第2話 勘当。そして追放へ
「この馬鹿娘が!!」
父の口から最初に飛び出したのはそんな言葉だった。
続いて勢いよく振られた掌が私の頬を叩く。
「っ……」
ビンタされた頬がじんじんと痛むが、ここで余計なことを口にすると機嫌が悪化するのはわかっているので黙っておく。
「本当にお前という娘はなんて親不孝なんだ!」
物凄い剣幕をした父から怒声を浴びせられる。
「本当よね。やっぱりこんな子を育てるんじゃなかったわ」
顔を真っ赤にした父の隣に座っている女性が不機嫌そうに呟く。
濃い化粧に趣味の悪い柄の服を着ているこの人は私にとって継母にあたる人物。
「申し訳ありませんでした」
「謝れば済む話ではないだろう!」
頭を下げて謝罪するが、苛立ちを我慢できない父は近くにあったテーブルを怒り任せに叩いた。
太り気味で背の高い父が出す大きな物音を耳にして思わず私の肩が跳ね上がる。
「貴方、ちょっとうるさいわよ」
「そうだったな。すまん」
後妻に指摘されて謝るとイライラした状態を継続したままだが、父が席に座る。
この人は昔からこうだった。
物心がついた頃に母が亡くなってすぐにこの女性は我が家にやって来た。
それ以来、実家の男爵家は実質この女性の物になっている。
「全く、公爵家から婚約破棄をされるなんてね」
「おかげで我が家の評判は最悪だ! 息子の将来にも悪影響が出てしまう!」
父と継母の間には子供が二人いる。
私とあまり年の離れていない妹と弟だ。
男爵家は将来的に弟が継ぐことになっており、公爵家に嫁いだ私が便宜を図るようにお願いする計画が潰れてしまったのが父の一番の問題なのだろう。
「本当よね。うちの可愛い娘も泣いていたわ」
妹は私がヨハンと婚約したことに不満を漏らしていたから婚約破棄自体は喜んでいるとは思う。
ただ、彼女の今後のお見合いにも悪影響はあるでしょう。
「とんだ問題児だわ。やっぱり親のせいね」
「儂じゃない! あの女のせいだ!」
父の口から亡くなっている母を貶める言葉が出て歯を食い縛る力が増す。
父は母を愛していなかった。
貴族の結婚ではよくある話で、私とヨハンのような政略結婚で両親は結ばれた。
それでも母は生まれた私を大切にして可愛がってくれた。
けれど、妹と弟の年齢を考えると既に父の気持ちは継母に向けられていたのです。
「しかし、これからどうする?」
「新しい聖女のせいで教会から貰えるお金が減ると困るわ。ただでさえ結納金が貰えなくなってしまうのに」
娘を前にしてお金の話を始める両親。
彼らにとって大切なのは聖女を輩出したという名誉とそれによってもたらされる富だ。
私が聖女として働く以上、魔法を使うのに少なく無い額の金銭が絡む。
教会へのお布施という形で収納められる金銭の中から私の生活費や親子の時間を減らしてしまうことになる家族への補填として一部が与えられていた。
これまで王国内に聖女は私だけだったので、男爵家へと渡された額はかなりのものになっていた。
「新しい服が買えないと困るわ」
「屋敷を建て替える費用も足りんかもしれん」
貴族の中でも地位が低いのに両親が派手な服装をし、大きな宝石のついたアクセサリーを身につけていられるのも私が唯一の聖女だったから。
聖女であることが私が家族から求められていた役割。
彼らにとって私は金の成る木だった。
「公爵家がこの子の称号を剥奪するよう動いているというのも心配だわ」
「親戚連中も掌を返して儂らを非難してきている。くそっ、お前のせいで!」
二度目の平手打ち。
唇の端が切れて血が頬を伝う。
教会で聖女としての仕事に没頭していたから忘れかけていたけれど、久しぶりのお仕置きはやっぱり痛い。
「本当に申し訳ありませんでした」
深く、ただ深く頭を下げて目を合わせないようにする。
彼らを怒らせてはいけない。機嫌を損ねないようにしないといけない。
手のかかる子供は親不孝で迷惑な存在だと散々教育されてきた。
