8. なぜかちょっと
居間の座卓の上は、お皿やカゴにお洒落に盛り付けられた様々な種類のパンが
並ぶ。サンドイッチや惣菜系のパン、甘いデニッシュ系のもの、
果たして、こんなに食べきれるのか?と思ってしまう量だ。(でも、たぶん
食べてしまう気もする)
スープは、コーンとパンプキンの2種類。
英子が言う。
「パンを思いっきり食べたいから、サラダはなし。かわりに、野菜と果物の
ジュース飲み放題。液体なら、パンと一緒に食べても、さらっと入るでしょう」
「確かに。栄養バランスよさそう。でもまた、俺めっちゃ食べ過ぎると思う・・・」
「じゃあ、あとで、運動すればいいよ。それに、毎日のようにダンスのトレーニング
とかもしてるんでしょう。十分カロリー消費してるんじゃない?」
「まあ、毎日ではないけど。そこそこ。どっちかっていうと、ボイストレーニング
のほうが、よくやってるかな」
「そうなんだ。どうりで、この頃、声がよく伸びるようになったよね。昔より、
いい声が出てるし、ほんとに歌も音程がしっかりして、上手くなったもの」
英子が言うと、圭は嬉しそうに、
「ありがとうございます。ちゃんと気づいてくれてるの、嬉しいな。俺、自分では、
そういう、陰で努力してます、みたいな話はしないようにしてるから。でも、
ちゃんと気づいてくれる人がいてると思うと、励みになる」
「不言実行?」佳也子が言う。
「そうそれ、座右の銘」
想太の指さす、玉子サンドを、想太の皿と自分の皿に、一切れずつ、
のせながら、圭は言う。
「ほんとは、もっと上手にアピールしてかないと、なんだろうけどね。俺は、
陰の汗みどろのどろっどろの努力は知られたくないほう・・・」
圭は少しほろ苦く笑った。
そして、次、どれがいい?と想太にきいている。
「その、チョコの」
「お、俺と好み合うねー」
2人がほほ笑みかわす。
佳也子は、スープを入れる、小さいカップを持ち上げてきく。
「おふたりさん、スープは、コーンとパンプキン、どちら?」
「コーン!」 二人の声がそろう。
「ほんとに、このこたち、好みまでそっくり」
英子が笑う。
朝食の片づけは、全員ですませる。
想太も、カゴを運んだり、残った果物の入ったタッパーを運んだりする。
そして、圭は、意外に、洗い物も手際がいい。
「最近は、家で、結構、自炊とかしてるの?」
英子がきく。
「うーん。しない。ほとんど外食、かな。仕事先で、お弁当でたりするし、
野菜とか買っても、結局使わないまま腐らせたりすることがあって。
潔くやめたー」
「まあ。ここが東京で、ご近所だったら、いつでもご飯届けてあげるの
にね」
「でも、意外に手際がいいんで、びっくりしました」
佳也子が言うと、
「そう、意外に。前にね、若き天才シェフ、なんて役をやったことがあって。
そのとき、包丁さばきとか、調理器具の扱いとか、それはもう、涙ぐましい
努力をしまして・・・」
「あら、努力は内緒なのでは?」
「もう。先生、イジワルだなぁ。先生のとこでは、言ってもいいの。ファンの人
の前では言わないけど」
ファンの人、という言葉が出て、佳也子は思う。
(そうやった。この人は、アイドルしてはるんやったわ)
そう思って、あらためて、自分と並んで洗い物をする、彼の横顔を見る。
肌もなめらかで、とてもきれいだ。
さっき、佳也子は、いつもの自分プラス2点だったけれど、
圭は、さらに数点プラスできそうだ。
柔らかな茶色がかった前髪はゆるく眉にかかっていて、その下にある目は、
二重まぶたで、まつ毛は長く、瞳が丸くて大きい。
(うん。このきれいさも、やっぱり口にしない努力が陰にあるんやろな)
佳也子は、さすがやな、と感心する気持ちになる。
そして、ファンの前では言わないという、彼の陰の努力の話を聞くことが
できて、ちょっと、得したような、嬉しい気持ちにもなった。
片付けが済むと、圭が
「よし。片付け終了。お待たせ。想ちゃん、何して遊ぶ?」
「んーとね。おさんぽと、公園でボール遊び」
想太は、お散歩が好きだ。
歩いている道端に、彼の興味を引くものがいっぱいある。
「よし。じゃあ、まずはお散歩だ」
「え。今から?」
「そうですよ。佳也ちゃんも行くでしょ?」
さらっと、『佳也ちゃん」呼びになっていて、佳也子は少しドキッとする。
「あ、ごめんなさい。先生が、想ちゃん佳也ちゃんて、呼んでるの聞いてると、
俺もつられちゃった。・・・いい、かな?」
圭が、ちょっと困ったようなかなしそうな顔をするので、佳也子はあわてて
言う。
「え、ええ。いいですよ。じゃあ、私たちは、何と呼んだら・・?」
「それも、先生に合わせて。『圭くん』で」
「あ、一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「あの、妹尾さん、いえ、圭くん、お年は?」
「圭くん、三才~ではなくって。30歳です」
圭は、少しふざけてみせたあと、まじめに言った。
佳也子は、その数字を聞いて、めちゃくちゃ驚いた。
「え!ええ? 23,4歳かと・・・だから、私、てっきり自分の方が
年上やと・・・」
「佳也ちゃんはいくつ?」
「に、25歳です」
「そっか。俺のほうが、ちょっと先輩ね」
「私は、もっと大先輩ね」
横から、英子が言う。
「まあ、圭くんでいいんじゃない?」
自分より、5歳も年上の人を、くん呼びというのは、なんだかなぁ・・・
とは少し思ったけれど、想太が、
「圭くん圭くん」と自然に呼んでいるのを見ると、まあ、いいか。
と佳也子の気持ちは楽になった。
そもそも、圭自身が、そう呼ばれて嬉しそうにしている。
「じゃあ、いこうか。先生はどうする?」
「私は、お留守番で。ちょっと午前中に宅急便が届くことになっててね。
だから、3人で行ってらっしゃい」
「いってきまあす」
想太は、英子に手を振ったあと、しっかり、圭の左手を握る。
そして、あいている自分の左手を、佳也子の方に差し出す。
人通りの少ない道を、3人で、手をつないで歩く。
圭が、佳也子を見て、優しくほほ笑んだ。
佳也子も、ほほ笑み返す。
なんだか、小説の中に入り込んだような、不思議な感覚だ。
(どこかでこんなシーンを見たような気がするわ)
そう思いながら、佳也子は、手の中の小さなぬくもりと、圭の
柔らかな笑顔に、なぜかちょっと泣きそうな気持になる。