中編
「ねえ」
「なんだよ」
「なんであんた、舞蹴なんて恥ずかしい名前なの?」
「母さんがマイケル・ジャクソンのファンなんだよ。気に入ってんだ。恥ずかしいとか言うな」
「ふーん」
「キミこそ珠里亜なんて顔じゃなかっただろ。地味な日本人顔だったくせに」
「お父さんがジュリア・ロバーツのファンだったのよ。あんなやつ、どうでもいいけど」
「ははーん? 名前にコンプレックスありか?」
「あ……しっ!」
「う……やばっ!」
乳母のチェルシーが戸口で怯えた顔をしていた。見てしまったようだ、二つ並んだ籠の中に寝かされた生後二週間の赤ん坊が、日本語で会話をしているのを。
「○☓! ○☓ーっ!」
どうやら『奥様! 奥様ーっ!』と声をあげたようだ。
駆けつけた母のドロシーは金髪の美女で、中世ヨーロッパ風の貴婦人だった。
「∅∂∃? ∨∧⊇∷?」
半信半疑の表情で、自分たちに何語だかわからない言葉で何かを尋ねてくる。どうやら双子の赤ん坊に悪魔でも入り込んだのかどうか、試しているようだ。そんな母親に、二人は笑顔で言った。
「ダア!」
「ダーっ! あーばばばば」
二人が転生した異世界は、中世ヨーロッパのような、昔風の世界だった。二人は前世の記憶があり、産まれた時から日本語は喋れたが、この世界の言葉はまったくわからない。それでもただ二つ、聞き取れる単語があった。自分たちの名前である。母親はそれを口にした。
「□▲○マイケル、□▲○ジュリア。☓≦∞⊂……」
どうやら、なぜだかこの世界でも名前が変わらなかったようであった。
成長するにつれ、この世界の言葉も覚えた。
自分たちはのどかな田園地帯の広がる田舎を収める領主の家に産まれたのだということも知った。
お互い17歳になった時、その噂を耳にした。
魔王軍との戦争が、人間側に分が悪くなっている。
このままではこの村にも魔王の軍勢が押し寄せ、みんな奴隷にされるか食われてしまう。
「ねえ、マイケル」
林檎の樹の下で、もいだ林檎を齧りながら、ジュリアが言った。
「神様、この世界をあたしたちに救えとか言ってたけど、どーでもいいよね?」
爽やかな風に、ジュリアがかぶった麦わら帽子のリボンが揺れている。
「よくないだろ」
マイケルは手にした鞭を玩びながら、答えた。
「育ててくれた母さんに感謝をしていないのか? 僕はこの世界を救いたい」
「救うっつったって、あたしたちになんかチート能力とかあるわけ?」
ジュリアはそう言って、面倒臭そうに林檎の芯を投げ捨てた。
神様は何も言ってなかった。自分たちにこの世界を救うための特別な力を与えるとかなんとかは、何も。ただ『二人で協力して』と言っただけだ。
実際、二人はふつうの人間に過ぎなかった。魔法なんか使えない。田舎でのんびり育ったため、剣すら使い方を知らない。
「こんなフツーのあたしたちが、どうやって世界を救えるの? ねえ、教えてよ? ねえ? ねえねえ?」
「うるさいな! 神様が救えと言ったんだからには、何か僕たちには特別な力があるはずなんだ! それを探そう! キミだってお金を取りに現世に戻りたいだろう?」
「大体、エマは? エマはどこ? 一緒に死んだのに、神様のところではいたのに、なんで転生してないの?」
「僕に聞かれたって知らん! 動物は転生できなかったとか、そんなんじゃないのか?」
「とりあえず早く帰りたい! 日本に帰りたい! おカネ取りに戻りたい!」
「この世界を救えば戻れるだろ! 救うんだ! 救う方法を探すんだ!」
「何よ、ブサイクのくせに!」
「キミだって! 僕ら双子なんだぞ!?」
美男美女に産まれれば、この世に留まりたいという欲も出たかもしれない。
しかし、二人とも白人の見た目ながら、鼻は低く、目は一重まぶた、唇は分厚く、つまりはブサイクであった。
ゆえにマイケルは約束通りこの世を救って現世へ戻りたい、ジュリアはなんでもいいから早く現世へ戻りたい──二人ともこの世界で生きて行くことなど考えていなかった。
「帰ったらあのおカネ、全部あたしのものだからね」
「何言ってんだ、この強欲女! あれは苦労して僕がアレしたものなんだぞ!」
「嫌よ! アレであたし、新しい人生始めるとこだったんだから!」
そう言われて、マイケルは考え込んだ。
自分は自暴自棄になって銀行強盗をやった。失敗したらそこで死んでもいいと思っていた。どうせ人生終わったと思っていたのだから。
あのおカネでジュリアの人生が始まるというのなら──
「ジュリア……」
マイケルは麦わら帽子のリボンをいじって黙ってしまった彼女に、言った。
「この世界をなんとか救って、現世に戻ったら、結婚しよう」
ジュリアがとんでもないバカを見る表情で、顔を上げた。
「ハア!?」
「僕ら、この世界で兄妹として育ってきて、情が産まれてしまったろう? 夫婦としてもきっとうまくやって行けるはずさ。何より、そうすれば、あのおカネは仲良く二人のものになる」
「バカ!? 人生終わってたヤツと結婚したがる女がどこの世界にいるっていうのよ!?」
「あのおカネだってがめつくどちらかが独占するより、幸せな二人に使ってもらいたがるはずだよ」
「バッ……!」
マイケルを殴りかけて、ジュリアが足を滑らせた。
倒れた先に肥溜めがあった。牛や馬や人間の糞の中へ、ジュリアが顔から突っ込んで行く。
「危ない!」
マイケルが抱き止めた。
「あ……、ありがと……」
弾みで抱き合ったまま、見つめ合う二人──
その時、遠くで使用人の声が叫んだ。
「魔王だ! 魔王が村にやって来たぞ!」
「ぬうーん……」
そんな威厳のある声を響かせながら、魔王がずしん、ずしんと歩いて来た。足元には魔族の兵隊がアリのように付き従っている。
二人は牛舎の陰に隠れ、それを見ていた。
「ま……魔王だわ」
「で……、でかっ!」
「な、何しにこんな辺鄙な村にやって来たのかしら?」
「知らないよ。とにかくチャンスだ。アイツを倒せば僕ら、現世に帰れるんだ」
「どうやってあんなでかいの倒すのよ!?」
「僕に考えがある」