「どうしましょうかね、コレ」
「今更我が家で面倒を見ろと言われても困るぞ。婚約破棄された聖女なんて嫁入り先が見つかるものか」
「不細工で体つきも貧相だものね」
「それもあるが、コレを身内にすれば公爵家から睨まれかねないからな。本当に厄介なことに……」
散々な言われようだけど、悲しくなっても涙は溢れない。
聖女の力に目覚めるまでは厄介者扱いされて家では使用人と同じかそれ以外の待遇だった。
朝から晩まで働かされ、与えられる衣服は妹のお下がりやボロばかり。
食事も死なない程度のもので、掃除が不十分だったり皿を割ってしまったり、ただ機嫌が悪いだけで物置小屋に閉じ込められる。
泣いたところでこの人達は許してくれない。
だから彼らの前で涙はもう出ない。
「仕方ない。金払いも悪くなるなら追い出すしかあるまい」
「そうね。これ以上立場が悪くなる前に無関係だってアピールしなくちゃならないわ」
両親の間で話が纏まったようだ。
抵抗することもなく、私はただその結果を受け入れる。
「エリーゼ。今日限りでお前は赤の他人だ」
「今後二度とわたくし達の前に顔を見せないでちょうだい」
親子の縁を切ると言われた時、私の中にあったのは捨てられたという悲しみよりもこの人達ともう関わらなくてもいいという安心感の方が大きくて自分が嫌になった。
♦︎
「今日はいつもよりちょ〜っとゴージャスな晩飯だぜ」
教会内にあてがわれた自室。
まだ教会にやって来たばかりの頃、実家で自分専用の部屋なんてもらえなかった私は急にこの広い部屋を与えられて困ったのを今でも覚えている。
そんな部屋に日が暮れた頃、食事をトレーに乗せてサヴァリスがやって来た。
「デザートに旬のフルーツを使ってんだ」
テキパキと私が散らかしていた机の上を片付けて食事の用意をする。
野菜がたっぷり入ったスープからは温かい湯気が立ち昇っていた。
「ほら、さっさと食わないと冷めちまうぞ」
不思議なもので、食欲は全く無かったはずなのに美味しそうな臭いが鼻をくすぐると腹の虫が鳴いた。
「腹ぺこ女」
「……」
いつもならここで軽口に何かリアクションをするけど今はそんな気分ではなかった。
勢いを削がれたせいかサヴァリスはばつが悪そうな顔をしながらもコップに水を注ぎ、私の前に置いた。
「あんま気にすんなよ。あんな薄情な連中なんて忘れちまえよ」
聖女になってから長い付き合いのある彼は私の家庭の詳しい事情を把握している。
聖女となる人間の情報を調査するのも教会の仕事だからだ。
「しっかし、本当に酷い奴らだよな。娘に手をあげるなんて」
席についたまま無言で食事に手を出さない私の顔を心配そうにサヴァリスが覗き込む。
「まだ痛むか?」
私の顔に手を伸ばして傷を確かめるように優しく頬に触れた。
既に自分で魔法を使って治療はしてあるから殆ど腫れは引いている。
私なんかの実力だと大きな怪我を完全に癒すことは出来ないがこのくらいならお手のものだ。
自分の体で試してきた経験が多いからこれだけは自信がある。
「大丈夫。私は大丈夫だから」
「……そっか」
口癖のような言葉を吐き出すとそれ以上は何も言わずにサヴァリスが手を引っ込めた。
どちらも喋らない無言の空気が気まずくなって私は誤魔化すように席について食事へと手を伸ばす。
用意されていたメニューは確かにいつもより品数も多く、ケチで栄養のバランスにうるさい教会の料理人にしては豪華だった。
「あんまがっつき過ぎると喉に詰まらせるぞ」
サヴァリスが隣で小言を言うが、私はそれを無視して食事を続ける。
白いパンは柔らかくて珍しくベーコンまで入ったスープは熱かった。
途中で料理が喉に詰まりそうになり、慌てて水で流し込む。
よく冷えた水だったので、私が熱々のスープで舌を火傷しそうになることまで彼の想定通りだったかもしれないと思い、ちょっとだけムカついた。
「ほら、言わんこっちゃない」
忙しない私の食事風景を見ながら小馬鹿にしたようにいつも通り笑うサヴァリス。
