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いつかきっと  作者: 原田楓香
38/53

38. 引き取りたい


「想太を引き取りたいんです」


カフェの奥まった席について、注文を終えると、

想太の父親は、前置きもなく言った。

「わかっています。今頃何を言うのかと思われるでしょう。

身勝手なことを言っているのは、重々承知しています。

それでも、想太を引き取りたいんです」


姉と彼は、想太がまだ赤ちゃんのときに離婚し、その後は、

姉が1人で、想太を育てていた。そして、彼女が事故で

なくなったとき、彼は、再婚を決めていたため、想太を

引き取ったのは、想太の祖母である佳也子の母だった。

その母が亡くなったあとは、佳也子が想太を育ててきた。


「あのときは、しかたなかったんです。再婚相手の、嫁が、

自分は、赤ちゃんを育てる自信がないと言ったので。

でも、今なら、想太もずいぶん大きくなっているし、

手もそんなにかからないでしょう。やっと、嫁も、

引き取って育てることを同意してくれたんです。

それで、こうして、飛んできたんです。なんとか、

あの子を引き取りたいと思って」


『飛んできた』・・・。

まるで、ずっと会いたくてたまらなかったのを、

今日まで我慢してたみたいな言い方だ。

何年間も、会いに来ようともしなかったのに。

佳也子も佳也子の母も、ただの一度だって、

彼が、想太に会いに来ることを拒んだことはない。

そもそも、彼は何も言ってはこなかった。何も、だ。

赤ちゃんの面倒は、ようみぃへんけど、5歳児なら

なんとかなるわ、とでも?

ふざけるな!

大人の都合で、想太を振り回そうとするな!

佳也子の心は、怒りで一杯になる。


「お断りします」

一言答えるのが精一杯だった。

それ以上、口を開いたら、あふれだした言葉が

止まらなくなるに違いない。


佳也子がそう答えることは、想定内だったのか、

相手は怯まない。

「いや、もちろん、これまでに、あの子を育てるのに

かかった費用もちゃんと考慮して、できる限りのことは、

させていただきますので」

佳也子は、言う。

「そんな問題ではありません。想太を、大人の事情で

振り回したくはありません」

「そうです。だから、これからは、父親である自分が、

責任をもって、面倒を見ようと。君もこれで、子育てから

開放されて、自由に過ごせます。悪い話ではないはずです。

君自身のこれからを思えば」


自分の目的を達するためなら、なんとしてでも、相手を

言いくるめようとする話し方をする人だ。

だが、彼は、声をけっして荒げることはしない。


「赤ん坊のころから、ここまで、あの子を育ててきた君には、

感謝の気持ちでいっぱいです。本当に大変だったでしょう。

だから、そろそろこの辺で、その重荷を、父親である僕が

引き受けます。今まで、親として何もしてやれなかったので」


やれなかった。

やらなかった。

日本語ってすごい。ほんの一文字入れ替えるだけで、

伝わる意味が全然違う。

佳也子は、一瞬、そんなことを思う。

彼が繰り返し使う、『親』という言葉。

彼は、その言葉が、相手の心に与える効果を意識している。


「もちろん、君としても、いろいろ都合があるでしょうから、

すぐに、とは言いません。でも、こちらは、もういつでも、

受け入れる準備はできています。ですので、

できるだけ早く、いい返事を聞かせてください。では」

自分の言いたいことだけを、ほぼ一方的に伝えると、

彼は、席を立つ。

「ここは、僕が払っておきます。」

伝票を掴んで、言う。

「いえ、結構です!」

彼は、佳也子の言葉も待たずに、出入り口に向かった。

振り向いたりもしない。


心の中が、ぐちゃぐちゃだ。

このまま家には帰れない。


店を出たあと、佳也子は立ち止まった。そして、

我慢できずに、スマホのアドレス帳の圭の画面を開く。

一瞬、迷ったけれど、思い切って、

受話器のマークを押す。


「もしもし。佳也ちゃん。」

圭の柔らかな声が聞こえる。

「・・・ごめん。忙しいのに、電話して」

「いいよ。大丈夫。今、一つ仕事終わって、ちょうど

帰るところでね。だから、歩きながら、話せるよ」

この頃、仕事帰りに、散歩しながら帰ることも多い、

と圭は言っていた。

佳也子も歩き出して、近くの公園に向かう。


「いつもと声の感じがちがうね。どうした?」

電話で話すことが多いこともあって、圭は、

佳也子の、ちょっとした声の違いを感じ取って、

佳也子の気持ちを察してくれることも多い。


「今日ね・・・」

話し始めたところで、公園の入り口に着いた。

公園内は、ランニングやウォーキングをする人達が、

結構、あちこちにいる。けれど、他人の会話にまで、

注意を払う人はいなさそうだ。


「何だ、それ!!」

佳也子の話を聞いて、圭の声が、激しくなる。

「想ちゃんを、今になって・・・。だめだ!絶対、だめだ!

想ちゃんは、俺らで育てる!俺らの子だ!」

「…圭くん」

「佳也ちゃん、大丈夫だ。絶対、想ちゃんは、俺たちで

育てよう。今まで放っておいて、急に、引き取りたい、

なんて、なんかおかしいよ。何か、今までと違う事情が、

引き取らないといけない事情ができたのかもしれない」


引き取らないといけない事情。

そうかもしれない。

丁寧に頼んでいるようでありながら、余裕のない、

あの話し方。

何かを隠しているような・・・。


「佳也ちゃん、何とか、時間作って、俺もそっちへ行く。

何なら、そいつと会うよ」

「ありがとう、圭くん。でも、とりあえずは、私の方で、

なんとかするよ。だから、来なくても大丈夫。でも、

やっぱり、どうしても、ってなったときは、頼むから。

そのときは、相談にのってね」

「わかった。でも、なんかあったら、絶対、言うんだよ」

「うん。ありがとう。じゃ、そろそろ帰るね。ごめんね。

声聞けて、すごく嬉しかった。ホッとしたよ。ありがとう」

「こっちこそ、ありがとう。電話してくれて嬉しかった」

圭の声が、佳也子の心を包み込むように、柔らかくなる。

この声が聞きたかった。ホッとする、温かい声。

優しく受け止めてくれる声。

もしかしたら、圭の顔より、姿より、

声が一番好きかもしれない。

そう言ったら、圭はなんと言うだろうか。


やっと、少し心が落ち着いた佳也子は、家路をたどる。


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