後編
魔王の背丈は約15メートル。エ○ンが変化した進○の巨人と同じぐらいであった。
その足元には魔族の軍勢が約二千人。こんな辺鄙で長閑な村に何をしにやって来たのかはわからない。
もしかしたら二人の転生者の気配を感じ取り、勇者になる前に潰しておこうと思ってやって来たのかもしれなかった。
「ぬおーん、ぬおーん」
魔王のうめき声が地に響いている。
牧場の柵を踏み潰し、木々を薙ぎ倒してやって来る魔王の軍勢を、牛舎の陰に隠れて二人の転生者は見つめていた。
マイケルが言った。
「これはチャンスだよ。魔王を倒し、現世に帰ろう」
ジュリアがバカを見る目でマイケルを振り返る。
「どーやって!? あたしたち、神様から特になんにも力をもらってないのよ!?」
「僕に考えがある」
「どんな!?」
「話してる暇はない。村が更地にされてしまう前に……行くぞ!」
駆け出したマイケルを、ジュリアは追うしかなかった。しっかりその手を握られていたので。
「ぎゃーっはっは! 人間どもを捕えて蹂躙しろ!」
隊長らしきリザードマンが叫ぶ。
「男は奴隷に! 女は性奴隷にするのだ!」
突然の襲撃に、村のみんなは逃げ惑っていた。
マイケルとジュリアの両親は領主だが、そんなことは今は関係がないように、彼らも大衆の中にまぎれていた。それを追いかけて、魔族たちが走りはじめた。
「待て! 魔王軍!」
勇ましい声が天にまで響いた。
一斉に振り返った魔王軍が一所を注目する。
そこには綺麗なおべべを着た弱そうな若者と、綺麗なドレスに身を包み、若者に手を繋がれたブサイクな令嬢がオロオロとしながら立っていた。
「なんだ、貴様ら?」
リザードマン隊長が舌なめずりをする。
「真っ先に殺してほしいのか? よし殺してやろう」
ゴブリンが4体、走って来た。どうやらゴブリン4体いればじゅうぶん殺せると思われたようだ。
「ど……、どうすんのよ!?」
ジュリアが頼るようにマイケルの顔を見る。
「考えがあるって言ったけど……、どうするつもり!?」
マイケルがにっこりと笑い、後ろ手に持っていたものを取り出した。ライフル銃だった。
「僕は銀行強盗を成功させた男だ。コイツで脅せば大抵のことはなんとかなると学んだんだ」
一発、空に向かって撃とうと銃爪を引いた。弾丸は発射されなかった。
「あれっ!? なんかこれ、使い勝手が違う!」
現代のものとは大分違っていたようだ。
ゴブリンは止まらずに襲いかかってくる。
「ちょっとでもアンタを信じたあたしがバカだったーっ!」
ジュリアが泣き叫んだ。
「か……神様に選ばれた僕たちだ! 何か特別な力が備わってるはず……! ピンチに際すると、きっとその力が芽生えるんだ!」
マイケルはそう言ったが、特に何も起こる気配はなかった。
ゴブリンたちが木の棒を振り上げて襲いかかってくる。二人はひしひしと感じていた、ゴブリンよりも10倍は弱い自分らを。
「逃げよう!」
マイケルがそう言い、手を引っ張るが、ジュリアの足が動かない。
「こ……腰……、抜けちゃったあ……」
ジュリアはそう漏らし、顔中を涙と鼻水でびちょびちょにして、へたり込んだ。
「バカ! 立つんだ! 走るんだ!」
「無理ぃ〜! 自分の足が……自分のじゃないみたい」
「やってきてるぞ! 犯されるぞ! 殺されるぞ! 早く立つんだ!」
「あ……、あたしのこと……置いて……行かないで」
「置いていくもんか! ジュリア! キミが死ぬなら僕も死ぬ!」
「ま……、マイケル!」
ジュリアはびちょびちょの顔で笑った。
そして、気合いを込める。
「あっ、あたし……、立つわ!」
ジュリアは力を振り絞り、立とうとした。しかし、やはり、立てない。
ゴブリンたちの手がもう届く。
二人が観念した……その時だった!
