無しになったら追い出した男爵家の連中が嫌だった。お前を出世の道具としか思ってないくせに婚約者面をしてたヨハンが大っ嫌いだったんだ。そいつらのせいでお前が傷つくのが耐えられなかった」


 思えばいつもそうだった。

 サヴァリスはすぐにエリーゼを馬鹿にする人の悪口を言っていた。

 でも、彼が自分の代わりに怒っていたとしたら?

 少しでも自分が全部悪かったと自己嫌悪する人間にお前は悪くないと教えようとしてくれていたとしたら?

 そういえば彼があんまりにも自分の前で人を罵るので釣られて言うようになってきたではないか。


(彼の嫌いの基準は私を傷つけたかどうか)


 他人のために憤れるサヴァリスはやっぱりカッコいいなと思えた。


「いっそ全部投げ捨ててお前を連れてどこか遠くに連れて行こうって考えたりもした。けど、お前の頑張りだって無駄に出来ないから足を踏み出せなかった。婚約した時も、嫁ぐギリギリまでお前を守ろうって思った」


 誰がこの男を軽薄そうな人間だと言ったのか。

 お調子者でサボり癖があるなんて表面上だけじゃないか。

 長く側にいたから彼のことは理解している?


(何様なんだろ私。それこそ彼の言う通りの鈍感馬鹿女じゃない……)


 万力のように掴まれた肩が火傷しそうなくらい熱い。

 この熱がサヴァリスから自分に向けられた思いの大きさなのだ。

 人にこんなに強く思われていたことなんて二度目だ。


「でも、そんな俺の意気地なさが最悪な形でエリーゼを傷つけた。俺が早く動いていれば婚約破棄も理不尽な勘当も故郷を追い出されることも無かったのに……」


 ポタポタと地面に水溜りが出来そうな勢いでサヴァリスが泣いた。

 エリーゼにとって初めて見る側近の泣き顔だった。


「俺はお前を幸せにしなくちゃならない義務がある。責任がある。そのために聖女として帝国に行けるよう兄貴に頼んで、教会のお偉いさんにも手を回した」


 やけに国を追い出されるのが早かったのと、聖女の称号を剥奪されず済んだのはサヴァリスのおかげだった。

 たった一つ残った聖女という身分と自分にしか出来ない仕事という生きがいを失ってしまわないように。


(サヴァリスは継承争いが嫌で神官になったって言ってた。それなのにまた皇子として巻き込まれるかもしれないのを覚悟して連絡してくれたんだ)


 自分の勘違いが恥ずかしくて唇を噛んでしまう。


(なんて馬鹿なんだろう私って。でも……)


 怒られているのにどこか嬉しいと思い始めた自分の気持ちにエリーゼは困惑した。

 人が当たり前に持っているその感情は一度枯れてしまって忘れてしまった。

 あと少しでその名前を思い出せるところだった。


「それなのに、これからって時にまたお前の弱音を聞いて我慢できなくなった。さっきも、今もそうだ。やっぱり俺なんかじゃ駄目なんだって気づいちまった」


 ほのかな熱を残して触れていた手が離れる。

 この広がる距離はエリーゼとサヴァリスの心の距離だ。

 今まで壊れかけていたガラスの器がそれでも砕け散らずに形を保てるよう守っていた手が遠ざかる。


 サヴァリスという男が誓った自分がこの少女を守るという願いを、己の言葉で彼女を傷つけてしまった。

 どれだけ真剣に思っていても伝わらなかった、変えられなかったと信念が折れてしまった。


「そんなことないわ!」


 がしっと、サヴァリスの長身に飛び込んでくる小さな生き物がいた。

 あまりに勢いが強くてバランスを崩してしまい倒れ込む。

 尻餅をついた状態で背中を木に預ける格好になったサヴァリス。

 そんな彼に跨り、更に押し倒すような勢いで引っ付いているのは怒った顔のエリーゼだった。


「人に言われたことしかしない人形だった私に広い世界を教えてくれたのはサヴァリスなのよ!」


 どこにこんな大きな声を出す力があるのか不思議なくらいの声量だった。


「一緒にサボろうって誘ってくれたり、我儘を言って教会の人を困らせたりした」


 男爵家にいた頃のエリーゼが聞けば信じられないような行動だ。

 しかし、今では楽しかった思い出や笑い話になる失敗談である。


「寝込んだ私を一生懸命看病して朝まで手を握ってくれていた。怪我をしそうになった時に守ってくれたし、無理しないよう仕事の調整もしてくれた。やりたいことをずっと手伝ってくれた」