果物と砂糖をたっぷり使用したデザートまで含め、あっという間に用意された料理平らげた私は教会で学んだ作法通りに食への感謝を込めて神に祈る。
「下げて」
「かしこまりました聖女様」
わざとらしくそう言って彼は空になった皿をトレーに乗せて部屋から出て行った。
再び部屋に一人だけになった私は行儀が悪いと知りながら体をベッドに投げ出して寝転んだ。
人間というのは不思議なもので、食欲が無くてもひと口だけ口に運ぶと空腹だったお腹が膨らむまで手が止まらなくなる。
きっと食べられる時に少しでも多く栄養を蓄えようとする体の本能なのだろう。
「……バレて無かったかな?」
枕に顔を押し当てボソッと呟いた。
その後なんとなく寝返りを打つと自然と窓の外に目が吸い寄せられた。
月は姿を見せずに空は分厚い雲に覆われていた。
さっきまで雲の影も形もなかったはずなのに天気が急に崩れ始めている。
きっと今晩は激しく雨が降るのだろう。
「明日の朝食までに治るかな……」
果たしてこれは魔法で治せるのだろうか。
突然味がしなくなった舌のことを考えながら私はボーっと雷の落ち始めた夜空を眺め続けた。
♦︎
教会からの仕事も騒ぎが少し収まるまでしなくていいと偉い人達に言われたので私は自堕落な生活を続けていた。
働かないと落ち着かない性分だったのにここ数日はただただやる気が起きず怠け者になってだらしなく布団に身を委ねている。
「おーい、エリーゼ。起きてるか?」
「うん。ちょっと待って」
新しい聖女のことで騒がしくなっている教会の中で私の元に通うのはサヴァリスくらいだった。
他の神官達は自分があの新しい聖女の側近になるんだと意気込んでいるので当然の結果だろう。
婚約者や家族から嫌われていた私は聖女を信仰する教会からさえも嫌われていたのかもしれない。
「実は今日さ、王国支部のトップ達が集まる会合があったんだよ」
最低限の身だしなみを整えた私はサヴァリスを部屋へ招き入れ向かい合うように椅子に座っている。
急いで来たのか少し息が乱れている彼は聖女の世話係としてそういう話し合いに積極的に参加している。
軽薄そうな態度とは裏腹に仕事はきっちりこなすタイプなのだ。
勿論、手を抜いていい時はとことん抜いてサボろうとするが。
「それで決まったぜ。今後のエリーゼの処遇」
「やっぱり教会を追い出されるのかしら?」
ヨハンが婚約破棄をしたあの夜に私は聖女の座を奪われると言っていた。
元両親も貴族達によって私の聖女の称号が剥奪されるだろうと口にしていた。
帰る家もなく、職場さえも失えば私は路頭に迷って朽ち果てるだろう。
この際それもありかなと思い始めてきた頃だった。
「近いうちに荷物をまとめないといけない」
サヴァリスから聞かされたのは予想通りの答えだ。
それが私の運命だというなら大人しく受け入れよう。
「隣の帝国に引っ越しだから長旅になるぞ」
「は?」
続けてサヴァリスの口から出た言葉に思考が停止する。
今、なんて言った?
「俺のツテで向こうに住まいも用意してもらうから心配するなよ」
「つまり国外追放ってことでいいのよね?」
この国に聖女は二人もいらない。
だったらより優秀な方を残して劣った方は追い出そうというのだろうか。
あぁ、確かに私みたいな女にはお似合いかもしれない。
これできっとヨハンと家族だったあの人達も納得するだろう。
「見方によってはそうなるな。まぁ、心配すんなよ。俺も一緒についていくからさ」
これから忙しくなるぞと言って立ち上がるとサヴァリスは部屋の片付けを始めた。
婚約を破棄され、家族にも見放された私は役立たずの聖女という看板を持ったまま隣国に追放される。
その晩に食べた食事はほんの少しだけ味がした。
出されたスープは塩気が僅かに濃くて、私は自分の惨めさに胸が苦しくなる。
こうして役立たずの聖女兼田舎貴族の娘としての人生は終わりを告げるのだった。