第3話 全てを失った聖女、隣国へ行く
「見えてきたぜ。あそこが目的地だ」
サヴァリスが指さす方を見ると、馬車の窓の外に立派な建物群が見えてきた。
「やっと目的地に着くのね。もう疲れたわ」
国外追放となってから王国を出るまではほんの僅かな時間しか経たなかった。
元からそんなに荷物があったわけでもないので、サヴァリスの分も合わせると馬車一台に余裕で収まった。
何ヶ所かの宿場町を経由し、船で大きな川を渡って帝国側の教会が用意した馬車で揺られること数日。
「隣国なのにこんなに時間がかかるとは思わなかったわ」
故郷である王国の隣にあるこの帝国は大陸の中で一番国土が広い。
その為、隣国とはいえ目的地までの距離が途方もなかった。
「でも、初めての旅は楽しかっただろ?」
「ちっとも。特に船なんてもう二度と乗りたくないわ」
思い出すだけで胃の辺りがキリキリと痛む。
王国唯一の聖女ということで私はあまり王都から動けなかった。
聖女になる以前の生活も屋敷に縛られていたので旅行の経験は無い。
だから追放されたとはいえ、未知の場所へ行くというのは胸が高鳴る……なんてことは無かった。
「それに私には楽しめる余裕なんてないもの」
役立たずとして王国を追放されたのだ。
そんな私を帝国が迎え入れてくれるそうだが、職場として考えると評判が悪い使えない人材を余所に押し付けた形になる。
加えて不安要素になっているのが帝国には既に聖女が数人いるという事実。
大陸で一番国土が広い国なのには聖女の力も大きく関係している。
なんと帝国には聖教会の本部があるのだ。
「先のことを考えるだけで怖いわ」
聖女が複数人いて大陸中への影響力を持つ教会の総本山に私なんかがやって来ればどういう扱いをされるかは想像がつく。
納得はいかないが聖女がいないので私に頼るしかなかった王国とは違う。
どこかで野垂れ死んでしまうよりはマシという理由で一生飼い殺しにされる可能性だってある。
いや、生活が保障されているならむしろそっちの方が良いかもしれない。
「なんか勘違いしてるかもしれねーけど、お前の想像より何倍もマシだと思うぜ」
「なんでそんなことが言えるのよ」
いつもの軽口にカチンと来て声が低くなる。
ここ最近は余裕が無くてサヴァリスの言葉に苛立つことが増えていた。
彼は普段通りに接しているのに憎らしい気持ちになる自分が嫌になってくる。
「だって、あのまま引きこもりになって孤独死するくらいならエリーゼを寄越せって言ったのは皇帝陛下だからな」
「はい?」
初めて聞かされた事実に私は思わず声が大きくなる。
「それってどういう意味なの!」
「詳しい話は王宮に着いてからだ」
「王宮!?」
私が聞かされていたのは最初に挨拶をするために帝国の中心である帝都に行くという内容だ。
てっきり教会の本部に顔を出す程度で終わると思っていたのに王宮に行くなんて。
「王宮に何をしに行くの?」
「皇帝陛下に会いに」
気が遠くなりそうだった。
こんな私が帝国のトップに会う?
そりゃあ、王国にいた時だって王族に会うことはあった。
けれど、帝国の絶対的な支配者である皇帝となると話が違う。
「不安か?」
「当たり前じゃない。だって、今の皇帝って血の粛清をした冷酷無慈悲な人物だって」
私がまだ幼い頃。聖女になるより前に帝国で行われた帝位継承争い。
その中で他の継承者を蹴落とし、処刑して皇帝になった。
血も涙もない氷のような独裁者だと聞く。
「そんな人と顔を合わせて、もし気に障る奴だなんて思われたら……」
私の首は胴体は永年の別れを迎える。
いいや、帝国は斬首なんて温情のあるものではなく絞首刑というじわじわ苦しませての処刑だったかな?