地響きの音を二人は聞いた。
魔王でも近くに来たのかと思い、おそるおそる顔を上げてみると、彼ら二人を守るように、魔王の大きさにも匹敵するほどの巨大な白い犬が、ゴブリンの前に立ち塞がっているのを見た。
「ひいっ!」
二人は悲鳴をあげた。
「ば……、バケモノ!」
巨大なその犬には首が3つあった。よく見ると白い毛に少しだけピンポイントで黒い毛が混じっており、耳の先が蝶々の羽根ようにファサっとなっている。その、パピヨン犬種に酷似した耳の形を見て、ジュリアが声を漏らした。
「え……、エマ?」
エマは少し振り向き、3つともの顔を嬉しそうに笑わせると、前を向いた。
「ゴブ……っ?」
ゴブリンたちが慌てふためく。
「ゴブゴブーーっ!?」
エマが口から光を吐いた。
その聖なる光は、一瞬にして4体のゴブリンを消し去った。
「なんだーっ!? あの犬はーっ!?」
リザードマン隊長が遠くで吠えた。
「首が3つあるってこたァ、地獄の番犬ケルベロスじゃねーのかっ!? ケルベロスがどうして聖なる光を吐く!? どうして俺ら魔王軍に楯突くんだ!?」
それがリザードマン隊長の最後の言葉になった。エマが再び吐いた聖なる光は、リザードマン隊長を含め、あっという間に遠くにいた魔族の兵隊たちをも、薙ぎ倒すように消し去ったのだった。
「エマ! かっこいい!」
二人は手を取り合い、嬉し泣きをしながら、ぴょんぴょん跳ねた。
「凄いぞ、キミの犬は! 凄いぞ!」
「ぬおーん」
魔王が大激怒した表情でやって来た。
巨体が一歩を踏み出すたび、二人はトランポリンの上にいるように揺れた。
「まっ!!」
魔王はそんな叫び声をあげると、大きく開いた口から黒い光を吐いた。まるですべての光を消し去るような暗黒波だ。エマが正面からまともにそれを浴びた。
「エマ!」
「エマちゃん! 頑張れ!」
二人が手を握り合ってエマを応援する。
魔王の口から吐き出される暗黒波が途切れた。どうやら息が切れたようだ。
エマは、立っていた。
光のオーラに包まれて、すべての暗黒波を防ぎきっていた。
「よし! エマ、えらい!」
二人が飛び跳ねて喜び合う。
「行けーっ、エマちゃん! 反撃だ!」
「まおーっ!?」
無傷の三つ首巨大パピヨン犬を見て、魔王が驚いた声をあげる。
「ガウンっ!」
エマは一声、大地を震わす声で吠えると、
「カアッ!」
大きく開けた口から聖なる光を吐いた。
「アーッ! まおおおっ! ま、まおおおーーっ!!!」
魔王は暗黒のオーラで防ぐことも間に合わなかったようだ。
エマの聖なる光で、その巨体が、分子レベルにまで分解され、空に溶けて行く。
「キャーッ! やったわ! エマ、えらい!」
二人は抱き合って喜んだ。
「アハハハ! 凄い! 凄いぞ! キミの犬は凄いぞ!」
魔王の姿が完全にかき消えると、天から神の声が降ってきた。
──よくぞ世界を救ってくれた、勇者よ!
エマが二人のほうを振り向いた。
大きな目でウィンクをすると、光のようになって、消えてしまった。
「エマ……」
「これで……僕らが世界を救ったことになったのか?」
──約束通り、おまえたちを現世に返してやろう。あの日の、あの時の、あの場所へ──
二人を真っ白な光が包んだ。
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気がつくと、舞蹴は黒いフルフェイス・ヘルメットの下に黒い覆面をかぶって立っていた。背中にはライフル銃を隠し持っている感覚があった。
『……戻れたのか』
しかし、珠里亜の運転する車の中ではなかった。
銀行だ。入口を潜り、店内に入ったところに舞蹴は立っていた。
これから彼がライフル銃を背中から取り出し、天井に向けて発砲する直前のところだった。
『……夢だったのか?』
そう思いながら、カウンター窓口を見た。
背が低く、地味顔の、しかし彼の好みど真ん中の女性が、こちらをまっすぐ見つめていた。彼女も今しがた目が覚めたばかりのような、そんな表情をしている。
珠里亜だ。にこっと笑った。
それを見て、舞蹴はヘルメットも覆面も脱ぎ、素顔をさらした。
窓口に近づき、話しかけようとすると、先に珠里亜が言った。
「ここに戻ったのね。……どうする、マイケル?」
「どうする……って……」
マイケルは少しだけ考え、即答した。
「キミと結婚したい! 異世界で言った通りだ! 珠里亜、僕と結婚してほしい!」
「おカネは?」
「奪わない。そんなものよりももっと僕の人生を始まらせてくれるものを見つけた」
「じゃ、だーめ」
「えっ?」
「借金だらけの男と喜んで結婚するような女はいないわよ。真剣にあたしと結婚したいなら、その気持ちを見せてよ」
「よ、よーし!」
マイケルは背中のライフル銃を深くしまうと、踵を返し、背中で言った。
「人生、やり直してみせる! キミを堂々と迎えに来れる男になって、また来る! 待っていてくれ!」
「フフフ……。信じらんないけど……」
珠里亜は嬉しそうに、笑った。
「信じてあげるわ。あたしを置いて逃げなかったあなただもん」
カウンターの中に置いたアジダスの、黒と白のスポーツバッグを開けて、免許証があることを確認すると、珠里亜は呟いた。
「エマとふたり、あのアパートの寂しい部屋で待ってるから、いつでも迎えに来てね」
そして、おカネは詰まっていないけれど、幸せの予感がいっぱいに詰まったそのファスナーを、閉めた。
「あたしも人生、始まっちゃったかもしんない」