 邪魔で迷惑な男だと思ったことは一度も無かった。

 サヴァリスという人間が側にいなければエリーゼは聖女になっても消耗品として使い潰される道具のままだった。

 母との僅かな思い出に浸って、自分を世界から切り離して傍観するだけの幽霊になっていたかもしれない。

 それどころか、どこかのタイミングで自分を自分で殺めていた可能性だってある。


「生きていたいって、死にたくないって、私にも何か出来ることがあって生きてる意味があるんだって頑張ってこれたのはサヴァリスが側にいてくれたからなの!!」


 駄々を捏ねる幼児のように神官服の胸ぐら掴んで揺らす。

 これまで自分の内側に向けていた剥き出しの思いをぶつける。

 サヴァリスは心の内を打ち明けて欲しかった。

 ところが、エリーゼは逆に胸に秘めた思いを吐き出したくなかった。


「私、嫉妬してたの。サヴァリスがいい顔したら気みんなに気に入られてたから。私がずっと一緒にいるのにお前なんて眼中にないって近づく女の子達がいたから。ヨハンだって私よりサヴァリスを厄介者扱いしてた」


 エリーゼも今なら納得できる。

 サヴァリスという青年が人の懐に入るのが上手いのは生い立ちや境遇がそうさせてきたからだ。

 自分が良い子を演じていたのと同じ理由だ。


「それからね、羨ましかったの。サヴァリスにはお母さんとお兄さんの二人も愛してくれた人がいたんだった。さっきの兄弟のやりとりだって憧れてた。何年も会ってないのに自分を大切にしてくれる家族がいるんだって。帰る家があるのが羨ましくて……」


 怒っているんだか泣いているんだか不明なぐちゃぐちゃに濁っていた黒い感情が溢れ出す。

 これまで溜め続けて不快感を吐き出す気持ち悪さと、僅かな開放感のせいでエリーゼの情緒が壊れる。

 そしてとうとう、絶対にサヴァリスに言いたくなかったことをぶちまけた。


「あのね、一番私が嫌なのはサヴァリスの幸せを考えたら離れるのがいいのに居なくなるかもって考えると手を伸ばして引き止めたくなる自分なの」


 サヴァリスという青年の優しさはよく知ってるつもりだった。

 田舎の男爵家に生まれた低能力の聖女にここまで付いてきて支えてくれた。

 人としてとても立派で、今もこうして私のために涙を流してくれている。

 他人の幸せが自分の幸せだと言うような彼の隣にいたからこそエリーゼは自分も同じような考えを持つようになったんだなと今日知った。


(でも、これを言ってしまったら私はあなたを縛り付けてしまうんでしょうね)


 半分座っているサヴァリスと、その上に膝立ちで跨るエリーゼの目線が重なる。

 殆ど額をくっつけるような形で両者は向かい合い、顔を真っ赤にして目を腫らしていた。

 お互いの吐息が顔に当たり、心音が耳に届きそうな距離感で胸の中の全てを吐き出した。

 エリーゼにはもう隠し事なんて一つも無かった。


「エリーゼ。お前……」


 その言葉の先を聞きたくなくてぎゅっと目を瞑る。

 両手で耳を塞ぐという発想が思いつかないくらいにエリーゼは混乱していた。


「それをもっと早く言えよ!!!!」


「えっ……?」


 再びエリーゼの肩に手を置き、盛大に溜息をついてサヴァリスは項垂れてしまった。

 エリーゼとしては自分の醜い部分を見せてしまったことでサヴァリスから嫌われたり、変に気遣った返答が返って来ると思ったらあまりに見当違いな反応だった。


「この言い争いも追いかけっこも最初にそれを言ってくれれば他に何もいらなかったのにエリーゼはさぁ……」


 バシバシと肩を叩かれてエリーゼは釈然としなかった。

 何だかこれでは自分が悪者扱いされているような気がしたからだ。

 玉座の間から逃げ出したのもそのきっかけを生んだのもエリーゼのせいではあるが、この態度は承服しかねる。


「何なのそれ? 私がずっと一緒に居てって言ったら本当にずっと側にいるの?」


 ちょっとだけ怒りながら意地悪な聞き方をした。

 サヴァリスは一度息を吸って、ハッキリ答える。


「おう。勿論だ」


 悩む素振りなんてなかった。

 確かな肯定だった。

 エリーゼが精神的な限界から幻覚を見ていなければサヴァリスは我儘を聞いてくれた。


「サヴァリスはこれからも私と一緒に居てくれる?」

「エリーゼが自分は世界で一番幸せだって言えるまで側にいてやるし、そうなるようにしてやるよ」


 冗談や軽口ではなく、本気だと伝わる声色でサヴァリスは誓う。

 誓いを宣言されたエリーゼはその真剣な眼差しと改めて至近距離で見るサヴァリスの端正な顔立ちに我に返った。


「あっ、ごめん。私なんか押し倒すみたいな格好になってるの気づかなかった」

「別に気にしてねぇよ。というか、今はエリーゼが素直に我儘を言ってくれて超嬉しい!!」

「ま、待って! 潰れちゃうから!! 汗臭いから!!」


 密着している状態が恥ずかしくて離れようとしたエリーゼだったが、サヴァリスの方が反応が早く、その逞しい両手に包まれた。

 目をぐるぐるしながら抵抗するが力比べで敵うはずもなく、結局はなされるがままに抱き締められた。


(でも、こんな風にサヴァリスにぎゅっとされるのも幸せかも……)




