51. もし出会っていなければ
「あの、三上柊っていう人の本で。『宙に還る日』っていうの、ありますか」
電話口の相手が言った。
「すみません。今は品切れ中なんですけど、近々、増刷されて、入荷する予定なので、
今しばらくお待ちいただければ入ります」
佳也子は答える。
相手は、もう少し探してみてから、あらためて予約します、といって電話を切った。
圭たちのグループ、HSTのドームツアーは無事に終了した。
最終日まで、熱気と歓声に包まれたライブは大成功だったと、
エンタメニュースでも取り上げられていた。
東京ドーム公演で、披露された『会いたいと思うことは』は、
SNSでも話題に上り、急遽CD発売も検討されているという。
圭が初めて作曲したという話題性に加えて、以前ヒットした映画の
原作者が詞を書いた、ということでも話題になり、その映画も
原作小説も、あらためて注目されている。
なので、佳也子の勤める書店でも、原作小説の問い合わせが増えている。
佳也子が、この書店で仕事をするのも、もうあと少しの期間だ。
店長夫妻と麻友には、結婚してここを辞め、東京へ行くことを伝えてある。
他のバイトの子たちには、まだ内緒だ。
店長夫妻と麻友にも、まだ圭のことは話せずにいる。
そのことは、心苦しいけれど、しかたない。
事務所からの発表のあとで、タイミングを見て、話すつもりだ。
東京では、学校図書館司書に、正規の職員として採用されたと告げると、
彼らは、心から喜んでくれた。
とくに、麻友は、自分の経験から、結婚してもちゃんと自分の仕事を
持っていることがどれだけ大事か、日頃よく口にしていたのでなおさらだ。
もちろん、どんなにがんばっても、圭の収入と比べたら、まるで桁が違う。
それでも、自分が1人の大人として、彼と対等に向き合えることが、
佳也子には嬉しい。
一人でも生きられる。でも、一緒にいられたら、もっと幸せになれる。
そんな自分でいたいと思う。
そんな二人でいたいと思う。
・・・いや、想太を入れて、正確には、三人だけど。
夜遅く、圭からのテレビ電話がかかってきた。
「佳也ちゃん、決まったよ。週明けに、事務所のホームページと
マスコミ各社あてに、お知らせ文を流すことになったよ。佳也ちゃんに
関する情報は最小限にとどめるようにするけど、迷惑かけることも
あるかもしれない。ごめんね」
「私は大丈夫だよ。圭くんこそ、大丈夫?」
「うん。ちょうど、仕事のスケジュールの空いてるところにしたから、
一応、取材やインタビューにも対応できるように調整はついてる」
圭の声は穏やかで、表情は明るい。
それでも、少しため息交じりに、圭がぽそっと言った。
「ここまで来るのに、思ってたより、時間がかかっちゃったね」
「そうだね。でも、一つひとつ、いろんなこと考えたり、相談したりしながら、
ここまでこれたから、だから、これでよかったな、て気がする」
佳也子がほほ笑むと、圭が笑った。
「佳也ちゃんといると、いつも前向きになれそう。・・・ねえ、佳也ちゃん。
俺がどんなに佳也ちゃんと想ちゃんのおかげで、あったかい気持ちで
いられるか、知ってる? それに、前の俺だったら、適当に流して
済ませてたかもしれないことも、逃げずに丁寧に対応しようって
思えるようになったのも、2人と出会ってからだよ」
圭が、スマホの画面の中から、佳也子をまっすぐに見つめる。
「それにね、曲を作りたい、て思ったのも、佳也ちゃんのおかげなんだ。
自分の想いを、自分のメロディで伝えたい、て」
「そうなんだ・・・。あの曲、とてもいいよね。ライブで聴いたとき、ほんとに
涙が止まらなかったよ。自分の気持ちと、すごく重なって。詞とメロディが
めっちゃ合ってて。これからも、もっといっぱい圭くんの曲が聞きたいな」
「うん。がんばってみるよ。まだまだ勉強しなくちゃいけないんだけど、