「ははは。それはねーよ」
自分の死体を想像するだけで顔色が悪くなった私を見てお腹を抱えて笑い声を出すサヴァリス。
「何がおかしいの? 下手したらアナタも危険なのよ」
「俺は大丈夫。とりあえず皇帝陛下がどんな人物かは顔を合わせれば理解できると思うぜ」
人の心配なんてどこ吹く風で自然体のまま外を眺めるサヴァリスに呆れてしまう。
もしも、万が一のことがあれば絶対に彼だけは巻き込まないようにしなくては。
何かの罰を背負うのは私だけでいい。
私なんかのせいで彼まで苦しい思いをする必要は無いのだから。
♦︎
「こちらで陛下がお待ちです」
案内人の人はそう言うとそそくさと私達から離れていく。
立派な装飾が施された扉の前には鎧を着た屈強な兵士達が立っており、緊急事態が発生した場合は腰にある剣で不届者を斬り捨て排除するのだろう。
「お邪魔しまーす」
「サ、サヴァリス!」
謁見するための覚悟を決める前に付き添いの無礼者は扉をあっさりと開けた。
馬車が王宮についてから王国とはスケールの違う立派な建物に圧倒されて挙動不審だった私と真反対に彼はスタスタと軽快な足取りだった。
これまでのどんな場所よりも荘厳で絢爛豪華な玉座の間の奥にある椅子に座って待つ人がいた。
「よく来た。長旅ご苦労だったな」
少し距離があって、そこまで声量を張り上げているわけでもないのによく耳に届く声だった。
王国もそうだったけれど、主君として振る舞う人達は喋り方や声のトーンからして一般人とは違う。
人の気を惹きつけるようなカリスマ性が声にも含まれている。
「こ、この度は皇帝陛下に謁見できたことを誠に嬉しく思っています」
そんな凄い人を相手にすれば田舎貴族の娘が気圧されない筈がなく、噛みそうになる。
「よい。少し楽にして顔を上げよ」
腰より低い位置まで頭を下げて挨拶する私に皇帝は言う。
大人しく従うことしかできない私は恐る恐る視線を高くして顔を拝む。
強大な帝国をまとめ上げる絶対的な存在。
その人は王冠を被り豪快な髭を蓄えた中年の男性だった。
程よく切り揃えられた銀髪に情熱を連想させるような赤い瞳で怖そうな印象がありつつも、ニヤリと吊り上がった唇のせいかお茶目な雰囲気を出している。
「ほぅ……。これが件の聖女か」
私を頭のてっぺんからつま先までじっくり観察する皇帝。
一方の私はそんな陛下のご尊顔に激しい既視感を覚える。
「ん? どうかしたか聖女エリーゼ」
「はい、陛下の顔に見覚えが……」
初めて会うはずなのに何故か猛烈な親しみを感じる。
帝国に来るのなんて初めてで陛下の素顔なんて知らないはずなのに。
「大丈夫かエリーゼ?」
「大丈夫よサヴァリ……あぁっ!!」
陛下を前にして首を傾げる私の視界に入る優男。
同じ目の中に映る二人の顔がピッタリ重なった。
「似てる!!」
陛下の御前だというのに私は大きな声を我慢出来ずに、不敬にも二人の顔を指差した。
「まぁ、そうだろうな」
「仕掛けは成功か? サヴァリスよ」
「そんなとこだな。騒がしくて悪いね陛下」
イタズラに成功した子供のよいな自慢げな表情で笑うサヴァリス。
双子レベルでそっくりとはいかなくても髪や瞳の色、ところどころのパーツが似ている。
「えっ、なんで? どういうこと?」
「あー、陛下と俺は血の繋がった実の兄弟なんだよ」
頭が沸騰しそうなくらい混乱する私へとサヴァリスが告げた情報は間違いなく今日最大級の衝撃を与えたのだった。
「兄弟? それじゃサヴァリスって帝国の皇子様だったの?」
いつも側にいてくれた神官がやんごとなき血筋の人間だった。
聖女とはいえ、田舎貴族の娘だった私の世話係に皇族が付いていたなんて初耳だ。
「元皇子な。今は出家扱いだし、帝位継承権はとっくの昔に放棄してるぞ」
それから彼は自分の過去を語り出すのだった。
皇族に生まれた皇子がどうして隣国で役立たずな聖女に仕えることになったのかを。