 ♦︎




 忘れ去られた小さな庭でどのくらいハグしていたのかわからないが、カラスが鳴いて時刻を知らせる鐘の音が聞こえたことで二人は身なりを整えた。


「サヴァリス。あなた酷い顔してるわよ」


「エリーゼだって頭に葉っぱ付いてるぞ」


「えっ、どこ!?」


 頭上というのは自分だと見えないので気づけない。

 慌てふためくエリーゼの様子がおかしくて笑いつつサヴァリスはゴミを取った。


「ちょっとー、笑わないでよ」


「わりぃわりぃ」


 子供みたいに頬を膨らませる仕草がよく似合っているが、本人は低身長をコンプレックスに思っているので指摘せずに軽く謝っておく。

 こういう気軽な触れ合いが久しぶりでサヴァリスは嬉しさのあまり口笛を吹いた。


「二人して陛下を置いてきたわけなんだけど、怒られたりするのかな?」

「大丈夫だろ。兄貴はそういうの気にしねぇよ」


 皇帝である兄と二人きり以外では陛下呼びするよう気をつけていたのも忘れてエリーゼの不安を取り除く。


(エリーゼだけか俺一人だけで戻ってたらキレてただろうな。自分の女はしっかり捕まえて命懸けで守れって昔言ってたし)


 まだ情操教育が終わってない弟に教える言葉ではないと思ったが、結果的には自分の行動理由になっているので兄の影響は凄いと感じた。


「ねぇ、こっちよね」


「ちげーよ。こっちだ」


 二人で並んで歩いているとエリーゼが分かれ道の片方を指した。

 しかし、遥か昔の話とはいえサヴァリスにとっては実家なので彼女が道を間違いそうになったのに気づいた。


(見えてないよな?)


 まぁ、実際は増改築したせいで王宮に住む人間でも迷うのでこっそり柱に目印がついていたりする。

 ただし、目につきにくいようかなり高い位置につけられていた。


「ったく、そんなんじゃまた迷子になるぞ。ほら」


「子供じゃないわよ!」


 自然な流れで手を差し出すと馬鹿にされたと思ったエリーゼが拗ねてしまった。


「でもまぁ、エスコートしてもらうのも悪くないわよね」


 ちゃっかりと小さな手を重ねてきたので離れてしまわないよう、絶対に逃さないためにしっかり繋ぐ。

 袖を掴んだりすることはあってもこうして互いに意識して触れなかったため、サヴァリスは少し照れ臭くなった。


(ガキじゃねーんだぞ。今更手を繋ぐくらいで……)


 ふと、気になって隣を見たら耳まで真っ赤にしたエリーゼがいた。

 おまけに手の感触を確かめるように何度もにぎにぎしている。

 意識的にやっているのだとしたら目論見は大成功だし、無意識ならとんでもない小悪魔だと神官は聖女に重ねてはいけない存在をイメージした。

 お互いを意識して恥ずかしいながらも手を繋いだままで歩きたい。

 サヴァリスはこういうので良いんだよ! と心の中で叫んだ。


「あのね、サヴァリス」


「なんだよエリーゼ?」


 自分でも驚くくらい気持ち悪い上機嫌な声が出てしまったが、幸いにも彼女には気づかれていない。


「私、こういうのサヴァリスが初めてだから色々おかしなことがあったら教えてね?」


「いやまぁ、俺も慣れてるわけじゃねーから出来る範囲で努力するよ」


 質問に素直に答える。

 恋愛が禁止されているとは言わないが、教会育ちだとそういう機会に恵まれる回数は少ない。

 それにサヴァリスは女遊びが嫌いだし、それどころじゃない世話役の仕事があったのでエリーゼが思うようなことは分からない。

 今度、兄夫婦にアドバイスでも聞こうかと考えるのだった。


「そうなんだ。サヴァリスも初めてなんだ」


「あぁ。だけど、これからゆっくり進めばいいさ」


「そうね……。それにしても、親友って何だか特別な響きでドキドキしちゃうわね」


「……えっ、あっ、……はっ?」


「さぁ、友達から仲が深まって親友になれましたって報告して陛下を喜ばせましょう。友達が少なかった弟にも初めての親友が出来ましたって!!」


 満面の笑顔で手を引くエリーゼの優しさと幸せに満ちた姿にサヴァリスは顔を引き攣らせながらようやくあることに気づいた。


(そもそも友達がいなかったせいで俺との親しい仲を親友だって思ってる!? つーか俺が側にいるとは言ったけど好きとも愛してるとも言ってないから伝わってない!?)


 エリーゼは男性経験がとある理由から少ない。

 ヨハンとの婚約も聖女としての仕事があったので食事会を数回と視察デートはしたが護衛と世話係付きだった。

 おまけにその境遇と生い立ちから友人と呼んでもいいレベルの付き合いはサヴァリスしかいなかった。


(きゃー! 親友だなんて私ってば大胆! これが熱い友情ってやつなのね!!)


 この日、聖女は初めての『親友』を手に入れた。

 元皇子にして神官の男は『友達以上恋人未満』を手に入れてしまった。








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