やりたいことが、また増えたって感じで、今、すごく元気も勇気も湧いてきてる」
「いいね。やりたいことを、少しずつ実現していく道の途中にいてるんやね」
「うん。佳也ちゃんも、新しいチャレンジだね。俺、めちゃめちゃ応援してるから。
一緒に、がんばろうね」
「うん。楽しみながら、がんばりましょうね」
「うん」
圭の顔に、優しい笑顔が広がる。
その薄茶色の瞳が嬉しそうに佳也子を見ている。
「インタビューとか取材とか、ごめんね、1人でさせて。私がタレントだったら、
横に並んで、指輪みせたりなんかしながら、取材受けるんだろうけど」
「うん。ほんとは、佳也ちゃんと想ちゃんと三人で、『家族になりました~』
って、やりたいところだけど。・・・嬉し過ぎて、顔がにやけすぎないように
気をつけなきゃ」
「ふふ。テレビで見ときますね。きりっと素敵な感じできめてくださいね」
「うん。がんばってみるけど。・・・案外、へ~、あっそう、て感じで、誰にも何も
言われなかったりして・・・」
「どうでしょう?それならそれで平和だからいいでしょう?」
「まあ、それもそうだね」
圭が笑う。
確かに、佳也子が初めて会ったころの圭は、名前は知られていても、
知っている人でないと顔と名前が一致しない、メンバーの人数が多い
アイドルグループの一員だった。
今では、彼のファン層は、性別年齢を問わず、幅広い。もしかしたら、
通常のアイドルのファン層からは、少しずれているかもしれない。
けれど、今、彼への注目度は、かなり高い。
「花村ロスって言われたときほどじゃないかも・・・?」
圭が笑う。
「そういえば、また、花村シリーズ2作目作るって話があるとか?」
「うん。まだ、いつから、とかは、不確定だけどね。とりあえず、
今やってるドラマが終わってからの話になるから」
今、圭は小児科医の役で、主役ではないけれど、レギュラー陣の一人で
これも、結構好評だ。専門用語を覚えるのに苦労している。
「大変だね」
「うん。でも、結婚式は、ちゃんとするし、旅行にもいく。三人で」
「うん。ありがとう。でも、むりしないでね。写真だけだっていいし、
旅行も行かなくても、一緒に過ごせたらそれでいいから」
「俺がやりたいし、行きたいの。もう予約も済んでるんだし。
ちゃんとスケジュールも調整済みだから、大丈夫だよ」
「うん。じゃあ、その日に向けて元気でいられるように3人で
がんばりましょう」
「うん」
スマホの画面をはさんで、佳也子と圭は、笑顔を交わす。
「佳也ちゃん」
「ん?」
「佳也ちゃん。大好きだよ」
圭の不意打ちに、佳也子は耳まで赤くなる。
「もう。圭くん。急に言うから・・・」
「急じゃないよ。いつも、いつだって、大好きだよ」
言うだけ言うと、圭は照れくさそうに笑って、慌てたように電話を切った。
少しして、スマホに、
『早くおいで。待ってるよ』
圭からのメッセージと一緒に、いつもの白いお団子のようなキャラクターが現れる。
佳也子に向かって、可愛く、招き猫のように手招きしている。
佳也子は、笑いながら返信する。
『待っててね。今すぐ飛んでいきたいくらい、私の方が大好きですよ!』
こちらは、メッセージと一緒に、速達と書かれた封筒のなかで、
白いお団子のようなキャラクターが手を振っている。
『好きな気持ちは、まけへんで』
圭が、返してきた。
佳也子は、パイナップルのイラストで応戦する。
バカップル、というかわりの合図だ。
こんなやりとりも、離れている今だからできる。
そう思うと、会えないことのさみしさも、もどかしさも、
すべてが、愛おしく思えてくる。
会えないことも、会いたいと思うことも、
そこに、お互いへの想いがあるからこそで。
もし出会っていなければ、抱くはずのなかった想いを、
今、こうして胸に抱いていることを、佳也子は、
とても幸せだと思う。
そして、心でつぶやく。
(出会えてよかったよ。・・・圭くん)




